○長崎大学教育学部卒業生の方々からの手紙○
〜 菅原先生と過ごした学生時代の OneDay 〜
長崎大学卒業生(敬称略)
・1981年度 ○野中 光治
・1993年度 ○川田 正史 ○出口 寿世
・1995年度 ○山本 希・田口 美智子
・1997年度 ○堀 光
・1999年度 ○重松 千絵 ○野本 純一
・2000年度 ○川口 大介
・2001年度 ○福島 わかな
・2002年度 ○塩塚 弘子 ○富永 奈美子 ○松田 佳積 ○田中 沙記
・2003年度 ○高木 聡子 ○廣橋 加奈子 ○小野 沙織 ○藤田 賢治
○張 永黎・柳 亜東
・講座「積分指導の実況中継」 ○竹下 伸吾
プチ編集後記は こちら へ
○長崎県立長崎東高等学校 教諭 野中 光治 (1981年度卒業)
〜数学のひろば〜
1997年の8月、菅原先生が主催されている「数学のひろば」に参加
させていただきました。その時の「数学のひろば」は、諫早少年自然
の家を会場に、長崎東高・長崎西高・長崎北陽台高・佐世保北高・
諫早高・大村高から集まった28名の高校生や、長崎大学教育学部
の学生、高校現場の教員等が参加して、1泊2日の日程で開催され
ました。その内容は、多面体、石鹸膜、知恵の輪、折り紙、指数対
数等、多岐にわたっていましたが、どの分野も講義中心ではなく、
生徒を中心に体験→解説→再体験というプロセスで進んでいき、
当時長崎県教育センターで数学の講座を担当していた私にとって、
目から鱗が落ちる2日間でした。
一般に、大学への進学を希望する生徒が多い高校の数学の授業は、
内容が豊富でかつ進度が早いと言われています。そのため、高校に
入学したばかりの生徒は、いきなりカルチャーショックを受けることに
なります。
中学校までは得意であったはずの数学が、どんどんわからなくなる。
まるでふるいにかけられたかのように生徒は二極化し、そのうち、赤点
すれすれの成績にも慣れてしまいます。どうすれば良いのか、このまま
で良いのかと、現場に復帰して思いましたが、それに対する答えのひ
とつが、「数学のひろば」にありました。
体験を通して得た知識は強いものです。高度に抽象化された数学を、
具体的なことで理解する。できれば目に見える具体物や日常に潜む
数理的具体例を通して理解する。そして、その概念に対する自分なり
のイメージを構築する。この一連のことを具現化し、実際に高校生を対
象として開催された「数学のひろば」は、長崎県の数学教育において
画期的なことだったと思います。
本当に数学の授業は早く進まなければならないのでしょうか。
生徒にとって、消化不良のまま、理解不足のまま授業が進んでいる
のが実態ではないでしょうか。1年間でその学年の学習内容を終えて
いては遅いのでしょうか。他県の例ですが、最も数学の学習内容の
定着率が高かった、言葉を換えると全国模試の成績が良かったのは、
最も遅い進度の学校であったという事例も報告されています。その学
校は、意図的に進度を遅くしているそうです。
生徒はみんな「数学をわかりたい」、「数学を楽しみたい」と思ってい
ます。生徒たちの知的好奇心をくすぐりながら、高校の教室を「数学を
教える場」から「数学を考える場」にすることが大切だと思います。そ
のためには、生徒理解と深い教材研究が必要ですが、それらのことに
気づかせてくれた「数学のひろば」、そしてそれを現在も主催されてい
る菅原先生には大変感謝しています。
「数学のひろば」には、その後も何度か参加させていただきましたし、
長崎市科学館での「ひろば」にもご一緒させていただき、小学生を対
象としたゲームを実際に行なわせていただきました。いずれも、貴重
な経験となりましたが、特に長崎科学館での「算数ゲーム」の数理は、
本校が中高一貫教育校となった今、中学生向けの教材として見事に
生き返りました。また、みんなで作った「数学のひろば」のTシャツは、
宝物です。
このように、菅原先生には「数学のひろば」を通じて数学教育の諸
問題について考える機会を与えていただき、そして数多くの示唆を
いただきました。菅原先生におかれましては、退官後もますますご活
躍のことと存じます。今後とも末永く御指導いただきますよう、よろしく
お願いいたします。
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○長崎県 高等学校 教諭 川田 正史 (1993年度卒業)
「数学のひろばを通じて」
13年間の長崎大学での講義や研究,大変お疲れ様でした。
私が3年生の時,先生が長崎にいらっしゃいました。そこで私たちに,
「中高生や市民の方々に数学のおもしろさ,有用性を伝えよう」と提案
され,初めての「数学のひろば」を開催することになりました。何をやれ
ばよいのか手探りの中,作業がスタートしました。
個人やグループでそれぞれ検討し,立体モデルやパネルの展示,コ
ンピュータやパズルなど体験型ものなど,限られた時間の中で取り組
みました。私は黄金比について調べ,パネル展示をしました。みんな
でゼミ室で数日間徹夜して準備したのを覚えています。しかし,それが
楽しく充実した時間でした。
当日,学生や親子連れなど多くの人が足を運んでくれました。見たり
触れたりして,少し数学を身近に感じてくれたようでした。今思うと数
学教育の原点がそこにあるような気がします。こうして「数学のひろ
ば」は第一歩を踏み出しました。
私は卒業後,長崎東高等学校に勤務しました。その後も定期的に
開かれた勉強会にも参加させてもらいました。菅原先生のまわりに
学生や中学校・高校の教員が集って数学について語ったことは,私
にとって大きな財産となりました。
平成8年に長崎県で数学教育全国大会が開催された際,
「高校生が主体的に数学に取り組む企画ができないか」
と私に話が舞い込んできました。高校生だけでなく,大学生や一般
市民の方々にも参加してもらえるものにしたいと考えた私は,早速
菅原先生に相談しました。快く引き受けていただき,長崎大学の学
生と市内の高校生そして高校の教員で「数学のひろば」を行うことが
決まりました。初めは不安もありましたが,何度も会議を開きリハー
サルをやるにつれ,これはきっといいものができるという確信に変
わっていきました。
当日は高校生と大学生の懸命な取り組みのおかげで立派なもの
ができました。数学を通じて多くの人と知り合い,語れたことは有意
義であり,参加者全員に大きな充実感が残ったことと思います。
この全国大会をきっかけにその後,高校生対象で夏休みに合宿
を行いました。菅原先生,梶本先生,藤原先生と長崎大学の学生,
高校生,高校の教員総勢40名ほどが諫早少年自然の家に集い,
数学に親しみました。
「数学のひろば」については,平成11年に文英堂の機関誌に寄
稿したものにもう少し詳しく書いています。読んでいただければと
思います。
先生が託された思いは,これからも受け継がれていくものと思い
ます。本当に13年間お疲れ様でした。今後も機会がありましたら
私達に数学の素晴らしさを教授して頂ければ幸いです。
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○熊本県熊本市教員 出口 寿世(旧姓:多久) (1993年度卒業)
長崎大学での授業において,大変お世話になりました。
お礼申し上げます。
私の学生生活は,約10年も前のこととなりました。ずいぶん月日が
経ったものです。菅原先生,お元気ですか?先生からお手紙をいた
だいて,先生の授業でのノートを取り出し,ボーと眺めながら,国立
大学独特の薄暗い教室の光景を思い出しました。
さて,私は,教職について9年目を迎えました。現在,第二子の育児
休業中です。職場から離れると,早くまた教室に戻りたいなという気
持ちも少し湧いてきます。それは,初任1年目で受け持った男子生徒
との出来事があるからです。
その出来事とは,中学1年の授業のなかで,「オイラーの多面体定理」
を取り扱った時のことです。具体的な多面体を与えて,その頂点,辺,
面の数を数えさせ,その結果から帰納的にオイラーの定理を発見しよう
とする授業でした。
直方体・三角柱・四角錐・・・。
いろいろな多面体を手で触りながら,頂点,辺,面の数を数え上げ,
授業の終わりには少しずつその関係を発見する生徒が出てきました。
その日には,全体で結論付けることはせず,次の日までの宿題にしま
した。次の朝,職員室のドアの前で男子生徒が私を待っています。
「先生,昨日の分かりました。すげ〜!ですよね。」
私は,職員室の机に置いていたサッカーボールの小さな模型を
「じゃ,これは?」
といって手渡すと,ニコニコしながら,教室へ戻っていきました。
その男子生徒は中学校を卒業するまで,数学の学習に力を入れて
頑張りました。そして,卒業する少し前に
「おれ,数学者になろうかな〜」
と話してくれました。
今,その生徒も理学部数学科の大学3年生。私は,その生徒がどん
な夢に向かっているのか,はっきりは分かりませんが,なんとなくワク
ワクしています。
菅原先生にも,私達の夢達成のために,大学において力になって
下さいました。感謝します。
私も,これから,中学校という場で生徒の力になれればと思います。
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○山本 希 ・ 田口 美智子 (1995年度卒業)
「菅原先生との思い出」
大学を卒業して10年が経ちました。
卒業後は,それぞれの学校で子どもたちと楽しく過ごす毎日です。
なかなか大学の方へ行くことがなく,菅原先生ともなかなかお会い
することができないまま過ぎてしまいました。
菅原先生には大学2年の時に初めてお会いしました。
奈良の方から来られたということで,飲み会などで,刺身がでると
びっくりされていたのを覚えています。
菅原先生との思い出のなかで,最も印象深いのは,なんといっても
「数学のひろば」です。 「数学のひろば」とは,もっと数学を身近に
感じてもらおうと,私たちが3年生の時から取り組んだものです。そ
の当時,3年生の菅原ゼミ生は5人の女子学生のみでした。
そのため,数学のひろばの話し合いや準備の時は,おしゃべりが
延々と続き,菅原先生は準備が間に合うのか内心はらはらされてい
たのではないでしょうか。また, 数学のひろばを開こうときまった当
初は,何でこんなことを・・・と正直乗り気ではありませんでした。どん
なことをすれば数学の楽しさがわかるのか,どんなことで子どもたち
は喜ぶのか検討もつかず,意見もほとんど出ない状態でした。
そんな時,菅原先生が持ってきてくれたのが知恵の輪です。私た
ちは準備すら忘れて知恵の輪をしていました。それがきっかけとなっ
て,数学のひろばの準備に力をいれて取り組むようになりました。
もちろん,期日は迫り,準備は進まずというドタバタがあったことは
言うまでもありません。
「数学のひろば」の当日,なかなか子どもたちが来ません。自分
たちで知恵の輪や石鹸水で遊んでいると,一人,二人と子どもたち
がやってきました。初めはどう声をかけていいのか戸惑っていまし
たが,一緒に厚紙で多面体を作ったり,知恵の輪をしたりすること
で自然に声をかけることができました。私たちが切った厚紙で楽し
そうに多面体を作ったりや知恵の輪に悪戦苦闘したりしている子ど
もたちの姿に感動したことを覚えています。
2年目には,知恵の輪の解答ビデオを作りました。笑ったり,仕方
が早すぎたりして何度も撮りなおし,編集するのも大変でした。その
ビデオは今どこにあるのだろう・・・見てみたい気もします。
数学のひろばが終わるとあの知恵の輪がとても気に入ったので,
もらえないだろうかと狙っていた私たちですが,さすがに毎年活躍
する知恵の輪をくださいと言うことはできませんでした。
先日,研修で大学に行った時に菅原先生にお会いし,今でも数学
のひろばが続いていると聞いて,とてもうれしく思いました。ホーム
ページを見ると,私たちの時よりも活気があって,にぎやかなひろば
になっているのがわかりました。
私たち菅原ゼミの5人は,どちらかというとインドアタイプで,先生
から登山の誘いがあったときも先生には悪いと思いつつ断っていま
した。けれど1度だけ,伊王島に行った時に貸し自転車でサイクリング
をしました。すごく寒くて,風が強くて船にも酔って・・・。
でも楽しい思い出の一つになりました。
大学3年からゼミがはじまり,特に4年生の後半は,毎日のように
一緒過ごしました。みんな,おしゃべりが大好きで,菅原先生はいつ
もにこにこ笑いながら聞いていてくれました。時には度が過ぎて注意
されることもありましたが,充実した大学生活を送ることができたのも
先生のおかげです。
本当にありがとうございました。長い間,お疲れさまでした。
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○長崎県立猶興館高等学校 教諭 堀 光 (1997年度修了)
「いぶすき菜の花マラソン」
このたび、菅原先生が長崎大学を御退官されることを伺い、非常に
寂しさを感じております。大学院在学中の2年間だけでなく、修了後も
お世話になってばかりで申し訳なく思っております。ゼミ生ではなかっ
た私にまでも、熱心に御指導をいただき、感謝の気持ちが絶えません。
菅原先生との思い出の中で一番大きいものは、何と言っても「いぶ
すき菜の花マラソン」です。今までに多くの学生の方が参加されたこ
とと思います。私が先生をお誘いしたことがきっかけで、学生の方も
参加されるようになり非常に嬉しく思っております。
私が鹿児島大学を卒業し、長崎大学の大学院に入学した平成7年度、
大学時代から参加していた私が冗談半分で「菅原先生も是非一緒に
参加しましょう」とお誘いしたところ、意外にも先生は参加するとおっしゃ
いました。残念ながらその年、先生は足の調子が悪く指宿までは同行
されたものの、参加されなかったように記憶しています。
しかし、足の調子がよくなると、よほど悔しかったのか「自分も42.195
キロ完走したい」とおっしゃいました。ゼミ生の作元君(現在美津島町
立鶏知中学校教諭)と一緒に、長与を出発し車で距離を測りながら
先生の先導をし、7時間ほどで見事完走されたことを覚えています。
翌年は、目標であったいぶすき菜の花マラソンにおいて、先生と共に
完走することができました。その後も毎年、学生を連れて参加されてい
たようで非常に嬉しく感じておりました。しかし、つい先日、今年も参加
されているものだと思い、先生に連絡してみたところ、昨年は8時間の
タイムリミット内でゴールできなかったので今年は参加していないとの
ことでした。御退官後は是非、体力を再度強化して頂き、来年の1月
に指宿でお会いできることを楽しみにしております。
話は変わりますが、現在私は、長崎県立猶興館高等学校で理数科
2年生の担任をしています。先生は昨年、このクラスに「花びらの数は
何枚になるか〜スピログラフとユークリッド互助法〜」というタイトルで
出張講義をおこなってくださいました。普段とは違う生き生きとした目
をしている生徒の姿を見て、数学という教科の奥深さを改めて感じま
した。この講義の中で、先生は数学についてだけではなく、「日本語
の大切さ」についても話をされました。
理数科という特性上、生徒たちはどうしても数学や理科の学習に
偏りがちですが、「数学を理解するためには数学だけをやっていて
は駄目だ。」という話を聞き、非常に衝撃を受けていました。生徒だ
けではなく私たちにも非常にためになる講義でした。私自身、学生
に戻ったような感覚でした。生徒は、「規則性、法則性を見つけるこ
とが大切だと思った」、「スピログラフの規則性に気付いたときは、
思わず感激してしまいました」などの感想を持ち、数学を学ぶ楽しさ
を体験できたようでした。
他にも先生との思い出は、「数学のひろば」で夜中まで準備をお
こなったこと、先生の大学時代からの御友人とカラオケに御一緒さ
せていただいたことなど、数えあげればきりがありません。このよう
なお付き合いをさせて頂く中で、多くの事を学ばせていただきました。
先生から学んだことを、今度は私が生徒たちに伝えていかなければ
ならないと感じております。
最後に、菅原先生、御指導ありがとうございました。
今後の御健康と御多幸を祈念申し上げます。
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○福岡県小学校 教諭 重松 千絵 (1999年度卒業)
「菅原先生とのちょっとした思い出を書きました」
先生、長年の講義や数学の研究、大変お疲れ様でした。
今、ほっとひと息されて、お茶でもしながら、この論文(?)を読ま
れているだろうと思います。
いや〜、思い起こせば、○年前、長崎大学入学。当時の私の成
績からすると奇跡。そして2年生で見事、あの、競争率が非常に激
しい(?)、菅原ゼミへ合格!!ここでも奇跡が起きてしまったんです。
ここからが、菅原先生と私たちゼミ生の苦労の始まり…いやいや、
きっとすばらしいゼミ生活の始まりだったのです。
その第一弾が、「数学のひろば」でした。記念すべき第一回のイベン
トで、入場者数、おそらく多数!! そして、第二回、第三回と続くわけ
ですが、回を増すごとに来客数は増えていき大成功でした。と、同
時に菅原先生のテンションはますます絶好調…。きっと菅原先生を
ご存知の方なら、想像がつくだろうと思いますが…、…大変でした。
でも、ほんと、来客された方が喜んでいたので良かったと思います!!
それから「九重研修旅行」という名目ではあるが、みんなで貧乏
旅行をしました。そのときです。やっぱりここでも、菅原先生、絶好
調!(頭のいいみなさんなら絶好調がどんな状態をさしているか
察しがつくだろうと思います…)
車で移動中。どうしてもトイレに行きたくなった民生せんせい。行っ
ても行ってもトイレなし。もう限界…。って思った瞬間「あっ、あった!」
と叫ぶ民生せんせい。ひじょうに喜んだ顔。指の先に視線をやると、
そこは、ただの自動販売機の小屋。「ガーン。」 民生せんせい、今
思えば、目の錯覚を起こされるまで、追い詰められた状況だったん
ですね。残念ながら、その後のことは覚えていません。どっかでアン
モニア分解され自然地下水へ流れたのかな? そんなわけで、数々
の細かい笑いを提供してもらいながら楽しく過ごさせてもらった二日
間でした!
そして「菅原先生、新車を購入」なんと、オッデセイを購入。ひとり
で乗るのには広すぎる…誰かを乗せるのかな…? そうです。私
たちゼミ生を乗せてどこでも行けるように、購入されたんですよね。
泣ける話ですね。あ〜われらの民生せんせい。カンゲキ!! そしてド
キドキの初乗車。私たちゼミ生を乗せていざ出発!!
「あれ〜、どこいくの〜」
ピーピーピー
「先生、うしろにさがっています…」
その後の会話を紹介します。
Y君「せんせいぼくたち乗っているのが怖いです(おそろしげに)。」
Sさん「堂々と後ろ向きに進めるのは民生せんせいだけです(いつも
一言多い)。」
Fさん「後ろに何もなくて良かったですね〜(ほんわか)。」
N君「大丈夫ですかぁ(淡々と)」
K君「僕が運転を変わりましょうか…(心配そうに)」
そんなわけで、菅原先生が運転されたプレーリーに一度も乗った記
憶がありません。
このほかにも、まだまだあるのですが、今日はこのへんで…。
こうやって、思い起こしてみると、菅原先生をはじめ、ゼミで一緒に
がんばった仲間たち、そして数学科の先生方やなかまたち。たくさん
の方にお世話になりました。今、私があるのも、みなさんのおかげだ
と感謝しています。
現在わたしは、地元の(福岡県筑豊地区)小学校で小学校教諭とし
て勤めさせてもらっています。しかし、就職難のこの時代にここに至る
までには決して単調ではありませんでしたが…。まぁこの話はおいと
いて…。 でも、まず、大学を卒業して教員免許なしでは、ありえない
話だったので、ほんとに菅原民生先生には感謝しています。数学科
には所属させてもらっていましたが、高校時代は文系でまったく数学
の世界に興味が無かった私だったので、まず、興味を引き出しやる
気にさせることから指導が始まり大変苦労されたと思います。(昔は
やる気があることが大前提だったと思いますが…)教員をさせてもらっ
ている今なら、やる気にさせることがどんなに大変かわかります。
先生、ほんとにありがとうございました。
そして、これからも、お体を大事にされて、民生先生らしく、これからの
人生を歩まれることをお祈り申し上げます。
最後は、私に似合わず(?)かたくなってしまいましたが、これからも
よろしくお願いします!!
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○長崎市立戸町中学校 教諭 野本 純一 (1999年度卒業)
菅原先生、お疲れ様でした。
長きにわたる大学生活を終え、今、どんな心境でしょうか?
菅原先生は、個性的で、思ったことをズバズバ言う先生でした。正直、
腹立つこともありました。けれど、ある意味、そっちのほうがよかったと
思います。
なぜか・・・そのほうがなんか分かりやすいのです。
○腹が立ったら、思ったことを思いっきり言う。
○つらいことがあったら、思ったことを思いっきり言う。
○うれしいことがあったら、おもいっきりうれしそうな顔をする。
菅原先生はそんな先生でした。喜怒哀楽がはっきりしていました。
うわっつらの関係が多い中で、なんか新鮮でした。
「先生、むかつくところもあるけど、いい先生です。」
退官後もなにかするんでしょうけど、あんまり無理しないでください。
先生、ありがとうございました。
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○川口 大介 (2000年度卒業)
菅原先生、御退官おめでとうございます。
13年間ご苦労様でした。私は北村ゼミだったのですが、先生には
学生時代、本当にお世話になったと思います。ありがとうございました。
先生は、御自身はあまりお酒を飲まれないのに、良く我々学生につき
あって飲み会に行かれたり、カラオケに行かれたりされていた印象が
あります。大学の授業においても私たち学生の力に合わせた授業を
行われたりして、本当に学生のことを考えた講義をしていただいたと
思います。
先生との思い出として一番に思い出されるのはやはり"数学のひろば"
ですね。中学生や高校生等を対象に、シャボン玉を用いたり、知恵の
輪を用いたりして、生徒たちが自然と数学に触れ合えるような場でし
たが、同時に先生や学生同士の交流の場だったと思います。"ひろば"
を通して良い仲間にも出会えたと思います。
私が"ひろば"に最初に参加したのは2年生のときだったでしょうか。
スピログラフをパソコンで描画する展示を行ったと思います。菅原先生
からN88BASICでプログラミングされたプログラムを頂いて、それを
QuickBASICに移植したと思います。その時に使ったパソコンは、まだ
Windows95すら乗っていないパソコンで、1枚の画像をディスプレイに
表示するのに何分もかかっていたのを思い出します(今のPCなら一瞬
ですね)。
その頃はまだ一般家庭におけるパソコンの普及率はほとんどなく、
パソコンを使ってディスプレイに何か表示するというだけでも非常に
面白いものでした。そんな時にパソコンでグラフィック表示するスピロ
グラフはとても斬新な感覚を覚えました。このひろばを通して、数学へ
の興味を持った学生はたくさんいたと思います。私もその中の一人
だったと思います。今度、Web上でスピログラフを描けるページでも公開
できたら面白いかなと思っています。
菅原先生は他にも、環境教育(堆肥作り)を行われたり、マラソンを
行われたりと精力的に活動されていましたが、退官されても益々お元気
で活躍されることを心よりお祈り申し上げます。
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○長崎市立西浦上中学校 教諭 福島 わかな (2001年度修了)
「感性の師」
大学入学から1年が過ぎようとする頃,私は軽い‘不登校’学生に
なっていた。今思えば,高校卒業まで敷かれたレールをただ真っ直
ぐに進み,そんな生活を十分に楽しんできた私にとって,急に自由な
大学生活に足を踏み入れても,‘自由’をどう‘自由’に生活していい
のか分からなかったのである。
即ち自ら学びたいことや楽しみを見出すことがあの頃の私にはで
きず,さっぱり‘自由’な大学生活を楽しみきれずにいたのである。
そのため,恥ずかしながら教養学部時代の単位は,卒業認定単位
ぎりぎりである。そんな私が大学院まで含めて6年間も学生生活を
送ったことは,あの頃の私からすると驚きであり,ただただ恩師であ
る菅原先生への感謝の気持ちでいっぱいである。
「君は僕のゼミでどんなことをしたい?」
初めてのゼミの時,菅原先生が私たちゼミ生に投げかけた最初
の一言である。ゼミ生は,北野君,野本君,吉田君,重松さんそし
て私の5人であった。菅原先生のその一言に,みんなは自分たち
が取り組んでいきたいことをばっちり答えていた。
私は数学のひろばが何となく楽しかったことと,幾何学の講義で
学んだ2次曲線や曲面が楽しかったことしか菅原ゼミを希望した理
由が見つからず,今後のことも考えきれずにいる自分を反省しなが
ら,先生の質問に対してシドロモドロでしか答えることができなかっ
たことをよく覚えている。ゼミ生としてのスタートはそんな感じだった
が,菅原ゼミとしての生活がスタートしてから,私の‘不登校’学生
生活は終了したことは間違いない!
大学院一年目,生協で「舞姫」の文庫本を購入した。勿論菅原先
生の影響である。菅原先生は「言葉」の世界を大切にし,文語の響
きの美しさにひたる先生だ。森鴎外や島崎藤村といった人々の話を
何度耳にしただろうか。先生の語る「群論」は平安時代の物語のよ
うに聞こえてくる。カラオケに行くと「枯葉」や「黒猫のタンゴ」といった
おしゃれな曲を熱唱されたりもした。
まさに菅原先生は,1つの言葉から多くを感じ取る鋭い感性を持っ
ていらっしゃり,またそういった感性をとても大切にしていらっしゃる
ように思える。結局,菅原先生の語る「森鴎外」の世界に浸ってみ
たくて購入した「舞姫」は,数ページを読み進めただけで,これまで
の5年間,本棚の中にインテリアの1つとしておいてあるだけどいう
状態である。
私たち菅原ゼミ生は,数学科であるが数学の世界に閉じておらず,
いろいろなことを楽しんだ。野母崎で42キロあまりのサイクリングコー
スを先生と共に走りぬけ,さらには鹿児島の指宿で42.195キロを完
走・完歩した!
このマラソンへの参加は,これまでにほとんど運動経験のない私に
とって菅原ゼミに入る前からの不安材料であったが,厳しい寒さの中
でのマラソンは苦しいながらも楽しさが勝り,氷砂糖を口にしながら走
りぬいた経験は,私に自信を与えてくれた。あの時,先生と一緒に食
した紅芋のアイスクリームや黒豚の豚カツは忘れられない。
マラソンだけでなく,九重で登山をしたり,日出生台で自衛隊問題に
ついて考えてみたり,熊本の菊池渓谷へ行ったりと本当に家族で過ご
しているがごとくゼミで楽しい時間を過ごすことができた。そしてどんな
場面でも感じていたことは,菅原先生の‘感性’の豊かさだった。
数学のゼミだけでは得られないような経験をさせていただき,充実し
たゼミ生活を送ることができたのは,一重に菅原先生のお蔭である。
菅原先生のゼミに対する考え方や姿勢といったものがあっての私の
ゼミライフだったと心からそう思う。菅原先生の
「・・・から感じ取らなきゃ。」
といわれながら数学ゼミを終了した私は,現在中学校の数学教師とし
て教壇に立っている。ふと気が付くと,「想像してみて。」とか「文や図
から感じ取らなきゃ。」等というような言葉を発している。その瞬間,菅
原先生が‘感性’の大切さを熱っぽく語っていたお姿を思い出す。そし
て私も,数学の時間は勿論のこと,様々な場面で‘感性’の大切さを
子どもたちに熱っぽく語っている。まさに菅原先生は私の『‘感性’の師』
なのである。
先生のゼミ生として過ごせた私は本当に幸せでした。ありがとうござ
いました。先生の教えは今での私の根底にあります。これからもずっと
ずっとどうぞよろしくお願いいたします。また先生の「黒猫のタンゴ」を聴
きたいです!
さて・・・そろそろ「舞姫」に再チャレンジ!かな・・・・・・・。
菅原先生,この度は,ご退官本当におめでとうございます☆
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○長崎県小学校 教諭 塩塚 弘子(2002年度卒業)
「菅原先生との出会い」
大学2年になって再び走り始めた私は、大学2年のある日、菅原
先生の部屋の前にある指宿マラソンのポスターの前で立ち止まった。
高校まで走り続けもう二度と走らないだろうと決めていた私が、ま
た何かに挑戦したいと思ったのはそのときだった。藤川かよ、前川
みかこを誘って、無謀な挑戦を3人はしようとしていた。
その初めての指宿マラソンで私は走りに対する考えを覆させられ
た。それは年齢の高い方から、若い結婚したばかりの夫婦からすべ
ての人が一人ひとりの思いを胸に42.195キロを完走するのだ。
その様子を見ながら、誰が一番なんて関係ない。完走したすべての
人が一番なのだ。どんなに時間がかかっても42.195キロを完
走することに意義がある。42.195キロ完走できたから、もう
何でもできそうな気分になる。すべての人がある区切りをつけるた
めに、思いを胸に走りきる。速いのが一番なんて世界ではないのだ。
そんな狭い世界ではないのだと初めて思い知らされた瞬間だった。
友だち二人は辺りが真っ暗になってから、冷たい体で涙ぐみながら
帰ってきた。待っている間中一緒に走っている気分だった。そして
ゴールの瞬間は一緒に走り終わった気分だった。
菅原先生も歩いた。最初から最後までマイペースで歩いた。きっ
とこのペースで歩いたら完走できるというベテランのかんと読みが
あるのだと思う。さすがフルマラソン一回目の私とは違う貫禄があ
った。砂風呂の砂の重さを全身で受け止めながら、マラソンにはま
ってしまう予感を感じた、初めてのフルマラソンの日だった。
大学の講義は、自分はちんぷんかんぷんだった。菅原先生はサイ
クロイドの講義のとき、あまりにもわかっていない私に、先生は見
るに見かねてこう言った「お前の足に光を付けて、出てくる軌跡は
このサイクロイドにならんかな…」私は自分の足に付けた光の動き
を想像して(いや、違うな…)と思った。そしたら数学がなんだか
身近に感じた。なんだかベクトルの方向や大きさなんかが、そんな
に自分とかけ離れたものでないことを感じた。勉強した。
堆肥づくり…これは菅原先生に教えていただいたものの中でも一
番のものだ。よく泥にまみれたものだと思う。よく先生にくっつい
てあっちこっちの堆肥を巡った。ぼかし作りのために、岩屋山の土
を取りに…堆肥づくりの最先端を見に…あっちこっちの日曜日に祭
日に出かけた…楽しかったし、私の最大の勉強だった。私は放線菌
の出す湯気のにおいや温かい熱、様々なものがすべて土に戻るとき
の、あのい草のようなにおいが大好きだったのだ。
大学では、みんなと一緒にトマトや芋なんかを育てさせていただ
いた。トマトなんか多すぎて腐りかけたやつをたくさん持って帰っ
てミートスパゲッティーにした。何日かミートソースが続いた…。
発芽の実験や、ごろごろでてくる立派なカブトムシの幼虫や、もう
いやというほど蚊に噛まれながらの草取り…汗を流した後のみんな
で飲んだジュース…堆肥作りの思い出は尽きない…。
菅原先生との思い出は尽きないが、そんな先生ももう退職という。
一緒に堆肥のために出かけ、一緒に走ることを喜び、いつも気にか
けてくれた。私が走ると、一番喜んでくれる人だった。いつも「も
う、走らんのか…」って言ってくれた。自分が大きな大きな大会に
出ると、みんなで作ったカレーライスでお祝いしてくれた。「まだ
まだ走って、次は北京だな」ってはしゃぐ菅原先生のために走らな
くてはとも思った。
今思うと、私に何の気兼ねもなく走ることを教えてくれた人であ
り、数学を少しだけ身近なものとして感じさせてくれた人であり、
なんと言っても、大事な地球の命の循環を実際目にみえる土で教え
てくれた菅原先生は、私の大事な大事な大学時代の恩師である。
そんな菅原先生が長崎からいなくなるのを寂しく思うが…、きっ
とじっとしているのが我慢できない先生だ、どこに行ってもせかせ
かと何か新しい挑戦をしていかれることだと思う。私はそんな先生
が大好きだし、そんな先生に負けないくらい、先生に教えていただ
いたことを子供たちに伝えていきたい。走ることの楽しさや、学ぶ
ことの面白さ、そして土のかおりとぬくもりを…。
先生、これからもお元気でいてください。大学で先生に出会えた
ことに感謝しております。ありがとうございました。
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○長崎大学大学院教育学研究科2年 富永 奈美子 (2002年度卒業)
「菅原先生との思ひ出」
私の先生との一番の思い出は,いぶすき菜の花マラソンです。
最初は42.195キロなんて絶対無理だと思って参加を断っていた私
でしたが,先生と数学科のみんなが誘ってくれて,参加しました。
先生と高速道路のサービスエリアで写真をとったこと,先生と一緒に
フルマラソンをスタートし,完走(私は完歩でしたが・・・)したこと,先生
の車を運転したことすべていい思い出となりました。
先生の授業は,とっても楽しかったです。レポートが大変でしたが(..;),
それも今となってはいい思い出です(´0´)。
私が心理学選修だということで,本を貸していただきありがとうござい
ました。大変勉強になりました。大学院に入学してから,授業で「自閉
症だったわたしへ」の話題が出てきたんですよ〜。読んでいてよかったです☆
私は2年前に大学院に入学し,今年度先生と一緒に卒業です。院生の
間,あまり先生とお話しをする機会がありませんでしたが,挨拶をするた
びに,元気そうでうれしかったです。
先生からいろいろなことを教わり,いろいろなことを勉強させてもらいました。
本当にありがとうございました。これからもお元気でいてください。
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○長崎南山小学校 教諭 松田 佳積 (2002度卒業)
「チャンスを与えてくれた人」
菅原先生、13年間という長い間のお勤めお疲れさまでした。
先生が長崎大学にいらっしゃる13年の間に、先生にお会いできたこと
を心より嬉しく思います。
先生とは、たくさんの思い出がありますね。写真を見ると、色々な場所
へ行き、共に貴重な経験をしてきたのだなぁ〜と思います。その中でも、
みんなで行った「指宿菜の花マラソン」は私にとって最も貴重な体験で
す。正直言って、42.195qという長距離を人生の中で体験することが
あるとは思っていませんでした。
振り返ってみると、スタートをしてからゴールするまでの間、何度も
「もういやだ」
と挫けそうになったことが思い出されます。でも、指宿の美しい自然や、
指宿の人々の温かさに触れ、そして何より仲間と共に長距離にチャレン
ジするという心強さもあり、完走(完歩?)することが出来ました。先生から
のお誘いがなかったら、きっと一生経験していないことだと思います。
チャンスを与えて下さってありがとうございました。
そして、学年で取り組んだ「堆肥作り」も私にとって、大切な経験です。
自分たちで作った堆肥を使って、トマトやいも、トウモロコシを育てるな
どとても楽しかったです。みんなでカレーも作りましたね。育てたいもを
使って作ったカレーはおいしかったです!
思い出せばまだまだ先生との思い出はありますが、いつも私が思って
いたこと、それは、「チャンスを与えてくれる先生」だということです。
私が、まだ経験したことのないこと、見たことのないこと、触れたことの
ないこと、その中で、感じたことのない喜びや感動を感じるチャンスをい
つも与えてくれました。大学生活でそんな経験をたくさんしてきたからこ
そ、今の私があるのだと思います。
教師となった今、子どもたちに私が経験した「いぶすき菜の花マラソン」
や、久住山に登ったことなど機会を見て話しています。経験したからこそ、
感じることが出来ることが本当にたくさんありました。先生に出会い、た
くさんの色々な「チャンス」を与えてくださったこと心から感謝しています。
私は、これからまだまだ長い教師生活を歩みますが、先生が私たちに
して下さったように、私も子どもたちに、いろんな経験をさせてあげたいと
思います。
先生、長い間本当にお疲れさまでした。
そしてありがとうございました。
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○大阪府教員 田中 沙記 (2002年度卒業)
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○佐世保市立黒髪小学校 教諭 木 聡子(2003年度卒業)
「菅原先生と出会って」
卒業して,もう1年が経とうとしています。
今学生の頃を振り返るととても懐かしい気持ちになります。菅原先生
には,幾何学ゼミではもちろんのこと,環境教育での堆肥作りや算数
の広場などでも随分お世話になりました。
ゼミでは,はじめプログラミングを学んでいました。けれど,私にはさっ
ぱり分からず,途中で先生に,「私には,全然わかりません。ついてい
けそうにありません。」と言いに行った事もありました。
その後,「4次元正多面体について」学ぶことになりました。しかし,
それでもついていくのに精一杯で,本当にこれでやっていけるのか
どうか悩み,ゼミから逃げることばかり考えていた時期もありました。
けれど,『最後までこのゼミでがんばっていこう。』と決めてからは,
必死に勉強しました。
実際に長さを図って多面体の双対を作った時は,すごく嬉しくてその
ときの喜びは今もはっきり覚えています。卒業論文も大変だったけれ
どやり遂げることが出来て本当によかったなあと思います。ゼミでは
迷惑ばかりおかけして大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。けれど,
最後まであきらめずに頑張れたことは,私の自信にもつながりました。
いい経験をさせていただいたと思っています。
さらに,菅原先生に堆肥作りを学び,家でもその堆肥を使って野菜
を作って見たり,算数の広場では,多面体作り,シャボン玉,折り紙,
知恵の輪,クロスワードなどを子どもたちと一緒にしたり,楽しい思い
出もたくさん作ることが出来ました。最後に行った「とどろきの滝」も
素敵な思い出です。
大学時代にゼミだけではなく,たくさんのことを教えていただき,菅原
先生に出会えてよかったと心から思います。1つのことに興味を持ち,
それを追究していく先生の姿勢は私も見習っていきたいと思います。
本当にありがとうございました。退官されても数学だけに留まらず
,多方で活躍をされることを祈っています。いつまでも元気な菅原先生
でいてください。
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○長崎市立山里小学校 教諭 廣橋 加奈子(2003年度卒業)
〜菅原先生との思い出〜
私は,4年生になってから,菅原先生にゼミでお世話になるように
なりました。3年生までは,講義や環境教育の堆肥作りでしか菅原
先生とお話する機会はありませんでした。そのため,菅原先生のユ
ニークさに気づいたのは,4年生になってからでした。今,思うと,
もっと早く菅原先生とたくさんお話しする機会があったら,私の大学
生活が変わっていたのではないかと思います。菅原先生には,講
義だけでは学ぶことのできない色々なものを教わったように思いま
す。
4年生になって,まず,菅原先生は,ゼミの歓迎会をしてくれると,
山登りに誘ってくれました。初めは,「山登りなんて行きたくない。」
と思っていたので,返事を延ばし延ばしにしていました。
結局,先生とゼミ生3人の4人で行くことになりました。山登りは,
これまでの人生で一番長い時間をかけて登りました。登っている時
は,途中で止めたくなるくらいきつかったです。しかし,頂上に着い
た時の爽快感は忘れられません。また,下りの道のりでは,川の水
を飲んだり,太いツルでターザンのようにして遊んだりしました。
山登りの時の菅原先生は,たくさんのものに興味をもたれていま
した。その時の先生のキラキラした顔は,少年のように見えました。
その時,菅原先生のステキな一面を見られたような気がして,とて
も嬉しかったです。
また,大学で小学生を呼んで「算数のひろば」をしたいと相談す
ると,すぐに挑戦させてくれました。菅原先生の学生一人ひとりの
意見を取り上げ,一緒に悩んだり,考えたりしてくれる姿に感動し
ました。先生の「学生から学ぶことがある。」という考え方は,私が
教員を続ける間,大切にしたい考え方だと思いました。
冬には,指宿マラソンに行きました。その前に,指宿マラソンの
練習のため,大学から唐八景まで歩きました。唐八景では,アス
レチックで子どものように一生懸命遊んだ覚えがあります。
指宿マラソンの日にちが迫っているある日,数学科から女の子
が私しか行かないということになったようです。しかし,女の子が
一人だと聞くと,私が行かなくなるのではないかと心配した菅原
先生は,当日までその事を私に隠していました。
ひどい…(>_<)
指宿マラソンは,結局,8時間近くかかって42.195kmを完歩
しました。辛い道のりで,「もう歩きたくない。」と思いましたが,ゴ
ールした時には,なぜか涙が出ました。マラソンが終わった後の
砂風呂や,次の日の鹿児島観光も忘れられない思い出の一つです。
その他にも,ご飯を食べに行ったり,バイオパークに行ったり
と菅原先生との思い出は,数え切れないほどあります。
菅原先生には,短い間ではありましたが,本当にお世話にな
りました。先生にはこれからも色々な形でお世話になると思い
ます。これからも,菅原先生とたくさんの思い出を作っていけた
らいいなと思います。
私は,菅原先生のことが大好きです(*^_^*)
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○大分県養護学校 教員 小野 沙織(2003年度卒業)
お元気ですか?お久しぶりです。去年卒業した小野沙織です。
先生には卒業まで本当にお世話になりました。先生が退官されると
聞いて、ぜひ、先 生とも一度あって、話を聞きたい!と思いました。
そのくらい、私の中で菅原先生は とても心に残る先生でした。
私は数学科ではなかったので、先生と出会ったのも3年生のときの
「幾何学T」の 授業でした。それまでも、数学が好きという気持ちは
あったのですが、思考は追いつ かず、だんだん分けがわからなくな
り・・・という感じでした。「幾何学T」も正直初めは一緒で
「難しすぎる・・・」
と思いました。しかし、厳しい先生の目には私に対してあきらめではなく、
「何がわからないのか!わかるはず!!」といった強さを 感じました。
だんだんとわからないことを先生に聞くようになると、本当に初歩的な
ことに対しても熱心に教えてくださったのを覚えています。本当にありが
とうございました。たぶん先生が教えたいことはもっと先のことだったとは
思いますが、私の中での数学へのあきらめ見たいなものが、少し、いい
方向へ変わってきたように思います。
この私の数学への思いは、私のゼミの先生であった柳田先生と話を
する中で、自分の中で解明すべき、注目すべきことであると思い、卒論
も安野光雅さんの「はじめてであうすうがくのえほん」を研究することとな
りました。
数学の授業がわからない私にとって、「なぜ、わからないのか」、数学
の本当の魅力とは、ということを考えました。わかる人だけがわかる、数
学ではなくて、数学のおもしろさは誰もが共感できるものなのではない
か!と感じていました。そのときに先生に相談に行きました。
先生は私の話をとても熱心に聞いてくださいました。そして真剣に考え、
色々な話をしてくださいました。結果、数学の本当のおもしろさを知ったの
かというと、私の努力不足で見えていない部分があるだろうと、思います。
本当はもっともっと時間をかけて突き詰めるべきだった、また先生にももっ
と話をしたかったと、ずっと思いながら卒業してしまいました。
私は先生の話の中で、全くの雑談だったと思いますが、心に残ることが
あります。それは
「小学校の算数の授業を参観すると、ととても疲れる。必ずその後は
疲れて眠たくなる・・・」
といった先生の話です。私はそれを聞いて先生がとても数学の根底につ
いてというのでしょうか、算数の段階での多くの疑問をもつ私にとって、共
感する部分がありました。難しい問題や数学的思考も足りない私で、見え
ていない部分があって、わからない部分が多すぎますが、数学が好きです。
先生、先生ともっと、色々語りたかったです。でも私の思考が追いつかな
くて、きっと先生と話がかみ合わなくなりそうで不安ですが・・・。
これからも、マラソン走りますか?もしよかったら、私も参加させてください!
先生、体に気をつけて、お元気でいてください。ではまたお会いできること
を楽し みにしています。
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○長崎県中央児童相談所 嘱託職員 藤田 賢治(2003年度卒業)
退官おめでとうございます。
そして、どうもお疲れ様でした。これからのますますのご健勝と
ご活躍を期待致します。
学生時代、私は数学免許選修(卒論選修:教育)ということで講
義のみ受講させて頂きました。数学科の学生に比べて知識も劣
る中、理解力も乏しかった私は先生にとってとても手のかかる学
生だったと思います。
しかし、そんな私を指宿マラソンに誘って下さった時はとても嬉
しかったのを覚えています。マラソン翌日は生まれたたての子馬
のようになかなか立てず足をひきづりながら鹿児島市内を歩きま
した。苦い思い出のようですが、私にとっては自分の足で42.195
kmを走りきれたことへの達成感と充実感を味わうことができ、こ
れからの人生において自分の支えとなることは間違いないと確
信しています。
このような機会を与えてくれた菅原先生には大変感謝致します。
ありがとうございました。
生憎、今年は仕事でマラソンには参加できませんでしたが、来
年は時間さえ都合がつけばまた挑戦したいと思っています。
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○長崎大学大学院生産科学研究科 博士後期1年 張 永黎
「一生忘れない、先生との出会って」
菅原先生、御退官おめでとうございます。
私が留学生として、2000年4月長崎に来ました。先生と出会ったのは
2000年の10月頃であり、それ以来、大変御世話になっておりまして、
本当にありがとうございました。
先生と付き合うのきっかけは、国語科を卒業した中国先輩の紹介
でした。やさしい先生だと言われましたが、最初のうちに外国人として
日本の大学の先生とどうやってうまく付き合っていくのか心配して、す
ごく緊張しました。しかし、先生と数学や中国のことをいろいろ話しあっ
て、優しくて親切な先生だと感じしました。
研究生になってから、授業とゼミがあるので、先生と会う機会が多く
なってきました。そのとき、私は先生の学部四年生の授業に参加しま
した。先生の授業はわかりやすい、学生たちと話しながら少しずつ進
むので、授業の雰囲気がとても穏やかで、先生と学生たちの間、暖か
くて良好な人間関係が形成されていることを感じしました。
先生とのゼミも楽しかったですよ。数学だけではなく、中国の話しなど
いろいろなことや日本語、日本の文化や歴史を教えていただき、話題
がいつもあります。私の日本語発音のアクセントも直していただき、
私の日本語が前より上手になってきて、本当にありがたかったです。
恥ずかしいですが、大学時代に勉強不足なので、ゼミでときどき話が
止まったり、先生に叱られたりすることがあったのが事実でした。しかし、
その後いつも教科書、参考文献を貸したり、なかなか理解できないとこ
ろを何度も説明したりしてください、学問に対する先生の真面目さと人に
対するやさしさを感じしました。私としてすごくいい勉強になりました。
先生のお蔭で院生入試試験を合格し、そのまま修士課程に進学しま
した。研究も同じテーマを続けさせていただきました。そのため、ノート
パソコンも貸していただき、今後の勉強と論文の作成にはすごく役に
立ちました。M1のときに、初めて九州数学教育学会の論文発表会で発表
する機会を与えて頂いたでした。
私は発表テーマに関する研究がまたまた進まないし、日本語のソフト
ウェアの使い方がまたわからないで、発表がうまくいけるかという自信
がぜんぜんありませんでした。ですから、先生は「きみができるよ、一
緒にがんばろう!」と励ましてくださいました。発表まで先生と休みの日
にも夜遅くまで、何時間ゼミをすることがありました。論文原稿の作成、
プログラムの修正には、私の間違った日本語や入力のミスなど細かい
ところまで、見やすいように赤色でチェックしていただいて、たいへんあ
りがたいと思いました。
特に二回目発表の前日に夜三時までも直していただいて、申し訳あ
りませんでした。その後、学会雑誌に投稿するために、論文の形式など
について、先生のところに何度もお邪魔しましたが、先生からいろいろな
アドバイスをいただいて、親切に対応していただきました。二回の発表
ができて、また無事に修士卒業ができるのは、先生は私を支えてくだ
さっているわけです。その上、先生の几帳面な性格が私の考え方や
習慣にも影響しまして、私として一生の宝物です。
先生は中国の新疆、上海、福建などに行ったことがあります、中国語
も勉強していますので、いつも中国に関する話題を私と話してください
ました。もし話しの中に分からない中国語が出てきたら、先生は必ず書
き方や読み方をメモにして、また字引を引いてその意味を調べて、声を
出して練習します。また中国語の本や新聞を買って、家でも読んでいま
す。言葉だけではなく、中国に関するいろいろことに興味を持っています。
あるとき中国の地図を見て、黒龍省にある松花江が西から東に流れ
るか、東から西に流れるかという質問もありましたが、私も答えられな
かったです。
2004年9月に、私と二人で大連とハルビンの旅行にいったときに、ハ
ルビン市でロープウエーに乗って、松花江の上に通っているところ、こ
の疑問を解けました。そのとき、先生のうれしいな様子を見て、私がす
ごく感動しました。2002年8月と2004年9月に先生と私は二回中国に行
きまして、毎日町に歩いたり見物をしたりして、いつも元気で、知らない
ことに対する旺盛な好奇心があって、すごいと思いました。
特に一番印象にのごるのが私の考えが甘かったのせいで、大連か
らハルビンに行く飛行機にもう少し間に合わないそうになって、乗組員
が待ってくれましたと大騒ぎになったことでした、どうもすみませんでした。
これから、時間があれば、計画をしっかり立てて、また一緒に中国旅行
に行きましょう。
先生は環境問題に関心を持っていますのが皆していますと思います。
私は研究生になってから、よく先生と一緒に堆肥しました。まずぼかしを
作って、集まった落ち葉にぼかしを撒いて、発酵させて堆肥にします。
次はこの堆肥を畑に戻して、ジャガイモやサツマイモを作ります。この一
連の作業がすごく大変でした。特に十分に発酵させるために、ときどき
人力で堆肥をひっくり返さなければなりません、先生は私と同じように
汗を流しました。
先生が長崎市科学館で講座を開き、作った各段階の堆肥や環境見学
で撮った写真を利用し、自分の堆肥作りの経験を市民に伝えました。秋
になるとジャガイモやサツマイモができたら、先生は養護学校の生徒と
一緒に芋掘りしました。私としていい勉強になります、工夫してごみを減
らす、環境保護できますという意識が高まってきました。
先生は大学生への授業をしています同時に、子どもたちへの数学
教育にも力をいれています。先生はいろいろな道具を準備して、毎年
長崎市科学館や長崎大学で数学のひろばを開きます。数学科の学生や
私も何回手伝いしました。多面体作り、折り紙、知恵の輪などをいろいろ
な活動を通して、子どもたちに遊びさせながら、数学の面白さを感じさせ
て、数学に対する興味を引き出させます。多くの子どもが参加し、とても
にぎやかで、親たちも楽しんでいます。
この中に、知恵の輪が面白くて、子どもには一番人気がある道具です。
先生はもっと多くの子どもに知恵の輪を楽しんでさせるため、たくさんの知
恵の輪を作ることをずっと考えていました。私も自分が何かできることがあ
るかと思って、中国にいる親戚に連絡して、サンプルを送って、中国で作れ
るかどうかを検討しました。しばらく作れるという返事が来ましたが、手間が
かかりそうでした。それから、知恵の輪の具体的な寸法をファクスで中国
に送って、見本を作ってもらいました。
先生は見本の細かいところをチェックし、また修正意見を中国に送りました。
このように五、六回でやっと満足できる見本を作りまして、三種類百個ずつ
合わせて三百個の完成品を作りました。中国旅行の帰りに全部無事に持っ
て帰りました。大変でしたが、先生にすごく喜んでいただいて、私も少し先
生に恩返しできてうれしかったです。
先生は私のアルバイトや奨学金など生活の面にもいろいろ心配してく
ださいました。先生のティーチングアシスタントをやらせてくださって、電子
辞書を買ってくださって、すごく助かりました。院生卒業した後の進路も考
えてくださって、先生のご紹介で私が生産科学研究科に進学できました。
私の妻が中国からきた後も、食事をご一緒させて頂くことがよくありまして、
いつも先生は払って下さいました。どうもありがとうございました。恐縮して
おります。
とりとめのない文章になってしまいましたが、私が言いたかったのは、
本当に菅原先生にはお世話になり、今の私があるのも安陪先生のお陰
と、とても感謝しておりますということです。人生の師として、先生のことを
一生忘れません!
菅原先生、本当に長い間ありがとうございました。
先生のご健康とご活躍をお祈りするとともに、これからもお見捨てなく
とお願い申しあげます。
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○柳 亜東
菅原先生との出会いは私が長崎に来て以来ですから、四年前のことに
なります。あっという間に四年経ちました。先生は今年まもなく定年で退職
することになります。私は先生の退官の事を知っていたからすごく寂しくな
っています。この間毎度先生がすぐ長崎に離れることを思い出したら涙が
出るほど事もありました。
涙が出ること今だけではなくて去年もありました。そのとき私は先生に
アクセスを習いました。そのごろちょうど私はバイトに追われていたので
たまに勉強不足で先生に叱られました、家に帰ると涙が出てしまいまし
た、でも自分で反省してからやっぱり一所懸命勉強すべきことがわかり
ました。先生も私の事を考えて将来私が身に付ける事ができるように忙
しいところ時間を作って精一杯教えてくださいました、それは一生忘れま
せん。
その勉強中地理とか、太陽暦とか先生も私に教えましたけれども私は
いつもボケとしたり、勝手に黒板を消したりして、申し訳ありません。それ
からの中国語勉強は面白かった、いつも先生が一所懸命読んでいる様
子を見ると私も日本語の勉強も頑張ろうと思っていました。
先生は私の家で中国語の文書を読んで感動したとき私はほかの事言
うぶりですが実は私もすごく感動しましたよ、何が自分の親戚みたいで
一緒に晩御飯を食べて、良い本を読んで、心から交流していると思いま
した、その感じは大好きだなあ、、、、
先生のことなら知恵の輪のこと書かなければなりません。先生は今の
子どもたちが数学に対する興味を引き出すために知恵の輪をいっぱい
作りました、それについて私と姉連絡して、協力することができました、
私は何でもしてませんが何回先生にご飯をおごられまして、本当にあり
がとうございます。知恵の輪のことを通じて先生はとてもいい先生だと
思います、自分は退官してもまだ教育に強い責任感を持っています、
菅原先生ような先生と巡り会って本当に幸いな事だと思います。張さん
が将来どんな仕事しても先生のようになってもらいたいです。
今、家の書類を整理していて先生からもらった料理本もあるし、パソ
コンの本もあるし、日本語の本もあるし、簿記の本もあるし、今感想文
を書くのに字引もあるし、パソコンも使ってるし、いつもありがたい気持
ちがいっぱいです、自分の父親でもそれほどではないでしょう、、、
今まで本当に張と私にいろいろお世話になりました、ありがとうござ
います。先生はどこに行っても私たちがどこにいってもずっと連絡させ
ていただきたいと思っています、家で一緒に楽しく食べたり、話したり、
心のことを報告したいです。
私の日本語がへたくそですから、書きたいことがいっぱいありますが
なかなかうまくかけませんでした。
菅原先生、本当にありがとうございました。先生のご健康とご活躍を
お祈りするとともに、これからもお見捨てなくとお願い申しあげます。
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○ プチ編集後記 ○
菅原先生と親しくお付き合いなさっている方々ばかりに,ご投稿
いただきました。
このページからもお分かりのように教育関係者が多数を占めて
おり,教育方面には様々にかかわっていらっしゃっておられたこと,
さらに,そのご活躍ぶりは,もはや私が述べるべきではなく,この
ページ自体をご覧いただければ一目瞭然ですね。
これまでのお付き合い,そしてこれからのお付き合いと,末永く
菅原先生との思い出の1ページが,これからも多くの場面で刻まれ
ていくことでしょう。
みなさん,ご投稿ありがとうございました。(編集委員ひっきー談)
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□ 「記念文集表紙」
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