The TA Gazette in Canada

サトタケTA日記

The TA Gazette



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2003年12月13日(土)

あるいはこれは世の中の常識なのかもしれず、自らの非常識というか無知を曝け出すのにはある種の恥じらい(おぉ乙女のようだ)を禁じえないが、思い切って言ってしまうことにする。ステレオ・サウンドをヘッドフォンの方耳だけで聴くのは相当に気持ちが悪い。あぁ言ってしまった。言ってしまった。言ってやったぞこのやろう。うぅ、殊更興奮する必要のある話題とも思えないが、ともかく。

私はCDをコンピュータに突っ込んでヘッドフォンで音楽を聴いている。実を言えば、そのヘッドフォンの左耳がコンピューターからの電子情報を人間の聴覚の可聴範囲の音に変換するのを放棄してから二ヶ月ほど経つ。要するに音が聴こえないのだ。この状態を二ヶ月も放置している私の貧乏性を告白するあたり、今日の日誌は羞恥プレイ込みである。

以来、私は音楽をヘッドフォンの右耳だけで聴いている。ステレオ・サウンドはヘッドフォンの右側と左側で鳴っている音が違うので、片方側しか聴こえないと情報が半減することになる。つまり、聴こえるべき音が聴こえない。たとえば、メインのメロディラインを奏でるギターの音が、遥か遠くのエーゲ海で轟くゼウスの落雷のようでありながら、ベースの低音がやけに響いているとか、バックコーラス抜きのメインヴォーカル一人カラオケ状態であるとか、そういうことだ。はっきりいってロックンロールもこうなると形無しだ。ライブハウスで聞かされた友人の学生バンド(しかも一丁前に1000円ほど徴収しやがる)並みになる。そして、この気持ちの悪さは比喩でもなんでもなく、リアルにソリッドに気持ちが悪い。南緯60度あたりの南極ブリザードで時化る洋上、猛烈に船酔いして頭が揺れてる感じである。それって比喩じゃん。しかも経験したことないですが。要するに三半規管に異常をきたすわけですね、半分ステレオってのは。アンチ・ステレオ録音に拘ったビーチボーイズのブライアンの気持ちがよくわかる。

ことほどさように、私という人間は他人の靴を実際に履いてみないと人様のことがわからないのである。わかったところでわかりあえるかどうかは別問題なわけですが。

ところで、最近、一日一食、という日が続いている。別にダイエットに勤しんでいるとか(必要ないです、お蔭様で。嫌味ですか?)、術後の食事制限があるとか(大病を患ったことないです。アレですから)、ラマダンの最中であるとか(茶化しているわけではない)、恋煩いとか(昨年はバレエを観に行ったから12月16日(うろ覚え)は『くるみ割り人形記念日』、と遠い目をする)、そういうわけではない。クッキーとかポテトチップスとか林檎のタルトとかショコラティンとかバナナとか空腹を満たすものを食ってはいるが、夜、家に帰り着いてふと思い返してみれば、食事と呼べるものを口にするのが、そういえば一回だけだったな、という日が多いのである。だからどうしたと思わないでもないが、ついでだから、なぜ食事の回数が減っているのか、ちょっと考えてみた。

ある事象がなぜ、どのように起こったのか疑問に思った場合、その事象にまつわる変数を見出すのが実証科学の鉄則だ。食事の頻度の減少と同時に起こった身の回りの変化を探し出せばいいわけだ。そして結論。気温が低下したから。さとたけは寒くなると食事の頻度が落ちるのだった。私は冬眠中の熊か何か?

この大胆な仮説は、容易に説明がつく。12月に入り、急激に気温が低下し始めた。最高気温でも氷点下5度だ。当然屋内も冷える。暖房ないの?と御下問があろう。 イエス、暖房はあるが、私の家は広いので(すみませんねぇ)暖房効率がたいへんによろしくない。暖房効率がよろしくないと、電気代が高くつく。電気代が高いと家計にひびく。ご存知のように私はしぶちんだ。何より電気の無駄遣いは地球温暖化にもよろしくない。私は国際関係の研究者として、南太平洋に浮かぶ常夏の島々(紋切り型は無敵だ)が消え行くのを指をくわえて黙って見過ごすわけには行かない。私は行動する学者だ。万国の国際学研究者よ団結せよ。インターナショナルは人類を解放するのだ(改めて聴くといい歌だよな)。よって暖房は閉鎖空間の寝室だけということになる。だからキッチンは無暖房だ。先日床をモップがけしたらスケートリンクみたいに凍ってびっくりした。床で滑って怪我をしたり、凍え死んだりするわけにはいかないので、キッチンにいく頻度が落ちる。キッチンで過ごす時間が減ると、料理しなくなる。うちでは私の代わりに料理してくれる人がいないので、料理しないと食べ物がない。食べ物がないと食事をしない。よって、寒くなると食事が減るのだ。おぉ、さとたけ、パーペキな(パーフェクトに完璧な)桶屋論理。

何かご不満でも?



2003年11月23日(日)

ストライキ終了。やった。
***

なおちゃん、おたんじょうびおめでとう。



2003年11月22日(土)

地下鉄とバスのストは続く。土日は運行しないので、ダウンタウンに行けない。ということは大学にも行けない。どこにも行けない。いけないるーじゅまじっく。仕方がないのでコインランドリーへ行く。仕方があっても土曜日は洗濯の日だが。洗濯機に汚れ物を放り込んだ後、時間つぶしにカフェ本屋に行く。いつも閑古鳥なのに今日に限って大盛況だ。どうやら作者イベントか何かをやっているらしい。なるほど、喫茶店が本屋を兼ねるとこういうことができるのか。なんだか気忙しかったのであまり長居をせずに店を出る。

洗濯物を抱えての道すがら、ストライキのことを考える。分かりきったことではあるが、週末にダウンタウンへ向かう足がないというのは不便だ。ちょっと気晴らしに、というのができない。平日だってそうだ。朝のバスを逃すと大学にいけないので必死に早起きする。夕方の地下鉄に何かの都合で乗り遅れると、夜11時の再運行まで待たねばならい。そうなると家に帰るのは12時前だ。そして翌日はまた早起きだ。早起き、深夜帰宅、早起きの繰り返しは結構つらいことがわかった(何を今更、と勤勉なお勤め人の怒りを買いそうでアレだが)。来週もストライキ、続くのかなぁ。

すると後ろからバスがやってきて停留所に止まった。乗客が降り、バスは去っていった。

あれ? なんで? こういうわけだった。

でもこれって、一種のスト破りではないのか? ストライキというのは労使交渉上、経営者への圧力とならねば意味がない。ことに公共交通機関の場合、市民生活にも影響が出るので、一旦ストライキに突入すれば市民からの圧力も 労使双方にかかる筈であり、交渉の妥結も早まるはずだ。しかし、週末に地下鉄とバスを(制限があるとはいえ)運行することで市民からの圧力は若干弱まる。こうなると、労使プラス市民の三者非協力ゲームは均衡点に達して動かなくなるんじゃなかろうか? 報道によれば、市長は労使交渉へ介入したいようだが、州政府は当面その気はないらしい。どこにもいけないるーじゅまじっく.



2003年11月17日(月)

木曜に続くといいながら続かなかった日記。くだんの一件はボスの査察が入り、落着に向かう模様。怒りが続くと疲れるのは年のせいだろうか。

そんなことよりストライキだ。今日から地下鉄とバスの運行が平日の朝夕のラッシュ時と深夜に制限される。土日は運行なしだ。運転手は君だ車掌は僕だ。幼少の折、春闘ストライキの昼下がりに阪急電車の線路を歩いたことがあるが、あれはあれでなかなか心温まる記憶となっている。春先だったからだろうか?


2003年11月11日(火)

私はいまとても腹を立てている。何に腹を立てているかというと、TAで受け持っている学生に、だ。こういう自己省察能力に欠ける輩には虫唾が走る。これだけクラスメートに周囲に迷惑をかけておいて、反省とか、感謝の気持ちとか、厚意への理解とか、まったく感じられない。温情を差し伸べた私がお人好し過ぎた。木曜日に続く。



2003年11月10日(月)

TAという仕事に仲違いの仲裁が含まれるとは思っても見なかった。

私がTAを務めるクラスでは、学生が5人一組になって共同ペーパーを書く。6ページほどの小ペーパーなので、うまく役割分担をすれば、さほど難しい作業ではない。

という予断は誠に甘く、見込み違いなのであった。

今年度、早くも二組のグループで問題が起きている。連絡が取れないとお互いに非難しあったり、ミーティングに参加しないものを村八分にしたり、村八分にされたからなんとかしてくれと泣きついてきたり。

あのね、TAはね、子守はしないの。

と言えるわけもなく、そうだね、大変だね、グループを変えようねとなだめたり、参加しないと点数下げるぞと恫喝したり、お友達と仲良くしましょうねと意味のない標語を唱えたりしている。

コミュニケーション・ツールの革新的な発達に伴い、コミュニケーション能力が著しく低下するというのは、皮肉なことである。

ガキの相手はつかれるぜ。



2003年11月 9日(日) Part II

あぁ、うまいものが食いたいと日記に書いた夜、夢を見た。大皿にイカやらタコやらマグロの赤身やら鯛やらの刺身が溢れており、刺身の下にはみじん切りされた寿司海苔が、スタンダールの小説の表紙みたいに黒々と広がっており、それをより分けると皿の底には、薄切り卵焼きとかシイタケとかグリーンピースとかが盛りだくさんのチラシ寿司が輝いていた。至福である。

うわぁーい、と顔を輝かせて寿司のお皿から顔を上げると、顔に見覚えはないがどこかで会ったことのあるような懐かしい感じのする、どうやらデートの相手らしい女の子が笑っていた。ほとんど何を賭けてもいいけど、そのときの私の寝顔は、口の端が耳に届くくらいにニマニマしていたはずだ。床に就く前に飲んだアスピリンには食欲性欲夢効果があるのだろうか?

夢から覚めると、見たこともない部屋のベッドの上にいて、カーテンレールに吊ってある洗濯蛸足には黒い下着がぶら下がっており、隣にその女の子が寝ていた。

ということもなく、選挙結果が出ていた。

投票した6000万人の日本人は保守傾向の強い中道右派と現状追認に吝かでない中道左派の二者択一を甘んじて受け入れたようである。

全国に根強い集票組織を持つ二党の明暗を見るにつけ、宗教は革命を停滞させる砦であると看破したマルクスの至言を共産党幹部は呟いたにちがいない。

おたかさんの選挙区での敗北は護憲だけではもはや有権者は動かないことの証であろう。

小政党は選挙戦略を真剣に検討するときに来ている。全国展開するのが無理な場合、地域密着型の比例区狙いというのが最も妥当な戦略となるだろう。

選挙制度に問題があるのは確かだが、党名簿を拘束式にし、小選挙区と比例区の重複立候補を認めず、小選挙区と比例区の議員数を同数にすれば、よりましな(セカンドベスト)選挙制度になるはずである。

「穏健な多党制」という言葉で、細川護煕が何を目指したか今ではもうどうでもよいことだが、強力な二大政党と有力な小政党による連立政権の組み合わせ、というのが今後の日本政治の有り様だと思われる。民主党が一度政権を取らなければ始まらない話だけれど。

問題は、投票しなかった4000万人の投票意欲をどの党も掘り起こせなかったことである。イデオロギーで動かず、護憲で動かず。有権者は何を以ってして投票に向かうのか。選挙研究の古典的な問いである。しかし、ここで問題となっているのは、減退した投票意欲を再び増進させるに十分に魅力的な投票機軸を生み出す方策である。

欧米では80年代から環境政党が登場し、主流政党から離れた有権者を上手く引き付け、比例代表制をとる国では主要政党の一角を占めるまでに成長している。

日本には、70年代から反公害運動は起こったが、環境政党はついに登場しなかった。これを研究すれば、物質的価値から非物質的価値への変化が政治変動を生むというポスト・マテリアリズム理論(イングルハート)への異議申し立てとなるはずだが、誰かやらないのだろうか?



2003年11月 9日(日)
BGM: Carla Bruni,"Chanson triste"

終日、中間試験(第二回)の採点。とてもとても時間がかかる。そしてとてもとてもお腹がすく。ところで「お腹がすく」ってのは関西弁だろうか? 標準語は「減る」? ちびまるこちゃんは「お腹がすいたよ」とは歌わなかったはずだ。じゃりんこチエはどっちだっけ? それから「はら」は減ったりすいたり立ったりするが、「おなか」は減ったりすいたりするのみで、立たないのはどうしてだろうか? そんなことを考えつつ、オフィスの近所にあるサブウェイでほぼ2年ぶりくらいに12インチのサンドイッチにかぶりつく。ファストフードの店内でハンバーガーやらサンドイッチやらを黙々と貪り食っていると、気持ちが荒んでくる。そこには純粋な意味での食事の喜びというものがない。ただ腹を満たすためだけの摂食。あぁ、うまいものが食いたい。



2003年11月 8日(土)
BGM: Carla Bruni,"Tout le monde"

唐突だが、鍵をなくした。この場合、あなたの心の白い扉を開く鍵(矢野顕子)とか、中間試験の模範解答(アンサー・キー)とかいった比喩でもなんでもない。リアルでソリッドでメタリックなオフィス・キーがなくなった。家を出るときにジャケットのポケットに入れたのに、オフィスにつくとポケットにない。一緒にポケットに突っ込んでいた家の鍵はある。謎だ。なぞなぞなどとつぶやいていてもアレなので、とりあえず地下鉄の紛失物事務所へナニしに出頭する。鍵をなくしたのですがと言うと、八百屋の軒先に並ぶ山盛りの枝豆のようにバスケットいっぱいの鍵が出てきた。世の中には、こんなにもたくさんの人がこんなにもたくさんの鍵をなくしているのか、と感心してしまった。バスケットに溢れる何百という行方知れずの鍵を見ていると、なんだかどうでもよくなった。そういう日もある。



2003年11月 7日(金)
BGM: Carla Bruni,"Quelqu'un m'a dit"

いまわたしは Carla Bruni に夢中だ。わたしは昔から、ちょっと投げやりなハスキーヴォイスにとっても弱い。近所のカフェ で流れるBGMを聴いて以来、取りつかれてしまった。どの曲もアコースティック・ギターが基調で、下手をするとどれもこれも同じ曲に聴こえてしまうのがアレだが、日曜の昼下がりにレイドバックするのに丁度よい。

ところで、このカフェでは本を売っている。本屋にカフェがあるのは当地で見慣れた光景であるが、珈琲屋が本格的な本棚を置いて硬派の新刊を売るというのは、かなり斬新で大胆なアイデアだ。珈琲を飲みにくる客はいるが、本を手にとって買っていく客をまだ見たことがないというのがアレだが、土曜の昼下がりにコインランドリーの時間待ちをするのに丁度よい。ウェイトレスも親切だし。

またかよ、とつぶやいた読者諸氏淑女がいるかと思うが、ウェイトレスの親切度というのは喫茶店を贔屓にするうえでとても大事な要素だ。公理といってもよい。公理というのは、自明の理、ということなので、証明する必要がない。だから反論はなし、ということでアレしてくれ。



2003年11月 6日(木)

オフィスXPはなかなかの優れもので、英語版ウィンドウズでもワードに日本語が打ち込めるという、私にとっては夢のような話だ。テクノロジーの進化って素晴らしい。和室と洋室を玄関経由で行ったり来たりしていた頃から比べると、和洋折衷のコンドミニアム、ヤング・エグゼクティブのドリーミング・アーバンライフって感じ。

そして驚いたことに、ダウンロードさえすれば、何語でも書き込めて、スペルチェックもしてくれる。ハイテクってほんっとに素晴らしい。問題は、そのダウンロードに3時間もかかることだ。新たな便利さは更なる不便を生み出すというのは真理である。



2003年11月 5日(水)

苦労した。金もかけた。そして日本語復活だ。早い話がそういうことだ。やった。



2003年11月 4日(火)

学校からの更新。うちのIBMは日本語入力を頑なに拒んでいる。このままではさすがにアレなので、日本語入力を頑なに拒む前の状態に戻そうと思い、ちょっといぢくってみた。すると、アラ不思議。うちのIBMは日本語入力を頑なに拒んだまま、さらにウェッブの日本語を表示する努めを放棄するようになった。AOLの日本語メールも読めなくなった。どうして ? 落涙、とどまるところを知らず、じっと手を見る。



2003年10月27日(月)

皆さんがこの1年半余りご愛顧してくださったので、10月27日は5000アクセス突破記念日。とっても字余り。

学校からの更新。うちのIBMは日本語入力を頑なに拒んでいる。とはいえ、あんまりほったらかすのもよくないと思い、5000アクセス突破記念日のために書き下ろした新作をご披露します。

***

Tout le monde a une nuit extraordinaire dans la vie. On n’en oublie rien.

Un vendredi soir, je suis parti en ville tout seul. Parce que j’ai manqué le dernier train, je me suis arrêté dans un café pour attendre le premier train du matin. L’arôme du café noir s’est exhalé dans le café. J’y ai entendu de la musique de chambre de Brahms. J’ai pensé à elle. Je me suis rappelé que Brahms a été sa musique préférée. Elle a aimé en écouter. Nous savon cessé de nous voir il y a un an.

Il y a une phrase en français comme ça : « Partir, c’est mourir un peu. » Ce vendredi soir, dans le café, avec la musique de chambre de Brahms, j’ai compris ce que ça veut dire. Avec son départ, j’ai pensé avoir perdu quelque chose en moi de spécial. J’ai ressenti un vide en moi depuis le jour de son départ. On s’est quitté sans échanger ni mots ni promesses.

« Combien de vendredi, combien de centaine de vendredi soir vais-je passer ainsi ? » me suis-je demandé. J’ai réalisé mon désespoir.

Alors, une serveuse, dans le café, s’est approchée de moi. Elle m’a fait un sourire et m’a dit : « Monsieur, voulez-vous encore du café ? Parce que vous êtes le seul client maintenant, profitez-en. ! C’est moi qui régale ! »

Je n’ai pas pu résister à son offre et à son sourire. Le soleil levant a jeté une lumière sur mon visage. J’ai pensé que quelque chose de gelé s’est dégelé en mon cœur. J’ai réalisé que j’étais sauvé. J’ai senti en mon cœur une douleur disparaître. J’ai pensé pouvoir encore vivre un peu plus.

C’est la nuit extraordinaire dont je n’ai rien oublié. Je m’en souviendrai longtemps.

***



Saturday, October 18, 2003

I cannot write my diary in Japanese...again...business as usual. I guess that you might not be surprised at this news. Ciao. Takeshi



2003年10月 5日(日)

誰かに何かを期待するというのは、往々にして失望という結果を招くことになる。

***

当地に来て以来はじめてリゾート地モントレンブランへ出かけた。モントレンブランは、夏は高原の薫風、秋は紅葉、冬はスキーという具合に季節に応じた顔を持つ。野球でいえば攻走守の三拍子揃ったスター、相撲でいえば心技体を兼ね備えた力士、論壇でいえば序破急のレトリック、のようなものである。三つ揃った比喩を並べればよいと言うものでもないが、ともかく。感じは掴んでいただけたでしょうか。

大体予想はしていたが、モントレンブランは紅葉リゾート地の見本市のようなところであった。ブティックがあり、土産物屋があり、ホテルが立ち並び、やや高目のレストランが軒を連ねる。そして日本人で溢れていた。日本人が訪れる観光地の産業化に関する収斂仮説(ルイス=ヤマガタ仮説、1991年)は、今や世界の観光工学専門家の間では定説となっているが、モントレンブランも仮説を支持する事例の長いリストの一翼を担っているのであろう、というのはでっちあげだが、まぁ、リゾート地というのは、世界中どこに行っても似たようなもんですね。

この時期であるから、やはりお目当ては紅葉ということになる。だから私としては紅葉さえ見せてくれれば充分だったのだが、雨は冷たいし、靄がかかって視界は限られているし、峠を越えるときに関所もあった。あまり幸せな気分にはなれなかった。あらゆる場面で私のフランス語が通じたことは望外の収穫だったが。

家路につく前に、モントリオールの高田馬場、『大阪』(2002年 2月22日の日記と2002年 3月10日の日記を参照されたし )へ立ち寄る。ほぼ一年半ぶりの来店である。

しかし、そこには、私の『大阪』は、なかった。

噂には聞いていたが、シェフが替わり、接客のマダムも店でお見かけしなかった。坂本冬美は叶わぬ恋に泣き濡れてはおらず、当たり障りのないBGMが静かに流れているだけだった。そして、『大阪』の『大阪』たる所以、「焼き魚定食」がメニューから消えていた。代わりに、かのマダムが断固拒絶していた寿司がメニューに並んでいた。私は途方に暮れた。悲しい酒をあおった。一年半ぶりの来訪で償おうとした愛が別れの仕打ちをうけるなんて。やりきれず店を出る。通りを歩く私の肩を濡らして、雨は続いていた。街のネオンは悲しい色に瞬いている。冬の雨なら今ここで死んでいたかもしれない。

とはいえ、一品料理で「焼き魚:さんま 5ドル」にご飯とお味噌汁を付けても10ドル以下。『「あの」大阪』を失ったわたしは『「この」大阪』からコストパフォーマンスを手に入れた。また行くんじゃないかな。ちなみに「ししゃも」は4ドル。

誰かに何かを期待するというのは、往々にして失望と言う結果を招くことになるが、望んだものは違った形で手に入ることもある。



2003年 9月28日(日)

水曜の午後11時から日曜の朝3時まで、カナダ観光に訪れたゼミの先輩を我が家にお泊めした。5日間連続で寝袋で寝ると、さすがに疲れるね。

***

週4回のTAセッションが始まって二週間。各セッションの性格が早くも表われはじめている。木1は活発だがややもすると議論が錯綜しがち。耳がついていけず、結構困る。木2は前列の数人が活発に議論してくれるが、ややずれているし、後部座席の女子(じょし、ね)がまったく退屈そうにしている。水1は朝九時からということもあってか皆眠そうで、まじめそうなロシア人女学生以外、反応が鈍い。水2は4つの中では一番反応がよく、議論も思った通りの方向に行くので、私としても気分がよろしい。産業政策が思惑通りに成長を誘導した(ことになっている)高度成長期の経済官僚の気持ちが分かる気がする。

***

問題は、教授が授業用のホームページに、セッションごとの掲示板を設置したことだ。600人も学生がいるので、各セッション個別の連絡事項がある場合には至極便利ではある。ではあるが、何を書き込まれるかわからんので、私としては結構びびっている。そして、早速書き込みがあった。

学生A:過去2週間、故あって出席できなかったんだけど、どんな感じ? TA(私のことだ)に謝罪のメールを書いたけど、返事がまだ来ないんだよね。怒ってるのかな?

学生B:彼はいい人みたいだよ。幾人かは他に移ったけど(おい、そうなのか?初耳だぞ)気にしてないみたいだし、云々。

学生Aが書いて寄越した言い訳メールの内容に愕然とした(初回は部屋を見つけられず、二回目は忘れていた!!だと)のは事実で、返信メール(当然、穏便に書いたわけだけど)が遅れたのも事実なのだが、私としてはいつ自分のダメダメTAぶりが白日の下に晒されるか、とっても心許ないのである。いつまでたっても弱気な私。

***

同僚のマシューが、彼が受け持った学生と次の学期にデートしていたというのも、おぉ、そんな可能性があるのかと、心乱れる理由ではあるが、それはまた別の話である。



2003年 9月23日(火)

その国の官僚機構が如何様に機能しているかを手っ取り早く知りたければ、警察に行くのが一番であるという鉄則がある。軍隊と並んで警察力は、国家が独占する物理的暴力装置であり、そこには国家機構が内包する権力の行使の有り様が垣間見られるというのは、政治学者の常識だ。と、たったいま思い付いた こと(そんなに大きく外れてはいないだろうけど根拠が薄弱なこと)をもっともらしく語れるようになると学者として一人前である。

とにもかくにも、今日は「はじめてのけいさつ・イン・カナダ」でありました。ただ盗難届けを出しに行っただけなんですが。届け出に必要事項を書き込んで、女性警官に手渡す。それで終わり。で、どうなるんでしょうか、と訊くと、見つかったら連絡するという。でもやっぱ難しいでしょうねぇ、というと、そうだわね、というお返事。ということで、この件は迷宮入りと相成ったのでした。

2003年 9月22日(月)

性懲りもなく窃盗自転車続報。大学のセキュリティに出向いた際、「領収書に自転車のシリアル・ナンバーがあるはずだから、それを持って警察に行けばいい。警察のコンピューターで窃盗・放置自転車の追跡ができる」と助言を受けた。えー、でも、その領収書をなくしたのよん、というのはよくある話である。当然、私も失ってしまっていた。御多分に漏れず。

仕方がないので朝から自転車屋に行く。確か1年保証付きだったので、顧客リストに私の自転車のシリアル・ナンバーも記録されているだろう、と思って。受け付けの女の子に来店の旨を(習いたてのフランス語と英語のちゃんぽんで)告げると、あとでファックスしてくれると言う。しかし、あれですね、先方としては英仏のちゃんぽんで来られると、どっちの言葉が得意なんだ、どうやらどっちも駄目らしいぞ、困ったなこいつ、ということになるんだろうか? 「自転車をここで買いました(で? という表情)。でも盗まれました(あら、という同情の表情)。警察に行くのでシリアル番号ほしいです」と言ったまではよかったが、その後フランス語でまくしたてられると、もう悲しい顔をして「わかんないっす、ごめんなさい」と言うしかない。いつもこの繰り返しだ。用件は通じるが返答ができない。語学習得の道は険しいのであった。

ともかく、夕刻、家に帰ると、自転車屋からはファックスではなく、ファクス音付きのメッセージが留守電に入っていた。フランス語で。何か番号らしきものを言っているのはわかるが、あとは皆目わからんかった。練習になると思って留守録メッセージの中に仏語を混ぜておいたのがまずかった。いや、困ったね。変に色気を出すもんじゃない。で、困ったときのJ頼み。お手数かけました。

2003年 9月21日(日)

駐輪所に野晒しになっている前輪とU字ロックを見るにつけ、悲しみの込み上げる今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか? 証拠のためと思って残骸を残しているが、やはり自転車の前輪を抱えて地下鉄に乗り込む忍び難さを思うと、これまた胸が痛むのである。首都と商都からお見舞いを頂き、感謝。その後、ジムからは連絡なし(大学のスタッフリストを調べたところ、彼は東アジア研究所のスタッフであることが判明)。念のために、金曜日に大学のセキュリティへ行って盗難・被害届けを出した。担当してくれた係員はことのほか親切なおじさんであった。当大学の職員と接して心温まったのはこれが初めてである。仏語クラスの先生も授業の後にわざわざ寄ってきて、やけに同情してくれた。人間万事塞翁ガ馬。
2003年 9月17日(水)

今日はTAカンファレンス初日、という報告をしようと思ったがやめにする。なぜかというと、自転車を盗まれたからだ。図書館の駐輪所に鍵をかけて駐輪していたのに、タイヤだけ残して持っていかれた。どこの何方かは知らぬが、「もし自転車を盗まれたのなら、その人物をを照会できる。電話されたし。ジム」とメモを残してくれていたのが救い。電話番号は留守電だったが大学のセキュリティのようだ。これは私の想像だが、おそらく、何者かがネジを外してタイヤとフレームを分解しているのを大学のセキュリティが見咎めて、ID番号か何かを控えてくれたのだろう。事の成り行きは、ジムの話を聞いてからでないとわからないが、やはり盗まれたのはショックである。一ヶ月半しか乗ってない。定期代の節約を差し引いてもまだ半分しかペイしてない計算だ。先行投資の裏目、リスク管理の失敗。私は起業家には向いてない。


2003年 9月16日(火)

さてさて今週から『サトタケTA日記』が復活する。薄給のうちに搾取され、生徒からは酷評される教務助手の幸薄い学究生活を赤裸々に描く衝撃の問題作、となる予定。カツ目して待て暫し。


* 本誌は基本方針として、筆者の恣意的な判断基準に則って主観的に取捨選択された事実のみを記述しています。フィクションの場合は「妄想」と明記します。あらかじめご了承ください。それでは楽しんでいきたまえ。チャオ。

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