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 フルートの歴史 

 

    このページでは現在のフルートが作られるまでの歴史とフルートを改良したベームのご紹介をしています。

 

 時代の流れ

        

           ・古代〜ルネサンス時代    

 

   リードを使わずに息を管に吹き付けて発音する楽器の最も古いものは4万年前に熊の足で作られた笛がスロヴェニアから発見されています。

  昔の骨で作られた楽器は宗教的な儀式に用いられていたと考えられています。原始的な楽器では縦笛かオカリナのような石笛がほとんどでした。

  ギリシャ神話の牧神のパンがふいていたのは縦笛と言われています。現在のフルートのような横笛が最初どのように用いられたのかはっきりして

  いませんが、ひとつの説には、紀元前後のインドに発祥したとされていて中国に伝わり、日本や、シルクロードを伝ってヨーロッパに渡ったと考えら

  れています。西洋より東洋が横笛の歴史は長いのですね♪

   ルネサンス時代のヨーロッパでは、横笛は一般的な楽器ではなく、軍楽隊や旅芸人などが演奏するだけのものだったようです。

  構造は円筒型でキーはなく、穴が6つ。現在のフルートのように分割はできません。また大きさも様々だったようです。

 

  

 

  

 

     ・バロック時代

      

 ○フルート・トラヴェルソ  

 

   バロック時代、単に「フルート」といえば縦笛 (リコーダー) を指して、現在のフルートの原型となる横笛は「フルート・トラヴェルソ ( 「横に吹く」

  という意味)」と呼ばれて区別されていました。この時代のフルート・トラヴェルソはほとんどが木製でした。穴をふさぐためのキーやタンポは

  ついてませんので指で直接穴をふさぎます。小さな音しかでませんが音色が多様で繊細・豊かな表現が可能です。

   この時代ではフルート・トラヴェルソを演奏することは王候貴族のたしなみと考えられ、特にフリードリヒ2世はフルート・トラヴェルソの名手

  だったと伝えられています。

 

 

 

  

 

     ・古典派〜ロマン派初期

 

   最高では 17 ものキーがついた楽器があったといわれています。しかし、これらは必要に応じて付けられたもので統一されていたわけではなく、

  運指も複雑でした。

 

 

  ○クラシカル・フルート

   古典派の時代になると、半音階や高音域を演奏できるようにするために、キーメカニズムが付け加えられました。

  この頃一般的に使われていたのは6キーあるいは8キーのもので、管体はバロック時代と変わらず木製でした。バロック時代のフルートと区別

  して「クラシカル・フルート」と呼びます。

   

  ベーム式フルート

   1820年頃から活躍していたイギリス人フルート奏者 C. ニコルソン は、その手の大きさと卓越した技術によって通常よりも大きなトーン

  ホールの楽器を演奏していました。ドイツ人フルート奏者で製作者でもあったベームは、1831年にロンドンでニコルソンの演奏を聞いて

  その音量の大きさに影響を受け、1832年にリングキーを採用して半音階を演奏可能にし、オープンキーを採用し、トーンホールを大きくし

  音量を大きくすることを可能にしたモデルを発表しました。またこの後も改良を続け、1847年には管体を木製から金属に変更することに

  よって輝かしい響きを得られるようにしたりトーンホールの位置を音響学にもとづいて直しました。 これは現在のフルートとほぼ同じもの

   です。  →ページ下にベームについてご紹介しています♪

 

 

 

 

                 

      ・ロマン派中期以降

 

   ベーム式フルートは、演奏性能の可能性と郡を抜いた作りの良さが認められました。パリ音楽院の公式楽器に指定され、アンリ・アルテ

  ポール・タファネルフィリップ・ゴーベールモイーズらフルート科教授によって奏法が発展・確立しました。

   またベーム式のフルートが普及し,ドビュッシーフォーレをはじめとする作曲家たち多くの名曲を書き、フランスはフルート先進国とし

   ての地位を確立しました。

    第二次世界大戦後、レコードの普及や放送技術の発展と共に ランパルがソリストとして活躍し、フルートの魅力が世界中に示されました。

 

 

 フルートの改良をおこなった

   テオバルト・ベーム Theobald Böhm (1794〜1881)


   ベームは、1794年にドイツ・ミュンヘンに、宝石金属工の息子として生まれました。彼は若い頃から器用だったので、14歳の時には父に代わって

  大切な細工や修理を行えるほどの腕前になっていました。 ベームは金属細工だけでなく、フルートも独学で始め、16歳で指導を受け始めると、

  めきめきと腕を上げ、2年間で、先生が教えることがなくなるほどでした。昼は金属細工師の公房に、夜はオーケストラの首席フルートの席に座る

  という生活を送っていました。ベーム自身が独学で吹いていた頃の楽器は今でも保存されていますが、その構造は簡単な構造のものでした。

  このフルートを、彼が生涯かけて完成された楽器にまで改良を続けることになるのですね。その道は決して平坦なものではありませんでした。

  ベームには、それまで培ってきた機械に関する知識と技術があり、作曲家として自分の作った楽器をアピールする曲も書く力もありました。

  その上に、音響学など、科学的な面から追求する客観的な判断力も持ち合わせていました。

   

   ヨーロッパで第一級のフルーティストとしての名声を得たベームは、他のメーカーのフルートを吹くのにあきたらず、1829年、ついに自分の

  フルート工房をもちました。彼は演奏しやすいこと、音色の均一性、音程の正しさ、丈夫で細工が美しい、高低量音域で確実に音を出すこと

  において改良を始めました。

   1831年、改良中の楽器をもってイギリスに渡ったベームは、イギリスの名手ニコルソンが演奏するのを聴き、その音楽の豊かさに圧倒されて

  しまいました。そこで彼は、更に楽器の改良をしなければニコルソンに太刀打ちできないとし、ミュンヘンに戻ったのでした。

  ニコルソンの持っていた楽器は、他の楽器よりトーン・ホールが大きく、大きな音が出しやすかったのですが、音程のとりにくいものでした。

  ニコルソンはアンブシュアで音程を修正しながら吹いていたのだと思われます。ベームはそれに対して、フルートの設計の基本に立ち戻って、

  正しい音程と理屈に合った、キィ・システムを追求することになります。

 

   1830年代、キィ・システムの開発を続けたベームは、精力的に新しいモデルを発表します。ここまでの彼の改良は、フラウト・トラヴェルソと

  同じく、頭部管が太く、次第に先細りになる円錐管でした。1840年代の後半、シャフホイトルに音響学を師事し、最終的に円筒のフルート製作

  へと向かいました。そして世間では木製のフルートが大勢を占める中で、ベームは金属管への改良も始めたのでした。

  ベームの作った銀製楽器は、木製楽器の2倍の値段がかかりました。しかし当時、各地で開かれた万国博覧会に出品することによって、

  彼の新しい楽器はその値段にもかかわらず、世の中に広まるきっかけとなりました。1850年に行われたドイツ産業博覧会では、「音色の非常

  に美しい」銀製のフルートが銀賞をうけ、 1851年のロンドン万国博覧会でも金メダル、1855年のパリ博覧会でも金メダルを授けられたので

  した。ベームは、最終的にフルートの楽器の科学性を更に追求し、フルートの寸法を厳密に規定し、13のトーンホールの相対間隔をひとつの

  図表に示しました。ベームの改良以降も引き続き多くの改良案が出され、最終的にベーム式の流れをくむフランスのゴッドフロア、ルイ・ロの

  楽器の金属製フルートにより、近代フルート音楽が開花することになります。