10月26日 黒戸山・弥谷山・天霧山 二人


絶 好の登山日よりだが、所用で動けず日曜日近場の里山歩きに出掛けることに。
以前なら、「標高の高い山で無ければ・・・」であったが、最近は歳のせいもあるのか里山をのんびり歩く回数が増えてきている。
何処へ行こうかとネットをめくりながら「天霧山」に決定。以前善通寺・吉原に10年ほど住んでいて毎日眺めていた山。また、通勤で毎朝鳥坂峠を通る度に山 肌を無惨にも削られ続けている天霧山。

今回は、「O氏の里山日記」にあった黒戸山・弥谷山・天霧山のミニ縦走を借用。
家を出たのが11時過ぎ。途中のコンビニで昼食を仕入れ「ふれあいパークみの」の駐車場へ。最初はコンクリート道を皿池目指して下って行く。途中のミカン 畑には色づいたミカンが鈴なりの木が。
池まで下ってくると、青空の中に黒戸山がクッキリと浮かんでいる。

  【青空の中の黒戸山】

皿池の堰堤を渡り農道をそのまま直進。汗ばむので日陰で一枚脱ぎ半袖に。送電線鉄塔めがけ果樹園の中の細い道を上がるがやがて行く手は凄いブッシュ。隙間 を探したが諦め、キウイ畑の下を無断で歩かせて頂き尾根へ出るとそこが正規のルートであった。直ぐにNo.11の鉄塔。そこからは雑木の中の保線道を次の 10番目指す。道端にはサルトリイバラの赤い実が木に巻き付いている。

    【サルトリイバラの実】

小さな尾根を急登し尾根へ出る手前の最後のカーブを曲がると道端に人が座り込んでいる。最近は小屋泊まり以外の山歩きで、山中で人に出会うことは先ずない のでびっくりした。紺の作務衣にスゲ笠、足には地下足袋。挨拶を交わすと弥谷寺からとのこと。「直ぐ上が黒戸山です」と教えていただく。

尾根上の分岐に着き一息入れている時振り返れば先ほどの青年僧が「そこを左です」と親切に声をかけて下さった。「有り難う」と返し別れる。おそらく寺で修 行中の青年僧だろうか?座り込んでいた場所は前方に瀬戸内海が広がっているのが見える絶好の場所。じっと海を見つめながら、瞑想に耽っていたのであろう か?

分岐には「黒戸山 見立」の手作りの標識が地面に落ちていた。帰りに近くの木にくくりつけてきた。蜘蛛の巣だらけの雑木林を少し進むと黒戸山山頂。展望は なし。路は更に前方「見立不動院」へテープが続いている。機会があれば歩いてみよう。

    【黒戸山】

引き返し9番鉄塔からは蜘蛛の巣もない快適な保線道。足下には「センブリ」が小さな白い花を咲かせずっーと続いている。

    【センブリ】

また、タンポポだろうか綿帽子が残り、近くを踏むと綿帽子がフワーッと舞い上がる。人がそれほど歩いていないからだろう。

    【綿帽子】

脇ではツリガネニンジンが風に揺れている。

    【ツリガネニンジン】

センブリが途切れると今度は「コウヤボウキ」が道脇にずっーと咲いている。

    【コウヤボウキ】

5番鉄塔を過ぎ左手へ下る4番鉄塔の保線道を分けると直ぐに右手にテープ。
ここを入れば弥谷山山頂。

ここも展望は0。頂上からはおそらく弥谷寺へ続く山路が続いている。引き返し直ぐに3番鉄塔。皿池から2時間、14時を過ぎたのでここで待望の昼食タイ ム。
眼下には瀬戸内海が拡がり白い波を引きずりフェリーが走っている。海岸に平行に予讃線を走る電車・車がくっきりと見え、踏切の警報の音が聞こえてくる。今 日はあと2時間ほどかかりそうなのでゆっくりも出来ず慌ててアルコールを流し込む。

    【瀬戸内海】

そこからは急な下りを下りきり、右手弥谷寺からの路とあわせば10m程で弥谷越へ。弥谷寺・白方・天霧山へと路が別れ、地蔵尊が四体ほど見守ってくれてい る。

    【地蔵尊】

時間もないので直ぐに天霧山へ向かう。小さなアップダウンで「隠砦跡」の標識。帰りに寄ることにしよう。登りにかかると「古井戸・犬返し険」の古いブリキ の標識。往きは犬返し険、帰りを古井戸に決め右手へ入ってゆく。なるほど名前の通りの急坂である。一登りで天霧城趾。傍らの巨岩には何か字か模様が刻まれ ているように見える。

    【天霧山】

本丸跡を過ぎ二の丸三の丸跡を過ぎ、「外郭跡」へ来ると野菊?のお花畑。開いている物、まだ蕾の物がずっーと続いており、踏みつけなければ歩けない状態。

    【菊畑】

程なく「北東端方形郭跡」へ。右手樹林の間からは昔住んでいた建物が西日を浴び光っているのが見える。

引き返し「空堀」から頂上北側を巻く「古井戸」コースへ。直ぐに岩棚のような「古井戸」が水を蓄えている。側にあった枯れ木で深さを確認したが1.8mの 長さでは底が確認できなかった。昔は貴重な水源だったのだろう。

    【古井戸】

隠砦跡へ立ち寄り、弥谷越へ戻れば薄暗くなり始めていた。残りは弥谷寺へ下るのみ。やがて寺の鐘の音が聞こえ本堂下へ下る。五時少し前で、おそらく遍路団 体の添乗員が皆の奉納帳を抱え階段をフーフー言いながら上がってきていた。

本堂にお参りし、石段を下り駐車場へ戻る。帰途は連れ合いが今晩の酒の肴にと「名物鳥坂饅頭」を仕入れ、昔天霧山への登山道があったはずの東西神社へ立ち 寄る。「山道はなくなり通行禁止」の看板を見つけ暗くなった道を帰途に付く。山路が無くなったように、天霧山の頂上も何十年後には無くなっているのだろう か?

静かな、期待していなかった色々な花に出会えた里山歩きでした。




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