戦国武将勢力図 本文へジャンプ
年表
西暦 元号 主な出来事
戦国以前 ------- 享徳・応仁の乱を経て戦国時代へ。
1493年 明応2年 明応の政変、細川政元が将軍足利義植を追放して政権を奪う。これより戦国時代が始まる。
1494年 明応3年 逃亡将軍足利義植が挙兵、細川政権打倒の檄を飛ばす。
1495年 明応4年 関東でも戦乱が拡大、古河公方が扇谷上杉と決別し、山内上杉と同盟を結ぶ。
1496年 明応5年 山内上杉・古河公方連合軍が扇谷上杉の領国相模へ侵入する。
1497年 明応6年 義植派の畠山尚順が河内・大和を征圧する。
1498年 明応7年 足利義植が和睦に向けて上洛の途に就く。だがその途中で和睦が決裂する。
1499年 明応8年 足利義植が細川政権打倒を目指して決起する。
1500年 明応9年 足利義植が周防に逃走、大内義興を頼る。
1501年 文亀元年 遠江で義植派と細川派が衝突。義植派が勝利する。
1502年 文亀2年 近江で反細川派が蜂起。政元がそれを鎮圧する。
1503年 文亀3年 細川政元が二人の後継者を設置。ここから二人の暗闘が始まる。
1504年 永正元年 反政元派が澄元を擁して叛乱を起こす。
1505年 永正2年 義植派が反政元を掲げた河内に蜂起する。
1506年 永正3年 永正の大乱が勃発、足利義植が挙兵して反政元派と合する。
1507年 永正4年 細川家の父子兄弟、骨肉の争いとなる。澄之が父政元を暗殺。澄元が澄之を殺害。澄元が政権を取る。
1508年 永正5年 細川高国が澄元を倒して政権を取り、義植を将軍に据える。澄元・将軍義澄が近江へ逃走。永正の大乱終息。
1509年 永正6年 上杉顕定が長尾為景を追い出し、越後を奪回する。
1510年 永正7年 古河公方の父子が分裂。長尾景虎が再び越後を奪回。東日本が二つに割れる。
1511年 永正8年 細川澄元が反撃、高国から束の間の政権を奪う。
1512年 永正9年 古河公方足利政氏が、子の高基に古河城を追い出される。高基が古河家を継承。
1513年 永正10年 将軍義輝が高国の専横に憤怒して出奔する。守護上杉定実が越後で反乱。
1514年 永正11年 長尾為景が上杉定実の反乱を鎮定し、越後の実権を回復する。
1515年 永正12年 尼子経久が大内義興の留守を狙って領土拡大に動き出す。
1516年 永正13年 足利高基が古河公方家を統一する。
1517年 永正14年 古河公方家が再び分裂、こんどは兄弟が対立。兄の古河公方と弟の小弓公方が対立。関東が二つに割れる。
1518年 永正15年 大内義興が帰国し、高国陣営から離脱する。畿内は再び混迷へ。
1519年 永正16年 細川澄元が高国政権打倒を掲げて挙兵する。
1520年 永正17年 細川澄元が高国から再び束の間の政権を取る。
1521年 大永元年 細川高国が将軍義植を追放、代わりに義晴を12代将軍に就ける。
1522年 大永2年 播磨では浦上一族が高国・澄元r両はに分かれて争う。
1523年 大永3年 尼子経久が中国の覇者となる。
1524年 大永4年 北条氏綱が武蔵に侵入、関東征服への本性を現す。
1525年 大永5年 反北条大連合が成る。
1526年 大永6年 細川晴元が高国打倒の兵を挙げる。
1527年 大永7年 高国政権が崩壊、代わって晴元が政権を握る。将軍義晴が逃走、幕府が消滅。足利義維が仮幕府を堺に開設。
1528年 享禄元年 細川晴元の政権内部に亀裂が生じる。
1529年 享禄2年 細川高国が浦上村宗に擁されて決起する。
1530年 享禄3年 細川高国が政権奪回を目指して播磨・摂津を攻撃する。細川晴元が窮地に陥る。
1531年 享禄4年 細川晴元が高国の反撃を封じて政権を守る。
1532年 天文元年 細川晴元が堺公方足利義維と対立。本願寺と提携して堺公方を襲撃。公方逃亡により堺幕府が崩壊。
1533年 天文2年 本願寺が細川晴元に反旗を翻す。
1534年 天文3年 細川晴元は堺公方の代替に将軍義晴を京都へ帰す。7年目の空白を経て京都幕府が再開する。
1535年 天文4年 細川晴元が法華一揆を味方に付けて本願寺を倒す。
1536年 天文5年 細川晴元と将軍義晴との間に亀裂が生じる。将軍義晴は細川氏綱を立てて晴元に対立。
1537年 天文6年 反北条連合による大包囲網が成る。
1538年 天文7年 北条氏綱が古河公方を懐柔して小弓公方を撃破する。北条が関東の覇者となる。
1539年 天文8年 三好長慶が主君細川晴元に反旗を翻す。
1540年 天文9年 尼子晴久が毛利元就を総攻撃、元就は郡山城を守り抜く。
1541年 天文10年 木沢長政が主君細川晴元に反旗を翻す。大内義隆が備後・安芸を制覇する。
1542年 天文11年 細川晴元が木沢長政の叛乱を鎮圧。大内義隆が尼子晴久の討伐に向かう。奥羽で伊達天文の乱が勃発。
1543年 天文12年 細川氏綱が晴元への反抗を開始する。大内義隆が尼子晴久に大敗。
1544年 天文13年 毛利元就が自立への一歩を踏み出す。
1545年 天文14年 反晴元派が細川氏綱を擁して挙兵する。反北条大連合が成り、北条が危機に瀕する。
1546年 天文15年 将軍義植が細川氏綱方について晴元に敵対する。8000騎の北条軍が8万騎の包囲軍を撃破。
1547年 天文16年 細川晴元が将軍方の細川氏綱に勝利。竹千代(家康)が今川方に奪われる。
1548年 天文17年 三好長慶が主君の晴元に叛旗を翻す。伊達天文の乱が終息する。
1549年 天文18年 細川政権が崩壊、三好長慶が実権を握る。
1550年 天文19年 三好長慶が将軍義輝を追放、幕府が崩壊する。毛利が大内から独立。武田信玄が村上義清に大敗。
1551年 天文20年 陶晴賢が主君の大内義隆を討つ。
1552年 天文21年 北条氏康が上野を占領する。
1553年 天文22年 幕府軍が京都を襲撃、三好長慶がそれを撃退する。武田信玄と長尾景虎が衝突。
1554年 天文23年 甲・相・駿の三国同盟が成る。
1555年 弘治元年 毛利元就が陶晴賢に空前の大勝利を博す。毛利軍3500騎が2万騎の陶軍を壊滅させる。
1556年 弘治2年 斉藤道三が嫡男の義龍と争って敗死する。
1557年 弘治3年 毛利元就が周防・長門・石見を征圧する。 武田信玄が信濃北部を占領。
1558年 永禄元年 将軍義輝が三好長慶と和睦して京都に帰る。
1559年 永禄2年 織田信長が尾張を統一する。長尾景虎が上洛、将軍より関東管領職を賜る。
1560年 永禄3年 長尾景虎が北条討伐軍を発する。 織田信長が桶狭間で今川義元を討つ。
1561年 永禄4年 上杉謙信が関東を征圧し、小田原を包囲する。上杉謙信と武田信玄が川中島で激突。
1562年 永禄5年 毛利元就が尼子晴久のl討伐を開始する。北条氏康が関東南部を復する。
1563年 永禄6年 毛利元就が尼子晴久の拠点富田城を包囲する。
1564年 永禄7年 三好長慶が病死、その後は松永久秀が実権を握る。北条氏康が里見義弘を撃破し、両総を支配する。
1565年 永禄8年 松永久秀が将軍義輝を暗殺、幕府が崩壊する。
1566年 永禄9年 松永政権が崩壊、三好政権が復活する。上杉謙信が関東から撤退する。
1567年 永禄10年 織田信長が岐阜を攻略、足利義昭が信長を頼る。甲・相・駿同盟解消、岐・甲同盟締結。
1568年 永禄11年 織田信長が足利義昭を擁して入京、義昭を15代将軍に据える。岐・甲同盟軍が今川領を挟撃。
1569年 永禄12年 尼子勝久が決起、毛利元就が北九州から撤退。越・相同盟、岐・相同盟、反北条連合が成る。
1570年 元亀元年 浅井長政が離反、三好や本願寺ら反信長勢力が一斉蜂起する。足利義昭が信長打倒の檄を飛ばす。
1571年 元亀2年 織田信長が浅井・朝倉軍を攻撃する。北条氏政が越・相同盟を破棄して甲・相同盟を締結する。
1572年 元亀3年 将軍足利義昭による信長包囲網が成る。義昭の檄により、武田信玄が西上の途に就く。
1573年 天正元年 武田信玄が病死、織田信長が窮地を脱出する。織田信長が将軍足利義昭を追放、室町幕府が崩壊する。
1574年 天正2年 本願寺顕如が全国の門徒衆に信長打倒の檄を飛ばす。岐・越同盟軍が武田を挟撃。
1575年 天正3年 織田・徳川連合軍が長篠の戦いで大勝利する。
1576年 天正4年 足利義昭を中心とした信長包囲網が成る。上杉謙信が信長征伐の途に就く。
1577年 天正5年 織田信長が北陸・中国・紀伊の三方に出撃する。信長が上杉に大敗。北条が房総を征圧。島津が日向を平定。
1578年 天正6年 別所・荒木が信長に背き、毛利に奔る。上杉謙信が没し、信長が窮地を脱する。上杉家で内乱が勃発。
1579年 天正7年 織田信長が中国に転戦する。織田・北条連合結成、武田包囲網が成る。反北条連合が成る。
1580年 天正8年 織田信長が山陽・山陰・北陸に転戦する。本願寺が信長に降伏。武田と北条が上野で激突。
1581年 天正9年 織田信長が因幡・能登・淡路を平定する。徳川家康が遠江を平定する。
1582年 天正10年 織田信長が武田家を滅ぼす。信長が中国・四国・越後に向けて征伐軍を発す。信長が上野を平定する。
1582年 天正10年 明智光秀が本能寺を襲撃、信長を倒す。秀吉が光秀を討つ。秀吉が勝家と対立。家康が甲信を占領。
1583年 天正11年 羽柴秀吉が餞ケ岳で柴田勝家を倒す。秀吉が天下人の道を継承する。
1584年 天正12年 羽柴秀吉と徳川家康が対立。小牧・長久手の戦いで家康が勝利する。
1585年 天正13年 豊臣秀吉が紀伊・中国・越中・飛騨を平定する。秀吉が毛利を支配する。伊達包囲網が成る。
1586年 天正14年 徳川家康が豊臣秀吉に臣従する。秀吉が私戦禁止令を発令する。島津義久が九州を征圧する。
1587年 天正15年 豊臣秀吉が九州を征服する。
1588年 天正16年 北条氏直が豊臣秀吉に見せ掛けの臣従を誓う。
1589年 天正17年 豊臣秀吉が北条討伐を発令する。伊達政宗が会津を征圧する。
1590年 天正18年 豊臣秀吉が北条討伐軍を発し、小田原城を包囲する。伊達政宗が小田原に遅参。あわや切腹を免れる。
1590年 天正18年 豊臣秀吉が北条氏直を降し、関東を平定する。奥州平定後、北奥で一揆が起こる。
1591年 天正19年 豊臣秀吉が北奥羽一揆・九戸の乱を鎮圧し、天下を統一する。
1599年 慶長4年 豊臣秀吉の死が公表される。豊臣家臣団が二つに分裂。徳川家康が大坂城に入り、天下を狙う。
1600年 慶長5年 徳川家康が上杉討伐に会津へ向かう。石田光成が大坂で挙兵。両軍が関ケ原で対陣。
1600年 慶長5年 関ケ原で決戦。徳川家康が天下人となる。慶長8年、家康が将軍となり江戸に幕府を開く。
1615年 慶長20年 徳川家康が大坂の陣で豊臣家を滅ぼす。ここに徳川政権の磐石の基礎が完成する。