MR. Strangelove, M.A., or: How I learned to stop worrying and love IR.

愛と誤解の教務助手

里竹日記「愛と誤解の教務助手」

A TA Report with Love and Misperception

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2002/01/31

 今日は給料日である。この歳になって初めて、銀行口座に定期的に一定額のお金が振り込まれるという喜びを知った。 いいものである。給料日がこんなに気分のよいものとは思わなかった。波平とマスオさんが給料日に赤提灯で浮かれてしまう気持ちも分かる。そういえば、塾講師のバイト代も振込みだったが、お小遣い程度の額であった。といってTAの給料が高いわけではない。日本円に換算するとワンルームマンションの家賃ぐらいである。しかも、青山一丁目のメゾン・ド・モンブリュなどではなく、恋ヶ窪あたりのアパート程度。しかし、なんといっても全額生活費となるのである。ありがたみと重みが違う。



2002/01/29 19:56

 久しぶりにダイナソー教授を見た。あんなに禿げてましたかね。

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 今日の午後、東亜研究所の院生が中国の中央アジア外交について発表するというので、「修行僧クラブハウス」に行ってきた。じつに久方ぶりのクラブハウスであったが、1時半ということもあって閑散としていた。あんな感じであればもう少し頻繁に通ってやってもいいかな、ととんだ思い違いをしてみたりした。シェフのお薦めなんか、うまそうだったぞ、ジェイ。

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 発表であるが、当大陸に渡って以来はじめて、empirical puzzle がなく、research question がなく、独立変数、従属変数といった言葉を聞かず、仮説がなく、方法論の話がないという発表にお目にかかった。ぜーんぶ、なし。その代わり、詳細な現地事情や、エピソードがちりばめられていた。こういうスタイルの「お話」は3年前まで、結構聞いていたはずである。しかし、わたしは今やこの手のスタイルにどうしょうもない苛立ちを覚えるようになってしまった。わたしが変わったのではない。街がわたしを変えてしまったのだ。木綿のハンカチーフだ。「で、何が明らかになったんでしょうか」。思わず口をついて出た。しまったと思ったが、もう遅い。発表者は顔を真っ赤にして、いかにトピックが重要かを繰り返し(それはわかってるって。だからわざわざ聞きに来たんじゃん)、東亜研の院生は敵意に満ちた眼差しを寄越し、部屋の隅に陣取ったカナダ人らはわたしをちらちらと見ながらひそひそと言葉を交わし、マオ教授はなんだかなぁ、という感じでタバコを吸い始めた。わたしを誘ってくれた中国系カナダ人のジェニーは、わたしをクラブハウスの出口まで引っ張って行き、もう電話しないで、と周囲の温度がさらに10度下がるような冷たい声で言い放ち戻って行った。少し泣いていた。この会合は東亜研の院生の集まりであり、わたしにとって、いわばアウェーでの戦いである。アウェーでは引き分けでよしとするのがサッカー戦術の常識であるが、どうやらわたしは無理に勝ちを狙ってカウンターをくらってしまったらしい。これは敗北なのであろうか。

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 ちなみに、今回の日誌、木綿のハンカチーフの後は、妄想である。もっと穏やかな質問をしました。でも発表者は答えにくそうだった。なぜだろう。



2002/01/27 0:02

 ゲストブックの書き込みを拝読した。いつになく熱のこもった反応をくださり、愛読者の皆様の関心の高さが窺える。ありがとうございました。しかし、ここで考えるのである。わたしは、物心ついてから、他人様をそそのかすような真似だけはすまいと、それだけは人間として譲れない一線であると、そう肝に命じて生きてきた。ところが、この連載を通じて、わたしは読者の皆様を邪な道へと誘い込んでいるのではあるまいか。かような疑念が頭から離れない。もう一度、忠告させていただく。この先、真摯な学徒は読んではいけない。

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 さて、猛烈なリクエストにお応えして、第二弾をお伝えする運びとなった。アダムが禁断の果実を口にし、イヴを見初めたその瞬間から、色恋沙汰は社会の争点領域の重要な地位を占めてきた。そして巷には「恋愛論」があふれている。かつてさだまさしは恋を「一過性の発情症候群」であると喝破し、その傾向と対策を考察した。しかしそれはコミックソングの域を出ず、分析とは程遠いものであった。

 恋愛は、まったくもって主観的な問題である。個人の価値観が支配する。色恋沙汰が価値をめぐる争いであるとするならば、そして政治を「価値の権威的配分」であると定義するならば、「恋の政治的分析」という問題関心にいきつくはずである。しかしながら、これまで政治学的手法から恋を体系的に分析した業績は多いとはいえない。

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 やはり、だめである。誠に残念かつ申し訳ない話であるが、勢い込んで緊急更新した反動か、続編執筆の気力が萎えてしまっている。わたし自身、帰宅が10時を過ぎることが多く、彼らとの物理的接触が減っていることも手伝って、その後とくにお知らせすべき新たな情報は入手していないのが実情である。ただ、アダムとハイメの両者は冷戦状態にあることは確かだ。しかし肝心の話題については、おそらく両者とも直接対決を回避するであろう。二人ともわたしに対して極秘裏に働きかけるというような高等外交戦術を持ち合わせていないようである。ぶっちゃけた話、要するに蚊帳の外なんである。そういえば、昨日、われわれの共有留守電にアリシアからハイメ宛にメッセージが入っていたが、スペイン語だったので、内容は不明である。以後、わたしの行動としては、非同盟を貫くか、勢力均衡理論に基づきバランサーに徹するか、勝ち馬に乗るか、が考えられる。008の里竹。あしたはどっちだ。



2002/01/25 0:58

「修士の異常な愛情」緊急書き下ろし
『いかにしてわたしは心配するのをやめて、実名報道に踏み切ったか』


店主口上

 一部の読者から、昨日の日誌について熱烈な反応を頂戴した。ところでわたしは政治学徒である。政治学徒たるもの、不用意な予測は慎むべきである。根拠に基づかない推測は検証にすら値しない。これらは、真摯な学徒にあるまじき行為の一つといってよい。あるいは、科学としての政治学への冒涜であるのと謗りを免れ得ない。しかしこの学術的志向を実生活にも拡大するか否かは、本人の良心の函数である。わたしには良心のかけらもないので、実生活と学術志向とはオーバーラップしない。また、わたしは政治学の科学性のみをディシプリンのあり方であるとは考えない。というわけで、以下、不用意な予測と根拠に基づかない推測が展開されるので、真摯な政治学徒は読んではいけない。

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前提:「理論の前提とは、その真偽が問題ではなく、有効か否かが重要である。―ケネス・ウォルツ」
 ハイメは最近、お気に入りの女性をまた見つけたらしい。ちなみに彼は、わたしがここに越して以来、少なくとも2回はふられている。理由はわたしの目から見て明らかである。彼はそれに気づいていない。不幸だ。一度目にふられる女性(タラ。思い切って実名報道だ)にアタックしているとき、彼はわたしにアドバイスを求めた。わたしもタラを知っており、どう考えても無理なものは無理だと思っていたものの、越してきた直後ということもあって、あたりさわりのない話をしてやった。彼は2ヶ月ほど粘ったようだが、ダメだったようである。恋って難しい。うふ。

発端
 2週間前の日曜日、ハイメは最新のお気に入り女性(アリシア。情け容赦のない実名報道)を我々のフラットに招き、のランチでもてなしていたようである。そこにアダムが加わり、3人でランチをつまんでいた。わたしは、本来ここの住人であるにも関わらず、招かれざる客のような気分になったし、勉強があるので図書館に向かった。008の典型行動の一つであるといってよい。夜10時過ぎに帰宅すると、彼らはどうやらアダムの部屋で映画鑑賞中のようであった。声から判断するに、女性が一人増えていた。後日かかってきた電話をわたしが取ったのだが、おそらくマリーという名であろう。アリシアとマリーは12時前後に帰っていった。ハイメは案の定、はしゃいでいた。彼は好意をもった女性に言及するとき、She is nice. とはしゃいで繰り返すので、分かりやすい。

会議は踊る
 先週の日曜日、夕刻から我々のフラットにアダムの友人と思われる、男女4-5人が集まり、そこにハイメも加わり、小パーティが催された。やはりわたしは月曜日の授業の準備があるので顔を出さない。こんなとき、008の孤独癖は増幅される。わたしはヘッドフォンをして雑音をさえぎり、勉強に集中する。彼らがアダムの部屋に移動すると雑音は驚くほど低くなり、気にならなくなった。客人たちは11時前後に解散したようであった。

サイは投げられた
 問題の夜、 アダムとハイメは言い争っていた。ハイメがアダムを非難し、アダムは弁明に努めていた。こんなとき、ハイメは人の言うことを聞かず、自分の言いたいことをまくし立てる。アクセントがきつくなるので、発言が良く聞き取れない。そして言いたいだけ言い放ち、自室へ引きこもる。アダムは納得いかない様子で追いすがる。話がかみ合っておらず、またなんらかの妥協点を探るつもりもないようで、その後、どうなったか不明である。そして、それ以来、二人が言葉を交わすのを見ていない。

不完全情報下の二人ゲーム
 さて、気になる論点だが次のように推測される。アダムは、小パーティのなかに、気になる女性がいるが、複数であるようだ。ハイメは、その優柔不断さを非難していたように聞こえた。分からないのは、なぜハイメがあれほどまでに激昂するのか、その理由である。利害が衝突していると思われるが、具体的には判然としない。断片的な発言を取り上げると、

ハイメ「だいたいアダムは気が多すぎる。あの娘もこの娘もって…」
アダム「ちょっと待てよ、それはつまり…」
ハイメ「分からないよ。なんで俺が…しなきゃいけないんだ。もういいよ。俺は今は、アリシアが好きなんだし…」
アダム「だから、」

 ね、わかんないっしょ。肝心なところが聞き取れなかった。ドア越しという不利な状況を差し引いても、痴話ゲンカに首を突っ込むには正確なヒアリング能力の向上が望まれる。

*


と、ここで終わっては政治学徒としての沽券にかかわる。次回は、「女をめぐる闘争:政治学的アプローチは有効か」をお送りする予定である。って、ホントに読みたいの?




2002/01/24 2:33

 わがフラットに不穏な空気が漂い始めた。昨晩、わたしの同居人であるアダムとハイメがやや興奮気味に議論していた。言い争っていたようである。他人の会話には無闇に首を突っ込まないのが紳士のたしなみであり、タイプ8型人間(008と呼ぼう)の信条であるが、聞こえてくるものはしょうがない。ハイメの声は高く、アダムの声は低いので、会話の全貌をつかむことはできなかった。しかし、途切れ途切れにドア越しに聞こえる会話から判断するに、どうやら女がらみのようである。ことは2週間前にさかのぼる(と思われる)が、ややこしいことにならなきゃいいが。



2002/01/23 0:13

 今日、久しぶりに髪を切りに行った。髪結いの亭主に憧れるわたしは、女性に髪を切ってもらうのが好きなので、おのずとユニセックスのヘアーサロンに行くことになる。しかし今日は不覚にもおっさんに刈られてしまった。あのサロンにここ1年ほど通ったが、そろそろ潮時かも知れぬ。

 それはよいとして、チップである。今日、レジスター近くの席で髪を切られている最中、男子学生が代金を支払うのを鏡越しに観察していた。彼はデビットカードで支払って、帰っていった。おお、料金にチップをプラスしてカードで払うのか、わたしも常々、小銭がないときはチップをどうしたものかと思案しておったので、なるほどね、と感心していた。が、それもつかの間、彼の髪を切ったとみえる、とてもとても体格のよいお姉さんは、不満をあらわにした表情を浮かべ、世界中で自分にしか聞こえないような低い声で、ひどくひどく罰当たりな言葉を吐いたあと、同僚に泣きついていた。あら、あいつチップを払わなかったんだ。そういうこともあるのねん。しかし同僚の不幸にも関わらず、他のお姉さま方はそれほど同情しているようには見えなかった。わたしの髪を切っているおっさんは当地の公用語でからかっているようだった。変なの。

 ところで読者の皆さんは、ヘアーサロンででいくらチップを払っておられるのであろうか。大変気になるので、突然だが初の愛読者アンケートを実施することにした。ゲストブックに記帳されたし。過去のサロン体験談も可。最優秀アンケートには、わたくしから筆舌に尽くしがたいプレゼントが贈られる予定である。奮ってご応募ください。

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 ヘアーサロンの帰り、レッカー移動車を目撃した。レッカー車なら別に驚くにあたらない。問題はレッカー移動されていたクルマである。なんと郵便公社の配達車がレッカー移動の憂き目にあっていた。配達に来たのにレッカー車に逆配達されるなんて、郵便業者として恥ずかしくないのか。ある意味、敗北であるといってよい。不在通知を置いていかなかったり、レッカー移動されたり、当地の郵便業者はどうかしている。



2002/01/22 0:03

 ジェイが面白いサイトがあると教えてくれた。よくある性格判断サイトである。他人に、ましてわたしを良く知らない人に自分の性格をとやかく言われたくないので、この手のものにはほとんど食指が動かないが、ジェイのたっての薦めなのでチェックしてみた。5分ほどの診断テストの結果、わたしはタイプ8だということがわかった。まぁ、そうなるであろうな、という予想通りの診断である。特に驚きはしない。タイプ8とは、「心の開き具合が低く、社交性もなく、他人への関心も低い」「アタシはアタシ。あなたはあなた。かもめはかもめ」だそうである。「ほっといてくれ。一人にしてくれ」病が定期的に襲う理由はここにあったのだ。なるほどね。我ながら嫌なやつだ。こんなやつと友達にはなりたくない。どれくらい嫌かというと、「すっとこどっこい」と言葉を交わすくらい嫌だ。あるいは埴輪教授がコンプのコミティに入るのを想像すればいい。げっ、絶対避けたい。ということで、こんなわたしと少なからず関わり合いをもってくれる友人には感謝している。なんていい奴なんだ君たちわ。

*

 わたしの月曜日は、今日が月曜日であると認識することから一日が始まる。なにしろ11時30分から17時30分まで二コマ・6時間連続の講義である。気力と体力の限界に挑む月曜日。ほんのわずかなバイオリズムの変化やフィジカルコンディションの調整の失敗がパフォーマンスの低下を招く。"Rainy Days and Monday"や"Manic Monday"など月曜日を主題とした歌があるが、これもバイオ―フィジカル・コアリレーション仮説と深い関係があるに違いない。というわけで、月曜日一発目、ジルちゃんの授業で発表した。この授業には5人しか登録しておらず、毎回全員発表が義務付けられている。人数は少ないし、ジルちゃんは寛容な先生なので、よい練習になると思ってやっている。さて、発表はと言えば、課題文献で扱った理論を任意の国に応用するのがその内容である。当然、わたしは日本を選んだ。当地に来て初めて比較優位を発揮できると踏んだのだ。今回は(というふうに過大評価させてくれ)、ちょっと準備不足だったので、グラフでごまかしつつ、アドリブで(シドロモドロともいう)あることないことをかまし、どうせみんな日本のことなんか知らないし、なんとか事なきを得た。質問も捌いた。気分はジョブトークである。が、授業の後、ジルちゃんに「とっても面白かったから、参考にした文献を読ませて」と言われ、手にしていたコピーを取り上げられてしまった。あちゃぁ。適当に端折って、正確に読み込んでないのがばれちゃうよん。まずいっす。ちゅうか、わたしの発表を聞いても分からなかったから、あえて文献で確かめたくなったのであろう。やがて悲しきプレゼンかな。



2002/01/20 00:21

 (修行の項[2002/01/17]の続き)入山から平均五年、悟りを得た修行僧は、「悟り後」という1-2年限定のポジションを探すか、駆け出し和尚として寺院に採用されるという運びになる。「悟り後」にしろ、駆け出し和尚にしろ、有名寺院の登竜門は非常に狭い。他の有名・名門寺院で著名な師匠の下で研鑚を積んだ者がしのぎを削る。

 わたしが属する寺院でも駆け出し和尚を来年採用することになり、最終候補者が説法にやって来た。蔦の葉寺院群からの若手和尚である。全員尼さんであったのも興味深い。宗派としては保守本流から対抗宗派までバラエティがあって面白かった。彼女たちの説法は、細かい問題点はあるものの、それぞれ傾聴に値するものであったと思う。何より説法に手馴れているとの印象を受けた。闊舌がよく、出席者からの質問も手際よく捌いておった。説法内容への確信と自信がそうさせるのであろうか。翻って鑑みるに、わたくしが説法市場に出るまでに実につけねばならないスキルは、言葉の問題も含めて、まだまだ多いということを確認したのであった。まずは「悟り候補生」にならんと話が始まらん。ということで、今回、オチはないが決意がある、ということでよろしいでしょうか。って誰にお伺いを立てとるのや。



2002/01/19 0:34

 読者の皆さんは既にお忘れかもしれないが、本誌の最重要テーマは「教務助手の悲喜こもごもをリアルタイムで描き出すことにより、『土佐日記』から連綿と連なる日本日記文学の新たな可能性をネット時代に見出す文学的営為」である。わたし自身も今の今まで知らなかったが、そういうことである。なぜ、突然こんなことを言い出したかというと、今学期のTAスケジュールが決まったからだ。今学期は "Developing Areas/Introduction" でTAをやる。550人が登録している。採点の悪夢がよみがえる。カンファレンスはやはり4つ。木曜と金曜に二コマずつ。講師はセドリック。彼のことはクルマちゃんと呼ぶか、小公子と呼ぶか散々迷ったが、やはりクルマちゃんの勝ち。彼のレクチャーは大変わかりやすい。声は大きく、身振りも大きく、板書も大きい。大きいことはいいことである。大は小を兼ねると言うからな。アメリカの子供に大か小かを尋ねるときは、"Number 1 or Number 2 ?"と訊くらしい。元ルームメイトのマットが教えてくれた。もちろん、日本が誇る最良の中規模英和辞典、「リーダズ英和辞典+リーダズ・プラス」(研究社)にも載っている。1が小で2が大だ。make[go, do] number one/two.と言えばよい。両方したいときは、中を取って1.5なのか、足してナンバー3なのか、そこまでは教えてくれなかった。マットめ。中庸を旨とするわが儒教文化では1.5であると考えがちだが、累積に価値を見出す米国文化は3を取るのが正解である。管見では。ここ、大事ね。中間試験に出るかも。こういったことをカンファレンスの初日にレクチャーする予定である。楽しみ。うひ。

*

 トミイ、ついに出しましたね、禁断の米西海岸物語。サザンの歌ほどドラマチックではないが、哀愁度合いでは負けない、里竹の海岸物語。つらかった。今思い出してももらい泣きする。チャコぉー。しかしながら、あの苦節をばねに一躍飛躍を遂げ、『世界政治』『国際組織』『米国政治学評論』に問題作を連発掲載するわけではないのが、わたくしの里竹たる所以である。唯一自信を持っていえる結論は、「エンジェルの街」はわたくし向きではなかったということである。さて、トミイと炎の約束をしてから早2年半。「期待の人が俺達ならば」「真っ赤なスカーフ」。わたくしはあれから成長したのでせうか。答えは風の中に吹いている、マイフレンド。



2002/01/17 15:20

 本日は10時頃図書館に行き、ひとしきり勉強した後、弁当をつまむ。3時まで勉強して、ラ・シテに行って髪を切り、フリュ・ドゥ・パークでキムチ、豆腐、しょうゆ、うどん、ふりかけ、おでんのもとなどを買って夕方に帰る。風邪っぴきから快復間もないことを考慮し、比較的穏やかな一日を過ごすはずであった。まぁ、さぼる理由があればさぼっちゃうわけですね。しかし、この里竹有閑マダム化計画も朝からつまづいた。

 8時に起きて、シャワーを浴び、香り高いバニラのフレーバー・コーヒーとクロワッサンという、いつもと変わらぬ簡単な朝食をリッツカールトンから取り寄せ、昼食用のラザニアを弁当箱に詰め込んだまではよかった。執事のロベルトに車の用意をするように言いつけた後、出かける前にメールをチェックした。親父が小包は届いたかと訊いてきている。4日に発送したらしい。うーん、ちょっと遅いですね。EMSの追跡システムでは5日の大阪国際空港での記録を最後に足取りがぷっつりと途絶えている。嫌な予感。

 念のため、当地の郵便業者のホームページでもダブルチェック。顧客サービスまで連絡しろ、と表示。しょうがねぇな、と早速電話。おっさんによると、配達したけどオートロックの玄関から入れなかったという。だったら不在通知おいていけよ。いつ再配達に来るか時間が読めないので、御自ら出向いてやることにする。場所は聞いたことのない通りだったが、最寄の駅から近いと言うので、OKということに。すると、すぐ受け取れるかどうか確かめるから、XXにもう一度電話しろと言う。ちっ。世界中で自分にしか聞こえない音で舌打ちをする里竹。まったく。でXXに電話。こんどは声の可愛いお姉さんだ。担当者がいないので、1時間以内にかけ直すという。はぁ。電話が鳴る。いつでもピックアップ、オーケーよ。じゃ、あなたもピックアップしていいですか。ブチ。プープープー。ふん。YY通りか。地図、地図。げぇ、むっちゃ遠いじゃん。ふざけんなよおっさん。もう一回サービスセンターに電話。また一から説明のやり直し。ピックアップセンターが遠いと文句をいうと、ダウンタウンの店舗に移送可能で、そこで受け取れると言う。最初からそう言いなさい。ということで、明日御自らご足労してやることになった。

 しかしなんでこんなことで1時間半もかかるんや。なんか気が萎えてしまってラザニアを家で食べる。むなしい。髪切ってさっぱりするか、と気を取り直して家を出た。積もった雪がシャーベット上に溶けて車道に流れ出している。危険な兆候。異様に歩道寄りの車線を取る猛スピードのクルマが視野に入る。や、やば。バシャ。腰から下、べったりとシャーベットの洗礼を受けたわたしは、すっかり気力がなくなり、回れ右してお家に退散。絶対、わざとだよな、あのクルマ。許せん。というわけで、たいへん機嫌がよろしくない。


2002/01/17 2:51

 小学校の同級生に、お寺の息子がいた。彼とは中学高校と同じ学校に通い、最後の2年間は同じクラスになった。彼によるとお坊さんになるのにもいろいろ道があるそうだ。

 お坊さんになるには、やはり修行が必要である。修行にも二つあって、俗世との縁を切って修行寺にこもり、修行に専念するものが一つ。これを出家とよぶ。他方、家業としての寺を引き継ぐ者は本山に行って幾ばくかの研修を行い、頭をそるという儀式を経て坊さんとしての「営業許可」を得る。これを「客員修行」とよぶ。

 何のために修行するのか。やはり究極の目的は「悟り」をうる事である。修行僧の中には、悟りを得ないまま修行という通過儀礼を経て、1年や長くて2年で元いた場所に戻るものが多い。これまではそれが通用した。修行の貯金で10年や15年は体面を保てたのである。有名寺院の跡取はこういうケースが少なくない。悟りを得ずとも、その地位が約束されているからである。あの厳しい本山で、あの有名な和尚様の下で修行なさったんですか、というハクで十分なのである。かように、わが国のお坊さん業界には、旧態依然とした徒弟制度が残っている。

 しかし本物を目指すのであれば悟りが重要である。そのためには、日々の修行に専念し、釈迦の教えについて様々な角度から理解することが求められる。読まねばならない経典が山ほどある。当然中国語で書かれている。また、「公案」の答えを求めて苦行が続く。その場で答える公案もあれば、部屋に持ち帰って24時間後に答えを提出する公案もある。一つの公案が終われば次の公案が待っている。「そもさん、せっぱ」である。しかしながら「マンガ一休さん」の世界ほどトンチが幅を利かせはしない。しかる後に修行の最終段階として師匠との口頭試問がある。修行と公案の成果を総合的に判断するのである。首尾よく師匠からのお墨付きを得て、ようやく修行の第一段階が終わり、「悟り候補生」となる。文字通りこれは「悟り」ではなく、「候補」に過ぎない。ここで山を降りても世間では十分に通用することであろう。しかし、「悟り」を得ようと思えば、山にとどまり、あるいは、べつの山に入り、更なる高みを求めることになる。入山から悟りを得るまで大体5年はかかるようである。(この項続く。)




2002/01/08 21:53

 早いものでこのホームページを開設して二週間が過ぎた。一般にHPをもつ動機のひとつに、自己顕示欲を満たしたいという欲求があろう。HPを開設して間もないホームページビギナー(HPBs)は、たとえば google の検索で自分のページが引っかからないかな、などと思い立ち、いそいそと自分のページタイトルを打ち込みがちである。ビギナーズラックだよ。えへ。などと呟いているかもしれない。だがビギナーがそのような自己愛に満ちたウェッブ検索に走ったとしても責められまい。たとえ自分のページが引っかからなくても、自己愛を満たしてやることは、精神衛生上ないがしろにはできないのである。そして意外な発見があり、世界が広がるかもしれない。わたしの場合がそうであった。なんだよ、おまえもやったのかよ、自己愛検索。えへ。というわけで、わたしは『修士の異常な愛情』というコメディを上演する劇団が、この世に存在することを発見した。副題はもちろん「いかにしてわたしは心配するのをやめて喜劇を愛するようになったか」である。

*

 京阪神の田舎町で育った主人公。幼い頃から勉強ができ、神童の誉れ高い彼がただ一つ憎むものがあった。「吉本新喜劇」である。自分と同姓同名の人物が劇中、アホと蔑まれ、はたかれ、ないがしろにされるのが、幼心に我慢ならなかった。程なく、「ヨシモト」を連想させるものを避けるようになる。「マツキヨ」にすら行かない。なぜだか「ダウンタウン」の背の高いほうを思い起こすからである。長じて大学院に進学し、首尾よく修士号を取得した彼は、突然の雷雨が襲った野外コンサートで雨宿りをしているとき、隣り合わせた女の子と親しくなる。「ヨシモト」と名乗る彼女のことを一旦は諦めた彼だが、サカタトシオはどうしようもなく彼女に惹かれる。そして不幸は続く。彼女は吉本新喜劇をこよなく愛していた――。

*

 こんな感じ?そんなわけがない。ということでコメディ『修士の異常な愛情』情報、お待ちしております。



2002/01/04 23:57

 風邪などをひいて、なおかつ、てんぱっていたのでスシは延期になった。ジェイにはすまないことをした。そういえば、去年もこの時期に風邪をひいた。鼻風邪だったのも同じだ。あなたは風邪で鼻が詰まった状態で飛行機に乗ったことがありますか。わたしはある。あれは地獄である。耳の奥から後頭部にかけて、バールのようなもので繰り返し殴られるような鋭い痛みを受けながら五大湖上空一万フィートを飛ぶのは心地よいものではない。スーパーマンだって風邪っぴきのときは空を飛ばないはずだ。It's not easy to be me. で、バールのようなものってなんだ。知らないのか。知りません。

*

 ところで、つらつらと思うに、わたしはスシが食べたいのではなく、シャリとワサビ醤油を口にしたいだけではないのか、という疑念が日に日に増している。わたしは関西の出身なので、シャリといえば甘めのすし飯のことをさす。大修館書店発行の名著『全国民俗味覚事典』でも克明に記されているように、関西人は「甘辛」が好きである。スシはすなわち、甘めのすし飯と辛目のワサビ醤油という、「甘辛ゴールデンコンビ」であるといってよい。それなら、ネタは何でもよいのかとの指摘もあろう。さにあらず。結論を急いではいけない。甘辛だけでは、こってりしていて、味がしつこい。ここで、スシがスシである所以、すっぱさが登場するのである。というわけでシメサバなどは最高である。シメサバのバッテラ。た、食べたい。というわけで、ジェイ、次の鮨はシメサバを出す店だ。



2001/12/29 21:38

 風邪ひいた。しばらく更新なし。読者の皆さん(いるのか?)、あしからず。さらばじゃ。

 業務連絡。寿司は金曜日あたりを予定。業務連絡終わり(誰に?)。


2001/12/27 3:09

 こんにちは、お元気ですか。

 あっという間に今年も残すところあと僅かになりました。今年の冬はどうやら暖冬の模様で、積雪もまだ本格的ではありません。油断は禁物ですが。

 小高い丘のふもとを毎朝通るのですが、ここ数ヶ月で季節が変わるさまをありありと目にすることができました。

 こちらでは10月に入って急に冷え込み、山の緑は、赤や黄色に色づきました。一日ごとに紅葉が広がり、色が深みを増していく。まるで、職人気質の煉瓦工が赤レンガを積み上げていくように、ゆっくりとしかし確実に。その紅葉も11月に入る頃には枯葉となり、いまではすっかり白銀に覆われています。

 8月の末に、カヤッキングのツアーに3泊4日で出かけたことは、話したでしょうか。ここから北へ400キロのところにある川へ行ったのですが、「川」とは名ばかりで、河口に近いためか、水は海水でした。潮の満ち引きはあるし、波が高く、風も強く、おまけに天気も悪くて雨に降られたけど、楽しかったです。幸運なことにくじらにも遭遇できたし。朝もやの中で波一つない静かな水面を心穏やかに漕いでいると、ミズスマシのようになった気がします。もちろんミズスマシが心穏やかなのかどうか、今ひとつ僕にはわかりませんが。

 夏休みを存分に満喫した後は、黙っていても秋学期がいつものようにやってきます。楽しいことはいつまでも続かない。日曜日の夜に「サザエさん」が終わったら月曜日、と相場が決まっています。ただ今回は少しいつもと違う秋学期でした。Teaching Assistant (TA) に採用されたのです。学部生(1−2年生向け)の「比較政治入門」を担当しました。この講義には500人程登録していて、僕を含めて8人のTAが試験やレポートの採点、学生指導、授業の質問を受け付けます。中でも重要な仕事は、ゼミの司会。この講義では学生を15人程度のカンファレンスに分けて討論の時間を1時間設けていて、TAはその司会を週に4回担当するわけです。

 このカンファレンスがなかなか大変で、苦労しました。

 ところで君は「24の瞳」という古い日本映画を知っていますか。ごくごく簡単に言ってしまえば、香川県の小さな島に赴任してきた新米の女教師と12人の小学生(12人だから24個の瞳があるわけだ)が心温まる交流をするという話です。僕の場合は「30の瞳」なわけですが、いつもいつも心温まる場面ばかりではありません。

 最初の週のカンファレンスで、あるクラスでは初回と言うことで油断したか、文献を読んできてない学生が多く、僕一人で文献の解説をしゃべる羽目にりました。質問をしても答えてくれない。とても孤独でした。お世辞にも流暢とは言えない英語を自覚しているので、「何言ってるのか全然わからねぇよ、このTA」「取って損したわよ」という視線が、30個ぶん突き刺ささってくる気がします。心が痛い。

 で次の週。他の3クラスは結構議論が弾んで、ほっとしたのですが、やはり例のクラスは沈黙が支配。どのクラスでも同じ質問を投げかけて(想像力の枯渇とよびたまへ)、他ではいい反応が返ってくるのに。なのに。なぜ。お前らなんでしゃべらへんねん(憤ると関西弁になる。御大の影響か?)。

 しかし、そんなことで落ち込んでる場合ではない。こちらは生活費がかかっているのだ。彼らをいかにしゃべらせるかという気持ちをエネルギーにするしかない。周到に準備をして、1時間でおこなう議論の構成を練りに練って、質問をぶつけると、打って変わって多くの学生が議論に参加してくれました。こうでなくっちゃいけない。議論が終わったあと、「ありがとう」といわれたり、残って質問してくれるとやりがいを感じます。うん、ぜんぜん悪くない。

 TAの準備に時間をとられてしまって、自分の研究に当てる時間が減ってしまいますが、うまくやりくりできるようになりました。少ない時間を有効に使おうと心がけているので、集中力も高くなって、前より文献をよく理解できるようになった気がします(という風に過大評価させてくれ)。塞翁が馬、というやつですね。最近、境遇を都合よく解釈する癖がつきました。いいのか、わるいのか。

 感謝祭では日本人教授が日本人学生を自宅に招いてくれて、七面鳥をご馳走になりました。たまには日本人学生に会うのもよいものです。ただ、1年限りの交換留学の学部生がほとんどなので、すっかりおじさん扱いされる自分に気づくのはあまり心地よいものではありません。

 ここだけの話ですが、こめかみに白髪が目立つようになって(3−4本なんだけど)、久しぶりに会った友人のジェイに「すっかり老けた」と言われて、とてもショックでした。青春の終わりを感じた。とても哀しい。

 くだらないことばかり、随分長くなりました。ここ数ヶ月はざっとこんな感じで過ぎていきました。

 僕がすっかり「おじさん化」する前に会いたいですね。また書きます。よい新年を迎えてください。

          里竹




2001/12/24 11:18

 天敵、埴輪教授が2002年秋学期に復帰。引退前の最後の授業か?彼にはとってもいぢめられた。トラウマになっておる。


2001/12/23 22:06

 今日の一言。マオ先生からのお便り。マオ先生というのはわたしのアドヴァイザーです。

     "Dear Mr. Strangelove: You are not alone. Best Wishes, M."

 結構、勇気付けられるお言葉であった。



12/22(Sat)

 いまTAクラスの期末試験の採点に追われている。大学院生は普段コースワークで教授に絞られているので、自然と学部生の評価に厳しくなる傾向がある。弱いものいじめですね。鶏のトサカつつきみたいなものといってよい。
 しかも、TAの給料はその激務の割りに驚くほど安い。「TAは生かさず殺さず」という教授と大学当局の方針が、ここ数年の大学財政事情の悪化により強まっているというのはTA労働組合の間での常識である。また、安月給がTAの攻撃的採点態度に少なからず影響を与えていることについては論を待たないであろう。この象牙の塔の階級闘争がTAの採点行動様式に与える影響については、次回の論考に譲る。国際心理学雑誌に掲載の最新論文で予習するように。今回は採点の話である。

 以下、あるアジア系TAの採点中の独り言。お聞き苦しい点はお見逃しください。

     「ちきしょ、おめーの字は読みにくいんだよ、マイナス5点。ぶつぶつ。うに
     ゃー、何言ってるかわっんねぇよ、こいつ。誰だ、ジャクリーン?担任したゼ
     ミの学生ではないか。うむ。ま、ちょっとぐらいおまけすっか。ぶつぶつ。」

 いかがなものであろうか。採点なるものは、ことほど左様にいい加減なものである。答案用紙をばぁーと投げて遠くに飛んだ順に成績をつけるとか、まことしやかに流布している日本の大学伝説も、あながちウソではないと実感する。

 と、こんな調子で採点すると、間違いなく学生からの猛クレームでつるし上げられ、オフィスアワーに監禁されるという事態が憂慮されるので、シコシコとまじめに採点するのでありました。おまけもなし。ごめんね、ジャッキー。



12/10(Mon)
 懸案のスバル問題ですが、旧友のうっちょ氏が有力な情報を寄せてくれました。うっちょ氏は愛知県で自動車産業に携わっています。

*

     里竹、車両調査ありがとう。
     君の調査、なかなか冴えてるね。
     そんな君に君の住む国の車両事情を教えてあげよう。

     そちらで現地生産している日系企業は、トヨタ・ホンダ・スズキの
     3社。(すばるは現地生産してません)但し、北米では富士重工(す
     ばる)といすゞの合弁会社SIAがあるのさ。よって納入しやすいす
     ばる車は、そっちにちょこちょこあるってわけよ。(別にすばる車
     が多いわけではありませんが・・・)

     ちなみにこれはプロジェクトXというよりも、すばるがGM系列だか
     らだよん。
     よって中島みゆきの音楽は鳴りません。
     参考まで・・・

*

さすが業界人ですネ。無知な高校の同級生の疑問をたちどころに解決。ありがとうございました。



12/7(Fri)

 帰宅の道すがら、路上駐車しているクルマのメーカーが気になって調べてみた。
 フォード、スバル、スバル、スバル、VW、スバル、トヨタ、 日産、トヨタ、ホンダ、スバル、マツダ、マツダ、クライスラー、ジャガー、ホンダ、ホンダ、スバル、スバル、フォード、フォード、てな感じでした。意外なことに、当地ではスバルの人気が高いようである。
 ビックスリーを国境の南に抱え、しかも自国には自前の自動車産業がないこの国。どう考えてもフォードとかクライスラーとかGMとか、大きな顔して走っていそうだが、スバル。太平洋を越えて、スバル。
 なぜだ。世界規模で自動車業界再編が進行する中、スバルはこの地ににその生き残りの道を見つけたというのは、よく知られた話なのか。プロジェクトX級の「業界ちょっといい話」が隠されているのだろうか。スバル武蔵野工場の澤田浩太次長(62歳)だけが知るスバルのグローバル戦略とは。これは一考に価する設問ですね。誰か一考してください。



11/30(Fri)

 くだんのTAで期末レポートの採点。ダブルスペースでも10ページ、計60本となるとさすがに時間がかかる。丁寧にやっていたら一本1時間かかって、絶望的な気分になったので、ペースアップして一本30分に。

 中には、素晴らしく良く書けていて(2−3本)、腐っても名門やなぁ、あちきも頑張らんとなぁ、と思っていたのだが、1本、どう考えても本人が書いたとは思えないレポートを発見(そいつはわたしのカンファレンスの学生)。

 専門家しか知り得ないデータや情報の出典が明らかでなく、かといって参考文献のリストはシンクタンクのサイトから取ってきたと思われるものばかり。何より、レポート課題に真正面から答えていない。うーん、怪しい。怪しすぎる。といって、決定的な証拠もなかったので、厳しめのコメント・点数で応酬するしかなかった。

 そんな折、ネットでは期末レポート執筆代行ビジネスが幅を利かせており、しかも本学の学生がバイトで執筆している模様、という情報が教授・TAの間でここ数日問題になっている。

 なんともはや。



11/16(Fri)

 ショートエッセイでデモクラティック・ピースについて書いている最中、「democratic peach」 と打っている自分に気づいた。「民主的桃」って?なんやねん、それ。おいしい桃はみんなで仲良く分けましょう、ってことかしらん。お歳暮の季節だし。あるいは桃太郎がもたらす平和?気になってますます peach と打っている。どうかしている。

 まったく関係ないけど、「甘太郎で決めたろ」ってCM、知ってる?「甘太郎」は本当に「キメ」られる店なのかどうか、情報を求む。


11/1(Wed)

 先日までTAクラスの中間試験の採点。130人分の答案を1週間かけてまるつけ。一人平均5ページくらい書くので、読むだけで大変である。癖のある字が多くて、判読にも一苦労。

 学生は点数が気に食わないと必ず抗議にくるということで、どこが足りないかをいちいち丁寧に添削したのですごく時間がかかった。Z会か進研ゼミのあかまる先生みたいだ。

 閑古鳥オフィスアワーに怒鳴り込んでくるのか、これから戦々恐々である。

 とはいえ給料がようやく振り込まれてほくほく。振込みが一ヶ月遅れ、口座の残高が40ドルになったときはマジであせった。



10/17(Wed)

 友人が奥さんに「そろそろ子供のこと、考えてよね」と迫られてどうしたもんかと、困っているらしい。

 わたしの場合は相手の連れ子で、しかも見た目(青い目だったり)からして僕の生物学的な子供じゃないとわかるので、いろいろ問題もある。でもって子育て観が妻とは違ってる場合が多くて時々話し合いが必要になるのも当然である。

 先日、娘(セリーヌ、6歳)が植木にジュースをかけていたので叱ったら、逆に妻に怒られた。そういう時は理由を訊いて(自分が好きなジュースは植木も欲しがると思ったらしい)、「今度からは水をあげようね」と言うんだそうな。子供の行動をなるべく肯定するのが大切なんだと。それで愛情を確認できるんだと。ふーん。じゃ、僕のことも肯定してくれよ、と言ったら、すげなく無視された。とても哀しかった。

 それでも僕が下校時に娘を迎えに行くと、ダディといって抱きついてくるので、ささやかだけれど幸せな瞬間を味わえます。送り迎えの車の中では娘のお気に入りのブリットニー・スピアーズの歌を一緒に歌います。"I'm not so innocent"振り付きのやつ。ダディは発音が下手ね、とため息をつきやがる。ほっとけ。


 という真っ赤なウソをでっち上げてしまうわたしは、やっぱり何かのトラウマを抱えているんでしょうか?



9/20(Th)
 初日だというのに盛り上がりに欠けるセッションであった。ちゃんと読んで来いよお。困っちゃうじゃん。24の瞳(青やら緑やら茶色やら)に見つめられて舞い上がってしまった。


9/15(Fri)
 TA採用でひやひやの毎日。どうなるのか。

 ところでハイジャックされた飛行機は計11機で、不明の7機は米空軍が極秘裏に打ち落としたと、まことしやかに流れている情報は、Flight11の誤訳だと睨んでいる。



9/11(Tue)
 ニューヨークとペンタゴンとピッツバーグ郊外がテロに見舞われた。合掌。



9/9(Sun)
 今日は重陽である。「陰陽」の世界ですネ。ぜっと会の古文の問題でそんなのがあった。何で覚えているんだ。受験の申し子ってヤだね。

 ところで僕は頭髪前線が北上中です。青春の終わりを前頭葉海岸線の後退で感じるなんて。ピノコ、とっても悲しいよの。でも黒髪頭巾の出番はまだ、と信じたい。


8/17

 フランコフォンは日本アニメで育ったという。興味深い。



8/16

 「すっとこどっこい」君との会話は消耗であるということ。対話が成り立たないのだ。


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