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『故郷図絵集』椎の木社、1927年


     山の王座

   詩歌の城

詩や俳句を一としきり軽蔑してゐたが
このごろ仲々好い味のあることが解つた。
一日に十枚文章をかいてゐても
詩や俳句が一行一句もできぬことがある。
詩や俳句の王城は誰でも敲けるものではない。
詩や俳句の城へ入るものは
その城の中の庭や金銀の居間を知り、
その居間に坐る儀礼を知り
弓や矢や盾を把り
寒夜になほ城を護る術をしらねばならぬ。

自分は既う何千枚書いてゐるか知らない。
自分で考へただけでも茫とする。
しかしまことの詩は何もかけてゐない。
何千枚何万枚書きつかれたあとで
数行の詩や俳句を恋ひ慕ふことの嬉しさ。
わが心いまだ腐らずにゐる嬉しさ。
自分はへとへとになりながら
真個の心は城の中に目ざめてゐる。


   神々

枯木の姿はよい
色はみんな沈んで幹を包んでゐる。
引掻いたら紫が滴《た》れさうだ
しかも蕭条と頂の枝が空へ消え入るところ
その細々しい姿で立ちつくすところ
花もなく夢もない露はなところ。


   雪汁

梅もどきが洗はれてゐる
しとどな雪汁のなかで冷たく……

冬の日はありながらもそぼつは雪汁
傘の上にしめじめとつもるのだ……
わたしはそれをささへ
冬深い町をあるいてゐる

何のあてがあるものか
それだのに雪汁は吹きつける……。


   冬の感情

州《しま》に雪がつもつた。
枯れ蘆が折れ込んで埋れてゐる。
水たまりはまんまるい象《かたち》になり
沈んだ雪で曇り
流れてゐる水は暗い色を引いてゐる
土手の枯木も
田圃の果も雪につづいてゐるばかり……
わたしは何も見ない
ただこれだけをマントのすき間から見たばかりだ
折れ込んでゐる蘆は氷りついて
もう既にくされてゐた……。


   寒い庭

わたしの家の桶風呂の火口が冴えてゐる
夕がたのくらい寒い庭さきだ

夕がたのくらい庭さきにかんかんと凍みるたまり水の音ばかりがする
そしてわたしはふところ手で佇んでゐる
星がじりじりと二つ寄つてははじく
はじき飛ばされたのは落ちる

夕がたの厳しい寒さの中で
わたしは人に話されぬ悲しい思ひをする
わたしは笑ふこともようせぬ
腹が減つてゐるときのやうに物憂く悲しい

夕がたのくらい寒い庭さきで
わたしは風呂桶の中に沈みこんでゐる
屋根の上にあるのは星ばかり
そして凍てたえがらつぽい杉垣……。


   垣間見る

木枯しのひどい日
木と木とが揉まれてゐる間に
つばきの青いつぼみが風に砥がれてゐるのを見た。
固く裹《つゝ》み込んでゐる大切な匂ひや色の
こんなひどい日にも
かれはかれの優しい姿を失はぬ。


   川原

ここは寂しい田舎の川原つづきの
やつと春さきになつた日あたり
わたしのこころは優しくちぢこまり
そしてこのふつくりした卵をたべようとしてゐる。


   山の上

毎日川原を眺めてゐる
白い寂しい姿をした石のむらがりは
北方の山へむかつてあたまを埋めてゐる
いつまでも動かないでゐるのに
石は石をはらんでゐるのではないか?

流れは荒い刺々した寒さで
山の上の暗い曇りに圧せられてゐる
わたしは肩をすぼめてあるいた
みんなの威厳がわたしに迫るからだ。


   石垣

石垣のあひまに
冬も青い草が生えてゐる。
日あたりがいゝので
そこだけに蝗が生き残つてゐる。
用もないときにわたしは覗きに出るのだ。
石垣のあひまに咲く冬の花、
咲いたまま凍てて押し花になる……
冬の花はめつたに子供も知らないらしい。


   結城

山はもみぢした渋い色をした
茶人のやうに落着いてゐる。

くりいろの肌に青い絣をところどころに
荒織りのやうに羽毛立ててゐる。

襞や皺のところが沈んだ藍微塵の色で
山はきちんと坐つてゐる。

山はもみぢして休んでゐるのか
渋さ以上の渋さで川上に落着いてゐる。


   昨夜

昨夜 眠らないでゐると
遠くの方で起りかけた風の音を聴き
それが我が家の上を通り過ぎるのを知つた、
我が家の下で
自分と妻と子供とが穏かに寝てゐた。
子供は白い腕を床の上に出してゐたので、
自分はその上に毛布をかぶせ、
妻の寝息をも聞いてやつた。
風は遠くで絶えず起り
屋上をめしめし音させて通つた、
そのたびに自分は満眼をみひらいてゐた、
風はしだいに凪いで行き
自分はまた睫毛を合した。


   枯木

向ふ岸の枯木に雪がある
それが水に映つて消えない。

枯木はなまめかしい肌をして
ゆるくしなしなとくねつてゐる
そこに雪がしらじらとかかり
あかねいろに肌が一そうなめらかに見える。


   王座

雪の山が美しい
重り合ふて聳えてゐる
山と山とが話しあふて
その一番高い峰が見下したところに
低いのや平なのがあり
高い山の王座をまもつてゐる。
日が一面にあたると神々しくなる。


   田舎道

曇つてゐる水の中には
動かない藻がある
藻の葉はくろずんで
花はもうくされてゐる……
その下蔭に
何か一疋
かがんでゐるだけで
中空には風が荒んでゐる。


     しぐれ

  松が枝に

わが見しものは松が枝にきゆる音なきむらしぐれ
金沢に来しより幾月ぞ
ひと妻となりしむかしのむすめら
お茶のみにきたまへといへども
人妻に何んの語らひせんものぞ
かたみにわかれ時雨のなかに消えけり。


   冬すみれ

花びら凍てて一つは枯れ
一つはつぼみのままに凍りたり。
手にはさはれど匂ひなく
ただものうき姿をぞなしけり。

日かげにとほく
されど温かき石垣のあひまなれば
まだ青き葉をならべ
いろ褪せながら咲ける冬すみれ。

雪砥のごとく悲しきに
二週《まは》り日かげも漏れず *
凍えしままの
人はなほ優しすみれと云ふや。

*「週」にのみルビ。


   しぐれ

松が枝にしぐれふるふるさと、
しぐれの匂ひなどて忘れんや。

魚あぶる田舎の
さむき夕餉の何ぞしたしや。

ふるさとに来つれるわれは松が枝に
しぐれの雨のさむきを眺め
いまはこころしづまる……。


   年齢

「石に水が溜るのは年を老つたためでせうか?」
「年をとつたのではありません、あれはああいふ石の生れつきなんです。」


   のぎく

露ながら野菊が傾いてゐる、
露は昼ころにも消えぬ、
野ぎくの枝はうす日のなかに向いてゐる、
ちいさい顔に日があたり、
みんな上に向いてゐる。


   赤飯の草

瘠せた赤ままの草が潟の上を覗き込んでゐる
潟の上は一面の片曇りを帯び
ぼやけたなまり色に沈んでゐる
その岸に遊女屋がある
あからさまに唄つてゐるのだ
それが湯の上へひびいてくる
もう潟の上は暮れてゐる。


   すももの花

花と芽と一しよに匂ふ
あを白い病鬱なすももの花、

あさも夕もわたしの見るのは
もの憂い古い町の景色だ

すももの花は散り敷いてゐる、
わたしの家のまはりに。


   この家の主人はあらぬか

この家の主人はあらぬか、
この風雅な庭のつくりに昼すぎの
かすかな泉滴の音さへ木の間からしてゐる
あらはな鮮苔の上に
恥かしげな日かげが漂ふてゐる。

この家の主人はあらぬか
この閑やかな静かさ
冷たさすぎる庭の景色に人かげもない、
柴折戸は閉ぢられたまま
吹かれた落葉を溜めてゐる
かなたに白い障子が見えてゐるのに
さびしい裸の楓が立つてゐる。

この家の主人は何者であらう、
石と苔との上に松が立ち拡がり
古い石仏を刻んだ茶室灯籠がある、
そこにからんだ美男かづらの実が冴えてゐる、
よく聴けば微かな泉滴すら
ともすれば荒くならうとする風のまに/\消えて音なくなる。


     山の上の灯


   石刷り

静かさになれて来て
こころは石刷りのやうになつてゐる。
古い瓦の石に硯が彫り出されてゐるやうだ。
寂寞にもまれたあげく
唯ぼんやりとしてゐる
閑《しづ》かなけふがくれても騒がしい日はくるな。


   ふと思ふこと

陶器でも俳句でも
ねらつてゐるところは寂しさだけだ。
その他の何ものでもない
もうそれに定つた
そしてわれわれの内にあるものも
そいつを現はしさへすればいい
他の何ものもいらない
日々にあたらしく又代えがたい
人生の霧や雲を掻きわけた寂しさだけが
ものの蘊奥にかがやいてゐる。


   晴れ間

美しい女を見て感心した。
どこからどこまでも美しい、
そしてやがて悒鬱な自分に気がついた。
間もなくからりとした気になつた
橋を渡つて忘れてしまつた、
美しい女といふものは忘れやすいものか
あんまり永い間美しさに見とれたら
折角の人生がたのしくなくなるだらうに
橋をわたりわが子のそばへ帰つてゆく
わたしのこころはからりとしてゐた。
この晴れ間よ
わが子の美しさよ
わたしはとつとつとあるく。


   家庭

家庭をまもれ
悲しいが楽しんでゆけ、
それなりで凝固つてゆがんだら
ゆがんだなりの美しい実にならう
家庭をまもれ
百年の後もみんな同じく諦め切れないことだらけだ。
悲しんでゐながらまもれ
家庭を脱けるな
ひからびた家庭にも返り花の時があらう
どうぞこれだけはまもれ
この苦しみを守つてしまつたら
笑ひごとだらけにならう。


   精神

朝も夕も机にしがみつき、
自分の考へごとも種なしになつた。
何を書いていいか分らない、
この種の欠乏された精神には悲しみさへない。
にがみさへない。


   このごろ

あまりに思ひつめてゐたせいであらう
顔を擡げたとき自ら壮烈な思ひがした。
ただ自らだけが戦ひつかれて生き残り
虧けたつるぎを提げてゐた
そして深い息を何度もついて
山の頂のやうなものに手を乗せ
しばらくは憩んでゐるやうな思ひがした。


   茫失

一日机に向ひ
黙つて為すこともなく暮した
色も匂ひもなく
こころから無為に怠けてゐたら
それでも夜に入つてひどく疲れた。

なにもしないのに疲れることがあらうか
まなこはかすんできて
くたくたに心はへたばつた。
無為にさへ休らひがなかつたのか?
茫然といまは行手を眺める


   星からの電話

星からの電話ですよ、
早くいらしつてくださいな
なに星からなんぞ電話がかかるものか?
ゆうべもざくろの実が破れたやうだから
そつとその陰へ行つて見てゐたら
なかから一杯あたらしい冴えた美しい星が
みんな一どきに飛び出してしまつた。
そのときあいつらはみんな恁う言つた。
もとは青い星なんだが
今月になつてから染つて赤くなつたんだとさ――

なにその星からの電話だと
うそだよ
電話を切つておしまひ
毎晩わたしの部屋へ電話を掛けにくる工夫らは
あれは何か蜘蛛のやうな奴ぢやないか?
いくら月あかりがいいと言つて
そんな空想はいいかげん止した方がいゝぜ
星と星との間を帆前船が行くなんてのも昔の事さ
いまぢや星の中はみんな銅の腐つたやつばかりだとよ。

とは言ふものの
毎晩きまつた時刻に
窓あかりへ電線をつないでゐる奴は
どこの何者だらう
おれはまだああいふ奴を見たことがない
だのに階下からまた呼んでゐる
星からの電話ですが
ぜひお電話口へお出になつてくださいと言ひますが
どう言つたらようございませう
さうだな留守だと言へ
いまよその星とお話ちうだと言つてくれ。


   菊人形

どうしてこのやうな悲しい
世に菊人形などと言ふものがあるのか
その冷たい手と足とを見てゐると
この世の人ごころがひとりでに読まれてくるのに
そのはかない、たよりない気が沈んで映つてくるのに。

みんなはなぜ美しいものに見とれるこころを
このやうな菊人形にそそぐのか
紅い衣を着てゐるこの人形に
這ひあがる菊の葉なみもかれがれな世の秋に
人人は偸しんでそこを離れないのだ。

このやうな人形を作る人のこころになつて見たら
それはわたしがものしてゐる小説のやうに
もの憂いさぶしい心がひそんでゐるかも知れない。


   故郷を去る

故郷に一年を暮らした
古い人情にもひたつた
そして国境の山ざかひに東京の町の一片を
或るたいくつした日に思ひ描いて見た。
それから毎日その絵図をひろげ
しげしげ眺めてゐるうち
山の上に次第にふえる灯影を感じた
灯影の下に彼の女は差し招いた。

故郷の古い庭を見てゐるうち
予の心には寂寞が住居をした。
川の水のいろ
暗い悒せき曇天
その下で予は静かすぎるため
空気が清烈であるため呼吸器をわるくした
そのたびに雪でかがやく山の上にある
美しい灯の巷を眺めに出た
どうぞいつでもと彼女は差し招いた。

予はなじみ深い霙の故郷を去らうとしてゐる
予は町々の姿を見
古い庭の落葉の色を感じた。
みなさんお達者でゐてください
予は予の知人にかう言つて去らうとしてゐる。

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