● 上 賀 茂 神 社 ●
か み が も じ ん じ ゃ
【世界文化遺産】
祭神:賀茂別雷神
正式名称は「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」といいます。
賀茂別雷神は、下鴨神社の祭神、玉依姫命の子
創祀は不明、社伝では678年に社殿を造営したと伝えています。
大同2(807)年5月に伊勢神宮に次ぐ地位があたえられました。
社域約66万4000m2の中に、40を超える社殿が並ぶ。
御神体は、神社の北約2kmにある「神山(こうやま)」。標高301m。
■ おわび ■
この日最後の訪れた上賀茂神社だったのですが、朝からはりきって着た浴衣の下駄のせいで
上賀茂神社でバスを降りたとたんに、足がずるむけになってしまいました。
そのため、ほとんどまわれませんでした。
後から整理しても、写真がわけのわからない中途半端なものになってました。
また訪れて、今度はしっかり写真もおさめて来たいと思っています。
とりあえず、二ノ鳥居から…。

一ノ鳥居を入ると、芝が広々と広がり、長い参道を二ノ鳥居めざして歩きます。
二ノ鳥居をくぐると、有名な「立砂」(盛り砂)があります。

松葉を差した円錐形の盛り砂の後ろが、神域を流れて来た御手洗川と御物忌川の合流地点です。
写真向かって左より後ろに回ると、本殿に向かう途中に小さな社があります。
「橋本社」 ここは玉依姫命を祀ってあります。

この社を向かって右に進むと本殿があります。
写真がありませんが…。(><)
本殿の前にある橋を渡ると、そこにも小さな社がありました。写真はありませんが…
そのまま進むと、川にそって道が続いていました。
西日がすごいです…(><)
でも、暑さも少しやすらぐここちよさがあります。
流れる水が、とても清らかで、ここが聖域であるという確信にも似た気持ちになります。
道なりに進むと、小さな社…というより祠のような感じ…にたどりつきます。

祠という方が正しいですね…たぶん。
西日の木漏れ日が綺麗だったので、入れて撮影してみました。
そして、下鴨神社の川のよこにもあった、四角い神域がここにも。
さらに進みます。
とても通り辛い、社の前の細い通りを通り
さらに奥に進むと鳥居がたくさん並んでいます。

石碑には「二葉姫稲荷神社」と書いてあります。
すいません、二葉姫というのは、どんな神様なのかわかりません…
何故なら、この日、どういうわけか、ここを登る途中で気分が悪くなってしまったのです。
もしかしたら、お参りしないで振り返ってはいけない場所だったのでしょうか…
とにかく、鳥肌がたってしまって、ここからあわてて下ってしまい、先の稲荷神社に行ってません。
前に行ったことがあるですが…この日は駄目だったようです。
神さんに拒まれた感じがして辛かったです。
この二葉姫稲荷神社を背にして正面向かってあるくと、橋を渡って二ノ鳥居の右がわに出ます。

これは、最後に渡った橋を、渡り終えてから撮影したもの。
ホント、西日がすごいです。
それにもまして水が綺麗です。
先程の神社を下りたあたりでは、親子連れが、川に入って水遊びをしていました。気持ちよさそうです。
さて、この写真を撮った場所から、左手の方に石碑があります。

風そよぐ 奈良の小川の夕暮れは
禊ぎぞ夏のしるしなりけり
(藤原家隆)
百人一首でおなじみの歌です。(^^)
ここが奈良の小川だったんですね。
御手洗川と、御物忌川が合流したあとは、奈良の小川となります。
「奈良」を「楢」と書いてある本もあります。どちらが正しいのでしょうか?
毎年、6月30日には、橋殿の上から、禊ぎの人形が、この奈良の小川に流される「夏越(なつごし)の祓い」があります。
…雛祭りや、鐘楼流しと同じような意味なのでしょうか…人形に穢れを託し、禊を行うなんて…。
他にも上賀茂神社には、お祭りがたくさんあります。
中でも一番有名なのが「葵祭」ではないでしょうか?
【葵祭】
正式には「賀茂祭」というそうで、毎年5月15日に行われます。
(詳しくは、当サイトの下鴨神社でも書きましたのでご覧下さい。)
5月10日前後の吉日に、下鴨神社、上賀茂神社で行われる斎王代御禊神事などを経て迎えるお祭り。
「葵」は、呪術的には「雷除け」と「地震除け」の二つの意味を持つそうです。
■ ■ ■
【御阿礼祭】
葵祭の3日前、5月12日には「御阿礼(みあれ)祭」が行われます。
これは、新神霊を迎える儀式で、深夜、阿礼(榊の枝)に神霊を遷し、秘歌を唱えて本殿に運ぶもので、非公開で行われています。
上賀茂神社の中でも、最も古く、最も重要なお祭りだそうです。
■ ■ ■
【競馬(くらべうま)】
毎年5月5日。午後3時開始。
2組に分かれて駆け比べを行い、米作の豊凶を占うもの。
寛治7(1093)年、宮中で左右にわkれて菖蒲の根の長さを比べて歌を詠む「菖蒲の根合わせ」に
勝った公卿や女房らがお礼に奉納したのがはじまりとも、
同年、五穀豊穣の祈祷として、社人が各自の荘園から馬を出させて10組20頭で競ったものによるとも言われている。
■ ■ ■
【烏相撲】
毎年9月9日。午前中。
祭神:賀茂別雷神の祖父:賀茂建角身命(かものたけつぬのみこと)(「鴨建耳津身命」と書かれている場合もある)が
八咫烏と言われています。
神武天皇が東征の時、紀州熊野の山中で強敵に遭遇、進退きわまったとき、天照大神の夢のお告げによって
高天原から道案内として派遣されたのがこの八咫烏で、その案内によって、
神武天皇の一行は無事に吉野から大和へ出ることができたという。
この八咫烏の末裔が山城国の「葛野主殿県主(かどののとのもりのあがたぬし)たち」と言われている。
『新撰姓氏録』には「賀茂建角身命が大きな鳥に変身して神武天皇を道案内した」という説明があるそうです。
このことから、葛野主殿県主族のリーダーが賀茂建角身命だったいう風に考えられています。
また、葛野主殿県主族のことを「烏族」ともいうそうです。
説明が長くなりましたが、賀茂建角身命が相撲を神に上覧に供したのを起源とすると伝えられています。
拝殿前の土俵で、左右から弓矢を持った刀祢(とね)が横飛びで土俵の盛り砂に進み
「カァー、カァー、カァー」と鳴いて相撲が行われます。
勝ち負けで作物の豊凶を占う、子供たちの奉納相撲です。