「I & Y のひととき」
2007年度
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3月
2月
1月
12月18(火)
早いもので師走も半ば過ぎてしまった。1年の締めの月は、何かと人付き合いの 気配りと、心遣いが必要になってくる。年末の挨拶から、お世話に成った人への お歳暮の選択や配送の手配、年賀状の名簿つくり、身近な親戚や、今年お世話に なった人、古い友達など、それぞれの出合いを思い浮かべながらの挨拶文、煩わ しくもあり楽しくもある。お歳暮の手配は妻が担当し、年賀状は私が受け持つこ とになっている。
先日、暮れの挨拶まわりと墓参を兼ねて実家への1日のドライブに出た。紅葉も 盛りを過ぎていたが、郷里の山やお寺の木立は昔と変わらない風景で気持ちに 安堵感を与えてくれる。盆と年末にしかお墓参りが出来ない私達には、兄弟が 家系の後を継ぎ、先祖のお墓を守りつづけていてくれる事が何より有難い。
年末の清掃されたお墓には新しい献花がしてあり、行き届いた手くばりが嬉しかっ た。姉の家で80の坂を越えた元気な顔に合うと、子供の頃の路地裏や家の周囲の 風景がよみがえり心の開放感と共に懐かしさを覚える。
幾星霜、変わらないふるさとの山、
ふるさとの海、しかし現実は、白砂青松の松並木は国道1号線バイパスの高架と 変わり、その下は、防潮堤を兼ねた海岸道路となっている。遊泳禁止もなんの その、休日にはサーフィンの若者の車で一杯になるという。 広い砂浜は今も変わらないが、砂浜に引き上げられた小舟の姿も無くなり、 地引網も絶えて久しい。沿岸で漁をする漁船の姿も見えない。子供の頃の波と 戯れながら採った蟹や蛤貝はどこへ行ったのか、波乗りしながら、波の狭間に 見えたあじや鯖の魚影は近頃まったく見られないそうである。
山からの流れ込む肥沃な水が無くなってプランクトンが居なくなり魚の回遊経路 が変わったのか、乱獲によるものなのか、海水はきれいで波の音も変わらないが、 あの豊かな海はどうなったのだろう。道路が整備されて安全で都合よくなったが、 一面では、情緒ある磯の松林やグミ原や砂丘の浜ぼうふなど貴重な海岸植物が 衰退しているのが口惜しくもあり、次期世代の子供達へ伝えたい自然の情緒を 途絶えさせてよいものかと心苦しさを覚えるのでした。
11月16日(金)
今年も兄弟会で柿狩りができた。夕べからの雨が朝方まで続いていたが、東海 地方は午後から晴れるとの予報で、1時間遅らせて柿畑に集合することになった。 幸い、畑の状態は雨つゆも乾き、柿取りには支障がなかった。
柿の木には、鳥除けの細い糸が張りめぐらされ、畑の土が掘り起こされてい る。土の中に空気を入れて根張りを良くするためかと思いきや、そうではなく、 猪が山から下りてきて、柿畑の堆肥の中に居るミミズを掘って食べるのだという。 周囲の山はそんなに深くないのに猪が生息しているとは、その意外性におどろ かされた。よくみると畑の周りに網が張られているのはその為だったのだ。
「上の畑では枝が折られて柿までたべられ、まだ、その枝が残っている」
とのこと。
見に行くと、畑の土が耕作されたと思われるほど掘り起こされている。ミミズ だけでは飽き足らず、低い枝先に実っている柿を食べるので枝が折れ、その枝に は、猪の歯形が付いた半分食べられた柿が残っていた。柿の味を知った猪が、 頻繁に畑を荒らすことにならないか心配にもなる。
畑の脇には山からの湧き水が流れる水路があり小さな池に注いでいる。池の 周りには桔梗・われもこう・野菊が咲きみだれ、山側の茂みにはアケビやムベ が実り、自然薯らしき黄葉した葉が並んで木登りしている。目白・ひよどり、 百舌の鳴き声が里山の秋の風情を奏でている。
石巻山に代表されるこの附近の山は岩場が多く、岩質は石灰岩であり、カル スト地帯特有の珍しい植物が多い。また、セメントの原料にもなるので砕石の 産地にもなっている。
岩を通して湧き出した水は岩清水と言われミネラル分が多く、この地で生産さ れる柿の味の良さもそんなところから来ているのかも知れない。
猪が生息し、作物が荒らされるのは地元の農家には迷惑なことであろうが、 自然が豊かな里山の風情は貴重な社会的な財産でもあり、いつまでも残したい ものである。
10月16日(火)
夏のなごりの海と山からの展望を楽しもうと、妻と共に三河湾岸沿いの景勝地 を訪ねた。暑かった8月には賑わいを見せたであろう海水浴場も涼風が吹き、岬 に祠がある松の日陰で昼食をとる。とんびの鳴き声を久しぶりに聞いた。漁港近 くには鳶の餌になる魚の水揚げがあり、この地に住み着いているらしい。小鳥の さえずり、赤とんぼがとびかい、干潟ではアサリ取りのおばさん4人が話しなが ら磯の香りにとけ込んでいた。
小高いところに神社の鳥居を見つけて、なだらかな階段をのぼって行く、鎮守 の森では遅鳴きのツクツクボウシが聞かれた。見下ろす昼下がりの三河湾は、夏 本番かと思わせるきらめきで、水道断水でニュースになっている神島が水平線 のかなたに浮かび、伊良湖水道から渥美半島の山並みが連なり、梶島が松の樹 越しに垣間見えて、昼食をした蛭子岬の松が黒々として力強い。
階段を登りつめると「幡頭神社」があり、国の重要文化財に指定されている本殿 は修復中だった。この付近の地名「幡豆」の謂われが社伝抜粋の形で表示してあり、 その故事来歴によることを初めて知った。隣が地元公民館になっており、有志の 方々の史跡保存を大切にする気概が見えて嬉しくなった。
宮崎海岸を後にして山手の三ヶ根山に車を走らせた。登山道に入り急勾配の坂 を登ると、三ヶ根スカイライン入り口の料金所がある。今回はスカイラインには 入らず南下して港の展望がよいグリーンホテル三ヶ根に向かった。
幡豆町の家並みが港沿いに東西に長く延びている。港は右側が大型貨物船が着 く岸壁になってクレーンの柱が立ち、左側が漁船・観光船・ヨットなどのレジャー 船の港になっている。沖合700Mに浮かぶ前島・沖島の二つの小島が自然の防波堤に なった地の利を得た良港でもある。
グリーンホテルのロビーで珈琲タイムをしながら、ふと見上げると有名美術団 体の理事長さんがこの地で描いた「東幡豆」(120号)の油絵が飾ってあった。 画家の目からもこの地には夢が見えたらしい。幡豆町は「愛知こどもの国」と 「うさぎ島(前島)・猿ガ島(沖島)」が有名だったが、残念ながら数年前にこの島 に渡る定期観光船が廃止されてしまった。しかし、子供の国や三ヶ根山から見下 ろした、二つの島がぽっかり浮かぶ風景はまさしく童話の世界で、子供の夢を育 み羽ばたかす、三河湾随一の景勝地といえるでしょう。
9月20日(木)
この夏は例年になく暑かった。昨日(9月18日)の、名古屋の最高気温が33度と 発表された。「暑さ寒さも彼岸まで」といわれる言葉が、なにやら遠のいて、 やるせない。台風11号崩れの温帯低気圧が日本海中部にあり、吹き込む南風で 気温が上がったらしい。これも温暖化現象のひとつなのかと。
先日、長男家族が敬老の日を記念してドライブに誘ってくれた。孫が3才にな り、自動車、新幹線、飛行機、ロケット、と好奇心旺盛で、それに便乗して岐阜 県各務原の航空宇宙科学博物館を見学した。博物館前の広場には自衛隊の大型 ヘリ、YS11、4発の水陸兼用の輸送機、海上自衛隊の偵察機、など昔懐かし い飛行機が威風堂々たる風格でお出迎えしてくれた。飛行機を身近に見ることも なかった、戦中派の私たちには、少年の頃の憧れが心のどこかに残っていて、 その容姿に魅了され鼓動の高鳴りをおぼえるのでした。
館内に入ると広い建屋の中は戦前の複葉機や操縦訓練用の1人乗りのプロペラ機 からジェット練習機まで、また、テレビのニュースで見た記憶がある、国産初の ジェットエンジン4基のを搭載し、離陸の滑走距離を極力小さくしたという、 航空宇宙技術研究所の実験機「飛鳥」、今はこの館内でメイン展示物になって いた。そのほか、緊急時の人命救助の主役となるヘリコプター、エンジンを持た ない滑空だけを楽しむグライダー、おもちゃ箱から出てきたかと思われる道路を 滑走路にして離陸できる未来の軽飛行機、宇宙まで飛び出すロケットや宇宙服など、 ところせましと置かれている。
航空科学は機械・電気・電子・素材と・・・広い各分野で研究された成果が結集 され、珠玉のテクノロジーが結晶となり、宇宙にはばたいているのだ、と肌で感じ て感動させられた。
人類の夢を乗せた華やかで美しい飛行機。戦時中、空母から飛び立った艦載機と そっくりの戦闘機をみたとき、小さな風防で囲まれた操縦席から狙い撃ちの機銃掃 射を浴びせて、こちらを見下し通り過ぎていった操縦士の顔がふと思い出された。 科学の成果を集めて出来あがった珠玉の飛行物体を、おろかな戦争に使わない世の 中になればと祈りたい思いでした。
8月17日(金)
八月になると急に暑さが厳しくなった。先日、台風5号が九州と四国方面を目指し て北上中との気象情報だったが、お盆のお墓参りに妻と共に郷里へ帰参した。 妻の両親のお墓参りを先にすませ、妻の兄が社長をする会社に寄り、日頃のご無 沙汰をわび、あいさつをする。本場浜名湖産うなぎの老舗にさそわれ、食事を しながらの近況報告や四方山話に花を咲かせ、大歓迎の接待を受けた。有りがた く恐縮するばかり、楽しいひと時でした。続いて、道順で7〜8km離れた海に近い 隣町が私のふるさと、先祖両親の菩提寺を訪ねてお墓参りをすませた。
台風が近づいている遠州灘の波浪は、岸から500mもの沖合いから白波となって 押し寄せる。強い東風に飛ばされた潮の飛沫が霧状の霞みとなって、畑の農作物 や海岸の立木を包み込んでいる。送電線やテレビの受信状態にまで塩害をもたらす こともある。集落の裏山が高台のゴルフ場になっていて、近年、風力発電用の風車 が設置され、風速15m程の東風に回転翼の先端を大きくしならせて回っている。本格的 な台風時には風速40〜50mの海から山麓を吹き上がる風になったとき、大丈夫なの かと心配になる。
国道1号線バイパス沿い、潮見坂の中腹に「道の駅」が出来ていた。
潮の香と、潮騒を聞きながら、太平洋を180度見渡せる足湯が出来ていた。雄大な広い 海を見おろした景観が好評で満席の盛況ぶりだった。
売店には、近郷の名物や特産品が置かれている。三ケ日みかん、渥美のメロン、 三方原のじゃがいも、舞阪のちりめんじゃこ、小島の梨、地元の夏野菜。
そこで少しばかりの買い物をし、ふと見ると、レジ係りの店員さんの胸にかかっている 名前が「谷中」だった。小学校当時の同級生にも同姓があり、担任だった谷中先生 にもお世話になった。懐かしさのあまり声を掛けてしまった。
「谷中さんは西長谷ですか?」
「そうです、お客様はどちらからですか」
「今は、名古屋近郊に住んでいますが、白須賀中学では、谷中先生が担任でお世話 になりましたから・・・、今日はお墓参りながら在所に来て、いまから帰りで・・・」
「お在所はどちらですか?」
「元宿です、谷中先生も若くして亡くなられたようで・・・」
荒れた海、寄せる波、潮見坂の山影は昔も今も変わらないが、新しい道路、新しい 施設、住む人達との年令差、そして、懐かしい先生の面影が脳裏をかすめて・・・。 近代化されるふるさとに悲喜こもごも、移り行く時の流れに一抹の寂寥感を覚えた 墓参の旅でした。
7月8日(日)
地元の小学校と中学校が合同で「少年の主張大会」が開催され、思いがけなく 視聴するチャンスを得た。自分達の子供は卒業してから四半世紀以上の経過に なるので、今の学校内の雰囲気は知ることが出来なく、新聞やテレビのニュース で知る程度、その実情は至って疎遠になって、総てが又聞きの状態である。
通学路での誘拐殺害事件、学校へ不審者の侵入、学内では学級崩壊や、いじめ の温床になっているかのように報道される小中学校だが、身近な地元の現状は どうなのだろう、生徒の本音は‥‥など、現実の生徒の心が垣間見られるなら、 と、観客の一人になった。
・「全盲になった愛犬が懸命に生きようとする姿に命の大切さを感じた話」。
・「老人ホームで顔見知りになった老人会の人達に、運動会の晴れ舞台で応援さ れて、
頑張ることが出来た話」。
・「家のおじいちゃんから私達が知らな
い多くの知恵・知識を頂いた話」。
・「長く生きてくれてありがとう」と言われ
たおばあちゃんのように私も生きたい
という願望。
・「あいさつは、人との心が通い合う道
の入り口」と言う体験談。
・「耳が遠いおばあちゃんの話」。
・「口ぱん運動、言ってはいけない言葉
があり、それを使ったとき口パンする」
と言う運動。
・「怪我をしていた捨て犬を助け、無償で手術をしてくれた獣医さんに会い、本当の仕事の
意味を知る」。
・「文楽人形を操ることに、次の世代に伝える文化遺産を感じた」。
・「電車の中で携帯の電源を切るアナウンスから、マナーとは暗黙の約束のようなもの」。
小学6年生7名、中学3年生3名、市内一校一人ということだったが、どの生徒の主張も 出来すぎた内容とまとまった話し方で、非の打ち所がない出来栄えでした。各自の持ち 時間が5分程度の短いものながら、内容の充実と実体験からの説得力、発声の めりはり、間の取り方など、すばらしいものでした。学校単位の競争意識も見え隠れし、 ご指導の先生方の力添えにも敬意を表したく存じます。
我が家の前の道路は、学童の通学路になっており、朝夕多くの学童や中学生が通る。
朝、緊張したランドセル姿で登校した子供達が、下校するときは今日の仕事を終えた 達成感に満たされた余裕の足取りで、本来の屈託の無い可愛さになっている。 中学生は早朝の朝霧の中、部活の荷物なのか大きなスボーツバックを持って足早に 通り過ぎる姿。このような子供達を見るとき、今の置かれた環境を良しとして、 真面目に励んでいて好感がもてる。今回の「少年の主張大会」の発言内容を聞くに付 けても、指導方向には大きな間違いはないと確信が持てるものでした。テレビや新聞 でニュースにされる記事は広い社会の一面であり、大多数の学校現場では誠実に 真っ当な考え方で進行していることに喜びを感じた大会でした。
6月15日(金)
新緑と水珠の季節となった。昨日、「近畿・東海・関東地方が梅雨に入ったものと みられる」と気象庁の発表があった。東海地方は去年より6日遅れのようだが、 今年の梅雨は短期集中型になりそうだという。
先週の木曜日、地元老人会の日帰りバスツアーで「乗鞍岳」に登った。マイカー では何度か登っているが、夏山ばかりで、6月初旬、除雪後間もないこの季節に 雪の回廊をバスで登るのは始めての体験だった、梅雨入りが遅れたおかげで 天気に恵まれ、焼岳・穂高・槍ヶ岳など、雪山の展望が楽しめた。乗鞍畳平の 気温は9度で風もそよ風程度、残雪と岩肌のまだら模様に中学生の団体さん が雪遊びに興じて
いる姿が見られた。
バスを利用した一般客が手軽に楽しめて登れる、北アルプスの展望がひらけた 山にポピュラーな遊歩道が作ってあった。それが魔王岳に通ずる遊歩道だった。 50mほども登っただろうか、鶴ヶ池が見下ろせる休憩地で、頭や足に違和感を覚 えて、引き返して売店に入り休ませて頂いた。店にはストーブがつけてあり暖を とることが出来た。
この季節、麓ではクーラーを使用するのに、ストーブが気持ちよいのが不思議な
感じである。売店にいた客は、二、三人で気兼ねすることもなく休めた、しばらく して不快感はなくなった。軽い高山病だったようだ。
以前、初めてこの山を訪ねたのは、昭和34年の7月中旬だったろうか。畳平で バスを降りるとみぞれ混じりの横殴りの風雨と寒さで、大急ぎで売店に駆け込 んだ。店内は満員の客で身動きも出来ないほどで、このときもストーブのお世話 になった。夏山とはいえ大自然の山の厳しさを知った思いだった。 外には出られず、次のバスで山を降りて平湯温泉で一泊した。翌日快晴の天気 になった、再び登り、前日の寒さが嘘のような天気、乗鞍本宮の祭礼行事が 畳平で行われており見学することが出来た。そのときも魔王岳に登り、焼岳から 連なる北アルプスの絶景と、はい松の緑の鮮やかさに感動し、雷鳥の親子が見 られたのが思い出される。
体力があった若かりし頃はあちらの山こちらのピークにと渡り歩いたのに高山 病の気配は全く感じられなかった。定年、現役引退してからの山登りは、その日 の体調もあろうが、耳鳴りと頭痛、足に力が入らない高山病らしき体感を覚える ことが多くなった。高齢者ゆえの弱点なのか、日頃の運動不足からくるものなの か、まことに残念なことである。
5月24日(木)
戦時中の国民学校、習字の教科書に「五月晴れ金魚売」と言うフレーズがあった、 担任の先生に指名されて書いた記憶がある。
この季節は年間でも、最も日が長く、若葉の輝きが明るく爽やかで過ごしやすい。 先日の新聞に、伊勢二見が浦の夫婦岩から写した朝焼けの富士山が載っていた。
200qも離れた距離を考えると、近頃では稀な空気層の状態で、塵が吹き払われて 乾燥した五月晴れだったのだろう。
天秤棒を担いで「金魚オゥーエー金魚」の売声は絶えて久しく、金魚はお祭りや、夜店の 金魚すくいにかわってしまった。生活のリズムが早くなり、季節の風情をかみしめる心の余裕 が無くなったのか、IT化に伴い効率一辺倒になってスピード優先、派手なパフォーマンス先行 で興味の対象が情緒より実益を求めての世知辛い世に変わってきた感がつよい。
最近のニュースでは、救助に向かった警察官が犯人の拳銃で射殺された事件。母親を殺し、 その首を持って自首した少年が現れ、人を殺したかった、と、反省の言葉も無い。新設された ばかりの赤ちゃんポストには3歳児が置かれていた。はたらけど、はたらけど生活費が稼げ ないニート・フリーターのアリ地獄的労働環境。過疎化と高齢化による地方都市の財政窮乏。 これが現実にあることなのか、と、戦時中の非常時にも無かったような事件が、この平和に 見える世の中で・・・、まったく信じられない気持ちである。
一時的な過渡現象なのかは解らないが、自由を主張できる社会、民主主義とはいうものの、 何事にも限度があり節度が必要である。モラルが欠如した殺伐とした世の中になりつつある。 どこかが大きく間違っている。
真摯な皆さんが健康で安心して、ほどほどの生活が楽しめる社会にしたいものである。
4月26日(木)
チュウリップ祭りの木曾三川公園を訪ねた。20周年の記念の年に当たり、平日ながら数多く の人出で賑わっていた。駐車場は広い河川敷で、1000台を越す車と、出入りする歩行者で、 駐車するのに十数分かかる渋滞状態でした。
会場は何回も訪れているが、例年に無い力の入れ方が一目で分かる。チュウリップの数量、
花の色の多さ、花壇のレイアウトから見て取れる、花の鮮やかさも一段と輝いて見える。 川の流れをイメージさせる流れる色と香りが爛漫の春を歌い上げている。風も無く、薄曇の 天気は絶好のデジカメ撮影日で大型カメラマンから携帯カメラマンまで、ビューポイントは 順番待ちの状態だった。お花畑の色のパレードを一巡し涼風渡る、花壇が見下ろされる 木陰で昼食をとる。コーヒーを頂きながら、人間ウオッチングすると、平日なので、観客層 は子育てちゅうの若いお母さんと定年過ぎたご夫婦がほとんどのようである。現役層の 年代の人たちにこの豪華な色の祭典を見て頂けないのが残念でもあり、すまない感じと 共に、後ろめたさも覚えたりする。
木曽川、長良川、揖斐川の流れを模型状態に形どった流れが作ってある。長良川大橋 から下流を見ながら、千本松原はこのあたり、と思いをはせる。長良川と揖斐川の合流点 が、川床の高さ違いにより、度々氾濫を起こしては、甚大な被害を起こし、地元民を苦し めた。この地に、分流堤づくりの大治水工事を命ぜられた薩摩藩‥‥、故郷を遠く離れて、 家老「平田靭負」を筆頭に947人の義士達の命をかけた働きと、悲運の涙と、多大な犠牲 の内に完成させた工事に、今更ながら感謝の念が湧くのをおぼえます。
水の流れも、人心の流れも、落差のある合流点で発生する大問題は、いつの世にもあり うることで、これを軟着陸させるテクニックは政治的判断が必要で、はなはだ難しいもの だと考えさせられるところでした。
3月14日(水)
今年は三月になってから寒い冬がぶりかえし、梅が終わって桜を待つ期間が異例に長く感じて いる。古くからの伝統である、雛祭りは、そのみやびさと可憐さが、この季節の別れと出会いにも 結びつき深層心理でつながり、日本人の侘び寂びにも似た一抹のものうげさを覚える。
「草の戸も 住み替る代ぞ 雛の家」と、芭蕉も別れと出会いの心象を、雛祭りのイメージに結び 付けている。
先日、NHKのラジオで、大切にしていたお雛様を空襲で無くした話や、旧満州からの引き上げて 来るとき、お雛様をそのまま置去りにしてきた。いまあのお雛様はどうなっているのだろう。と、 雛を思いやる便りが放送されていた。
子供の頃、母がこの季節になるとお雛様を出して飾ってくれた。雛壇を組み立て、緋毛氈をかけ る。箱から雛を出し、刀や小道具を雛に合わせて組み立てる。ちょっとしたパズルを解くようなスリ ルがあった。内裏雛、3人官女、5人囃子、天神雛に混ざって馬に乗った兵隊さんの雛が1体有っ た。
戦時下の子供は、内裏雛よりも、天神さんよりも、兵隊さんに憧れていた。
「このお雛さん誰の‥‥」と聞くと
「お前のにしておこうか‥‥?」と母。
本当は兄のために買ったもので、兄と取り合いの喧嘩になった。
「お雛さんは飾っておくもんだ、おもちゃにしたら、ばちがあたる‥‥‥」と取り上げられてしまった。
生活の中の風習から、古くなった雛を神社や水神さまに納めるというものがある。神様の下に送り とどける意味合いだそうだ。人の世の厄を背負って流されていく、厄払いの「身代わり雛」もある。 雛祭りの習慣そのものが平和の基礎の上で成り立つもので、幸せを祈る精神性の意味合いが 深い庶民文化なっている。人が起こした戦争に巻き込まれて犠牲になった雛たちも、また、哀れで 残酷な時代だったのだ。
2月22日(木)
我が家のシンボルツリーになっている梅の木が、日ごと小鳥の来客を迎えての2週に渡る花祭りが 終わった。今年の冬はかつて無い暖冬で梅の開花も1月下旬から始まり、2月中旬の春一番に便乗し 吹き渡っていった。例年より10日ぐらい早かったようである。
今月も早くも下旬となったが氷点下の気温を記録していない、氷を見ることの無い冬はこの年まで 経験したことが無かったように思われる。暖かいのは高齢者には過ごしやすく有りがたいが、嵐の 前の静けさのような不気味さを感ずる。
季節商品を仕事にする人たちや、気候の変動に最も敏感な農家では、想定外の事態が生まれて 困惑されていることも多いだろう。雪の多い年は豊作と言われているが、雪が降ることは気温が低く 殺菌殺虫効果もあり、病害虫の発生が抑えられ、豊富な雪解け水が田畑をうるおして豊作となる 要因となっている。今年のような温暖な冬はこのような物理原理が総て逆に働くこととなり病虫害 が発生しやすく、異常気象にもなりやすい。心配の種である。
先日の春一番も、通常ならば本州で強く吹く風が今年は北海道まで北上し、30mを越す風速で 台風並に発達し、竜巻による民家の崩壊、漁船の沈没事故などが報道されている。この季節と して近年にない異常現象をおこしている。
核実験で騒がれている北朝鮮も心配だが、地球規模の温暖化現象はこれ以上の大規模で、 人類だけに限らず、命を持つもの総ての動植物の逃げ場所のない試練として考え、早急に 解決策を立て対処しなければならない最も厳しい難問題であろう。
1月22日(月)
新しい年が穏やかに明けた。妻の小学校当時の同級生が大潮会員で、毎年この展覧会に出品している。 このところ10年来、年の初めに「大潮会愛知巡回展」を観るのが恒例になってしまった。 大潮展も回を重ねて、今年は70回の節目となり力作が多く、毎年出品されるなじみの作者の中に呼応して、 次第に新しい顔ぶれが多くなって来た、これも年月の流れなのだろうか。
今回、「会員優勝」に輝いた知人のために申し合わせて十数人ほどで参観に訪れた。私達も顔見知りの 理事長さんが、自ら解説して下さった。大潮会の歴史や社会的な美術教育の立場から、一点ずつの絵の 内容や、作者の人物像をまじえながらの内輪の話や、私達が気にも留めない高い次元にまで踏み込んで 解説をしてくださった。
「絵画は、どの作品もそれぞれ個性を持ったもので、隣の作品の邪魔をしないようジャンルの違うものを 選んだり、人物作品などの視線も、部屋全体の雰囲気に影響することを考えて配置しています」とのこと。
会場展示の細かな心くばりからも、理事長さんの作品一点一点を大切に思う心の深さが感じられて 嬉しく、なんとも恐縮したものでした。
絵画は文化の根源、形ある物を創造する総てに通ずると言われているが、その出発点は写実と考えて おられ「写実主義を絵画芸術の最高理念」と謳い上げている大潮会のあり方が、学校教育にも取り入れ られ、また、一般の人たちにも受け入れられる根幹となっているのだと痛感した。
我々の趣味としての絵画でも、写実を原点として色彩感覚を磨き、形や色彩から受けるムーブ感、優雅 さ、心の和み、癒し効果など、味わう感覚を磨きたいものだと思う。ともすると個性重視に傾き過ぎた社会 評価の昨今を考えるとき、デッサンを軽んじた調和の取れてない構図や色彩の作品に遇うにつけ、基礎 知識の大切さと色彩感覚の感受性、感動する心の柔軟さが大切なのだと思うのでした。