● 神 泉 苑 ●
中京区、二条城の南にあるのが「神泉苑」です。
この日は、雨模様でした。「神泉苑」では、ぱらぱら降り出しましたが、まだ傘はいらないかなぁ〜というぐらいでした。
雨の日の「神泉苑」は、いろいろな意味でよかったです。

御池通を渡って撮影すればよかったなぁ〜と思ったのですが、目の前に横断歩道があるわけでもなく
雨も降り出してあわてていたために、こんな2つの角度からになりました…(><)
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「神泉苑」は中国の漢の武帝が作った上林苑を模したものだと言われています。
当時は、池を中心に東は大宮、西は壬生、北は二条、南は三条jに至る広大な池泉だったそうです。
慶長7(1602)年の二条城造営によって、北部を大きく削られ、大半を城内にとりこまれてしまいました。
二条城の南の濠は、かつての池苑の一部だそうです。
昔は、約13万m2もあった敷地が、現在は約4,400m2しかなくなっています。
地下鉄東西線が北側を通っているそうで、現在の池の水も心配になります。
ちなみに、「御池通」の名前は、ここに由来しているそうです。
貞観5(863)年5月に、疫病の流行で、その原因の怨霊の祟りを止めるために
最初の御霊会が行われました。これが祇園祭りの起源だと言われています。
神泉苑には、公式ホームページがあります。
詳しい情報や、祭事なども詳しく掲載されています。
さて、中に入る前の看板…というか掲示板がありました。

東寺真言宗と書いてあります。
昔、東寺の空海さんと、西寺の僧 守敏(しゅびん)が祈雨の法力を競ったそうです。
中央にある「法成就池」に善女龍王という竜神を呼んだ空海さんが勝ち、
以後、東寺は栄え、西寺は衰退したという伝承が残っています。
ここでの祈雨修法は、空海さんが初めて行ったと言われていて、
祈雨修法が、空海=弘法大使を開祖とする東寺派真言宗の僧によって行われてきたために
生まれた伝説だろうという話もあります。
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入ると、まず亀さんたちが迎えてくれます。
のぞくと、こうして寄ってきてくれます。

その横にこんな碑もありました。

「鯉塚」と「亀塚」です。
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また、このへんから見た橋

そして、その橋を渡りました。

左に見えるのが、竜頭鷁首の船です。
天皇の遊宴に使用されたものの再現でしょうか???
延暦19(800)年の垣武天皇が来遊をしてるのをはじめ、平城、嵯峨、淳和の4天皇だけで、
102回の来遊あったとか…。皇族、貴族の遊宴の地だったそうです。
中でも、嵯峨天皇は、弘仁3(812)年に2月に、観花の宴をひらいていて、
「日本後記」に「花宴の節、これに始まる」と記しています。
橋を渡って、中央に龍善女堂があります。

これ以上中には入れませんでした。ですので、今回、狛犬のアップはなしです。(T-T)
ここに向かって左に、橋の入り口があり、その左横にこんなものありました。

何でしょうか・・・???
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そのまま左を向くと、正面に先ほどの鳥居を裏からながめるかっこうになります。
そのまま進むと石橋があり、渡って左に弁天様がいらっしゃいます。

奥の立て札には「増運 弁財天」と書いてありました。
水、竜、蛇…関係の場所には、必ず弁天様。
さらに、ここを進むと、弁天様のお社の左にこんな石碑がありました。

「地主辨戝」と書いてあります。
弁天様のお社のさらに、右側にまわるとこんな景色です。
左にあるのが、先ほどの龍善女堂です。

さらにこの写真でいうところの右手に

こんなお社が…手前に宝筺印塔がありました。
月輪の部分には、梵字で「タラーク」と書いてあります。
金剛界四仏の宝生(南)。
わたしが、南から撮影したという証拠ですね(^^;
鳥居を左後ろにして撮影した感じです。

さて、「矢劔大明神」と書いてありました。
詳しいことは、わからないので、ご存知の方いらっしゃいましたら宜しくお願いします。
HPには、商売繁盛の御利益があるようですが、名前が「やつるぎ」ですから…
武具を祀っていたのでしょうか…???すいません憶測で…。
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「遥か的感想」
ちらり、ここは、異界との境界線とか聞ききました。
それは、まるで「遥か」の世界じゃないですか!!
「遥か」なんて全く知らない人からの話だったので驚きました。
そうです、「遥か」では、物語上、大切な場所ですよね。
あの頃は、もっと大きかったのでしょうけれど…
龍神の神子なら一度はおとずれたい場所ですね(^^;