「I & Y のひととき」

2008年度

 12月 11月 10月  9月 8月 7月 6月  5月 4月 3月 2月  1月




12月20日(土)
 今年も残り僅かになった。平成20年を漢字一文字であらわすと「変」ということになった。 「変」といえば今年もいろいろ変わったことがあった。

 福田内閣から麻生内閣にかわり、さあ、新内閣の景気対策はというとき、アメリカ発サブ プライムローンの救済策が下院議会で否決された。リーマンブラザーズの破綻となり、一挙 に金融不信となった。株価暴落は一瞬にして世界の市場すべてに波及し、市場は購買力を無 くし、世界同時不況の大津波となって世界の市場を飲み込んだ。原油に走っていた投機マネー はより所を無くし、円に集中して、ドル安、ユーロ安で円高を引き起こした、輸出の大手、自 動車産業は円高の為替差損から一挙に赤字決算になろうかと言われている。需要の減少は仕 事量の激変となって、非正規雇用派遣切りとなり、大量解雇、住居明け渡しにと波及し、即、 生活を直撃する憂慮すべき社会問題に拡大しつつある。

 正直者の若者や、中小企業の経営者が懸命に働いていても、突然降りかかってきた今回の 惨事には、人としての人権までも無視された、口惜しさとやりきれなさが渦巻いている。 市場原理主義というのは大切なことだが、投機が行き過ぎると「弱いものいじめ」になる。
野放し同然の投機マネーと、労働で稼ぎ出したマネーとが同じ土俵の上で評価されている現状 に、いささか不信を覚えるのは自分だけだろうか。金融の在り方と雇用問題に抜本的な組織 改正が必要ではなかろうかと思われる。

 我が家でも大変なことがあった。妻が狭心症の精密検査を受けての帰りの車の中で心筋梗 塞となり、折り返して緊急入院手術、12日間の病院生活をおくった。手術が早かったので経 過は良好である。が、今も様子を見ながらの薬に守られた生活である。
 お医者さん嫌いの私も、2年前からの倦怠感を覚える体調不良でCT検査、レントゲン検査、 24時間心電図検査、エコー検査などを受けることになった。新鋭機械を使っての精密検査は 初めての経験だった。
結果は心配される病気はなく、生活習慣病の域に入るもので心配無い、ということで一安心し ている。「健康であればこそ何事も出来るのだ」と至極く当たり前のことながら、しみじみと 加齢を感じさせられている昨今である。





11月19日(水)
 妻の心筋梗塞手術後9ヶ月の検診が終わった。暑かった今年の夏を順調に乗り切って、心配 していた手術後の経過は、検査結果の各種の数値では次第に良い方向に推移していて異常は 無いとのこと、一安心しているところだが、当人は、ちょっとした登り坂や、2・3sの買い 物荷物でも負荷として感じてしまい、以前のような無意識な動作が出来なくなっているよう である。

 紅葉の秋、体調を考慮し、日頃の緊張をリセットしようと近場の紅葉の名所になっている 「香嵐渓」に日帰りのもみじ狩りに出掛けた。去年の4月新緑の季節、スケッチ目的で訪れ てはいたが、紅葉の季節になると、例年、香嵐渓に通ずる国道や県道は観光の車で渋滞が はげしく、最も近場の紅葉の名所ながら、長年この季節だけは二の足を踏んでいた。
香嵐渓の紅葉観光は20数年ぶりであろうと思う。平日であり、まだ少し早めの色づきと放送 されていたせいであろうか、道路は渋滞も無く、香嵐渓駐車場に到着したが普段止めること が出来る駐車場は観光バス専用に当てられていて、一般者は細い道をさかのぼった上流の 駐車場に案内された。ここもほぼ満車になっていて最後の一台で止めることができた。

 駐車場が観光遊歩道の上流地点だったので、赤いつり橋を渡って下流へと歩いた。巴川 沿いの紅葉は、上流の一の谷から三州足助屋敷を中心とした香嵐渓広場までの東西500m程 の遊歩道が、日当たりも良く、最も美しく紅葉していて見ごろになっていた。秋晴れの柔らか な日差しに映えた枝の下から見るもみじは一段と輝きを増し、川面に写る空の青が補色と なって、鮮やかさを引き立てている。遊歩道をはなれて少し下った川沿いの石に腰をおろし、 もみじ越しの木漏れ日の中で昼食と珈琲タイムが出来た。遊歩道は、さんさんごご到着す る観光バスの団体さんでごった返すが、その波が去るとそれほど混雑することも無かった。 足助屋敷のイベント広場では猿回しがあり、地元産のみやげ物店、食事処などで観光客が 集中し「花より団子」特売場さながらの雰囲気になっていた。
巴川は大きく蛇行し南北の流れになると岸の紅葉は緑色が増していて、見ごろは1週間後が よさそうである。待月橋まで来て橋を渡る。旧来の地元住人の観光地らしいお店屋さんが 並び、ここも団体さんで賑わっていた。

 国道153号線に架かる巴橋を渡り、もみじのトンネルと歌われている遊歩道をひとまわり した、ライトアップの設備があり、歩道も夜間歩きやすい安全配慮がされている。「秋の日 はつるべ落とし」山あいの地では3時を過ぎると急に日影が多くなり山からの冷機が流れ始 める。観光客も急に減少しイベントの熱気も流れ去っていく。
朝、満車だった駐車場も半数の車が帰られ、西に傾いた日差しはイベントが終わった寂寥 感がながれる。駐車場の片隅で地元産の野菜を売っていた、里芋を買って帰りの途につく。





10月20日(月)
 我が家の狭い庭には、新築時の記念樹として植えた1本の梅の木がある。小梅の種類 なのだが、今年も梅干にしてイラストシールを貼り、日頃お世話になっている友人 知人に差し上げることが出来た。土用干しには妻が手助けしてくれた。梅は人の手 を選ぶと言われているがその性なのか、出来栄えは大変好評で、「種が小さく、 果肉が厚くジューシーで後味がよい」と人気が高い。

 小指ほどの太さの苗木を植えてから、早くも40年の歳月が過ぎている。いまは、 幹回り80p、樹高4m、東西4m、南北5mの大木になっている。寒肥料として毎日の茶ガラ に土を少し混ぜて堆肥を作り、1月中旬頃に根周りに埋めている。消毒は花が終わっ て新芽が出始めた頃に一回だけすることにしている。梅の花が終わり、桜の花が咲く 頃には、若葉の新芽とともに早くも豆粒大の果肉ができている。

 新緑の季節、アブラムシの発生で葉がちぢれると、枝ごとすっぱり切り落とす。枝先の 幹にカイガラムシが付いたりすると木に登り、ヘラで掻きとったり、毛虫のフンが地面 に落ちていると、擬態で見つけにくい虫を探して捕ったりもする。イラガなどの毒虫の 発生も、葉脈だけの葉をこまめに探して駆除するようにしている。混雑した枝を剪定し風 通しを良くしたせいか油虫の発生も少なく、実の成熟度がそろい良質のものが多くなっ た。収穫は5月下旬である。
 塩漬けして1ヶ月程で赤い紫蘇の葉を入れて殺菌と着色を兼ねる。真夏の土用に三日三晩 干しといわれているが、小梅の場合は二日一晩ぐらいがジューシーだ。梅干も完熟した健康 な実であることが風味もありまろやかで後味が良いものになるようだ。手のかかる子どもほ ど可愛いと云うが、植物も同じで、手数のかかるのも可愛いもので、夏の涼風などのさわや かさと共に、それ以上に精神面で癒されるものがある。

 2月初旬、寒風が途絶えて日差しが明るさを増す頃になると蕾が白い顔をのぞかせる。 他の花木に先駆けて咲きはじめると、前の通学路を行く小学生や母親につれだった 幼稚園の子供たちが「お花がきれい」といって通っていく。花の香りに引き寄せられ て目白が朝の食事にやってくる。緑の羽根をしばたかせながら、花から花に蜜を求め て飛び交うさまは見ているだけで春の息吹を頂ける思いである。





9月10日(水)
 先月末、岡崎市を未曽有の豪雨が襲った。名古屋地方気象台により1時間当たり降雨量 147mmだったと発表された。市の中心街を流れる伊賀川が氾濫、床上浸水の被害が多数 発生した。急激な増水で室内にいて流され行方不明になっていた犠牲者を翌日、雨の 中200人態勢で捜索したが見つからず、後日、40kmも離れた知多半島の先端、南知多町 で発見されたという。川の流れの勢いは三河湾の湾内の流れまでも変えてしまう凄まじ さであったことを物語っている。人の感覚では計り知れない自然の猛威を見せつけた 感があった。隣街での惨事であり、どこにでもおこりうる明日は我が身という危機感 をおぼえる。

 この季節、例年は日本海北部通る偏西風が大きく南に蛇行して本州上空にはいり込ん でいた、これに伴い寒気団が上層に流れ込み、下層は湿度の多い夏の暖気団で覆われて、 上層と下層との温度差が大きく、雷を伴った上昇気流が起こりやすい気象条件になって いた。
また、通例では「西から東へ」の天気移動が見られるのだが、このときは一週間も同じよ うな気圧配置が停滞し、同じ地域を雨雲が筋状に流れて集中豪雨をひきおこしている。 東海各地で雷やゲリラ豪雨が観測され、近郊の逢妻川の水位も堤防すれすれまで上がっ たが溢れることなく難をまぬがれた。

 地球温暖化が異常気象を引き起こす原因と言われている。大気圏は広く大きい、温暖化 とはいえ一律に温度上昇はしない。温暖化の第1ステップはお風呂の湯沸かしと同じで 寒気団と暖気団が出来て移動が激しくなる。意外な緯度まで寒気が南下したり、暖気が 北上したりして想定外の気象を引き起こす。寒気団と暖気団は接近しても簡単には混ざ り合わない。ぶつかりあうと前線が発生し寒気勢力が強いと寒冷前線となり、暖気が勝 ると温暖前線となる。ぶつかり面は摩擦が生まれ、雲が出来、雨を作り、雷を発生させ る、突風も起きやすくなる。勢いづいた空気の流れは竜巻にと成長する。
集中豪雨も竜巻も地球規模からみると温暖化進行中の過渡現象と考えられるが、地球の 病気も進行するとその頻度が多くなり、規模は次第に大きくなる。

温暖化がもたらす災いは単に異常気象だけでは済まされず、生けるもの総ての生態系に 作用し、人智では計り知れない世界規模・地球規模の難問を発生させる原因となってい る。財産・文化財の損失は類に及ばず人類そのもの命が危険にさらされる。
大気内のco2増加は化石燃料の使用過多によることは明確であるにもかかわらず、その抜 本的な方策が無いまま、ずるずると流されてきている。温暖化は核問題とともに人類破滅 の階段を登り続けているように思えてならない。地球各所の環境を明確につかみ整理して、 防止対策の開発、発生源対策など、早急の手立てを打たなければと思われる。





8月13日(水)
 久方ぶりに身内の結婚式に出席する機会があった。仲人を設けなく、招待客は友人中心 で、親族は現役を退いた年配世代が多く「この真夏の暑い時期にどうして」と、二分離 する年代層であった。どのような進行になるのか、興味と心配とが半ばした。鬼祭りで 有名な神明社での式典を済ませて、披露宴会場に移動した。受付を済ませ、雑談しなが らのひととき、待合時間にピアノの生演奏があり「千と千尋の神隠し」のテーマ音楽が ながれた。披露宴の序奏となり、今日の結婚式の二人の進路を示唆して、夢と希望の 明るいイメージを感じた。

 両家の親戚代表が主賓としてそれぞれ挨拶があり、乾杯の祝杯が挙げられた。 新郎新婦の紹介へと進んだころから、その演出の面白さと斬新さに驚き、危惧され た宴会席の年代差は掻き消され、総て興味一色に変わった。

 小中学校から高校大学のころのスナップ写真、海外旅行一人旅を許してくれたご 両親の心中を偲んで、明文化した文を加えて編集映像化し、プロジェクターにかけ スクリーン表示、音楽入りで雰囲気をつくり出している。社会の第一線で活躍する 若い世代の新郎新婦を、多視点からとらえて表現し持ち上げている。

ここまで育ててくれた親への感謝、友達の個人名を挙げての人間模様の機微を音声 と映像で流す。友人達との絆も一段と深められ、涙あり笑いありで座を盛り上げた。

 新郎の父親は長年少年野球の指導に当たっていて監督をしている。10歳の少年も 20年経てば30歳の現役社会人になっている。
この元球児が浴衣姿で飛び入り参加した、 若者十数名が飛び跳ね踊りながら、あっという間に新郎新婦の上座席を踊り輪の中心 に引き込んでしまった。踊りながら新郎を輪に誘い込み、会場内は一気に若者エネ ルギで爆発した。新郎を胴上げし、続いて監督も胴上げされた。踊りの振り付けは 豊橋市の新しい盆踊りの曲と振り付けだったそうである。少年野球の監督と元球児 との絆が今日の晴れがましい席を印象深く記憶に残した、何物にもまさる贈り物と 新郎の父親の目元を潤ませた。
 新郎新婦から両親への花束贈呈にも、読み上げる言葉に親子の情が溢れて、目出 度い区切りのけじめに万感響くものがあった。

 老若入り混じった客層には、ご両家共に親族の中に80才90才を超えたご夫妻が 一組ずつ参加しており、長寿の縁起良さが加わり一段の目出度さを格上げした。また、 「情けは人の為ならず」のことわざを現実の場面で見せてくれた。長年の努力が実 を結び、このような形でわが身に帰ってくる人生模様が不思議でもあり、味わい深い のが人生なのだと証明された最高の結婚式でした。





7月9日(水)
 日頃の運動不足と体調管理を兼ねて夕方5時から近郊の河川堤防を歩行している。春、 本番の頃は菜の花が堤防を一面に埋め尽くし、ひばりが高くさえずり、よしきりは あしの葉陰を飛び交って賑やかだった。流れには大きな鯉が住み着き、産卵時期に は浅瀬にも現れて水しぶきをあげる。初夏になると堤防の新緑が繁茂し、歩いていて も水面が見えない高さにまで成長した葦や蓼の若葉青葉で蒸しかえる。

 近頃この河川敷に外来種の亀や、ヌートリアを見かける。亀は、ペットとして飼っ ていたものが自然界に放たれて繁殖したものらしい。在来種とは異なり一回り大型に なり、頭と甲羅に黄色のラインがある。その数、二十匹余りが群れて、堤防の枯れ草 の上で甲羅干ししているさまは、黒い大判小判が転がっているようで不気味である。 ヌートリアは、この河川敷で直接その姿をみたのが始めての体験で、巨大化したねず みが、この場にいることにただならぬ驚きを覚えた。あとで、書物やネットで調べて、 南米原産のヌートリアであり、毛皮用にと輸入し、飼育されていたものが野生化した ことや、愛知地球博の頃には30kmほど上流の長久手方面で出没していたこと、草食性 で河川の岸辺に穴を掘り繁殖することを知った。
ヌートリア(左上・右上・左下)  かめ(右下)
 橋から見おろす川の中州で見かけたり、頭を出して泳ぎ、川を渡る姿を見ることが多 い。6月初旬には、橋の直下の中洲に2匹いて、眼が合うとあわてて水に潜り岸辺の草む らに姿を消した。大きさは胴体が40センチ、尾の長さが30センチぐらいで色は茶褐色、 後ろ足に水かきがあり、形はねずみそっくりだが頭が大きく可愛いげがない。いつも同 じ位置の対岸に渡るところを見かけるからこの付近の堤防に穴を掘って住み着いている らしい。梅雨の季節、雨が降り続き水位が上がったとき2〜3週間ほどその姿が見られな かった、7月になって再び以前の場所で見かけるようになった。付近で観察されている人 の話では、3匹ほど居て、堤防に穴を掘って住み着いている、木の根や草の根を食糧とし ており、今のところ何の被害もないが、堤防に穴を空けたり、農作物を荒らしたりしなけ ればと心配しているとのこと。

 外来動物はペットとして飼育するのは楽しいものだが、成長してその世話が出来なく なったとき、自然界に返すと、在来種との共存に優劣が出来て生態系を破壊する可能性 が大きい、その解決策はむずかしく難問は長く尾を引く。ペットショップでの大型獣や 外来種動物の販売には社会環境や生態系の知識が必要であり、廃棄するときの回収ルート と処分方法の指示徹底を義務化させるなどが必要なのではなかろうか。





6月16日(月)
 今年は、5月末に梅の実を収穫した、15kgの実入りがあった。この梅の木とほぼ同じ 年代から我が家の庭に席を置いた植物がある。生垣として家敷の形づくりしている 「ムベ」の蔓木である。アケビ科に類する常緑樹で「ときわアケビ」の別名がある。 浜名湖西部の弓張山系を山歩きしたとき、芽出しの2葉の苗を見つけて庭に植えた ものである。
毎年、実をつけて熟すとピンク色になり、絵画のモチーフにもなっている。 が、今年はどうしたことか結実がひとつも見つからない。去年多数の実を完熟させた こともあって樹勢が衰えたものか、梅の木についた油虫が透明な粘液をムベの葉に落 とし、黒点病のような葉となって光合成が出来ず衰弱したのか定かではないが・・・、 十数年来、毎年実を付けていたのに残念なことである。

 ある有名な絵画団体の先生の個展に、このムベを生花として届けたことがあった。 先生は大変喜ばれて、縁起木の由来を教えて下さった。
知立神社の杜  和田英作 画あけび  和田英作 画
この木は、葉が3枚葉から5枚葉、7枚葉と成長する。七・五・三のお祝いの数字に結び つきおめでたく、7枚葉に生育すると、雄花、雌花が出来て実を付ける。常に緑の葉を蓄 えており、次世代の葉が芽吹いて安定してから古い葉が落ちる。熟した実は割れること が無いことから身内が割れない・・・から、裏切らない、結束が固いに連なり、部下を持 つ戦国の武将は、
「何と縁起が良い木であろうか」
と好感を持って縁起木としたらしい。

 「ムベ」は、実の色、葉の形、ゆらぐ葉にも風情を感じてモチーフ対象になりやすい。 先の、戦時中から戦後にかけた数年間、知立市に疎開されていた画家、和田英作画伯が この地に残した貴重な洋画作品、「逢妻河畔」「知立神社の杜」「夏雲」「弘法山」 「小川のほとり」などの風景画のほか「バラ」「蘭花」の静物画の中に「あけび」と題 したムベのスケッチが残されている。蔓の持つ柔軟な曲線と葉茎の直線と、楕円の緑葉 の絶妙なバランスが絵心を掻き立てる。画伯の自然を見つめる審美眼にいまさらながら 奥深さを感じるのでした。




5月8日(木)
 スマトラ沖地震の際、ボランティアあおみの会から支援を受けたお礼にと、スリランカ 中部のキャンデイ市「ティニティカレッジ」民族舞踊団の子供達が知立市を訪れた。 市長を表敬訪問し、中央公民館で舞踊の披露があり参観する機会を得た。日本の学校で 言えば小学校4年生〜6年生までの男子9人と、引率する同校の校長先生と舞踊の先生・通訳 を含めた団体となっていた。学校教科のひとつに民族舞踊が含まれているとのこと、早い テンポの打楽器に合わせた振り付けは、体育の要素と社会性を兼ね備えて要点を衝いている。

 民族舞踊は洗練された南国的な素朴さの中にエネルギッシュなはげしい動きがあり、 打楽器の強烈なテンポに意気鼓舞させられる。熱帯地方は総ての動物植物が活力に溢れてい る、その地域の生態系の中で生きて行くための競争心とテクニック、長い年月をかけて育ま れた環境への合理的な適合と、願い、祈りが、舞踊のしぐさの中で随所に表現されていて 伝統の深さを感じる。

 少年達の手を合わせたポーズには阿修羅の仏の像をイメージさせ、両手を広げ、高く掲げ たポーズは、対決した相手を「ワオー」と威嚇するようにも見えた。

また、鳴り響く太鼓の テンポに合わせた俊敏な身のこなしと躍動感は、熱帯地方のあらゆる自然界の外敵と対決し て、生き抜いてきた地域の歴史から来ているのではと思われた。孔雀の舞には美しいものに 対する謙虚な憧れがにじみ出ていて、人間社会に共通した人類としての基本的願望を表現し ているようにも感じられた。
 伝統舞踊の中に秘めた生きる活力を見せ付けられた思いがして、小学生の舞踊とはおもえ ない大きな感動を呼び覚ましてくれた。

 文化的に発展した社会では忘れがちな基本的な生きる力、便利な世の中、安全な環境が 当然となった今の日本の社会、温暖化による自然災害の危険性は過去の経験を超えることが 多く、頻度も多くなる。社会形成も他国籍の人が増え、国際化・グローバル化が進みつつあ る生活環境です。自然災害や人間関係のストレスが必然的に増してくる。
 何事にもめげないで生きるしたたかさを育てる教育が、今、日本の子供達にも必要であり、 欠くことの出来ない条件となるであろうと思うのでした。




4月17日(木)
 退院後の1回目の診察が、3月25日だった。聴診器診察と血圧検査があり、心音も血圧値も 正常で、心筋機能改善と心不全の予防となる薬が1錠増して3錠になった。心筋リハビリ のため無理しない程度の歩行運動を進められた。
朝、近隣の家のお庭や、桜並木と菜の花いっぱいの堤防を眺めながら、一周して30分間歩く ことにしている。近頃は、歩く早さが健康時とほぼ同じスピードになったが、スタートと フィニッシュとのスピード較差が大きく、無理のないように調整しながら伴走者を務めて いる。

 4月4日(金)、花見を兼ねて快気祝いと洒落込んだ一泊のドライブに出た。遠出は無理なので 「近場で花見が出来てリラックスできるところ」を計画した。妻の要望で渥美半島の先端、 ビューホテルに宿を取った。
9時出発、途中23号線から見えるピンク色の桜の小山が眼に映った。移動1時間で小休止とし、 ここに寄ることとした。これが幸田町の文化広場公園のしだれ桜だった。ピンク色のしだれ た風情は日本人好みで可憐さがあり、ソメイヨシノの豪快さと対照的な日本的情緒を感じさ せる。公園を一巡して、野点のお茶を一服いただいた。町職員が観光客へのPRに当たり、 駐車場への案内や、お茶の接待にも誠意が溢れていて嬉しかった。

 ふたたび23号線を走り豊橋市の大崎ICで降りて国道259号線を田原方面に向かった。 この地の名山ともいえる蔵王山。登山道の桜も満開で楽しみながら頂上展望台へ。 山頂には風力発電の風車があり、見下ろすと海岸線には13基の風車が設置されていてみごと である。三河湾を渡る安定した風が風力発電に合っているらしい。

 渥美半島には。県指定の天然記念物にされている、しでこぶしの群生地があり、満開の花 に出会うことが出来た。"しで"とは玉串とか、
しめ縄などに付ける紙のことで、花弁がこの飾りに似ていることからこの名前がつけられた ものらしい。湿地帯を好み、高さ2mほど、もくれん科の低潅木で、他には岐阜県の一部に 見られる、珍しい貴重な植物である。

 宿には4時頃到着した。今回は夕日の見える部屋が取れて、伊勢湾に沈む春の夕日を存分に 堪能できた。翌朝、伊良湖水道の大型船の通過がめまぐるしかった。以前、仙台から乗った カーフェリー"いしかり"の勇士も見ることが出来て懐かしかった。恋路が浜から灯台を回 る遊歩道を散策してクリスタルポルトへ、地元のアマさんの姿も見え、聞くとわかめ取り とか。

帰り道は豊橋から豊川に迂回して佐奈川の桜を訪ねた、満開の桜堤ではウォークラリーが 開催されていた。川面を渡るこいのぼりや、河川敷に敷かれたお座敷での花見客、子供ずれの ラリー参加者で賑やかだった。
 妻の体調を考え早めに帰路に着き、4時帰宅。天気もよく花と海風に癒され、気分転換が 出来た、有意義な二日間の旅となった。




3月16日(日)
2月中旬は寒い日が続いた。妻がお医者さんから帰ってきて、
「坂道を登りながら胸キュンになった、待合室の暖かい所でじっとしていたら治った」という。
その前日にも同じ坂道で寒いビル風にあたったとき、急に胸キュンを感じていたのだ。
「狭心症が心配だから、先生に話し相談したら・・・」
高血圧でお世話になっている、掛かりつけのお医者さんにお話したところ、
「大きな病院で精密検査を受けてください」とのこと、紹介状をいただき次の月曜日、
更生病院を訪れた。

外来患者が多くて1時間半ほど待ちで診察を受けた、血液検査、レントゲン検査、心電図・ エコー検査と回り、その結果を総合して診断され説明を受けた、狭心症だった。カテーテル手術 の入院日程が決まり、薬をいただき、会計を済ませて、朝9時から5時間半の長い検査がおわった。
ところが、帰りの車の中で、また胸キュンになった。戴いたばかりの薬を車の中で開けて 1錠飲んだ。家に着いて、もう1錠飲んだが治らない、5分間後もう1錠、しかし治らない。
病院に電話した。
「救急患者で受け付けますから、すぐ来てください」藁おも掴む思いで病院に車を走らせた。 救急受付を済ませて診察室に入る。午前中に診察して下さったN先生が待っていて下さった。 直ちに胸部撮影をし、その結果をみて、N先生が説明してくださった。
「午前の状態とはまったく違って、心筋梗塞になっています。今からすぐ手術にかかります。 3階の手術室で行いますから、ご主人はここで待っていてください。あとで迎えにまいります」
と言い残して手術室に急がれた。若い女性の先生ながら人の命を預かる自信のひらめきを、 その立ち振る舞いと言葉の端に感じて信頼できた。それからの3時間の待ち時間の長かったこと。 心配と不安とが交錯した、神に祈りたい衝動にかられる、やるせないもどかしさの時間が流れた。
「手術はおわりました、いま、周りをきれいにしていますが患者さんとお話ができますから・・・」 先生の自信のある言葉の口調から不安が安堵感にかわった。

「ありがとうございました」
この時ほどお医者さんのありがたさが身に滲みたことはない。
「経過を説明しますのでご案内します」
心臓の血管映像を見ながら、
「血管のこの部分にステントを植え込みました」
と画面のマウスポインターで指示される。
神業的なの医療技術に感心するやら驚きやら、カテーテルステント治療とは、 名前は知っていたが只々驚くばかり。20年前だったら命が無かった病気なのだ。
10分後、集中治療室に移された妻に会う事ができた。

ベッドの回りは医療機器ばかり、足元に1基、頭の後に1基の表示機が置かれ、体に取り付けら れたセンサーから数種類の生データーが常時表示されている。酸素吸入、点滴、足は曲げない ように固定されており、物々しい機器に囲まれていた。可哀そうだがそれだけ大変な危険が伴 う病気だったのだ。妻は顔色もよく話が出来るのが有り難かった。
「よく頑張ったね」とだけしか言えなかった。 N先生は時々巡回して来て心臓の状態を見守っていて下さった。集中治療室の看護師さんは 2時間おきに見回り、患者の様態や、点滴の調製、機器の記録をしていって下さった。

5日目から一般病棟の個室に変わり、経過は至って順調だった。 12日間の入院生活が終わり、自宅に帰って2週間が過ぎた。今は、毎日薬漬けの状態ながら 次第に元気を取り戻し、食事の支度や電話の応対にも出られるようになった。
 HPのサイトながら、あらためて、大変お世話になったN先生に厚く厚く御礼申し上げます。




2月7日(木)
 いつの間にか早くも節分が過ぎてしまった。子供の頃、近所から「鬼は外、福は内」の掛け声 が聞こえてくると、近隣の子供達は夕闇のとばりが降りた道路に出て、お餅をくれる家を口コミ で知らせ合い、二、三人組みになって、月明かりの中を、あちらの家、こちらの家と走り回っ た。時には、豆まきの拾い役になってお座敷に上がり、はしゃいでいたことを思いだす。
我が家では、拾い役の子供たちが居なくなった今でも、妻が一人楽しんで「鬼は外、福は内」 と毎年欠かさず行っている。

 退職して久しいが、長年勤めた会社では、この季節になると週末の一日を「豆まきの日」と決 めて、仕事を定時で終了し、社員全員が講堂の畳の部屋に集まり節分の行事があった。地元の 神社で御祓いを受けたお札と供に、行事用の豆やお菓子箱、みかん箱が「枡」や「箕」に区分け されて上座に飾られた。社長に合わせて、全社員が2拝2拍手1拝をしてから、豆まきの「福は内、 福は内、鬼は外、鬼は外、」と始まるのだ。撒く側は、社長、専務、常務、その他の重役である。 このときばかりは上司も部下もなく無礼講のひと時とされていた。拾う側の社員は「大のおとな が・・・」と抵抗感もあり、てれくささもあったが、豆まきが始まると、我を忘れて童心に帰り、 興奮のひと時を味わうことができた。その間、20分〜30分くらいだろうか。会場へ入るとき渡 されたビニール袋に一杯になった行事のお土産を持って、豆まきの興奮を語らいながら、それ ぞれの我が家へと帰るのだった。

   いま、十幾年か過ぎて思い返すとき、あれは、非凡な社長が考えた「社員教育の一環」で従業 員へのいたわりの気持ちと、全社一丸となって業務に当たらせるための布石だったのだと解る。 日々の仕事の中ではストレスも溜まる、人間関係のトラブルも往々にして生まれやすい。 「福は内、鬼は外」のせりふを使って、社員の心の中のもやもやを神頼みながらの処分だった のだ。いっときでも、全ての憂さを忘れさせて、感情のもつれをリセットさせる。社員に連帯感 を植え付け、士気鼓舞させようとしたもので、今さらながら、人の心が読めるすばらしい社長だ ったのだと追憶している。




1月19日(土)
 長野県上田市の郊外に「無言館」という戦没画学生の遺作を集めた美術館がある。成人の 日、NHKの視点論点でここの館長である「窪島誠一郎」氏の出演があった。
何年か前、無言館の作品が「いのちの絵」展として地方を巡回したことがあり、機会を得て 鑑賞したことがある。戦没画学生の遺作という背景からかも知れないが、普通の美術展と違 った意味での感動を覚えて記憶に強く残っている。

 館長の言葉では、反戦運動や政治的なイデオロギーからではなく、誰もが持つ人間の本質 である、あの人が好きだから、あの人のために何かしてあげたいという人間愛と、心を奮起 させ励ましてくれるふるさとの山や、さわやかさを湛えるふるさとの川などの郷土愛から、 絵として描き残したいという願望が生まれて描いた作品であり、戦争に行くという、究極ま で追い詰められた時間のなかで凝縮された「絵描きの願望」が作品に表現されているから感 動に結びつくのだという。
また、無言館が、新成人に呼びかけ、1時間半ほど展示作品を見た後、著名人の言葉を添えて の成人式も行っているとか。

 わが家には、戦時中疎開してきた人が描いたという水彩画を2点ほど保存している。一枚は 中学生の頃、友達の家で、柱に画鋲で止められていたのを見つけて戴いてきたもの。もう一 枚は間借り生活をしていた頃、元庄屋をしていたという旧家に保存されていたもので、表裏 の両面に描かれた素描の習作らしいが、それなりの力量が見て取れる作品である。
どちらも、作者がどなたかであるかのお名前は判らないが力強いタッチが気に入って、60年 来我が家の宝物として大切に保存している。
戦時の物資の無かった時代にしては貴重な紙目の入った画用紙に描かれているのでそれなり の絵の勉強をされていたかただろうと推察される。戦中戦後の食糧難で、 絵を食べ物にかえたのか・・・、
とも考えられて心苦しい。

 成人式を迎えた人たちに、かつての若き画学生が望み半ばにして戦火に散っていった無念 さに思いを馳せるとき、戦時の苦難と対比される現在の平和の有難さ。安心して生活し、 働ける幸せを噛みしめながら、生きている命の大切さ。近隣の人との付き合いから、必然的 に生まれる、共に生きる気くばりの体験など。成人の日が、貴重な心の決意と整理につなが る節目の日となれば、より意義深く有効な記念日となるものと思うものである。