MR. Strangelove, M.A., or: How I learned to stop worrying and love IR.

The TA Gazette in Canada

里竹日記「カナダTA時報」

The TA Gazette in Canada


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2002/02/24 17:06

 当地の時間で午後3時から始まった『国民的イベント・50年目の金メダル』。普段はショッピング客で賑わう聖通りも人っ子一人いなくなり、ゴーストタウンのように静まり返っている。由緒正しい国民は自宅で固唾を飲んで楓の葉っぱの代表チームを応援しているのであろう―などということはなく、いつものようにショッピング客でごった返していた。電気屋もとくにテレビ中継にチャンネルを合わせるわけでもなし。要するに、関心のない人にとっては、どーでもよいことなのである。なんといっても楓の葉っぱに愛着をもてない土地柄の当地にあって、「国民的イベント」とは何ぞ、タバルナック、てなわけである。まことに健全である。政治学徒としては、ナショナリズムが高揚する過程を観察する絶好の機会を逃すわけにはいかず、スポーツ・バーを軒並みはしごしてみた。まず、ビールのリサイクルという希に見るエコロジー精神を実践している「果皮バー」。地下の店舗に続く階段に行列ができ、聖通りまで溢れていた。ということでパス。続いてパブの聖地、三日月通り。ハードロックカフェをはじめ、大スクリーンで集客に努めるパブは楓の葉っぱの旗を掲げている。その数はあまり多くなく、4件ほど。結局5-2で楓が星縞を退け、50年ぶりの金メダル。ラヂオでは試合終了直後から国民主義促進・国家忠誠再確認・陳腐紋切型垂れ流し「感動をありがとう」テレフォン大作戦が展開された。どこぞの国営放送となんら変わらん。世にのさばる星縞を粉砕した功績は賞賛に値するけど。でもね。



2002/02/24 8:12

 TA評価の痛手からはまだ立ち直ってはいない。随分へこんでいるが、取りあえず前進あるのみと気を取り直している最中である。ふと思ったが、このへこみ様は失恋に似ている。彼らのためにあれほど時間をかけて準備をし、ベストを尽くしたつもりであったが、この想いはまったく彼らには届いていなかった。ただ、失恋は振られた相手が明白であるのに対し、TA評価は匿名なので、誰にこの思いをぶつけてよいか分からない点が非常にストレスフルである。「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」などという歌があったが、「もうTAなんてしない」などとは口が裂けてもいえないのも事実である。なにしろ生活がかかっているからな。彼らの評価をここに書き写そうかと思ったが、わたし自身、まだ直視に堪えないのでしばらく逃避させてくれ給へ。報われない努力に悩むTAと、報われない恋に打ちひしがれる30男。あなたはどっちになりたいですか?

***


 で、突然話題は変わるが、今日は当地の国民的イベント「50年目の金メダル」が催される。政治学徒たるもの「国民」とは何ぞ、という大問題を論じること無しに「国民的」イベントとは笑止千万だが、話し出すと本が一冊書けてしまうので次回に譲るとして、ジェイへ業務連絡。3時ごろお邪魔していいですか。ついでにブラピの出た「フレンズ」を見せてくれ。



2002/02/22 18:54

 先学期のTA評価が出た。あまりにひどい。しばらく立ち直れそうにない。チリ・ワイン、Miguel Torres (Chile), Santa Digna (2000), Cabernet Sauvignon でヤケ酒。15ドル前後。美味いワインというのが、唯一の救い。



2002/02/22 4:18

里竹日記特別企画

It's Not A Cheap Thrill!


 海外での生活を経験したあなたになら、分かっていいただけると思う。ハンバーガー、ピザ、コーク、やたら脂っこいチャイニーズ、巨大なだけのサンドウィッチ、意味もなく甘いマフィン、ケチャップでごまかされるフレンチフライ、どこが美味いか分からないベーグル。要するに食が貧しいのである。食傷気味、というのはまさにこういうこと言う。そしてあなたは呟くことになる。あぁ、日本食が食べたい。レストラン街をさ迷い歩き、目にしたJapaneseの看板につられてその店に入る。しかしそこであなたは後悔する。失望、といってもよい。スシしかない。そのスシも日本人が長年かけて築きあげてきた「鮨」の概念を根底から覆す代物であったりする。鮨の脱構築。食い物にまでポストモダンを持ち込むなよ。鮨は鮨であって、スシではない。「忍者巻き」って何だよ。トンカツの手巻き寿司でした。食ったのかよ。つ、つい。海外で暮らすあなたはここで異を唱える気力をなくす。ため息ひとつをついて、カリフォルニア巻きを口にしてしまうかもしれない。そうやって生きていくことを覚えてしまったのだ。そしてあなたの頭の中には、ジャパニーズ・レストラン=スシ・バー=ポスト・モダン・スシ=激マズ、という一連の方程式がインプットされる。もう「日本食」を海外で食うまい。あなたの胸には哀しい決意が生まれ、同時にあなたの心は欠けていく。

 ここで諦めてはいけない。あなたは正統な日本食を海外で食することができるのだ。ここでいう「正統な日本食」とは、懐石料理などではない。海外で食べたい日本食とは何か。おそらくあなたはこう答える。

***


 そんなの決まってるじゃん、いわゆる定食。温かいご飯と味噌汁。豆腐とか、油揚げとか、ワカメが入ったやつね。でも、その前に何か一品、つきだしがあるといいね。おひたしがね。ほうれん草とかひじきとかさ。で、やっぱ焼き魚ね。トンカツとか生姜焼きはさ、家で作れるわけよ。でもお魚。こっちの家じゃ、ほら、グリルがないじゃない?お魚、焼けないわけよ。煙すごいし。海外だからさ、無理は言わない。秋刀魚とか、さばとか、鮭があれば十分。で、料理が出てくるまで、熱燗をチビチビやりながら冷奴をつまむわけよ。で、ころあいよく、おかみさんが料理を運んでくる。あ、そうそう、大事なのはさ、料理だけじゃなくて、おかみさん。ほら、こっちの日本料理屋ってさ、従業員にむりして着物着せてるじゃない?あれ不自然なわけよ。やっぱりさ、割烹着を着たおかみさん。あんまり美人じゃ困るんだよね。ほんとーに、普通のおばさんがいいんだよね。ほら、定食屋って、おばさんの顔を見に行くってところあるじゃない?ああ、この人が料理作ってるんだ、っていう。安心感っていうの?信頼っていうかさ、ほら、わかるでしょ。定食屋、いいよね。学生時分を思い出すよね。毎日通ったよね。客同士なじみになってさ。あぁ、あいつ、今何してるんだろ。懐かしいな。あれ、俺、なんで泣いてんだろ。

***


 もうおわかりであろう。海外における日本食が満たすべきものとは、日常であり、温もりであり、生活臭であり、心のふるさとであり、青春の思い出である。そしてそれを具現化するのが定食屋なのである。断じて鮨の脱構築などではない。でもあなたはこう反論する。そんなの無理に決まっている。海外で定食屋?夢みたいなこと言うな、と。

 当地のダウンタウン、大通りから少し外れた路地にその店「大阪」がある。階段を5段下って扉を開けた瞬間、あなたは時空を越えて高田馬場にたどりつく。席につき、メニューを眺める。もちろん、手書きだ。焼き魚定食(さば)16ドル。スピーカーからは坂本冬実がかなわぬ恋に泣き濡れる女心を唄っている。「大阪」にはあなたが定食屋にのぞむ、すべてのものがそろっている。おかみさんも含めて。ご飯のお代わりが自由というのもこの店の美点のひとつである。



2002/02/22 0:08

 昨日はTAクラスの中間試験。わたしは試験監督。中学入試以来、試験というものを受け続けてきた者にとって、試験監督は、ある意味で憧れの地位であり、憎しみの対象である。コツコツと靴音を鳴らしながら、必要以上にゆっくりとした足取りで歩き、四方八方に鋭い視線を配る。そんな試験監督者がそばを通ると、気が散って仕方がなかったのを覚えている。「いつかは試験監督」。そんなCMあったよな。ねぇよ。

 で、実際にやってみると、これほど退屈なものはない。問題用紙と答案用のブックレットを配り、受け持ちの生徒にはグッドラックと声をかけ、最初の5分が過ぎる。それでお終い。もう、なーんもすることがない。あんまりにも手持ち無沙汰なので、うろうろ歩き回ることになる。そうなのだ。試験監督は暇だから、うろうろするのだ。「不正行為許すまじ」の視線を送る場合、目立たないところに陣取って、サーチライトのように監視したほうが不審な挙動を発見しやすい。それにこっちは本気で監視する気などさらさらなく、答案用紙の追加とか、ペンのインク切れとか、鉛筆削りないですかとか、消しゴム貸してくれだとか、箇条書きでいいですかとか、苗字は何ですかとか、そういった質問や要求に応じるためにうろうろしているのである。あぁー暇で死にそう。

***


 とあくびを噛み殺していたら、「バチッ」と突然大きな音がして同時に停電になった。生徒達は一瞬息を飲んだ後、ざわざわと騒ぎ出す。2分ほど過ぎただろうか、再び電気がつき、やれやれ、と視線を教壇に向けると、講師のクルマちゃん(本名セドリック)がアタマから血を流して倒れていた。それに気がついた女子学生が「キャー」と叫ぶ。もうパニックだ。誰かが叫ぶ。「すべての扉を閉めるんだ。誰も外に出ないように。犯人はこの中に居る」。声の主はコナン君だった。

***


 そんな妄想をしている間も、教室は真っ暗。セドリックは、「5分ほど様子を見よう。原因をセキュリティーに行って確かめて来る」と言って出て行った。その間、学生達は背伸びをしたり、隣の学生と話したり、ライターを点けて回答を続けたり、好き勝手に過ごしていた。戻ってきたセドリックの重大発表。「当分停電が続くようなので、今日はここまで。この試験はキャンセル」。というわけで、試験の採点という大仕事が当分延期となった。



2002/02/20 0:24

 実に10日ぶりの更新である。この10日の間、読者の皆様は、訪れるたびに舌打ちしていたわけですか。申し訳なかったですね。さて、久しぶりの更新にもかかわらず、新ネタは無しである。これまた申し訳ない。とりあえず、わたしの今日の出来事。

 明日はTAクラスの中間試験があるので、今日わたしは「中間試験対策」と銘打って2時間の特別セッションを設けた。わざわざこの為に教室をブッキングした。先週のカンファレンスで告知しておいたが、念のため、講師のセドリックに授業でもアナウンスするよう頼んでおいた。「里竹というTAはそこまでやるのか」「いいTAじゃん」「でも英語は下手だぜ」「いいのよ素敵だから」という会話が500人規模の教室のあちらこちらで交わされるであろうことは計算済みであった。なのに、セドリックのやつ、アナウンスするのを忘れたらしい。ちっ。んなことだからクルマちゃんなどと呼ばれるのだ。

 で、今日のセッションは予想通り盛況というものからは程遠いものであった。学生達はどうやら問題のヒントをもらえると思って期待していたらしい。問題なんてわたしだって知らない。今日は質問に答えるだけだよ、というとひどく残念そうな顔をして、5分ほどで帰っていく。ジェシカ、キャサリン、ヤスミンの三人は熱心に質問するので、こちらもちょっと高度な知恵も授けたりした。その間も、学生が入れ替わり立ち代りヒントを求めてやっ来ては、肩を落として、中にはあからさまな不満を顔に浮かべて去っていった。「失望させちゃったかな」とつぶやくと、ガリ勉タイプのジェシカが「あなたのせいじゃないわ」と慰めてくれた。ありがとうジェシカ。でもそのエアロビするようなフィットネス・ブラでおへそ丸出しっつうのは、どうかと思うぞ。おぢさん、目がくらむじゃないか。だいいち寒くないのか。この娘はたしか先週はショッキングピンクで身を固めていた。いいんですけどね。そんなこんなでセッションは3人の金髪娘と日本人のおっさんの勉強会となっていた。へんなの。



2002/02/10 6:02

 英語ではお代わりを a second というが、当地にはその名も『お代わり』というカフェがある。昨日、晩飯に誘ったものの風邪っぴきのジェイに振られたわたしは、その痛手を勉強で癒すべく図書館に向かった。途中、サンドウィッチ・チェーンのサブウェイに寄った。わたしとしては珍しく、ボーナス・スタンプを集めており、6インチのサンドウィッチが無料になった。ジェイに振られた分を少し取り戻した気がした。図書館の閉館時間までミーちゃんの比較政治の文献を読む。ヨーロッパ統合をめぐる各国の合従連衡を分析するには、左派―右派と超国家主義―国家主義という二つの軸が有効、というお話である。アイデアをめぐる合従連衡と読み替えることも出来よう…。土曜日の図書館は9時45分に閉館である。向学心に燃えるわたしはこのまま帰宅するにはもったいない気がして、カフェで読書を続けることにした。聖通りの『お代わり』に行く。24時間営業の店である。大変込んでいたが、カウンターに一人分の空席を見つけて、早速読書を再開した。

 いわゆる経済的グローバル化の波に呼応するため、企業は戦略的な行動を取ることになる。その企業行動は各国のナショナル・システムが規定する。ナショナル・システムには企業協働市場型と非協働自由市場型とがあり、多国籍企業は進出先のナショナル・システムにあわせて戦略行動を変化させる…。

 気がついたら日付が変わろうとしていた。わたしは二杯目のコーヒーを求めてレジに並び、フレイバー・コーヒーを注文した。接客の女の子が申し訳なさそうに、半分しか満たされていないカップを持ってきて、これで売り切れですという。わたしは、では普通のコーヒーを、と応える。彼女は、注文したものがなかったのだから、御代は結構ですという。わたしは払いますよと念押ししたが、代金を受け取ってはくれない。フレイバー・コーヒーを飲めなかったのは残念だったが、コーヒー一杯分得したわたしは少し気分が良かった。彼女が可愛らしかったのもその気分を後押し、次の文献に移る。

 産業化の進んだ先進国では、階級に基づく政治的分裂は影をひそめるという仮説がある。ヨーロッパのデータをみると階級分裂は確かに後退したが、高度産業化社会に特有の新たな階級格差が生まれ、政治的基軸となっている。階級分析は、異なった形で有効である…。

 2時を過ぎ、軽い疲労を感じたわたしは甘いものが欲しくなった。脳がドーパミンを必要としているのであろう。再びレジへ向かい、ホットココアとビスケットを注文し、ギルちゃんの投票行動の文献を読み始めた。

 女性と男性とでは、投票行動が異なるのか。女性は男性よりも保守的であるというデータもあり、革新を支持するというデータもある。女性の社会進出が進むにつれ、女性は革新化するという仮説を検証していく…。極めて実証主義的で、教科書どおりの手順に従って書かれた論文の構成に、わたしはこれをペーパーの参考にしようとさらに集中力を高めた…。

 4時をまわり、客はわたしの他に、さっき入ってきた二人連れの女性しかいないようだった。ふと気がつくと、目の前に先ほどとは別の店員の女の子が話し掛けてきた。コーヒーのお代わりしませんか?わたしがおごりますよ、という。ありがとう、戴きます。でも、御代は払います、とわたしはいう。いいから、他にお客もいないしサービスよ、とウインクしてカップを置いていった。今まで気がつかなかったが、笑顔が魅力的だった。幸福な気持ちになったわたしは次の文献へと取り掛かる。

 日本の女性は男性よりも道徳的、倫理的との通説がある。男女間で選好が異なるというこれまでの通説は正しく、ジェンダーギャップは存在する。しかし政治倫理を求めるのは女性よりも男性のほうであるとデータが示している…。

 5時30分。手持ちの文献をすべて読み終えたわたしは、すっかり気分が良くなり、アパートへ凱旋することにした。レジに立ち寄り、コーヒーをありがとうと礼を言う。彼女は、これから仕事?それともベッドでお休み?と訊いてきた。わたしはこれから寝ますと応え、改めて礼を言い、店を出た。彼女は笑顔でわたしを見送った。

*


 そうではないのだ。わたしは、こう言うべきだったのだ。さっきはコーヒーをありがとう。何時に仕事が終わるの?よかったら、朝食を食べにいきませんか。今度はわたしがおごります…。わたしという男は、まったく気が利かない。このようにして人生は過ぎていくのであろうか。村上春樹の短編小説『On Seeing A One Hundred Percent Perfect Girl One Beautiful April Morning』を読みたくなるのは、こんなときである。



2002/02/08 0:48

 ジェイからリンダ・ルメイの名曲『Les Maudits Francais』の歌詞の翻訳を頂戴した。特別寄稿として公開します。原稿料は、ビール1パイントでいいですか。

*

Les Maudits francais           いまいましいわね、フランス人って

Y parlent avec des mots precis       フランス人ってさ、きちんとした言葉づかいで話すし
Puis y prononcent toutes leurs syllabes   全部の音節を発音するのよね。
A tout bout d'champ, y s'donnent des bis  何かにつけてはキスするし、
Y passent leurs grandes journees a table  一日中何か食べてる。

Y ont des menus qu'on comprend pas     私たちの知らないメニューもあるし、
Y boivent du vin comme si c'etait d'l'eau  水のようにワインを飲んで
Y mangent du pain pis du foie gras     パンとフォアグラを食べるのよ。
En trouvant l'moyen d'pas etre gros     でも太らない方法を知ってるの。

Y font des manifs aux quart d'heure     街のいたるところで
A tous les maudits coins d'rue       しょっちゅうデモ行進してるわ。
Tous les taxis ont des chauffeurs      タクシーの運転手は乱暴な運転で、
Qui roulent en fous, qui collent au cul   前の車にぶつかりそうなくらいよ。

Et quand y parlent de venir chez nous    そんなフランス人がケベックに来る目的は
C'est pour l'hiver ou les indiens      冬とインディアンしかないの。
Les longues promenades en Ski-doo      スノーモービルか
Ou encore en traineau a chiens       犬ぞりで長いお散歩よ。

Ils ont des tasses minuscules        フランス人ってさ、とっても小さなカップと
Et des immenses cendriers          とっても大きな灰皿を持ってるのよね。
Y font du vrai cafe d'adulte        大人しか飲めない苦いエスプレッソを淹れて
Ils avalent ca en deux gorgees       ふたくちで飲み干すの。

On trouve leurs gros bergers allemands   フランスでは、大きなシェパードや
Et leurs petits caniches cheris       ちっちゃなプードルを
Sur les planchers des restaurants      レストランや食料品店、
Des epiceries, des pharmacies        薬局の床で見かけるわ。

Y disent qu'y dinent quand y soupent   フランス人ってさ、夕ごはんのことを昼ごはんって言うし
Et y est deux heures quand y dejeunent  朝ごはんは昼の2時なのよね。
Au petit matin, ca sent l'yaourt     朝はヨーグルトのにおいでいっぱいだし、
Y connaissent pas les oufs-bacon     ベーコンエッグを知らないのよ、彼ら。

En fin d'soiree, c'est plus choucroute   夜のお食事はザウアクラウト、
Maigret d'canard ou escargots        アヒルの赤みかエスカルゴから始まって
Tout s'deroule bien jusqu'a c'qu'on goute  すべては気味の悪い子牛の頭を
A leur putain de tete de veau        味わうまで続くの。

Un bout d'paupiere, un bout d'gencive    まぶたのかけらに歯茎のかけら
Un bout d'oreille, un bout d'museau     耳のかけらに鼻面のかけら
Pour des papilles gustatives        ケベック人の舌には
De quebecois, c'est un peu trop       ちょっときついはね。

Puis, y nous prennent pour un martien   フランス人ってさ、私たちのことを火星人だと思うのよ
Quand on commande un verre de lait     一杯の牛乳を頼んだり
Ou quand on demande : La salle de bain   洗面所はどこですか?
Est a quelle place, S.V.P ?        って聞いたときに。

Et quand ils arrivent chez nous      ケベックに着いたら
Y s'prennent une tuque et un Kanuk     毛糸の帽子とカナック の上着を奪い合うしさ、
Se mettent a chercher des igloos      エスキモーの氷の家を探しに行って、
Finissent dans une cabane a sucre     結局メープル小屋にたどり着くのよね。

Y tombent en amour sur le coup       ケベックの森と湖に
Avec nos forets et nos lacs        一目ぼれするし、
Et y s'mettent a parler comme nous     ケベック方言で「くそったれ」ってどう言うかを
Apprennent a dire : Tabarnak        まるで私たちに教えるかのように言うのよね。

Et bien saoules au caribou         カリブー や
A la Molson et au gros gin         モルソン、強いジンを飲んで酔っ払うし、
Y s'extasient sur nos ragouts       豚足のシチューと
D'pattes de cochon et nos plats d'binnes  豆料理にうっとりするの。

Vu qu'on n'a pas d'fromages qui puent   ここには悪臭を放つチーズがないけど、
Y s'accommodent d'un vieux cheddar     古いチェダーチーズで我慢してくれるし、
Et y se plaignent pas trop non plus    ケベックの代わり映えしないカフェにも
De notre petit cafe batard         あまり文句は言わないの。

Quand leur sejour tire a sa fin      彼らの滞在が終わるころ
Ils ont compris qu'ils ont plus l'droit  私たちのことをカナダ人って呼んじゃいけない
De nous appeler les Canadiens       ことの意味が分かるの。
Alors que l'on est quebecois        だって私たちはケベック人だもの。

Y disent au revoir, les yeux tout trempes 目を潤ませて、また会いましょうって言うのよ、
L'sirop d'erable plein les bagages     メープルシロップをかばんいっぱい詰め込んで。
On realise qu'on leur ressemble      私たちがフランス人に似ていることにふと気が付いて、
On leur souhaite bon voyage        彼らの旅の無事をお祈りするの。

On est rendu qu'on donne des becs     私たちも、いつものように
Comme si on l'avait toujours fait     彼らにキスするわ。
Y a comme un trou dans le Quebec      でも、いまいましいフランス人がいっちゃうとさ、
Quand partent les maudits francais     何だかケベックにぽっかり穴が開いたようで寂しいわね。

*

 ジェイは最後の2段落に心をいたく心を動かされたようである。「フランス人をいろいろと揶揄しつつも、その中に自らのルーツをふと感じる。そしてそれを失ったときの寂寥感と虚無感。フランス人観光客が去っていくさまは、18世紀に英仏戦争に敗れたフランスがケベックを打ち棄てるさまを彷彿とさせます。 "ジュ・ム・スヴィアン(私は忘れない)" の言葉に込められた、自らのルーツに対する熱い思いとフランスの棄民政策に対する恨みと悲哀がうまく表現されているのではないでしょうか。思わず、胸がいっぱいになってしまう」そうである。研究者の心をここまで熱くさせてしまうリンダはただ者ではない。いい女に違いない。



2002/02/06 0:51

 Lynda Lemay の du coq a l'ame を手に入れた。聖通りのHMVに行ったのだが、なかなか人気のある歌手らしく、CD棚は三列もあった。早速ヘビーローテーションで聴いているが、軽快なポップスとして、Ailleurs は出色の出来である。一方で彼女はユーモアのセンスもあるようだ。 Les Maudits Francais という曲のライブ録音では、観客が大いに沸いていた。かいつまんで言えば、いや、わたくしのほぼゼロに近い公用語知識からして、かいつまむしか方法がないんですけどね。こんな所で見栄を張ってどうする。彼女はその歌の中で、日ごろから楓の葉っぱに愛着を持てず、異邦人の感覚を拭えない「王の娘」の末裔が、レストランで遭遇する悲喜こもごもを面白おかしく、かつ当地での悲哀を背景にしつつ、そのアンビバレントな感情をやや諦念がかったユーモアで客観化してみせている。見事としか言うほかあるまい。自らの境遇を一歩引いたところから客観化して笑いにするというのは、ダウンタウンをはじめとする一部の大阪芸人にしかできない高等技術である。アングロ=サクソンや東京の笑いは他人への嘲笑を共有するという一点に収斂するので、技術を必要としない。リンダ、おそるべし。吉本がスカウトに来るかも知れぬ。んなわけねぇよ。ともあれ、一節ごとに笑い声が起きるので、これは是非とも翻訳が望まれる。



2002/02/05 2:58

 今日の本題は、懸案の「エクセキューゼモア」である。当地に越して以来、ジェイの公用語能力にずっと頼って生きてきたが他人任せはよろしくない、人生、他力本願ばかりでは成長がない、という思いに至り、自分で調べてみた。はじめからそうしろって。自己愛検索でおなじみの google.com がこういうときに威力を発揮する。さて、わたしの知っている情報は、「エクセキューゼモア」だけである。失礼、ごめんください。こんなキーワードで引っかかるわけがない。そこでわたしは考えた。これは歌詞である。というわけで lyrics を加える。なんと、こんなんでました。google おそるべし。Lynda Lemay の Ailleurs という歌らしい。Du Coq A LaMe (2000) というアルバムに収録されていることも分かった。1966年生まれのえくぼのかわいい女性である。あまり知られていない事実であるが、わたしはえくぼに弱い。さらに告白すれば、笑った口元に縦シワのはいる女性にはもっと弱い。わたしは決めた。あしたアルバムを買うのだ。そしてかなうことならコンサートに行く。こういう衝動的、非合理的選択的行動がときには必要な008なのである。



2002/02/03 23:30

 昨日の日誌の中で言及した埴輪教授の年齢について、ジェイから誤りではないかとの指摘があった。これについては鋭意調査中である。日誌への反応がよいというのは嬉しいものである。自分が孤独でないことをシミジミと噛み締める雪の降る午後である。ありがとうございました。それにつけても空軍め。こんな単純なデータも管理できないのか。そんなことだから、、、というのはやめときましょうね。

 気になる曲を聴いた。「エクセキューゼモア」で始まる歌であるが、知ってますか?サビでは、「ダイヤセサケタフロォン」「アイヤセラクチュヴィ」と歌い上げる。愛らしい女性ヴォーカルである。情報提供を待つ。



2002/02/03 2:10

 今回、衝撃の事実と大変残念なお知らせを同時におこなうことになった。勘のいい本誌の愛読者ならすでにお気づきかもしれないが、言うまでもなく、埴輪教授にまつわる件である。どちらを先に知りたいですか。衝撃の事実からいきましょうか。彼の年齢である。修行僧同期の空軍殿に教えてもらった。そして大変残念なことに、彼は引退する予定がない、とのことである。大変残念なことであるが、引退しないらしい。二回も繰り返すんだから、よっぽど残念なんであろうと、察してくだされば幸いである。

 昨日、空軍殿と埴輪教授の話になったとき、わたしは訊ねたのだった。埴輪はいつ引退すんだ、と。
 空軍曰く、死ぬまでじゃん。
 え?とわたし。年齢制限とか、ないのん?
 里竹さぁ、埴輪をいくつだと思ってんの?
 な、70くらいかな?
 ハハハ、80越えてるよ、正確には83じゃ。
 は、はちじゅうさん?ま、まじっすか?
 もち、まじよ。この歳までやってさぁ、いまさら引退なんてないよ。死ぬまでやるんじゃん。

 天敵から逃れられないと知った小鹿のバンビは、てぐすね引いて待ち構える老獪なライオン相手に一世一代の戦いを挑むのであろうか。里竹危うし。



2002/02/02 1:18

 ジョン・ナッシュはプリンストンのゲーム理論家で数学者だ。ゲーム理論の発展への功績により、1994年にノーベル経済学賞を受賞した。数学の天才として常に栄光の道を歩んできたかといえば、そうでなない。あらゆる人間の人生に光と影が付きまとうように、彼もその例外ではなかった。ナッシュは長らく幻覚に悩まされ、精神を病んでいるらしい。なぜこんな話をしたかというと、ついにわたしも政治学におけるゲーム理論家への道を歩み始めたからである。というのは真っ赤なうそで、映画をみたんですね。A Beautiful Mind っつうやつ。わたしとしては、(古きよき、といってよいであろう)アイビーリーグがどんなものかを垣間見ることができ、大変興味深かった。ナッシュは1947年にプリンストン大大学院数学科にカーネギー奨学金を得て入学した。新入生のオリエンテーションで教授が語る。「次のモースとなるのは誰か?アインシュタインに続くのは?プリンストンへようこそ。諸君を歓迎する」。もちろん呼びかけは gentlemen である。打ち解けない間、学生同士は苗字で呼び合う。どこかで聞いた話である。わたしは即座に埴輪教授が頭に浮かび、続けて彼に付随するあらゆる悪夢を思い出した。埴輪教授は1953年に博士号を取得しているから、おそらくナッシュと同時代のアイビーリーグの雰囲気の中で学生時代を過ごしたのであろう。印象深いシーンがいくつかあった。ファカルティー・クラブで長年の功績を称えられる老教授に、同僚達が自身の愛用する万年筆を捧げていたが、どうやらこの行為はアカデミックな世界では大変な栄誉であるらしい。また、院生クラブでは、ご多分に漏れず、学生達が特権的な雰囲気を楽しんでいた。これもどこかで聞いた話である。わが修行寺院が「ぷち・あいびー」であることを改めて認識し、そしてそのありように自らを馴染ませることに躊躇するわたしであった。学位を取れればそれでよい。

 さて、ジェニファー・コネリーがナッシュの妻を演じていたが、彼女は彼の大学院セミナーの生徒であった。わたしは一人の学徒として多くを望むまい。ただ、若い美しい教え子と結婚したナッシュのおこぼれに預かりたい、それだけである。邪なTA里竹。ジェイの先輩、T氏なら食っちゃうんだろうか。

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