● 高 麗 神 社 ●
こ ま じ ん じ ゃ
聖天院を出て左にさらに歩くと、高麗神社に出会えます。
高麗王若光の遺徳をしのんで建立された神社。
出世開運の神様として信仰されている。


ここにたどりついたときには、「やっと着いた〜〜〜(T▽T)」という気分でした。
もうかなりへろへろでした…。
なにせ、ここまで300mlのお茶だけ…高麗駅から…というより自宅を出て
ハンバーガーを1つ食べただけでしたから(地元から高麗駅まで約1時間半)体力的にもけっこう限界でした…
デスクワークの人間が、久しぶりによく歩いてます。
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しかし、この一ノ鳥居には、狛犬がいません。ちょっぴりショックです。
そのかわりか、手前に柱があります。
そして、左の駐車場には、将軍標がここにもありました。

さて、一ノ鳥居です。

春には、桜並木がとても綺麗なことでしょう。
その参道を歩いていくと、その左右に車祓所があります。
その横にあった祠です。

そのまま参道を歩くと、二ノ鳥居に出会います。
二ノ鳥居をくぐる前に、境内案内図がありました。
二ノ鳥居です。

二ノ鳥居を入ると、左に手水舎があります。

その横に、由来が書いてありました。
写真で載せてもわかり辛いかと思って、書き写します。
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所在地 日高市大字新堀 高麗神社は、高句麗国の王族高麗王若光(こまこしきじゃっこう)を祀る社である。高句麗人は中国大陸の松花江(しょうかこう)地域に住んだ騎馬民族で、朝鮮半島に進出して中国大陸東北部から朝鮮半島の北部を領有し、約700年君臨していた。その後、唐と新羅の連合軍の攻撃にあい、668年に滅亡した。この時の乱を高句麗国の貴族や僧侶などが多数日本に渡り、主に東国に住んだが、霊亀2(716)年、そのうちの1799人が武蔵国にうつされ、新しく高麗郡が設置された。 高麗王若光は、高麗郡の郡司に任命され、武蔵野の開発に尽くし、再び故国の土を踏むことなくこの地で没した。 郡民はその遺徳をしのび、霊を祀って高麗明神とあがめ、以来現在に至るまで高麗王若光の直系によって社が護られており、今でも多数の参拝客が訪れている。 昭和57年3月 日高市 |
これを読んでいると、なにだか、高句麗から逃げてきた人を、あまり開拓されていない土地へ追いやり
開拓業務を押し付けた感じがします。高麗王若光も、郡司に任命されてますが、名ばかりだったのではないでしょうか?
なんか、けっこう恨みをもって亡くなったんじゃないかと思うのです。
神社に祀るなんて、魂を静めようとしてるような気はするのはわたしだけでしょうか…?
出世開運のご利益があるのだから、開発で成功をおさめたというよりは、むしろ逆で、開発に力をそそいだけど
報われなかったのではないでしょうか?だから、自分が叶えられなかったので、出世開運の願いを
叶えてくれる神さんになったのでは?…などと、いらぬことを考えてしまいました。
えっと…これは、わたしの勝手な想像なので、本当のことではないかもしれないので
話半分で読んでいただけると嬉しいです。(^^;
こんな話はさておき、先に進みます。
手水舎で手と口をすすぎ終えると、その横に石碑を発見しました。

よくわからないのです(^^;
ですので、そのまま進んでしまいました…
さて、いよいよ拝殿です。

あとから冊子で確認したのですが、この左の狛犬の手前に杉の木が二本あります。
1本だけ写真に写ってますが、
この杉は、昭和17(1942)年11月21日に李朝最後の皇太子、
李王垠殿下・方子妃殿下が植樹されたものだそうです。
左右の狛犬さんです

左の狛犬の後ろの方に、階段がありました。

ここを登るとどこに行くのだろう…と好奇心はつきないのですが
体の方がついていきませんでした。
ここまでで、いったい何キロ歩いたのでしょうか…このデスクワークなインドア派が…。
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この狛犬を過ぎると、何故出生開運のご利益があるのかの由緒書きがありました。
これも、細かいので、写真ではなく、ここに書き写します。
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庶民には、あまりご利益がなさそうでな気がしてきます。
ま、そんなことはさておき、欲を出さずに普通にお参りしようと思います。

石段の手前、左側に車椅子の方のための参拝用通路がありました。
バリアフリーな神社!なんて素敵なんでしょう!
車椅子だけでなく、足腰の弱ったお年よりなんかも安心して参拝できます。
どこの神社もこういう造りだといいですね。


本殿に上がって、お祓いをうける人がいらっしゃいました。
写真手間に白く光ってしまっている扇方があります。
ここにはこんなことが書いてます。

光が足りなくて、ぼけぼけですが
『神拝詞』
祓え給い 清め給え 神ながら 奇しみだめ 幸え給え
と、書いてあります。
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拝殿を右にぬけると、参集殿があります。社務所とか、お守りなんかが売ってます。
ご朱印もありました。関東で第1号のご朱印をGETです。
「お伊勢さんとか、他にも回られますか?1ページ目2ページ目は空けておきますか?」
と、丁寧に聞いてもらいました。なんだかとても嬉しい気分になりました。
「じゃぁ、1ページ目だけ空けてください。」とお願いしました。
やっぱり、1ページ目は北野天満宮で欲しいなぁ〜と思ったので…。
昔、趣味で神社やお寺関係なく、行った先々でご朱印をいただいていたことがありました。
札所とか関係なく、訪れた記念みたいな気分で…(^^;)スタンプラリー気分だったのです。
…それを、母に「西国札所」のご朱印帳を買って来たからと言って、
切られてしまったことがあり、それ以来集めてなかったのです…あれは、ショックでしたから…。
奈良をそうとう回ったので、けっこう西国札所のご朱印があったことが災いしたのでしょう…
でも、勝手に切られたのは悲しいことです…
今度こそは、自分の趣味で集めたいと思います。…またスタンプラリー気分ですが…
そこで、高麗神社の冊子なんかも買うことができます。
ここのページは、それを参考にして書いています。
とても有難い資料としてとっています。
そこを抜けて、さて出ようかと思ったとき、「高麗家住宅」と書いた看板に会いました。
矢印のまま、本殿と参集殿の間をぬけて行きました。
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「高麗家住宅」は、高麗神社の祀職を代々務めた高麗家の旧住宅で、
慶長初(1596)年に建築と伝えらえれているそうです。
写真では、左に見えていますが、これはしだれ桜だそうです。
4月ぐらいに訪れると、みごとに咲いたしだれ桜と一緒に見ることができるのでしょうね。
この日は、足元に秋海棠が咲きほこっていました。
また、まわりは、梅並木にかこまれているそうです。
桜の下には、高麗大記・筆塚があります。
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ここを奥に進むと、石碑が立っていました。
資料によると、野田宇太郎・詩碑となっていますが、
やはり彫りが甘くて、肉眼でもわかりませんでした。
これが、そういうものだと知らずに訪れたので、写真にも写らないだろうと撮影しませんでした。
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「高麗家住宅」の裏にまわるとこんな門がありました。

門には「幽栖門」と書いてあります。
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さて、「高麗家住宅」を後にしました。
出るところに

「なんじゃもんじゃの木」というのがありました。
わたし、本当にある木だと思っていませんでした…(^^;
上々颱風の歌に出てくるので、このあとしばらく頭にこの歌が流れていました。
♪な〜んじゃもんじゃの木の下で〜ヘイヘイホー
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そのまま参集殿の横を通り、客殿を通りすぎると、大きな桜の木にであいます。

桜のシーズンには、さぞかし立派な花を咲かせるだろうと思うほどの桜です。
木の根元に石碑があります。

「釈迢空・歌碑」だそうです。
山かげに 獅子ぶえおこる しし笛は 高麗のむかしを 思へとぞ ひびく
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この桜に、向かって右に神楽殿がありましたが、工事中なので撮影しませんでした。
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と、実は、このあたりで、リュックの肩ひもの付け根からやぶれてしまいました。
リュックを抱えるように歩くのは大変です。
帰りのバス…あるわけもなく…
体力的に来た道戻る気にもなれず…
神社の入り口にある地図を見て自分が何キロきたのかわかってしまったのです。
そこで、このまま高麗川駅に向かうことにしました。
なんとなくこっち…あいかわらずこんな調子で歩きます。
このあと、野々宮神社に行くつもりだったのですが、デジカメのメモリが尽きました…。
よって、帰ることだけ考えて…。
ま、ちょっとうろうろしましたけど、駅までたどりつきました。
途中、スーパーで裁縫セットを買い、ベンチで取り急ぎリュックを縫いました…
なんとかなるもんです。(^^;
ちなみに、高麗神社にはHPがございます。
興味のある方は、こちらまで
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