「I & Y のひととき」

2009年度

 12月 11月 10月  9月 8月 7月 6月  5月 4月 3月 2月  1月




12月12日(土)
 平成21年も師走半ば、一年を振り返ってみる。
長年続いた自民党政治から、民主党に政権が移った。これも世界同時不況の影響が 深層にあるのかな・・・とも思われる。が、一般社会の中で失業と貧困が目立つよ うになり、経済環境の悪化が表面化、「とげんかせんといかん」の流行語どおり、 大衆の総意から生まれたものである。新政権の鳩山内閣への期待は非常に大きい。

通貨の為替レート市場を展望するとき、円高市況は、輸出する製品価格を高価に設定し たことになり、相手側通貨立てなら安売りすることになる。いずれにしても、企 業側からみると、製品価格にしめる人件費の比率が高くなって、世界市場の競争力 が弱まり、企業利益に結びつかない。利益の上がらない企業は人件費削減にあの手 この手の策に奔走する。失業者の就職も、ますますむずかしく狭き門となってしま い、これでは景気の足を引っ張ることにもなる。

資源調達・会社工場の海外移転・食料品自給率・海外市場での販売率、等、ここまで 海外依存が大きくなった状態の社会では、国内の現状を査定し
想定した景気動向から、 生み出された失業対策や経済対策では、方策指針を誤りやすい。特に、12月 に入ってからの為替レート、「円の独歩高」は、円の金利はゼロ金利と言われる程 で、投機筋には魅力の無いものなのに、どうして世界から注目され買われるのか、 これには対処策がないのか、専門家の掘り下げた研究と、これに対する防衛策が必要 ではなかろうか。世界のお金持ちから、祭り上げられているだけの円高にみえる。 (ジャパンバッシングとも取れる) 日本の輸出企業には大変な打撃となっている。

景気対策の一つとして、赤字国際の大量発行する前に「円の独歩高」に対する政治 戦略はないものか、考えて戴きたい処である。中国経済のめざましい発展の裏には、 人件費の安さだけでなく、その通貨防衛策が大きく影響いているように思えてなら ない。
世界同時不況の渦の流れが、日本経済にしわ寄せされつつあるような金融市況に見 えて、心配である。企業業績が伸びない景気の中、今年度の税収(36.9兆円)に対し、 大量の赤字国債発行(44兆円)もインフレ進行経済となりに風当たりが大きいだろう。

 我が家の一年は、妻の健康が一番心配だったが、3カ月ごとの検診も、N先生に見 守られながら順調に推移し感謝の毎日で、本人の自信にもなった経過の良さが最も 嬉しく、幸せ感ずるものでした。長男家族と共に伊勢志摩への旅も出来、初秋の富士 見台の旅、合掌造り宿泊の旅も楽しいものでした。





11月20日(金)
 世界遺産となった合掌造りの民宿に一泊しようと旅にでた。富山県と岐阜県との県境 に近い南砺市、五箇山、相倉合掌集落。国道156号から分岐した304号を少しばかり山を 登り、集落への生活道路となる山間の道を1km程縫って走ると忽然と合掌集落が目に飛び 込んでくる。その入り口には駐車場があり、一般車はここまで、宿泊客はそれぞれ宿の 駐車場まではいることができる。宿泊予約をしていた「与茂四郎」さんは、合掌屋根に 明かりとり窓があり、すぐ見つかった。民宿は、先代から続いているとのこと、現在、 ご夫妻で経営しており、いろりを囲みながら、奥様の手料理と、話題豊富なお話で時間 を忘れさせる一時が過ぎた。

 こきりこ節の格調高い衣装と哀調にのった民謡からもうかがえる、平家の落人が住み 着いたと伝えられている伝統の集落。手の平を合わせた形、合掌造りの屋根、葺き替え には幾十人もの人手が必要で、それに備えたカヤの準備と資金の蓄え。冬期は雪に閉ざ される豪雪地域、緊急の生活必需品を求めるにも、深い雪道を歩いて山越えしなければ ならなかった一昔前。若者たちは、仕事を求めて街に出ると、街の生活になじみ、この 地を見限って離散して行く家族も多かったという。文化遺産として指定され、国の補助 が大きな助けになった。近年、世界遺産にも指定され、自動車の発達と共に道路開発と 整備が充実して、観光客も増加し生活も一変したという。

 常に生活のやりくりが共にある中では、「ここを新しい建材を使って改良したい、間取 りを変えたい」など、幾多の願望も各所で発生する、文化遺産のメンテナンスはそれに伴 った規格や制限が有り、気ままにはならない。
しかも、幾百年の伝統ある建築や古代の生活様式は、それ自体で文化的価値があり、保存 して後世に伝えなければならない責任が付いてまわるもの。個人の所有物でありながら、 自由にならない、痛しかゆしのもどかしさを味わうことも多かろう。

大自然の水の恵み、山菜や山の恵み、フトンチットの多い空気の恵み、畑の手入れをして いるおばさんに聞いた。
「夫婦けやきに行くにはこの道を行くんですか」
「この道だけんど、今日は、水が多いけん・・・、行かんほうが・・・、    この時間からでは、地元の人でも、あんまりいかんけん・・・」
そのお話ぶりから人柄の温もりを覚えた。この地ならではの生活から生まれた 相互扶助の精神、自然環境からの教えが人間関係の味付けになっている。
とかく、近代化の波にのまれた便利さ一辺倒の社会で、忘れられ、軽んじられた助け合 いの人情が、この地には厳然と根付いており、新たな光として新鮮にさえみえる。近代 的な便利さもほどほどに取り入れられた山間の生活。本来人間が持っている「平和と 安らぎを求める環境」がここにある。いろりの炭火の温もりと共に、遠赤外線がハート にまで届き、リタイヤ後の生活の在り方を顧みるとき、ハイレベルの環境価値がここに あると評価したい。





10月14日(水)
 10月9日未明、大型台風18号が伊勢湾内の知多半島に上陸、時速55kmで本州縦断の形で 駆け抜けていった。私達の住む街が通過コースに当ってしまったが、幸い、我が家にも、 身近な周辺にも何の被害もなかった。
我が家は2階の南側が物干し用のベランダになっていて、夏の日差し除けのテントがつけ てある。台風の強風時には、ここが一番の弱点で、窓側に下ろし固定、雨戸代わりの防護 策となるよう設計されている。テレビの台風情報で、先ずこのテントを下ろし、そのほか 窓の雨戸を閉め、植木鉢を棚から下ろす程度の対策で万全とはいえず心配は残っていた。

 10年来の大型台風とか、伊勢湾台風の再来かとマスコミ情報は厳しく、三重県の伊勢湾岸 沿いでは避難勧告が出された市町村が多く、名古屋港も防潮堤が閉められた。暴風雨が激し かった時間帯は9日未明のAM3時から6時までの3時間程で、明るくなると急に風が弱くなり、 吹き返しの風もそれほど強くなく、いつ台風が通過したのか判然としなかった。気象台の 情報では「台風は伊勢湾内の知多半島に上陸し、・・・」と発表された。午後になって日が 差してから西風が強くなり、これが吹き返しかと思はれるほどだった。伊勢湾台風より 上陸点が少し東にそれていたとは言え、ほぼ台風の中心が頭上を通過したらしい、上陸まえ の台風雲が広範囲に広がったのが幸いしたのかもしれない。
「台風の中心が通ったのに風の被害が少なくて何よりでした」との近郊の梨農家の話もあっ た。
ともあれ、災害発生も少なくて安堵の胸をなでおろした形である。

 今回の台風は気象衛星の写真にも写し出されていたように、潮岬に近づいた頃から雲の範囲 が大きく広がり、中心の目が消えてしまった。台風のエネルギーが広範囲に分散されて、中心 部は風・雨共に弱まり周辺部に移動した状態で日本列島に上陸したようである。進行スピードが 早かったためか、コースの東側で突風の被害が多く、豊橋港でコンテナ置き場のコンテナが流さ れたり、渥美半島の農業ハウスが風に飛ばされた被害、幾百年の樹齢を持つ大木が倒されたり、 停電被害が各所に発生、多くの家庭が暗い夜をすごしたり、名鉄本線の運休が一日続いたりもし た。しかし、被害が局所的で一過性での発生が多く、大惨事にならなかったのは不幸中の幸いと いえよう。また、台風の中心部の雨風がそれほど強くなく周辺に被害か多かった台風はあまり 例が無く、今後の研究課題になりそうな宿題を提示しているようでもある。





9月15日(火)
初秋の涼を求めて、南アルプスが一望できる富士見台高原を訪れた。「天空の楽園、 ヘブンスそのはら」のキャッチフレーズでPRしている海抜1400m〜1739mの高原。山行きは まず天気が第一、予報では「東海地方は、秋の移動性高気圧に覆われて一日晴れ」との こと。台風12号が東の海上に去って秋らしい晴天が二日ほど続いていたから空気の透明度が 幾らか落ちているのでは、と心配しながらの出発である。 園原のロープウエイ山麓駅には11時半到着した。ゴンドラリフトは所要時間10分間、 距離2500m、谷を一つ越えて標高差600mの山頂駅に到着する。気温が2〜3度低くなっている のを深呼吸しながら体感する。観光客はまばらであり、現役を引退した年配者ばかり。 夏が過ぎ、紅葉には早すぎ、平日でもあるから当然だろう。しかし、日ごろの仕事や 夏バテ、ストレス解消には、この季節の静かさと、広いお花畑に癒され、山肌を吹き 上げる涼風が最適な環境を作っているようにも思はれる。

 スキーリフトを乗り継いで展望台(海抜1600m)に登る。リフトを降りると富士見台高原 登山口まで行く定期遊覧バスがあり15分で登山口の萬岳荘に到着、「山頂まで1.5km」の 看板がある。帰りのバス便15時00分を確認し、登山道を登り始める。標高差で150m程だ ろうか、一面のクマザサの中をジグザグに登山道が付いている。妻も一緒に登り始めたが 心筋梗塞の手術から1年半経過の体で無理をさせられない。
「マイペースで登り、景色の良いところで休みながら待っていて」と、妻と別れて登る ことにした。

 15分程登って中津川の市街が見える尾根に出た。ここからは尾根伝いに北へ登山道が 続く、登り勾配は緩やかになり吹き上げてくる西風は頬にやさしかった。神坂小屋と書 かれた看板の小屋が二棟あり、それを過ぎると再び勾配を増す、登り切ると一段と視野 が開けた尾根に出る。500m先に目的地の富士見台の山頂が見えた。
頂上からの展望は北に御嶽山、乗鞍岳が頭を雲に隠している、その右側に中央アルプス 険しい山並みが続き、北東から東にかけては南アルプスの名峰が広角パノラマとなって 開けている。南には、登ってきた道がクマザサのスロープの中を途切れて連なり、その 彼方に恵那山の黒々とした山肌がそそり立つ。西側は中津川市街地から中央高速道が手前 側に伸びてきて足元の山を貫き恵那山トンネルとなっている。
展望を写真に収め終わると、中高年のご夫婦が登ってきた。
「妻が途中で待っているからお先に失礼します」と挨拶を交わして下り始めた。50m程 下ったところで登ってくる妻の姿を発見。
「ここまでよく頑張ったね、心臓の鼓動は大丈夫・・・???」
「ゆっくり歩いて来たから」と、顔色もよく元気である。普段の生活ではまったく考えられ ない健闘ぶりで嬉しいことだったが、カラ元気を作っているのでは?、と、ふと思い心配 でもあった。

 その後無事帰宅して、2日過ぎたが筋肉痛も出ないし、体調もいいと言う。当人も「不思 議だ、不思議だ」と繰り返すから本物らしい。力強い実績が出来たのは確かであろうが、 心臓は異状になるまで事前の危険信号を発信しない臓器である、あまり自信を持ち すぎて無理をしないよう注意が必要な感じもする。ともかく手術後の経過が非常によいこと を証明してくれた思いで喜ばしいことである。





8月17日(月)
 知人から花火観覧の招待があり、打ち上げ花火の会場席で食事をしながら、すさまじい 炸裂音の花火を見ることが出来た。頭上で開く花火の美しさと壮絶さを味わった。
打ち上げの轟音と共に、光線の軌跡が交差するデモンストレーション花火、 続く頭上に開く天蓋の星々、腹の奥底に響き渡る炸裂音、観客のテンションは一気に盛り 上げられて開幕した。観客の雰囲気は光と音に圧倒されて、現状の居場所も忘れ、 しがらみ、悩み、欲望、個人的環境、会場の雑踏までも鷲づかみ、一時棚上げして 別世界の次元に陶酔させてくれた。

 赤、黄、緑、青、紫、近頃の花火はどんな色も発光させることが出来、それらの星の中 に放射状の装飾線の「流れる星」が入ったり、二重、三重の色リングが出来ていたり、リ ングの形が楕円形やハートや蝶の形になったり、枝垂れ柳になったり、星の色が二回三回 変わって消えていったり、連続打ち上げで、頭上いちめんの無数の星の光で、昼間にまが う明るさに輝き、河川敷が浮かび上がる。そのバリエーションの多さに驚かされた。

 この花火大会は、刈谷市が主催する「刈谷わんさか祭り」の一環で市総合運動公園の西 側を流れる逢妻川河川敷で開かれた。約7000発の打ち上げ花火とナイヤガラと称される仕 掛け花火が川面に映えて、堤防沿いに陣取った観光客の喝采の拍手に包まれた。昼間は、 盆休みも重なり、大勢の家族連れで賑わいを見せ、公園内では市民盆踊り大会や伝統芸能 の披露も開かれていたそうです。

 三河地方は打ち上げ花火の発祥の地と言われており、その元祖は、火薬を扱いなれた忍者 とも、花火好きな寺の和尚さんとも、武士の作戦合図とする「のろし」を上げるために開発 されたものとも言われており、NHKの内多アナが東奔西走して作成された番組があった。観 光用の打ち上げ花火の技術は世界に誇れるものだそうである。
昔から火薬の扱いは危険が伴い、命を賭けた花火師達の研究と努力で今日の絢爛豪華な光 の祭典があるのだろうと思われる。爆裂音は多くの観客の腹の底まで響き渡る迫力で、その 光と音の相乗効果で観客を圧倒する。奇しくも終戦記念日の8月15日であり、戦中派の人たち には、火薬の爆裂音は空襲や戦争体験と重なり恐怖を呼び覚まされる一面もあろうかと危惧 されるところだが、一連の光・音がおさまって観客の拍手に変わるとき、平和の有り難さが幸 せな思いに変わるのをしみじみと感慨深くかみ締めるのでした。




7月23日(木)
 先日、「ささゆりの里」を訪ねる機会があった。豊橋市の南部、伊古部町。海亀の産卵 保護で有名になった表浜といわれる太平洋岸に面した小高い山の谷間にあった。この付近 の山には元来自生していた「ささゆり」だった。が、衰退し絶滅するのを惜しんで、地元 の人たちが保護の手を入れたり、育成したものを植え足したりし、地域ぐるみで対処して きたものである。


 終戦直後の食糧難だった頃、この地の山も、自然薯堀や、百合根堀で山が荒らされた時期 があった。その後も高度成長期にはいり宅地開発の波がこの地域にも押し寄せ、土地の造成 や道路建設などで、埋め立てや盛り土が行われ、地中の水の道が変わったり、日射環境が 妨げられたりして生育環境が変化し、多くの自生地が衰退の一途をたどった。
バブルがはじけて安定成長が叫ばれる頃になって、失われた自然遺産の回復に眼が向けられ るようになり、地元有志の人たちの発案でこの山肌の一角を「ささ百合の里」と名付けて 保護育成に力を入れてきた。

現在、保護されている山肌には二三百のささゆりが自生の形で、草や立ち木の中で生育され ており、一見しただけでは、花が咲いているものしかその存在が見分けられない状態だが、 よくみると花をつけない球根育成中の株の多さに驚かされる。それが一段と自然美の味と なり風情をかもしている。ささ百合は種から育成すると花が咲くのに数年かかり長期計画と なる。子供の頃、母と兄達が山の田んぼ仕事から帰ったとき、ささ百合の花を二三本採って きて花瓶に挿して飾っていた記憶が頭をよぎる。
 観覧用の遊歩道を登りつめると山の尾根になる。尾根伝いに50mほど南下すると海を見 下ろす展望のきく山頂に出る。広い太平洋と眼下の砂浜に寄せる白波が目に飛び込んでくる。 よく見ると、岸から数百メートル沖あいに岩礁があり、灯標らしいものが6基設置されている。 夜の漁が多くなった現在では、安全確保に無くてはならないものだろうと推察される。

「ささ百合の里」で、風光明媚な海と白砂に寄せる波を目前にするとき、観光で訪れた沖縄 を思い出す。戦争末期の悲惨な戦火に、青春の若い命を散らした「ひめゆり学徒隊」。米軍 に追われて、島の最南端まで追い詰められ、逃げまどい、「魔文仁の丘」の断崖から飛び降 り自殺した地元民の痛恨の惨禍があったこと。この地で、心ならずも戦火に散った数多くの 犠牲者名を刻んだ黒い大理石の碑。
「魔文仁の丘」も平和になった今は、打ち寄せる波の音と共に、広々とした太平洋を見下ろ す風光明媚な展望の地だったことを。





6月8日(月)
 先月、NHK総合「クイズでGO!天竜浜名湖鉄道」で放送されたローカル線の旅番組があった。 風光明媚な奥浜名湖沿線の風景とともに、歴史に残る古寺名刹の石占い、地名の由来説、 国鉄時代の設備や建物が国指定有形文化財となった遺産、土地の名産品がクイズ形式に編集 され紹介されていた。私の郷里に程近いところでもあり、ローカルな風景や昔懐かしい建物 にノスタルジックな雰囲気が味わいたくて、「天浜線一日フリー切符」をもとめて妻と二人 旅としゃれ込んだ。

 三ケ日駅に車を止めて、一日フリー切符をお願いする。
「どちらの駅が目的ですか」と駅長さんが明るく声を掛けてくれた。
「テレビで放送していた天竜二俣駅、機関車を方向転換する転車台です」
「ああ、あそこの転車台・・・あれは予約がないと見られないんだ。が、よし、二俣駅に電話 入れといてやろう」と電話してくれた。
「見せてくれるかどうか分らないが、先ずいってみて下さい」といわれた。
9時07分三ケ日駅発の電車に乗り込んだ。久しぶりの各駅停車の旅だったが、緑のトンネルを縫 って走る1輌だけの車輌ながら、その走りの俊敏さが小気味よい。西鹿島駅を過ぎ天竜川を渡る 鉄橋のちらつきが子供の頃の列車の旅の雰囲気を思い出させて楽しい。終点、天竜二俣駅に到着 した。ここで乗り換え時間が33分間ほどあるので運転手さんに聞いた。
「テレビで放送された「転車台」が見えますか?」
「向こう側のホームの先までいったら少しは見えるかも」といわれた。
 下りホームに渡り「扇形車庫」の一部が見えてきた。もう少し、もう少し、と降りていくと 機関区の作業員一人が走ってきて
「お前たちどこから入ってきたのだ、ここに入ってはだめだ」と、高飛車な言葉。
「転車台がみたいですが、カメラだけちょっと撮らせてほしいです・・・」
「だめだ!だめだ!予約がないと見せられない」と、
まったく取り合ってくれず、追い返されてしまった。
 車両の入れ替えなどで、一般人が構内にはいると危険であるという、国鉄時代の規則にのっとっ て予約制になっていると推察され、今回は仕方が無いとあきらめた。しかし、現在の世相は車社会、 一般道でも車の流れを見て安全を確かめて横断するのが常識化され、生活の一部として身について いる。乗り換え待ち時間を利用しての観光客が見学できるコースを作れば、乗客サービスの一助に もなろうというのに。NHK総合テレビ、しかも、全国放送で放送されて間もないこの時期、なんとも レトロな仕来たりにかたくなな人が居るものだ。

 国指定の有形文化財に指定された設備であり、建物であるから、観光用に大々的にPRしたら・・・、 乗客獲得への最良の資産だと思われるのに、実にもったいない話である。デジタルカメラ・携帯 電話・高齢化社会となりつつある現在、観光への潮流は、ローカル線の旅が人気を集めているの は確かである。観光客を引き寄せるチャンスでもあるからNHKも「ローカル線の旅」を企画し、取 り入れたと思う。機関区の担当者としては自分の働く聖域を汚されたくない思いが先立っての態度 だろうが・・・、有形文化財は活用してこそ価値がある、固定客だけに固執せず、新しい客層の 開拓に進まなければ経営も成り立たない。建物・設備はレトロのまま残してほしい。が、働く人の 心までレトロでは今の社会は受け入れてくれない、観光客が邪魔になるのでしたら、観覧席や通路 を仕切るなどして、観覧を常時開放し、乗客確保に道を切り開いてほしい。
 
 三ケ日駅長さんに頂いた列車時刻表が大変役立ち、お陰様で一日、存分に楽しめました。またいつ か「天竜舟下り」や「フルーツパーク」に行ってみたいと考えます。駅長さんの暖かい接客態度に あらためて感謝します。お世話になりありがとうございました。





5月17日(日)
ゴールデンウイークを楽しんだ年代は遠く彼方になったが、若葉のさわやかな空気の中を歩く 心地よさは、自然のエネルギーを戴き、生きる喜びと夢をかきたてられ若返る思いである。 連休中のレジャー外出は現役世代の人達に譲り、GWも一段落した先日、スキーの季節は混雑 したであろう茶臼山高原を訪れた。スキー場が芝桜の花園に変身するという前宣伝もあり、 雨上がりから2日目、風がやや強かったが塵が吹き払われ山々の展望が鮮やかだろうと計画した。

 高原のスキーゲレンデは緑の芝生になっていてどこにも花畑が見当たらない、以前はリフト 下の山肌がお花畑になっていたから、そこが芝桜の花園になったのかと勝手に想像していた。 ゲレンデに近い位置の駐車場に車を止めてぐるりと見渡したが何処にもない。 萩太郎山展望台に登るスキーリフトが動いていて乗客が列をつくっている。リフト券売り場へ 行けば解るだろうと行ってみる、「天空の花回廊」のパンフレットがあった。それにしても 芝桜の群落は相当の広さがあり、どこかに少しは見えるだろうと半身半疑に思いながらリフト で登ることにした。10分ほど乗ってリフトが頂上近くになると北西の寒風をまともに受けて 激しく横揺れし凍える寒さである。と、その時、忽然と現れたピンク、赤、紫、白、の絨毯 模様が目に飛び込んできた。ここにあったのだ。山の北西斜面、ゲレンデの最上部であり木立 に囲まれて、駐車場広場からもゲレンデからも見えない山の裏側にあったのだ。それにしても 寒い、寒風はごうごうと北側の木々を震わせ中継鉄塔を唸らせている。リフトを降り、頂上の 広場に立つと、風は頭上を吹き抜けて行き風当たりがないのが不思議である。展望広場の石に 腰を下ろすと日差しに暖められた温もりが心地よく、持ってきた昼食が腹と体をあたためて くれた。

 芝桜の園は展望広場から少し下った北側斜面にあり、吹き上げてくる強い風当たりの中を 歩かなければならなかった。よくぞこの気温と強風の中で鮮やかな色彩の花が咲くものだと、 その生命力と環境対応力に驚きを覚える。芝桜の根元には風で砂が飛ばされるのを防ぐため か砕石が敷かれていた。畑は造成中や生育中の苗も多く、植栽計画によると現状が3年目に あたり、発足計画半ばである。3、4年後の完成花壇「天井の花回廊」は一段とその規模を 増大し、楽しみな別天地になることでしょう。そして、何よりも、リフトの終点近くで突然見 せ付ける演出効果となる位置環境が観光客の感動をクローズアップさせ、高所からの山並み 展望と新緑の空気とが相乗効果を生み出し、客の満足感に繋がることとなるでしょう。
もう一度、風のない温かな日差しの中でゆっくり散策を楽しみたいものである。





4月20日(月)
 妻の病気平癒の感謝の気持ちを込めて伊勢神宮の内宮外宮参拝と志摩半島観光を目的地とし、 長男家族と共に5名での一泊二日のドライブに出た。この季節の土日、伊勢神宮近郊の宿は学校 が春休みとなっているので混雑している。伊勢から少し離れた志摩半島の安乗崎灯台が絵画 のモチーフにもなろうか、との目安から宿を選ぶこととした。が、始めての地域なのでなか なか思うにまかせない、嫁がネットで調べて
「灯台の近くで口コミ評判の良い宿があるから・・・」とTelをくれた。
アドレスを開いてみた。灯台まで300mほどで、地理的には申し分ないところである。
「良いところを見つけてくれました」と、さっそく嫁に予約の依頼をして宿が決まった。

 当日は、計らずも高速道路がどこまで走っても1000円という景気対策の初日となった。伊勢 湾岸道路を気持ちよく走り、途中、湾岸道路と東名阪との合流点で少し渋滞があったが ほぼ順調に伊勢西ICに到着した。最初に外宮を参拝した。ウイークデーしか外出しない私達 には意外と多い人出にびっくり、しかし、神域に入ると独特の空気が流れていて、敬虔な心境 になり、お静まりを掛けられるのが不思議である。続いて内宮に向かったが「おかげ横丁」は、 まるで祭りの催し物でもあるような人ごみの様相で、なんとか昼食をすませて内宮参拝に向か った。宇治橋は工事途中で仮りの橋が出来ていた。玉砂利の巡拝通路は初詣並みの人ごみであ る。
おかげ横丁見物は明日のお楽しみとして安乗崎の宿へと向かった。伊勢市を出ると車の数 も急に少なくなり、桜や新緑の、のどかな山野を眺めながら走り、溺れ谷といわれる的矢湾の 海とも湖とも判別できない岸辺を走り、変化の楽しめるコースである。
安乗崎に近づくと海風に倒された幹立ちの樹木が見られて外海が近づいたことが分かる。宿に 近づいた岬への道は、漁村の素朴さの残る狭い道で1車線となり、カーナビが無かったら心配 で入って行けない、漁港の防波堤を兼ねたものだった。ともあれ岬の先端の宿に到着した。 ネットでの口コミ道理の美人で愛想のいい女将に案内されて部屋に落ち着いた。

 お茶を頂き、まだ日暮れまで2時間程あるので、灯台を拝見しようと出掛けた。映画「喜び も悲しみも幾年月」のモデルになったといわれる四角形で白亜の灯台はそれなりの威容を感じ、 画材として十分なモチーフである、断崖の岩場と波頭とがすばらしい調和を作っている。 絵画とするには、光の当たり方で夕日とするか、朝日とするかが選択のしどころである。
翌朝7時、西よりの風が非常に強かったが、半島の西側の断崖を吹き上がって流れ、松風の音 だけが頭上に響き、灯台前の園地ではそれほど強い風当たりは無かった。朝日に輝く灯台と 断崖とをカメラに収めることが出来た。9時から灯台の展望台が公開されるので、朝食をすま せ、再び訪れて登ることが出来た。大王崎から神島・伊良湖岬まで遠望できて壮観である。 伝統ある古い遺跡としても価値有る灯台を地元のご夫婦の方がボランティアで管理されてい るとのこと頭が下がる。

 二日目のコースはパールロードを使って鳥羽を経由し、伊勢志摩スカイラインを通って伊 勢市に向かうコースとした。途中で「伊雑宮」(海女さんの守り神・三大お田植え祭のひとつ) を参拝、パールロードの駐車場を兼ねた展望台に立ち寄って、春の日差しに輝く的矢湾のパノ ラマを満喫、鳥羽展望台パーキングエリアで昼食を済ませた。パールロード随一の本格的な 鳥羽展望台からの神島は、伊勢志摩スカイラインから見る神島より近くにあることに気づい た。伊良湖水道から外海の雄大さは一幅の絵ではなく、少年に大志を抱かせる壮大さがある ように思えた。
再び伊勢に入り「おかげ横丁」で買い物して帰路に着いた。伊勢自動車道と東名阪との合流 点手前20km先から渋滞がはじまりのろのろ運転がしばらく続いたが、途中サービスエリヤで 夕食を済ませ、湾岸道路に入って順調な走りとなり帰宅でき、満足な旅でした。





3月17日(火)
 冬の寒さもようやく終わりに近づき、別れと出会いの月やよい三月も半ばになった。 中学校の卒業式が3月6日に終わり、小学校が19日になっている。「仰げばとうとし」 の曲が流れると、六十有余年が過ぎ去った今でも、ほろ苦さのにじむ卒業式の記憶が よみがえる。 明るくなった春の光の中に卒業式を終えたばかりの中学生を見るとき、 若さがみなぎる彼らの「人生・次のステップ」を考えてしまう。

 若き肢体の中にひそめるしなやかな心には、どのような夢があるだろう、その夢を 達成するために敷かれたレールは、どの方向に向いているのだろう。レールは何万本 とある中から、好むと好まざるとにかかわらず、自分に合った一本の道を選択しなけ ればならない。「人の世は山あり谷あり」というが、具体的にはどのようなものであ ろうか。十数年の経験しか持たない彼らには、判断の出来にくい始めての人生課題で ある。それだけに、親、兄弟、先輩たち、学校の先生、みぢかなおとな達のアドバイ スが必要になろうかと思われる。しかし、いくら人生経験を積んだ見識者でも決定的 な最善な道を判断が出来る人はいない。誰にも、それぞれ異なった個性があり特性が ある、それを計算にいれた進路方向が絶対必要条件であるからだ。だが、その個性と いうもの、親にも兄弟にも掴みきれないしれもので、本人ですら漫然としか解らない のが人間である。
 芸術は一種の自分探しだとも言われる。誰もが生きて行くためには避けて通れない選 択課題である。だから人の世は面白い。「好きこそ物の上手なれ」中学卒業の年代で も「好みの分野」はある程度方向付けされているだろうが、やはりまだまだ人生デー ターが不足である、人としての勉強と経験と体力を付ける事が先決であり、その基礎 資料集めに専念することだろうと思われる。

 この3月、何万人もの中学生が、多くの知人や先生のアドバイスがあったにもせよ、 始めて自分で進路を選択し最終決定した方向にむかって、人生行路に船出していく。 達成の喜びあり、感動の楽しさあり、必然の悲しみあり、人間関係の怒りや悩みがあ ったり・・・の貴重な経験をすることになる。
過ぎ去れば、雨の日も風の日も乗り越えて、社会とはこんなものなのかと・・・必然 と共に生かされ、流れに乗っている自分がそこにある。





2月10日(火)
 昨夜来の雨が上がり、しっとりした早春の青空に恵まれた。今月に入り咲き始めた梅の花が 満開の見ごろになっている。光の中で二羽の目白が仲良く花から花へ朝食の蜜をついばんで いる。車や通行人があると敬遠し、ツバキやムベの葉蔭に隠れたり、独特の鳴き声で連絡し ながら、その可愛いいしぐさを見せている。

 妻の手術後、一年の定期検診がおわった。血液検査と心電図検査を3カ月ごとに定期的に受 けているが、今回は心電図検査の際、心臓の負荷運動で動悸が上がったようである。普段時の 記録を先にとり、階段の上下を既定の速度で3分間の運動した直後の記録をとり、比較するも のである。N先生は終始にこやかに、
「ほぼ順調で大きな心配はありません、運動していますか」といわれた。
「1日30分〜40分、日中、暖かい時間帯に歩いています。今日の検査では階段の上がり降りで 鼓動が激しくなり大変でした、べットに寝て心電図記録中に高鳴りが治まっていくのが分か りました。」
「心配するほどではありませんが・・・それでは後3カ月こちらでみることにしましょうか・・・」
「ぜひお願いします、先生のお世話になっているだけでも安心です」
先回の検査のとき、1年が過ぎたら地元のかかりつけのお医者さんに、との話もあったが、 今回の動悸が心配で、出来るだけ長く専門医にご厄介になっていたほうが何かと安心できるの で・・・、心臓壁の6分の1が壊死していると言われていたので、
「壊死した壁面はどうなるんでしょうか、孔が開いたりしませんか」
「稀にはありますが、傷が治るように徐々に埋まっていきます、が、元のようには動きませ ん。」とのこと。
やはり心臓が馬力不足になっていて、運動耐力が弱まっているらしい。
 
 心臓は一瞬たりとも休むことがゆるされない臓器です。その臓器の力が6分の1小さくなっている。 今後の生活の在り方をどのように組み立て考えるか、心臓リハビリを勉強しながら、リハビリ運動 と食事療法とを車の両輪と考え、注意を怠らない生活態度が必要だと痛感するのでした。
 去年の2月は狭心症や心筋梗塞の手術に続く入院で、梅の花をめでる余裕も時間もなかった。 散る花びらが車に降りかかり、毎日、これを払い落して、病院へ急いだことを思い出す。満開の梅の花 を見るとき、元気になった妻の姿が嬉しく、あらためてN先生への感謝が一段と深まるのでした。





1月17日(土)
 正月三が日は天気もよく夢のように過ぎてしまった。経済不況の現況も現役リタイア生活 では直接の風当たりは少ないが、近頃のテレビや新聞ニュースには、心痛を覚えることが多 い。ともあれ、我が家に来た身近な200通余りの年賀状の範囲では、平穏で幸せな生活環境 の人々が総であり、めでたい年初めの幕開けであったといえる。

 正月みっかめ、妻が漁船の大漁旗が見たいというので、知多半島の漁港めぐりドライブに 出かけた。南知多道路を南下して美浜ICを出て冨具崎港に着いた。晴天ながら寒気に伴う 北風が強く防波堤に立つと吹き飛ばされそうな強風で、風の強さに追い立てられる思いで 車内に戻り、熱いコーヒーを飲みながら車中より眺めることになった。大漁旗で飾られた 船は漁港に繋がれた20隻ほどの中でたった1隻のみだった。が、強い北風に吹き払われた大気 は、水平線のかなたの中部国際空港へ着陸しようとする、微速の着陸飛行をくっきりと見 せてくれた。

 気を取り直して次の目的地、豊浜漁港へ向かった。野間崎灯台から南知多海岸、季節はずれ の海水浴場や海岸風景を眺めながら、「魚ひろば」のある豊浜漁港に到着。
ここでは大漁旗がはためき、正月気分もあって、魚を求める人や観光客で、広場の駐車場は 満車に近かった。店内はごった返す人波で溢れ、全長70cmもあろう「ぶり」が生きた姿で、 口を動かし尾ひれでまな板を叩いていた。
漁船を繋ぐ岸壁に続く広場では,漁具の網が干されていて、正月休みもなく、漁具を繕う人影 があり、また、大漁旗を撮影するカメラマンも幾人か見かけた。

 知多半島の先端、師崎港は伊良湖岬へ渡るフェリーの発着港で、いつ来ても、この駐車場は 満車になっているが、釣り客の車が多いから、正月ぐらいは空いているかなと・・・ 期待していたが、やはり満車だった。駐車場を一回りして、隣の港、片名漁港と大井漁港 へ立ち寄った。大漁旗は観るものがなく、「弘法大師上陸の地」として海中の岩に大師像が 建てられた海岸に回った。山側が小高い展望台になっていて、ここから見下ろす海上風景は 、近くの島々と船の往来が目下に見られ、小鳥の鳴き声も聞かれて爽快であり、ひと時の幸 せを見付けることができた。

 今年の漁港は、昨年の燃料高騰が響いてか、年始飾りを省略する風潮があるように思われた。 大漁旗も、各戸の正月飾りも、少なくなったようで、「正月三が日」と言われた、平日と祝い 日との「けじめ」もなくなってきている。仕事がらみから、季節を楽しむ雅の心が影をひそめ、 気持に余裕がなく、「盆も正月も無い」世知辛い心境なのか・・・。  効率一辺倒で余裕のない職場の在り方と、市場第一主義の経済の流れが、人の心のすさみ を生み、人命軽視にまで連なる流れになっているように、ふと、思はれるのでした。