● 義 経 元 服 の 池 ●

 

「平宗盛胴塚」から、道なりに北へ進むと、すぐに見えてきました。

道路沿いに白旗が立ち並んでいるのですぐわかります。

…たぶん、大河ドラマ「義経」の頃に整備されたものだと思われ…(^^;

そばに、近江バスのバス停「鏡」があるので、バスで行かれる場合は、ここで下車なのでしょう。

『平治物語』や、謡曲「烏帽子折」などでは、ここ「鏡の里」が義経元服の地とされているそうですが

『義経記』では、熱田大宮司の事業に帰しているとか。

肝心の『平家物語』では、義経の元服まで描かれていません。

(ここで言う『平家物語』は十二巻のもので、わたしの読んだ「覚一本」をベースにしています。)

『平家物語』では、九巻「宇治川」まで登場しません。

ですので、義経元服の地は、諸説あるので、ここばかりではないということを念頭におきながら…。

 

元服の池と書かれた大きな碑です。

この碑の横にあった小さな池(?)がそれなのでしょうか?

元服の池の碑の木立の後ろに小さな祠がありました。

大中小のお地蔵様のようですが、こちらの祠、ちょっとお参りしにくい場所にあります。

これも、何か義経がらみのお地蔵様なのでしょうか?

 

そもそも、この頃の義経の行動は、お話によって様々です。

鞍馬から奥州へ行くというのが、よく言われていますが『源平盛衰記』では、

金商人と(吉次とは書いていないそうです)東海道を下るも、途中で別れ、伊勢三郎の食客となって、

頼朝挙兵まで、関東に潜伏していたとして、奥州には行ってないとか。

義経を奥州に連れて行くのも、金商人の吉次であったりなかったり…

『平治物語』では、義経を奥州に連れてゆくのは、吉次ではなく源氏党の陵助重頼で、

陵助の父のもとで一年滞在し、山賊を討ったことで、平家にばれることを恐れた深栖三郎のため

さらに奥州へ下ったとしているとか。

ものによっては、吉次に人買いの影がちらついていたり…

『平家物語』での義経は、どちらかというとちょっと嘲笑した感じで描かれていたりします。

壇ノ浦の後、時忠の娘に手紙をまんまととられてしまう場面など、ちょっぴりお莫迦さんな場面も。

いつの頃から、貴公子的なヒーローになったのでしょうね…『義経記』ではかなりかっこいいようです。

 

…すみません…わたしそんなに判官贔屓ではないのもで、かなり簡単に書いてしまいました…。

資料にしたのは講談社学術文庫「源義経」です。

 

さて、この元服の池の近くに「鏡神社」という神社があります。

「鏡」という名前にひかれて訪ねたのですが、ここにも義経がらみの史跡があったので、

直接『平家物語』には関係ありませんが、掲載することにしました。

 

「鏡神社」へ

 

ところで、この鏡神社を超えて、さらに少し道なりに北上しますと、

鞍馬を出た義経が初日の宿とした宿の跡があります。

元服の時に泊まった宿なのだそうです。

説明書きには、

この館は白木屋と呼び、澤弥伝と称し駅長であった。

とありました。

ですが、この碑には、昭和41年7月と掘られていて、かなり最近に建てられたものです。

この周辺には、このような宿の跡がどちらを見てもあり、宿場町であったことがよくわかります。

 

 

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