● 鏡 神 社 ●

 

「義経元服の池」から北に、ほんの少し歩くと左手にあらわれます。

石段を少し登ると、写真左に見えていますが、幹だけの松の木があります。

こちらは、「義経烏帽子掛けの松」なのだそうです。

由緒書きには

承安四年三月三日鏡の里で元服した牛若丸は、この松枝に烏帽子を掛け、鏡神社に参拝し、源九郎義経と名乗りをあげ、源氏の再興と武運長久祈願したのであった。

明治六年十月三日台風により折損したため幹の部分を残して保存し、後世に伝えるものなり

鏡神社

とありました。

元服したときは、牛若丸というよりは、遮那王という方が正しい気もします…とつっこんでみたりする。

その横に、ここ「鏡神社」と義経の関係を書く由緒書きがありました。

謡曲「烏帽子折」と鏡神社

謡曲「烏帽子折」は、鞍馬山を脱出して奥州に向かった牛若丸が、その途次での元服の地鏡の宿と、盗賊退治をした赤坂の宿での出来事を一続きにして構成された切能物である。

この鏡神社は、平家のきびしい追ってをのがれるため東男に変装し、俄かに左折りの烏帽子を作らせて、自らを源九郎義経と名乗って、元服したところと伝えられている。

即ち、謡曲「烏帽子折」の前半の場面の舞台となったとところである。

此の地を出立の後、赤坂の宿で熊坂長範に襲われるが、これを退治して奥州へ下った勇壮な謡いが後半の場面となっている。この二つの全く異なった二つの場面は、牛若丸の守刀「こんねんどう」によってつながりをみせている曲なのである。

謡曲史跡保存会

まる写しなので、ちょっとおかしな文章には目をつぶってくださいね。

 

由緒書きを読んで、進むと赤い両部鳥居はあらわれます。

入口から参道は思いっきり曲がっています。

由緒書きは、かすれていて、あまりはっきり読めないのですが

祭神は、天日槍尊(あめのひぼこのみこと)

妻を追って渡来した新羅国の王子と言われています。

太陽神ですね。日は太陽、矛は太陽神の依り代で、そこから太陽神祭祀の呪具である矛の神霊とされているそうです。

面白いのは、この奥さんですね。

沼のほとりで昼寝をしていた女性の陰部に日光がさして生まれた、赤い玉の化身したアカルヒメ命が奥さん。

現代風に言えば、おごった夫の暴力だか暴言だかに、「実家に帰ります!」と

里に帰ってしまうわけです。その実家が大阪の比売許曾神社。

その奥さんを追っかけてやってきたというのですが、結局奥さんに会えず(いろいろ阻まれます)

その土地の女性と結婚しちゃうわけです。

その後、各地を転々と移動するのですが、どうやらここもそのひとつのようですね。

さらに、海をわたったところから、海の波風を鎮めるとも…。

天で「あま」−海、日で太陽、矛は太陽の呪具、ということなのでしょうか?

海を渡る、日本から見れば、海からやってくる神ですからね…。で、矛。

ちなみに、ここ滋賀には、もう一つ天日槍尊を祀っている神社がありますが

こちらは『陶器神社』。その名の通り、信楽にあります。

つまり、渡来文化にも関わる神さまで、陶器業の守護神としての姿もあるそうなのです。

で、参道が曲がって、名前は『鏡神社』。

もう、なんだかわくわくしますね。(笑

 

鳥居をくぐると、左手に手水舎、右手に山…ここは最後に登りますのでのちに…

正面に舞台があり、その舞台の後ろが拝殿でした。

写真の舞台の左横にあったのが

祓戸ノ神と書いてあります。…すいません…よくわかりません…。

 

舞台の後ろの拝殿

こちらは、室町時代中期に建てられたもので、滋賀県に遺構の多い前室付三間社本殿。

蟇股(かえるまた)を多用し屋根勾配をゆるくみせる外観は優美である。

と、入口の由緒書きに書いてありました。

明治34年8月2日に重要文化財に指定されています。

 

その横に

これは竈でしょうか?何に使用するのかわかりませんが、火を使ったあとはありました。

…写真の白いのは雪です…(^^;

 

舞台をぐるりとまわり、入り口に戻ろうとしたときに、ふと舞台の中を見ると

こんな絵が掛かっていました。

祓戸ノ神の方です。

他には?と思い、舞台を一周しながら中を覗きましたが、この1枚だけが掛けられています。

気になる人だけ気にして下さい…(笑

繋ぎ馬は、平将門の…っごほっごほ…(>。<;

…なんだこの神社、いろいろ気になるなぁ…もう…。

 

来た時、鳥居をくぐった右手にあった山をのぞきました。

 すると小さな祠がありました。

どうやらこちらが「八幡神社」のようです。

祀られているのは、誉田別尊(応神天皇)と源九郎義経。

義経の伝承から、ここに勧請された感じかしないでもないです。

 

祠の前までゆくと、さらに山の上へと続く道があるのに気がつきました。

こういう場合、登らないと!雪がなんだってゆうんですか。

とばかり、登ってみました。

 

頂上にあったものは

そう言われてみれば、鳥居横に「御幸山」という看板ありました。

すばらしい景色が望めるはずです…この日は何度も言いますが雪降っていました。

この碑には

大正6年11月14日 陸軍特別演習第一日御野立場

と彫られてありました。

なるほど…その向かいに「御野立所」と書いてあります。

大正天皇が、ここから演習をご覧になった…ということでしょう。

どうりで見晴らしが良いわけです。

 

と、その向こうにも何から大きな碑が見えたので、「御野立所」の横をぬけて見に行ってみました。

「御陵遥拝所」と彫られています。

裏には、陸軍大将鈴木荘六書と彫られていました。

…陸軍がらみが多いなぁ…と思いながら、「御陵遥拝所」ですから、ここから御陵が見えるのかと思うのですが

このへんに御陵ってありましたっけ?

そもそも誰の御陵でしょうか…すみません…調べられてなくてここまでです。

 

 

 

 

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