● 平 宗 盛 胴 塚 ●
琵琶湖の湖東、国道8号線を北へ進む、近江富士こと三上山を横目に通りすぎ、
しばらくゆくと、池があります。その横に、意識していないと見逃すような看板が出ています。

訪れたのは、2006年12月30日。前日に雪が降ったもので、残っています。
何も、こんな年末に…しかも雪がちらついている中でかけなくても…と思いましたが
せっかくなので…
手前にある会社の裏、まるで獣道のようになっている細い道を入ってゆくとありました。

ここで、宗盛は、都を前に斬られてしまうのです。
このあたりには、「鏡の里」と申しまして、宿場町だったそうです。
位置的にも、ここで一泊して、さて翌日は都に入ろうか…という感じですね。
ですから、宗盛も、もしかしたらこのまま都に帰ることができるかもしれない…と淡い期待を抱いたのでしょう。
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「さては命のいきんずるやらん」
とのたまひけるこそはかなけれ。右衛門督は、
「なじかは命をいくべき。か様にあつきころなれば、頚の損ぜぬ様にはからひて、京ちかうなってきらんずるにこそ」
と思はれけれども、大臣殿のいたく心ぼそげにおぼしたるが心苦しさに、さは申されず、だた念仏をのみぞ申し給ふ。
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ですが、聖を招き、昨日までは親子一緒にいたものを、今日は引き離されておかれたので
いよいよ今日が最後と涙を流します。
聖から戒をうけ、念仏を唱え始め、今にも斬ろうと橘右馬允公長が太刀を構えた時
宗盛が念仏を止めて聞きます
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「右衛門督もすでにか」
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実はわたし、ここまであまり宗盛という人物が好きではありませんでした。
情けないというか、恥ずかしいというか、おばかさんというか…
でも、この台詞で、なんか嫌いではいられないなぁ…と思いました。
自分の死の前に、息子を気にかける、普通のお父さんな気がして、涙をさそうのです。
この台詞のあと、すぐに頚は地に落ちます。
ひにくなことに、この首をはねた公長は平家代々の家人で、知盛のもとに伺候した侍だったのです。
そして、頚は京へ運ばれ、胴はここに埋葬されたということです。
由緒書きには、義経のはからいで、親子の胴は、一つの穴に埋葬されたとか。
そして、その手前にある池、昔はもっと広かったらしいのですが、
こちらで、宗盛と息子の清盛の首が洗われたというこで、「首洗い池」なのだそうですが
親子の哀れに蛙が鳴かなくなったことから「蛙不鳴池(かわずながずいけ)」と言われているとか。

道路から撮影したものですが、写真の赤い矢印がさすあたりに、胴塚があります。
昔はもっと広かったと書きましたが、横約165m、長さ約220mもあり、その東岸が「首洗池」。
で、実は、もともと「帰らずの池」とも言われていたそうです。
そのいわれもちょっと面白いので記載。
この池の神様が、日に三度、池に影を映されたのに、お帰りを見たことがないということから
そう呼ばれていたそうです。
これはいったい、何をさしているのでしょうね。
さてさて、ここまで来たら、一緒に「義経元服の池」をまわります。
来た道を、そのまま北へ向かうと、本当にすぐです。
すぐ左手に白い旗が並んでいるのでわかります。
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