じ ん ご じ
北野白梅町よりJRバスに乗ってやってきました。

昼すぎに到着したので、近くのお店でうどんを食べて、満腹状態でいざ!
反射鏡のある先から入って行きます。

かなり適当な地図ですが(パソコンで手描きですが…)だいたいこんな感じです。
先の写真の場所から、斜面をどんどん下り、一折れすると、朱色の高雄橋があります。

この橋は、清滝川にかかる橋です。
橋の手前たもとにこんな石碑がありました。

読めますか?山大女人禁制と書いてあるのです。
こんなことが書いてあるので、随分前のものなのでしょうか?
いつ頃まで、女人禁制だったのかわからないのですが…。
ちなみに、神護寺は「高雄山 神護寺」といいます。
高雄山は、愛宕山の5峯の一つです。
■ ■ ■
さてさて、女人禁制は無視して登りたいと思います。
橋を渡ると、平たい石段が続きます。

神護寺は、高野山真言宗別格本山で、本尊は薬師如来です。
もともとは、平安京造営の最高責任者である和気清麿が、今の愛宕神社の前身
愛宕山白雲寺などとともに建てた、愛宕五坊の一つ「高雄山寺」だったそうです。
ちなみに、中国五台山になぞって造られた愛宕五坊で現在残っているのは、月輪寺だけだそうです。
そこから、天長元(824)年に河内(大阪)の神願寺の地がよごれたところでふさわしくないということで
高雄山寺と合併し「神護国祚真言寺」となったそうです。
河内の地がよごれている…というところが気になります。これも宿題。
延暦24(805)年に、唐帰りの最澄が灌頂法を修して、その後、遅れて帰って来た空海が入り仁王経法を修しています。
平安時代に二度の災害に遭い、ほとんどが焼失したそうですが、文覚上人がなげいて
寿永3(1184)年に後白河法皇の勅許を得て、源頼朝の援助もあって復興したそうです。
そんなこんなで、宝物の中には、頼朝や政子の直筆の文なども残されていました。
応仁の乱でも、大師堂を残して焼失したそうですが、元和9(1623)年に、所司代板倉勝重の奉行で
楼門、金堂(現在の毘沙門堂)、五大堂、鐘楼を再建。
昭和になって、昭和10年に山口玄洞居士の寄進で、金堂、多宝塔が造られ現在にいたるとか。
■ ■ ■
石段を登ると、途中お茶屋さんがいくつかありました。
藤と紅葉の緑と、朱色の傘がとても綺麗だったので撮影してみました。

このお茶屋さんをすぎたあたりに、硯石といいのがあります。

空海弘法大師が神護寺に在山の時勅額の依頼があったのですが、急な五月雨で橋が流されたため
この石を硯とし、対岸に立てかけられた額に向かって筆を投げたところ
見事に四文字書いたというのです。
「金剛完寺」だと思うのですが、説明書きに書いてあるのが読めませんでした…
現在このお寺が存在してないそうです。
投げた筆で四文字も書くなんてことできないと思うので、何か違う本当のことがありそうだなぁ〜と…
■ ■ ■
平たい石段は、この硯石あたりから急になってきます。
昔のお姫さんなんか、こんな高い石段登れへんで…とか思い、あ、女人禁制か…と思い出すのでした。
高い石段を登っていると、楼門が見えてきます。
紅葉に隠れて、全体は撮影できません。

近づいてこんな角度で撮影。

ここで拝観料を払って中に入ります。
ちなみに、訪れたのはゴールデンウィーク中でした。
この時期、虫干しのため神護寺の宝物が公開されます。ねらい目です!
わたしも、これが目的でやってきました。
中には、教科書なんかでも有名な、あの源頼朝の肖像画があるのです!
紅葉の頃も素敵ですが、新緑の紅葉も素敵なので、このシーズンに訪れてみるのもおすすめです。
■ ■ ■
楼門を入ると、広い空間でした…

左手は木々にうもれ、右手に手前から書院、茶室、宝蔵、和気公霊廟…と続きます。
まずは、書院。

門だけで、中には入れませんでした。
もちろん、その敷地にあるであろう茶室もおがめず…。
その隣には宝蔵。

この日は、きっと虫干しのために、移動していたのでしょうね。
その隣にあるのが、和気公霊廟。

その隣に、鐘楼へ登る石段があるのですが、その前に、
この階段をはさんで、隣にある明王堂を。

では、霊廟と明王堂の間から石段を登って、鐘楼へ向かいます。
■ ■ ■

袴腰付楼閣形式ですかね。
中にある梵鐘は、貞観17(875)年のものだそうです。
4面の銘文は、序は橘広相、文は菅原是善が選び、藤原敏行の書で刻したもので、
「三絶の鐘」と呼ばれているとか…国宝なので、まったく拝めませんから
帰宅して調べたら、こんないいものが入っていたんだ…という気持ちです。
ここから西にむけて山道を行くと、金堂に当たるのですが、金堂を訪れる前に、北へ延びた獣道を行きます。
この先に、和気清麿公のお墓があるのです。
入るときにもらった地図には、そんなに遠くないように書かれていたのすが
想像より時間がかかってしまいました。
青臭い土の匂いがぷんぷんする道をゆくと、苔でびっしり覆われた道にも出会います。
ふかふかの絨毯の上を歩いているようで、とても気持ちいい感触でした。
そこをぬけると、いくつかお墓が並んでいるのですが、どうみても新しい造りで、しばしさまよっていました。
しかたがないので、もと来た道を戻ることにしたとき、向かいに少し上り坂になってる道を見つけます。
…前ばかり向いて歩いてはいけませんね…
登っていくと、小高くこんもりとした土があり、柵でかこまれています。その上にお墓がありました。
どうやら、これが、和気清麿公のお墓のようです。

…この写真わかり辛いですね…
でも、現場に行ってもこんな感じです。
清麿公に手を合わせ、金堂へ向かいます。
■ ■ ■

もう、立派としかいいようのない金堂です。
最近、鎌倉ばかり行ってるせいか、やっぱり京都の建物は、きらびやかだなぁ〜と見上げます。
写真ではわかりませんが、鬼瓦の鬼の顔がちょっとコミカルでした。
本尊は、木造の薬師如来立像で、日光・月光菩薩が両脇にいらっしゃいます。
他に、十二神将や、四天王、如意輪観世音菩薩、大黒天、地蔵菩薩、弁財天がいらっしゃいます。
本尊の薬師さんは、桧の一木造りで、河内の神願寺の本尊だと考えられています。
金堂の側に手水がありました。苔むして、なんともいい雰囲気だったので掲載しました。

■ ■ ■
金堂の後ろの坂を登ると、多宝塔があります。
ですが、平地ぎりぎりに建っているので、どうしても見上げるようになってしまいます。

先に述べましたが、昭和10年のものなので、比較的新しい印象を受けます。
中には、これまた一木造りの五大虚空堂菩薩坐像が5体安置されているそうです。
5体とは、法界、金剛、宝光、蓮華、業用の5虚空蔵で、赤、黒、白、青、黄で色分けされた像は
平安初期のものだそうです。
多宝塔から西へ下ると、祠があります。
これが地図によると竜王堂だと思います。表示がなかったのでちょっと不安ですが
これ以外にそのあたりになにもなかったので…。

竜王堂から、さらに坂道を降りると、閼伽井(あかい)があります。

弘仁3(812)年に、弘法大師によって潅頂伝授のために掘られたものだとか。
今も水が沸き出ているようで、周辺は水浸しでした。
■ ■ ■
、閼伽井をすぎると、少し登りになります。
その先に、地蔵堂があり、かわらけ投げのをするところもあります。
まずは、地蔵堂

扉はとざされていて、中をのぞいても暗くて見えませんでした。
その向かいにあるのが、かわらけ投げの場所。

売店で、かわらけを購入します。100円で2枚です。
山の谷にむかって、その素焼きの…なんて言うのですか…丸い直径7〜8cmのフリスビーみたいなもの…
あぁ…なんて表現力のない…
↓これです↓

覗き込む谷にも、新緑が綺麗で、藤が咲いていたりととても綺麗です。

厄除けになるそうです。
…何にとっても厄除けとか、今回は考えずに2枚とも谷へ、河原で石を投げるようなかっこうで投げました…。
ちっとも信心深くない投げ方ですいません…やっぱり綺麗に遠くに飛ぶと嬉しいのです…。
でも、やっぱり誰かが、この下を掃除するんでしょうね…
とか考えると、お賽銭入れたとたんに回収されたときのような気分になるのでやめました。
■ ■ ■
ここから、来た道よりも、少し南にある道を進みます。
出たところには、大師堂、五大堂、毘沙門堂があります。
金堂へつながる石段が、よくガイドブックなどで見る光景だったので撮影しました。
紅葉の頃も素敵でしょうが、新緑の先ある朱色の金堂もまた素敵です。

ゲーム「遥か」の1で登場するのは、楼門ではなく、ここなのでしょうか…?という気します…。
あぁ…もう記憶が遠くてごめんなさい…。
■ ■ ■
この石段に一番近いものもからご紹介。
五大堂です。

そのすぐ南に、毘沙門堂があります。

この中には、木造で、平安時代の毘沙門天立像と、鎌倉時代の愛染明王坐像が安置されているそうです。
その毘沙門堂の西に、大師堂があります。

弘法大師がいらっしゃった時にのお住まいだったとか。
その向かいにおもしろいものが立っていたので、ご存知の方いらっしゃいましたら
教えていただきたく掲載します。

これ、何ですか???
真ん中の円盤は、中央で支られて、くるくるまわるのです。
これの意味を教えて下さるかたいらっしゃいましたら、メールか掲示板でお知らせください。
これで、境内はおおかたまわったことになります。
本当はm多宝塔より山道をゆくと、文覚上人の墓や、性仁法親王墓があるのですが
宝物公開の時間がせまっていたので、あきらめてしまいました。
■ ■ ■
楼門を出て左手に、神護寺本坊があり、こちらで公開されています。

中は、撮影禁止だったので掲載できませんが、とにかく萌えたのは(萌えかい!!)
教科書でよく見かけるあの源頼朝の絵画と、平重盛の絵画が向かい合って展示されていたこと。
向かいあってというのは、頼朝の絵が右向きなので、その右側に左向きの重盛の絵が展示してあったのです。
…間にもう1枚あったのですが、それを忘れてしまうぐらいの衝撃でした。(目録では、釈迦如来像でした)
近くには、後白河法皇尊影もあったり…
…「遥か3」をやった人にしかわからない萌えでした…(^^;
もちろん、他のものもじっくり見せていただきました。
平安時代の文字が今も色あせず残っているって、やっぱり墨ってすごいですね。
おかげで、今でも当時のままの書状を見ることができるんですから。
絵画ものも、あざやかな色のままそこにあるのですから、ちょっと感動ものです。
好きだったのは、やっぱり曼荼羅ですね。
なぜかわたしは宗教画では曼荼羅が好きなのです。
堪能しました〜(* ̄▼ ̄*)
出てきて、せっかくなので、お庭撮影しました。

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