面 接


高校を卒業したら幼稚園の先生になりたかった。
そういう短大を受験した。まあまあいいでしょうということで、高校からの推薦をもらって。
推薦受験者の試験は論文と面接だった。論文のテーマはたしか、「どんな先生を目指すか」みたいなことだったと思う。
私はそれ以前に少し障害を持つ子どもと接する機会があったのでそのことを書き、「障害を持った子もそうでない子も
一緒に育っていける社会が望ましいと思います。
私はそういうことができる先生になりたいです。」というような意味の事を書いた。
今考えれば、障害と一言でいっても種類も程度もいろいろだから「一緒に・・・」と簡単にいえることでは
なかったかもしれない。
しかし私はそうやってお互いを認め合えるように、助け合えるようになれたらいいと思ってそう書いた。

面接の順番が来た。広い部屋で三組の面接が行なわれていた。
私は一番左側。椅子に座ると面接官が言った。

「この論文を読むと(それでやっと受験生の書いた論文を元に面接するのだと気付いた私)・・・ふん、ふん、・・・
 こーゆーのは養護学校のほうだからそっちのほうへ行って。うちじゃないから。」

「いえ、普通に幼稚園の先生になりたいんです。
もしもそこにちょっと障害のあるお子さんが来られても、一緒に見られるような先生になりたいってことなんです。」
  
「養護学校のほうだからそっちのほうへ行って。うちじゃないから。」

「でも・・・」
  
「うちじゃない。」

そんなやりとりがどれくらい続いただろう。
どうしてだめなのか、私の言っていることに間違いがあるのならそれはどこなのか、とうとう説明してもらえなかった。
一つ調子で「うちじゃない」を繰り返す面接官にどうやって自分の気持ちを伝えればいいのか、
私の言葉もそう豊かではなかった。
だんだん声も大きく、激しくなって一緒に面接を受けていたほかの二組は、面接官も受験生も驚いてこちらを見ていた。
まったく話がかみ合わないことに、とうとう私は泣けてきた。

「とにかく、よそに行って。」

「どうして話を聞いてくれないんですか!・・・・もう、いいです!!」

思いっきりなきながら私は面接会場を後にした。礼儀正しく「ありがとうございました。」と言って終えるのではなく、
途中でやめて帰ったのだ。
大きな声は部屋の外まで聞こえていたらしく、順番待ちの受験生達もみんなこちらを見ていた。



家に帰ると「どうだった?」と、母が聞いた。「だめ・・・喧嘩して帰ってきちゃった・・・。」
「え??」私は面接であったことを話した。

「そうか・・・あんたの気持ちはわかる・・・けど、ここは上手に振舞って
“学校に入ってしまえばこっちのもん”みたいな考え方もあったよね。」
言われてみればその通り。アマリに直線的過ぎたかもしれない。
でも、そんな作戦を考える余裕はあのときの私にはなかった。
私の落ち込みはかなりなもので、そのあとどこも受験せずに一年間は
名ばかりの浪人生をした。
一年経っても学校・先生に対する拒否反応は消えず、とうとう幼稚園の先生にはなれなかった。