【東京 新宿 山の手 七福神巡り】

東京には、数々の七福神巡りのコースがあります。

七福神巡りは、江戸っ子に愛された年始の行事だったんだなぁ〜と思います。

そんな本なんかを詠みながら、行ってみたいなぁ〜と思っていたのですが、なかなか行動できずにいたのですが

地下鉄駅で配布されている新聞で、けっこう近場にもあることがわかり、今年こそ江戸っ子気取ってやってみようかと思いました。

それが、【山の手 七福神巡り】です。

大久保通りがメインのこのコース、ゆっくり歩いても2時間ぐらいで行けそうです。

七福神以外にも、明治の文豪にまつわる史跡も多く、ふらりふらりと寄り道しながら歩くのも楽しいかもしれません。

・・・わたしは、あまり明治の文豪に詳しくないので、だいぶはしょって歩いてしまいましたが…。

 

【七福神巡り】

七福神の信仰は、室町時代からあり、「仁王般若経 下巻」に「七難即滅 七福即生」という言葉が起源となっているそうです。

時の流れとともに、庶民の間にも広がり、たぶん江戸の頃には、庶民の信仰を強く集めていたのではないかと思うのです。

江戸庶民の間では、年の瀬に宝船の絵を買って、枕の下に入れて眠り七福神の夢を見るようにしたとか

そんな話はよく聞きます。江戸っ子は、現世ご利益が好きだったのだろうなぁ〜と思うのです。

東京には、ホントに多くのコースがありますから…

七福神巡りには、参拝順番はありません。自分の好きな場所からスタートできます。

 

七福神めぐりの醍醐味は、やっぱりご朱印ではないでしょうか。

スタート地点で色紙を購入して、1枚の色紙に七人並ぶのを楽しんだり、それぞれの神社・仏閣で小さな御尊像があり

小さな宝船に1体づつ乗せて、全てを揃えるとか…ある意味、コンプリする楽しみもあります。

基本的には、元旦から7日までに行うものなので、それ以降の場合はご朱印をいただき辛い場所もあるかもしれませんね。

 

2006年1月7日、七草の日

都営地下鉄大江戸線の牛込神楽坂で降りて、さてスタートです。

 

 

● 善 国 寺 ●

神楽坂を、飯田橋駅に向かって歩いて行くと、右手に見えました。

まずは、毘沙門さんを祀ってある『善国寺』です。

手前には、やはり狛犬ではなく、毘沙門さんの眷属である「虎」があ・うんで座っています。

本尊の毘沙門天像のご開帳は、正月の寅の日のみだそうで、この日はお姿を見ることができませんでした。 

2006年は1月の1日、13日、25日なのだそうです。

 

 

神楽坂を来た道を戻り、大久保通りを新宿に向かって歩きます。

次は、都営地下鉄大江戸線「牛込柳町」駅そばの経王寺なのですが

その少し手前に、試衛館跡があるというので、行ってみることにしました。

 

● 近 藤 勇 邸 ・ 試 衛 館 跡 ●

大久保通りをはさんで、焼餅坂の向かいにある、ちょっと細い道を入るとありました。

【試衛館跡】

天然理心流の道場で、新撰組の組長 近藤勇の道場で、土方歳三や沖田総司など新鮮組の中核をなす侍たちが集った道場。

え?!これですか?!

だいたい小さな石碑とかがあるだけだと思っていたのですが、ゴミ置き場って…( ̄_ ̄;

隣の駐車場に、それらしいものが…

市ヶ谷甲良屋敷内、現在の市谷柳町25番地のこのあたりにあったようです。

写真左の小道をゆき、小さな階段をおりると、お社があります。

ここには、なにも書いていなかったのですが、何らかの関係があるのではないかと撮影してみました。

 

試衛館跡をあとにして、大久保通りにもどり、外苑東通りを渡ると、左手に経王寺が見えてきます。

 

● 経 王 寺 ●

こちらには、大黒様が祀られています。

七福神めぐりの人でごったがえす境内は、ちょっと狭い感じです。

本尊をお参りしたあと、右手にある大黒様のもとへ

こちらの大黒天像は、日法上人作で、慶長3(1598)年に甲斐の国よりこちらに移されたと伝えられているそうです。

室町時代に作られたと思われる大黒天像は、江戸のものより厳しい表情なのだそうですが

高さ12cmほどで、遠くからではその表情までは見えませんでした。

度重なる火災からも残ったことから「火伏せ大黒」と言われているそうです。

 

参拝には、手前に打ち出の小槌があり、願いながら、その小槌を3回振るのだそうです。

 

さて、大久保通りから、抜弁天通りへうつりさらに進みます。

その途中、賽禄稲荷神社とういうのがあったのですが、「外れくじ供養」とか書いてあるんですよ…

思わず、年末ジャンボを差し出そうかと思いました…(^^;

 

【団子坂】

このあたりは「団子坂」と呼ばれているそうなのですがもともと、湿地帯だったようで、

歩くたび泥だんごになってしまうとこからこう言われたそうです。

…団子屋が並んでいたのかと思ってました…(^^;

嘉永7(1854)年の「江戸切絵図」に「馬ノ首ダンゴザカト云」とあるとか…。

 

さらに進むと、丁度、道が45℃ほどで交わっている境に、厳島神社がありました。

 

● 厳 島 神 社 ●

境内が通り抜けられるところから、苦難を切り抜けられる弁天様として「抜弁天」と呼ばれているそうです。

 

残念ながら、何故か境内の撮影してなかったんですよ…(><)

 

えっと、こちらの神社、1月7日までは、こちらの境内でご朱印をいただけるのですが

それ以降は、近くにある「西向天神社」でいただくとのこと。

 

白河天皇の御宇応徳3(1086)年、鎮守府将軍 源義家公奥州討伐のおり当地に創建されたとか。

境内に池はなくても、井戸があり、その水を飲むと病苦をまぬがれることができ、今も多くの参拝があるそうです。

江戸5大弁天の1つなのだそうです。

そういえば、弁天様につきものので池がなかったですね。

 

● 永 福 寺 ●

抜弁天通りをわたり、久衛門坂に入る手前に、永福寺があります。

【久衛門坂】

徳川家康江戸入府以前から、大久保通りに居住していた島田家草創久衛門が、新しく開いた坂だったので

こう呼ばれるようになったそうです。かなり急な坂のように見えました。

 

さて、境内に入ると正面に本堂、

左手奥に福禄寿が祀られる祠があります。

たぶん、本堂には薬師如来像が安置されているようなのですが、この日は見ることができませんでした。

 

こちらが福禄寿の祠。

福禄寿といえば、頭の長いお爺さんの姿ですよね

こちらの祠には、この頭の形に似た石が祀られています。

暗いのですが、撮影してみました。見えますか?

この石を信仰して家運が栄えたことからお祀りされているとか。

 

お次は、抜弁天通りをわたり、まねき通りを進みます。

 

● 法 善 寺 ●

まねき通りの右手にみえました。

こちらには、「七面明神像」というのが安置されているそうなのですが、

この日は見ることができませんでした。

あくまでも七福神巡りに徹することにしました…(T-T)

【七面明神】

日蓮宗の守護神の一つであり、「七面天女」「七面大菩薩」とも言うそうです。

「七面大明神縁起」では、13世紀末、身廷山の日蓮上人のもとに秀麗な婦人が説法を聞きにきたのでたずねたところ

自分は七面山の天女で、上人の説法を聴いて悪道の苦しみから逃れることができたことをつげ

未来永劫身廷山を守ると誓い立ち去ったのだそうです。

正面本堂の右側に、寿老人がお祀りされているようで、ご朱印もそこでいただけます。

 

さて、七福神とはちょっとはずれるのですが、近くに西向天神社があるので

寄り道することにしました。(厳島神社のご朱印を7日以降にいただく場合に訪れる場所)

やはり天神さんは、お参りしないと…という思いと、そこにある「富士塚」が見たいためでした。

「富士塚」のことは本で読んで知ってはいたのですが、実際に見たことがなかったので、とてもわくわくしてました。

 

● 西 向 天 神 社 ●

 抜弁天通りから山吹坂に入って、しばらく行くと左手に見えてきます。

階段を登り、境内を歩いていると、ここが東京の新宿あたりだなんて思えないぐらい静かな場所でした。

こちらは、鎌倉時代の創建で、祭神はもちろん菅原道真さん。

何故、西向きなのでしょうね…正面は、ちゃんと西向きなのですよ。

気になっていたのですが、聞くことができませんでした…窓口開いてないんですもの…(T-T)

 

ちゃんとお参りをして、さっそく富士塚を探します。

拝殿向かって右手の方に小さな公園があります。

その西側にありました!

フェンスにかこまれた中ですが、本で見たの少し違う構図なんですが、まちがいありません!

頂上には「日之尊」と書かれた…烏帽子岩…なんでしょうか???

のぞきこんでいると、裏に駐車場がありました。そこからだと、もっと全貌が見えるかも…と行ってみました。

かなり大きなものでした。

初めて見る富士塚にとにかく感動〜♪

【富士塚】

東京やその周辺には、こうした人工的な小山があり、江戸中期から明治初期にかけて富士信仰のシンボル的なものだったようです。

つくづく江戸っ子文化はすごいなぁ〜と思うのです。

富士山に行けない人、登れない人が富士信仰を体験するためだとか、富士山を遥拝するためだとか言われています。

箱庭のようなものなのでしょうか…自分たちの近くに富士山のミニチュアを作ってしまう感じでしょうか。

ちょっとした遊び心を思わせ、江戸っ子の発想は粋だなぁ〜とつくづく思うのです。

この富士塚にはありませんでしたが、下に鳥居と狛犬のように、両脇にはサルの像があるそうです。

階段とともに、お中道もつくられ「五合目」「八合目」などという標識なんかもあったりします。

岩肌は、ごつごつした岩で、富士山の溶岩を模造したそうです。

頂上手前に烏帽子岩なんかもあって、頂上には、小さな祠があります。

この祠は「浅間神社」の祠です。わたし、昔は「浅間神社」を「あさまじんじゃ」と読んでいてわけわからなくなってました…

「せんげんじんじゃ」です。富士信仰なのだから…(^^;)お恥ずかしい…。

富士塚には、高さ2mぐらいのものから、12mにも及ぶものもあるそうで、中には、その頂上から富士山が見えるものもあるそうです。

ここの富士塚は、わりと大きい方ですね。昔は富士山も見えたかもしれませんね。

 

さて、富士塚を堪能して、抜弁天通りにもどり、またまた新宿方面へ

明治通りを渡り、区役所通りを入ったところに「稲荷鬼王神社」という、そそられる名前の神社があります。

 

● 稲 荷 鬼 王 神 社 ●

 

鳥居をくぐり、向かって左の鳥居の足元に「鬼形の水鉢」があります。

暗くて、何がなんだかわかりませんね…すいません。

【鬼形の水鉢】

文政年間の頃に作られたと言われている、うずくまった鬼が頭上に水鉢をかかえているという珍しいもの。

安山岩でできているというこの水鉢にまつわる話が書いてありました。

「この水鉢は、文政の頃より加賀美某の邸内にあったが、毎夜水を浴びるような音がするので、

ある夜刀で切りつけた。その後家人に、病災が頻繁に起こったので、天保4(1833)年に当社に寄進された。

台石の鬼の肩あたりには、その時の刀の痕跡が残っている」とありました。

写真を補正して、ようやくここまで形を出してみたのですが、現地では、陽が傾きはじめていて、

そのような内容が確認できませんでした。

ちなみに、この横に、使われていないような井戸もありました。

 

後日あらためて訪ねた際、鬼の部分を撮影してみました。

この日も、やはり刀傷は確認できませんでしたが…。

 

さらにこちらの狛犬…じゃない…お稲荷様なので、お狐様があまり見かけない形だったので…

ちなみに、お稲荷さんの狐は、狛犬と同じ意味をもってそこにいるわけではありません。

あくまでもお稲荷さんの「眷属」としてそこにいるのです。誤解なきよう…。

 

ちょっと変わった狐…と思っていたのですが、宮司さんにお話を聞いたところ、

こちらは狐ではないのだそうです。

「ほら、しっぽが狐みたいに長くないでしょ。」と笑いながら話してくださいました。

「あれは山犬なんですよ」とおっしゃるので「狼みたいな?」と言うと

「そうそう!山犬、狼です。」「ということは、三峯さんの狼と同じ…?」

「そうです!そうです!三峯山や、三輪山と同じです。」

三峯神社の眷属は狼です。

…なんということでしょう…そして不思議なのことに、ここにはお稲荷さんだというのに、狐がいないのです。

さらに、宮司さんはとんでもないことを話してくださいました。

「うちは本当は、馬なんですよ。境内には馬の像はありませんが…」

Σ( ̄■ ̄;

今なんとおっしゃいました???

このへんのテンション沸騰の意味はブログをご覧下さい。

 

さて境内です。

写真右に大きな水瓶がありますよね。

この手前の竹筒に耳を当てると、それはもう綺麗な水の音が聞こえるのです。

【天水琴】

天水琴の由来は、小堀遠州の考えたつくばいの排水装置、洞水門と言われています。

江戸時代には、庭師たちが水琴窟という名で、音を楽しむことをかねた装置として、各地に造ったそうです。

時を重ねるごとに忘れられていったものを、平成16年11月3日に田村光氏によって再現されたようです。

…最近じゃん…(^^;

でも、とても綺麗な音がするんですよ。やっぱりここでも、江戸っ子って粋だなぁ〜と思うのでした。

 

拝殿を参拝して、もと来た道を少しもどります。

なぜなら、そこに、恵比寿様がいらっしゃるから…

さすがに、七福神めぐりとはいえ、メインのお稲荷様を無視して、摂社から・・・とはいかなかったんですよ…

ここにも、写真左したに竹筒がみえますね。

そこにある柄杓で、足元に水をまくと、これまた素敵な音がしますよ。

さらに、右手にちょっぴりでっぱった石があるのわかりますか?

これは、「かえる石」というのだそうです。

柄杓で水をかけ、なでながら3回願いごとをとなえるのだそうです。

その唱え方は…

1日の無・交通安全・旅行安全を願う人は…「無事かえる」

開運を願う人は…「良き運にかえる」

金運を願う人は…「金かえる」

縁結びを願う人は…「想い人の心が自分にふりかえる」「待ち人かえる」

健康を願う人は…「若がえる」

あらゆる願いを「かなえる」

だそうです。

そうしてなでながら、3回唱えて、再び恵比寿様にお参りするそうです。

ちょっと面白いですね。

 

さて、社務所でご朱印をいただいている間、きょろきょろとしていたら、本殿のわきに見つけました。

これは「富士塚」ではないですか!!

こんなところにも!!

小さいものですが、こちらの方には頂上に祠がちゃんとあって、「浅間神社」の文字もありました。

六合目だったかなぁ〜?あの世とこの世のと書いてありました。

それがちょっと印象的。

こちらの塚は、小さいためか、登れるんですよ。立ち入り禁止とか書いてませんから…。

 

これも宮司さんから聞いたのですが、もともとこちらの富士塚は、近くにあったものなのだそうです。

それをこちらに移してくるときに、分解したのだとか。だから小さいかったのです。

自然に崩れたのかと思いました。と言ったら「それでは危ないじゃないですかぁ(笑)」と。

で、先ほどの山犬の阿吽ですが、それももともと、この富士塚の入口にいたのだとか。

あぁ…なるほど!それで山犬なんですね。

富士塚には、よく一緒に「三峯」さんもいらっしゃいますし、山そのものが信仰の対象になっているのですから

山犬または狼なのです。

お稲荷さんの入口にありますが、富士塚の入口と思った方が良いようです。

何故なら、こちらも宮司さんのお話ですが、

こちらの参道そのものが、富士山の山道に見立ててあるだそうです。

そのために分解されてここにあり、参拝することで、富士山の中で参拝しているということになるのだそうです。

 

ここはもっと詳しく語りたいことが山ほどあるのですが、このページはあくまでも七福神めぐりなので

詳細はブログの方に書きました。もっと詳しい話が知りたい方は、こちらをご参照ください。

サイドバーの検索機能を使って「稲荷鬼王神社」と検索していただければ出てくるかと思います。

※こちらのページに検索サイト等からアクセスされた方は、申し訳ございませんが、

当HPのトップよりお入りください。トップページへはこちら

 

 

 

区役所通りに戻り、職安通りを渡ります。

七福神めぐりもあと一つなのですが、ちょっと寄り道。

 

● 小 泉 八 雲 終 焉 の 地 ●

せっかくだからよってみることにしました。

こちらには、立派石碑があります。

どうやら小学校の校庭の一部みたいです。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)、「怪談」でおなじみの作家ですね。

昔、N●Kでジョージ・チャキリスが小泉八雲を演じたドラマをやってまた…そんなことを思い出しました。

明治29(1896)年、東京帝国大学に招かれて富久町に住み、その語1902年にこの地に転居し

ここで亡くなったそうです。

この近くには、小泉八雲記念公園もあり、ハーブなどが植えられた小さな公園なのだそうです。

さすがに、時間もなかったので、そこまで足をのばさず、もと来た道を戻りました。

 

後日あらためて訪れました。

この日は小雨というあいにくのお天気で、あまり綺麗に撮影できていませんが…。

西洋風の綺麗に細微された公園です。

中央に小泉八雲氏の胸像があります。

 

 

今度は、明治通りを靖国通り方面へ進みます。

靖国通りを渡り、新宿通りまで来て、新宿御苑方面に進むとありました。

最後の七福神。

 

● 太 宗 寺 ●

かなり広い敷地の浄土宗のお寺です。

入るとまず目に飛び込んでくるのは、入って右手にある大きなお地蔵様。

 こちらは、江戸六地蔵の一つでもある「銅像地蔵菩薩坐像」です。

【銅像地蔵菩薩坐像】

正徳2(1712)年9月に「江戸六地蔵」3番目の地蔵として、甲州街道沿いに造立されたもの。

製作者は神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀

267cmあるそうです。

ちなみに、江戸六地蔵は、品川寺(京浜急行本線青物横丁駅下車)、この太宗寺、

真性寺(巣鴨駅下車)、東禅寺(地下鉄日比谷線三ノ輪駅下車)、霊厳寺(地下鉄大江戸線清澄白河駅下車)

以上が現存するもので、残りの一つは深川の「永代寺」なのですが、現在廃寺で現存しません。

 

そのお地蔵様の向かいに、不動堂があります。

この不動堂には、「三日月不動像」が安置されているのですが、暗くて撮影不可能でした。

額に銀製の三日月を持つことからこう呼ばれているそうです。

高尾山薬王院に安置しようと甲州街道を運搬中、休憩したこの地で、盤石のごとく動かなくなったため

この地に不動堂を建立して安置したそうです。

暗くてはっきり見えませんでしたが、かなり立派なお不動さんでした。

頭上の三日月は、「弦月の遍く照らし、大空をかける飛禽の類に至るまであまねく済度せん」との

誓願によるものと言われているため、像の上の屋根には窓がとりつけられ、空が眺められるようになっているとか。

 

その隣に小さなお社と、その隣に「塩かけ地蔵」があります。

その手前には、お百度石もあり、願掛けに訪れる人が多いのだなぁ〜と思わせます。

このお地蔵様についての縁起はどこにも書いてないのですが、西新井大師にある「塩地蔵」が

いぼとりのご利益がるそうで、たぶん…この塩かけ地蔵様も、そういったご利益があるのではないでしょうか?

 

さてご朱印をいただき、奥の墓地へ。

こちらには、内藤正勝の墓があるとかで行ってみました。

正直、この人が誰なのか、よく知らなかったのですが、説明がちゃんと書いてありました。

信州高遠藩主をつとめた、譜代大名内藤家の墓所なのだそうです。

お参りをすませ、お寺をあとにします。

 

「七福神コンプリートだよ〜〜!」

「コンプリートゆうなぁー!」

などと一緒に行った友人と笑いながら、本日の七福神めぐりを終了〜♪

近場で、こんなに楽しめるところがあるなんて、なかなかの発見です。

他の七福神めぐりもやってみたくなりました。

最も古いとされる、「谷中七福神めぐり」なんかも、名所が数々あって楽しそうです。

いづれまた…。

というわけで、本日のご朱印です。

ご朱印を掲載するのは、これが初めてですね…

ご朱印は、やっぱり、ちゃんとお参りした後に本人がいただくものだと思っているので、公開しないできたのですが

七福神めぐりなので、ちょっと公開。(^^)

一緒に行った友人は、色紙で並べていただいていましたが、わたしは、持参の関東版ご朱印帳に…

(関東版というのは、わたし個人的に関西とわけて使っているためです。ほとんど鎌倉ですが…)

 

 

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