窓から差し込む月明かりが、部屋の中を照らしていた。
板張りの床に、分厚い板を釘で打ちつけただけの机。
薄く埃を被った引き出し。
幾つかの簡素な調度品が、そのシルエットを浮かび上がらせていた。
月の綺麗な、夜であった。
バネの死んだベッドの上に、寝転んでいる者があった。
女であった。
青白い肌をしている、線の細い肢体。
胸は薄く、微かに肋骨が浮き出ていた。
少女から女性へと、移り変わる中途にある身体つきだった。
彼女は一糸纏わぬ姿で、横を向いて眠っていた。
その上に、一枚の毛布が掛けられた。
掛けたのは、老齢の男性であった。
局部こそ布で覆われていたものの、彼もほぼ裸身に近い格好であった。
年齢を感じさせない、鍛えられた身体をしていた。
腹筋は割れていた。
首も太い。
顔の皮膚に皺が刻まれ、頭髪が褪せた銀色をしていなければ、四十歳代中盤といっても通用しそうなほどであった。
男は、窓から空を見上げた。
月が中天に昇っていた。
雲ひとつ無い、晴れた夜空であった。
しばらくの間見とれていると、ベッドが軋む音がした。
先刻まで眠っていた少女が、何時の間にか目を覚ましていた。
「悪いな。起こしてしまったか」
男が声を掛けた。
少女は、首をゆっくりと左右に振って否定の意を表した。
そして、ベッドから降り、男の側へと擦り寄ってきた。
後ろから、男の身体に両腕を回した。
背中に頬を預けて、目を閉じた。
その動作の一つひとつが、どこか不自然で、ぎくしゃくとしていた。
よく出来たからくり人形のようであった。
『せんせい・・・・・・』
少女は、男のことをそう呼んだ。
「なんだ」
男は、短く答えた。
『あと、どのくらい此処に滞在するのですか』
その質問の意味が、彼にはよく分かった。
だから、出来る限り優しい声音で返事をした。
「なあに、心配するな。俺とお前が組むんだから、大丈夫さ」
質問に答えていなかった。
男は少女の言わんとすることに気づき、先回りして答えたのであった。
少女は微かに顔をしかめた。
『ですが・・・・・・』
「心配か?」
男のさも意外そうな口振りが、少女にとっては腹立たしかった。
『当たり前です』
短く言って、それから一呼吸置き、付け足した。
『・・・・・・金稼ぎのためにあそこへ行こうだなんて、悪い冗談です。
古代王朝の財宝がどうのという噂、本気で信じているのですか』
「いいや」
『なら、どうして。腕試しのつもりですか』
「そんな大げさなもんじゃないさ。ちょっと行って、適当に様子を見てくるだけだ。
あの森に関する情報は、信じられないほど高く売れるからな。いい路銀稼ぎじゃないか」
少女は男の背中に顔を押し付けたまま、溜息をついた。
『・・・・・・路銀ごときのために、命を賭けたくないんですけど。
金稼ぎなら、一緒に皿洗いでもしましょうよ』
少女の心配を、男は笑い飛ばした。
「だから、大げさだって。危険を感じたら引き返せばいいんだ。それに、さっきも言ったが、俺とお前だぞ?
そう簡単にやられるもんか。今までだって、幾つも修羅場を潜ってきたじゃないか」
『ですから、そういう楽観的な考え方が――』
反論しかけて、やめた。
『・・・・・・はぁ。もう、何言っても無駄なんでしょうね』
「よく分かってるじゃないか。流石はわが妻」
男は、少女のことを妻と呼んだ。
彼らの実年齢は定かではないが、少なくとも外見上は幾十歳も離れて見えた。
親子どころか、祖父と孫娘に間違えられそうな二人であった。
加えて、少女は男を「先生」と呼ぶ。
この二人が夫婦であると聞いて、信じる者が幾人いるだろうか。
『「流石」じゃないでしょうまったく。いいですか。前々から思っていましたけれど、せんせいは
自分の能力を過信しすぎです。もう年なんですから、少し謙虚になられては如何ですか。
年寄りの冷や水ってことわざをご存知ありません?』
「・・・・・・結構言うのな、お前」
『ええ、せんせいの女ですから』
「そうかよ」
そこで会話が途切れた。
会話を始めてから今に至るまで、二人の姿勢は変わっていない。
少女は男の身体を抱き締め、男は月を見上げていた。
満月だった。
極東へ向かって 改訂版
第一話 東の町
一台の馬車が、走っていた。
大して大きくもない、古びた幌馬車である。
御者台には、手綱とムチを持った青年が腰掛けていた。
ぼんやりとした目つきで、遙か遠くに広がる地平線を眺めていた。
時折、口に手を当ててあくびをした。
退屈しているらしかった。
「なぁ、サティ。町まであとどん位かかるんだっけ?」
不意に青年が口を開いた。
すると、馬車の中から女の声が返ってきた。
「ん・・・・・・今のペースで進めば、あと三日くらいじゃない?」
「そうか」
青年は、馬の尻をムチで叩いた。
馬車は僅かに速度を上げた。
「なに、退屈してるの?」
サティと呼ばれた女性が、そう言いながら馬車から顔を出した。
目の両端が吊りあがった、きつい印象を与える顔立ちだった。
「いや、そういうわけでもねぇけどよ。何にもすることないとなぁ・・・・・・」
「やっぱり退屈してるんじゃない」
サティは馬車から顔だけを出したまま、言葉を続けた。
「ま、アタシもグレンのこと言えないけどさ。こう刺激のない日が続くと、気が滅入ってくるわよね」
「だよなぁ・・・・・・」
青年の名は、グレンというらしかった。
適当に刈り込んだだけの頭髪に、よれよれのシャツとズボン。
おまけに無精髭まで生やしていた。
年齢は、二十台後半から三十代前半であろうか。
若者のくせに、外見に気を使っている様子が全く見られない。
「あと三日の辛抱とはいえ、辛いわぁ。ねぇグレン、何か面白い話でもしてよ」
そう言って、サティは上半身を馬車から乗りだした。
御者台に座っているグレンの肩に両肘を置き、頬杖をついた。
サティの体重が、グレンの両肩に掛かる形となった。
「痛ぇよ」
当然の抗議である。
が、サティには通用しない。
「アタシは羽根のように軽いから、平気なはずよ」
「・・・・・・あぁもう、勝手にしろ」
グレンは手綱を握り直し、磁石を見ながら馬車の進む方角を調整した。
「ねぇねぇ、お話は?」
頭上から、サティの不満気な声が響いてきた。
無視した。
「ねぇねぇ、ねぇってば。アタシは退屈してるのよ。刺激に餓えてるのよ。何とかしなさいよ」
サティは頬杖を解き、その変わりに両手でグレンの頭を揺さぶった。
「やめろって」
グレンは乱暴にサティを振り払った。
「ったく、悪ふざけも大概にしろよ。何歳だよお前」
彼女の子供っぽさに呆れ返りながら、グレンは乱れた髪を撫で付けた。
サティはくすくす笑っていた。
「女性に年齢のことを尋ねるのは禁物だって、学校で習わなかった?」
「俺は一度だってンなものに通ったことねぇよ」
グレンは御者台から唾を吐き捨てた。
彼女と共にいる限り、退屈はしないで済みそうだった。
町の中心部から少し外れた所に、小さな宿屋があった。
グレンとサティはそこにチェックインをすませ、案内された客室で荷を解いた。
馬車は町に滞在している間、宿屋の主人に預かってもらうことになった。
グレンらの他にも、数組の旅行者が各々の馬車を預けていた。
料金は銀貨(滞在日数×馬車を引っ張る馬の頭数)枚。
この料金設定に、サティは納得がいかなかった。
ベッドに大の字になって、天井を眺めながら不平を言い続けていた。
「高いわよねぇ・・・・・・」
ちなみに、人間は一部屋一泊銀貨二枚である。
「他に預ける所も無いし、しょうがないだろ」
グレンは床にあぐらをかいて、荷物の整理をしていた。
保存食や着火剤などの残量をチェックし、補充すべきものを紙に書き出してゆく。
これはグレンの仕事である。
サティは一切協力しない。
彼女が怠け者だからではなく、単純に向き不向きの問題である。
買出しに行く際は、値切るのが得意なサティが店主と交渉する。
勿論グレンは荷物持ちである。
適材適所。
「なぁんか、理不尽な気もするんだよな・・・・・・終わり、と」
メモをズボンのポケットに捻じ込み、立ち上がった。
何時の間にか寝付いていたサティを、軽く揺さぶって起こした。
「ん・・・・・・あぁアタシ寝ちゃったんだ・・・・・・おはよ」
「おはよう。そろそろ晩飯の時間だ」
「ふぁあい」
あくび混じりの返事をして、サティはむくりと起き上がった。
「行くぞ」
グレンは彼女が靴を履き終えるのを待たずに、ドアノブに手を掛けた。
ドアは蝶番の油が切れているらしく、開ける度に軋むような音を立てた。
二人は、大通りに面した大衆酒場に入店した。
夕食時とあって、店内は大賑わいだった。
二人掛けのテーブルに着き、グレンは魚料理を、サティは肉料理を注文した。
「お酒の方は、如何なされますか?」
ウェイターが聞いた。
グレンは店主のお奨めだという蒸留酒を注文した。
サティは麦酒。
彼女はどこに行っても麦酒しか飲まない。
注文を取り終え、ウェイターが去ると、グレンはおもむろに口を開いた。
「で、これからの話だ」
町から徒歩で丸一日東に進んだ辺りから始まり、大陸の果てまで続いている大森林。
そこには、かつて強大な王朝が栄えており、現在もその財宝が残されたままだという。
「まぁ、これだけならただのお笑い種だわな」
グレンはそう言って、ショルダーバッグの中から一冊の本を取り出した。
地図帳であった。
表紙には『旅行者協会発行 ○○年度版 大陸全図』と世界共通語で記されていた。
この地図帳は、一般の旅行者からの報告を、旅行者協会のスタッフがまとめたものである。
毎年一刷、新版が発行されている。
その精密さとカバーしている範囲の広さには定評があるが、しかし、極東の大森林だけはほぼ全域が未だ空白となっている。
「でな、協会に未開地の情報を送ると報奨金が貰えるのはサティも知ってると思うが――」
「極東の大森林に限り、同面積あたり三倍の報奨金が支給されるんでしょ」
サティが先回りして答えた。
その通りだ、とグレンは頷いた。
「お待たせいたしました」
「ん、すまんな」
トレイに二人分の料理を乗せて、ウェイターが戻ってきた。
グレンはテーブルの上に広げていた地図帳を鞄の中に戻した。
「まぁ、続きは宿に戻ってからにしよう」
「りょーかい」
グレンは蒸留酒の入ったグラスを、サティは麦酒の入ったジョッキを、それぞれ掲げた。
テーブルの中心で、軽く触れ合わせた。
チィン、と小気味良い音がした。
料理をあらかた食べつくし、食事も終わりに近づいたころ。
赤い顔をしたサティが、その客の存在に気づいた。
「ねぇ・・・・・・あの人」
「うん?」
サティはカウンター端の席に座っている、一人の老人を指差した。
彼は真紅の派手な長衣を纏い、帯に木剣を差していた。
「あれは・・・・・・」
「あの趣味悪い服は、妖験道士よね」
「そういうこと言うなよ」
アヤカシをためすと書いて、妖験。
呪符や法術を用いて、死体や人形などの、人ならざるモノを操ること。
大陸の東部には、妖験を修行の一貫として行う寺院が散在しており、旅行者協会発行の地図にも、その存在が記されている。
「でもホンモノは初めて見たわ・・・・・・」
サティはまだ中身の残っているジョッキを持ち、席を立った。
そして、すたすたと道士の座っている方へ歩いていってしまう。
「おい、待てよ」
仕方なく、グレンも彼女に続いた。
酒瓶とグラスは忘れない。
二人がカウンターに近づくと、道士は気配を察したらしく、振り向いた。
その顔には深い皺が幾つも刻まれており、相当な高齢であることが察せられた。
サティは笑みを浮かべた。
「こんばんはぁ。お隣、よろしいかしら?」
道士が返事を返す前に、サティはカウンター席に腰掛けてしまう。
グレンは頭を抱えようとしたが、両手が塞がっていることに気づき、代わりに嘆息した。
「どうもすみません。何分礼儀をわきまえない奴でして」
道士は微かに口元を緩めた。
「別に構わんよ」
グレンは、サティの隣、道士から二つ離れた席についた。
カウンターに片肘を付いたサティが、麦酒を一口含んでから、道士に話しかけた。
「ね、おじさま? あなた、妖験道士ですわよねぇ」
グレンは飲みかけの蒸留酒を吹きだした。
何という口の利き方をするのか。
「も、申し訳ない」
あわててグレンは謝罪するが、道士は笑うばかりだった。
「構わんって。面白い嬢さんだなぁ――」
彼は蒸留酒のグラスを傾けた。
グレンが飲んでいるものと、同じ銘柄のようだった。
「いかにも、私は妖験道士の端くれだよ。あんた方は・・・・・・服装から見ると、旅行者かな?」
「そうですわ。明日一日準備して、明後日から、あの森に行くことになってますのよ」
艶然と微笑むサティ。
だが、道士はそれに対して表情を固くした。
「・・・・・・あの森に?」
サティはその変化に気づかない。
「ええ。あの森にはアヤカシの類が住まうと聞きます。そこで、その道のプロである道士様にお話など――」
グレンに肘で突付かれ、やっと、サティも道士の異変を察した。
沈黙が流れた。
「・・・・・・どうかなされました?」
数秒の後、サティが口を開いた。
「いや・・・・・・そうか、あんたら・・・・・・あの森に・・・・・・」
道士はしばらく口の中で言葉を転がしていたが、やがて席を立ち、言った。
「河岸を変えよう。話があるから、すまんが付いて来てくれ。ここの勘定は私が済ませておくから」
案内されたのは、カウンター席しかない、小さな酒場だった。
先程までいた大衆酒場とは違う、静かな雰囲気の店だった。
グレンらの他に客はいない。
主人らしき中年の男も、三人に酒と肴を出すと店の奥に引っ込んでしまった。
「ここなら、静かに話せるだろう」
「はぁ」
グレンとサティは顔を見合わせた。
二人とも、狐につままれたような顔をしていた。
「すまんな。いきなりこんなところに連れ込んでしまって。驚いたろう」
「いえ、こちらこそご馳走になっちゃって・・・・・・」
グレンは肴として出された燻製を抓みながら、軽く頭を下げた。
「それで、お話というのは?」
サティが聞いた。
酔いはすっかり醒めていた。
「ああ。あんた等、あの森に行くんだったな?」
あの森――極東の大森林のことである。
「はい。明日の朝には出立しようと思っています・・・・・・それで、アヤカシに詳しい道士様の話を伺いたいと思ったのですが」
財宝が隠されていると噂されているのにも関わらず、森林へと入る者が少ない理由がアヤカシの存在だった。
僵屍(キョンシー)や死狼を始めとする、生ける屍。
そんな、冗談めいたモノがあの森には実在しているとされる。
「・・・・・・それなら、私の知っていることは全て話そう。それから魔除けの呪符もやろう。
あぁ、あとあんた方銃は持ってるか?マスケット銃とスナイドル銃の弾があるから、好きなほうを持っていくといい。対僵屍用の特別製だぞ」
道士のこの一言で、和やかなムードは消え去った。
「それはどうも」
サティは油断のない目つきで道士を見返した。
口調も僅かに冷たいものになっていた。
「・・・・・・何がお望みですか」
グレンが言った。
道士と二人の間には、張り詰めた空気が漂っていた。
道士は苦笑して言った。
「そんな警戒しないでくれ。ただ・・・・・・一つ、頼みごとがあってな」
「ほら来た」
そう言って、サティは舌を出して見せた。
「でもまぁ、アタシたちにできることなら、何でもしますわ。
それだけの協力をタダでしてもらおうだなんて、そこまで虫がいい神経してませんし」
サティはからからと笑う。
「そう言ってもらえると助かるよ。・・・・・・頼みというのは、人探しなんだが」
「人探し・・・・・・って、あの森で、ですか」
極東の大森林から一人の人間を見つけ出すことは、砂漠から小石一つを探し出すことよりも難しい。
理由は至極単純である。
砂漠に投じられた小石はその場に存在し続けるが、極東の森に迷い込んだ人間は、人間ではなくなってしまうからである。
アヤカシは自らの縄張りを侵す者に対して容赦をしない。
単独でアヤカシに対抗できる能力をもった人間などほぼ皆無に等しい。
彼らに襲われた者は、殺されるか、自らもアヤカシになるかのどちらかである。
アヤカシに傷を負わされた者は、死に切れないと自らもアヤカシとなってしまうのである。
故に、極東の大森林に迷い込んだ「人間」を発見することはまず不可能である。
だが、そのことを誰よりも深く理解しているはずの道士は、それでも平然と言ってみせた。
「そうだ。・・・・・・捜してもらいたいのは、私の妻だ」
「はぁ?」
素っ頓狂な声を上げたのはグレンである。
サティは何やら同情するような視線を、道士に対して向けていた。
彼女のその視線に対して、道士は心の底から嫌そうな表情を浮かべた。
「そんなボケたじいさんを見るような目つきで私を見るな。私は至って真面目に頼みごとをしているのだよ」
「でも・・・・・・」
「あんた等の言いたいことは分かるが、ちょっとばかり事情が特殊でな」
老いた道士はまったく口調を変えずに、言った。
「私の妻は、僵屍なんだ」
彼は修行時代に、後に妻となる僵屍と出会った。
山篭りの最中であった。
ある夜、薬草(夜に花を開く類の)を摘んでいる際に、彼女がいきなり襲いかかってきたのが馴れ初めであった。
道士は襲い掛かられたその瞬間に、自らを攻撃してきた少女の正体を把握した。
滑らかで、けれどどこか機械じみたその動きは、人造僵屍特有のものであった。
人造僵屍は、死後硬直を防ぐ処理がなされるため、通常の僵屍よりも動きがスムーズなのである。
恐らく、山の麓にある大寺院、自らが所属する寺院から逃げ出してきたものだろうと、道士は見当をつけた。
脱走した人造僵屍が人を襲ったという事件は今までに数件報告されており
(僵屍は普通の食事だけでも生活できるが、本能的に人の血を好む)、その度に寺院の管理体制が問われていた。
だが、未だに改善されてはいないようだった。
道士は舌打ちしつつも体術で僵屍を圧倒し、彼女の額に素早く呪符を貼り付けて、その動きを止めた。
そして、死体の如く動かない僵屍を背負って山小屋へと戻っていった。
そこで、道士は彼女に施術した。
彼女に法術を用いて、服従することを強制したのである。
別の言い回しを用いるなら、道士は捕えてきた僵屍を、自らの操り人形となしたのである。
山篭りにおける面倒な日々の雑用、薪割りや水汲みなどを自分に代わってやらせる為であった。
つまりは雑用係。
翌日の朝から、彼女は一所懸命に働いた。
どんな仕事でも、文句一つ言わなかった。
法術で操られているのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、それでも、甲斐甲斐しく働く彼女の姿は、若き道士の心を動かした。
彼女は、操り人形の僵屍は、美しかった。
細い四肢に、細い胴体。
昏く沈む瞳。
眉の下が微かに落ち窪み、影を落としている目元。
その全てが、まるで作り物のように完成されていた。
「お人形さんのような」という言葉が、これほど似合う女性もいないと思った。
毎朝、使役させるための法術を施す度に、彼女への愛着は強まった。
最初は山を下りる際に捨ててゆくつもりだったが、もはやそんなことはできそうになかった。
ついに彼は、この僵屍を自らの使い魔(道士の右腕となるアヤカシ。大抵の場合、一人の道士につき一匹のみ)とすることに決めた。
そうすれば、ずっとこの子と一緒にいられる。
道士は僵屍の頭に手を置き、満足気に微笑んだ。
山を下り、寺院に戻ってから、道士は熱心に僵屍を教育した。
通常、道士は呪符をもってアヤカシに命令や行動理念を与える――すなわち操り人形として用いるが、彼はそれをしなかった。
一つひとつの動作を徹底して反復させることで、彼女の身体に仕事を覚えこませた。
体術からスープの作り方まで、己の全てを叩き込んだ。
寝食を共にし、片時も離れずに過ごした。
使い魔というより、一人の弟子か子供でも育てているようであった。
そうした日々を送るうち、道士は、僵屍の変化に気が付いた。
変わったのは、彼女の顔つきである。
平たく言えば、道士の使い魔の僵屍は、表情を持つようになっていたのである。
彼女は、道士に対して、微かながら、笑みを浮かべたり、眉を寄せたり、口元を弛めたりしていたのだ。
まるで、生きた人間の少女のように。
本来、操り人形であるはずの使い魔は感情を持たない。
命令なくして動けない、アヤカシの抜け殻である。
当然、表情の変化などあろうはずもない。
だが、彼女は違ったのだ。
いつから違っていたのかは分からない。
道士は、同じ寺院で修行を積んでいる友人らに使い魔の変化を話した。
修行仲間たちは、皆笑って取り合わなかった。
中には、「そりゃお前の気のせいだよ。何だお前、僵屍に惚れでもしたか?」などと言う者もあった。
その冗談として発せられた言葉に、反論できなかった。
口ごもってしまった。
その通りだった。
冷笑を浴びた。
「はぁ・・・・・・」
道士は、溜息をつきながら家路を歩いた。
使い魔の僵屍が、その隣を、半歩ほど遅れて付いてきていた。
小さな歩幅で、脚を多く動かして歩く姿は、どことなく愛嬌があった。
幼さを残した横顔は、道士の心境など露知らぬように見えた。
「お前には、この気持ち・・・・・・分からないんだろうなぁ」
道士は僵屍の頭を撫でようと手を持ち上げながら、言った。
別に、返答を期待したわけではない。
何気なく口にした、ほとんど独り言に近い言葉であった。
『・・・・・・』
道士の手は、空を切った。
僵屍が突然立ち止まったからである。
怪訝な顔をして、道士は後ろへ振り返った。
使い魔が、やや顔を俯け、上目遣いで道士の顔を見つめてきた。
額に垂れる髪から覗く彼女の視線は、どこか、恨むような気色を孕んでいた。
「どうした?」
『・・・・・・』
僵屍は顔を伏せたまま、何も語らなかった。
けれど、その代わりに、彼女は全身で返答した。
「おい、まさかお前――」
寒空の中で凍えているかのように、彼女は震えていた。
拳は握りしめられていた。
『・・・・・・』
それでも、彼女は何も語らなかった。
口許は、固く閉じられたままだ。
「お前――」
彼女は何も語らなかった、が、
『・・・・・・本当に・・・・・・』
彼女の声は、道士に届いていた。
『本当に・・・・・・そう・・・・・・思ってるんですか・・・・・・?』
「お前――は」
彼女は動かなかった。
道士は、彼女に一歩近づいた。
まだ、彼女の身体に触れるまでには、半歩残されていた。
「お前は、いつから・・・・・・いや」
道士は首を振った。
まったくもってナンセンスだ。
そんなことはどうだっていい。
今、するべきことは、こんなつまらない質問をすることじゃあない。
「・・・・・・すまなかった」
道士は、半歩進み出た。
僵屍との距離が消えた。
彼女の額が、道士の胸に当たっていた。
道士と僵屍は、身長にして頭一つ分、体重に至っては二倍近くも差がある。
日頃から、小柄な奴だと思っていた僵屍が、今はより一層小さく見えた。
彼女が俯いたまま、その表情を見せずにいるせいだろうか。
それとも。
「顔を上げてくれ」
『・・・・・・』
僵屍は頭を起こした。
彼女の顔を見た道士は、息を飲んだ。
彼女の目元から唇にかけて、一筋の光が走っていた。
『せんせいは・・・・・・』
僵屍の、声が聞こえた。
道士は彼女の瞳から、目を逸らせなかった。
彼女は、道士が自分以外のものを視界に入れることを、許さない瞳をしていた。
『せんせいは、わたしのこと・・・・・・』
そこまで告げて、僵屍は黙してしまった。
この先は、言わなくても分かるだろう――そういう含みを孕んだ、沈黙であった。
「俺は・・・・・・」
道士は唾を飲み込んだ。
「俺は、お前のことを・・・・・・」
この先は、言葉で語るべきものではない――そう、道士は思った。
両手を伸ばした。
僵屍の背中に、無骨な道士の両腕が回されていた。
そのまま抱き締めようとした道士を、しかし彼女は受け入れなかった。
『・・・・・・駄目です』
「な・・・・・・」
呆然とする道士の両腕を、僵屍はゆっくりと振り解いた。
使い魔が、主人を拒絶したのである。
本来なら起こり得ない事態であった。
『約束してくれないと・・・・・・』
涙の跡を残したままの顔が、艶然と微笑んだ。
優位な立場の者が、不利な立場の者に対して浮かべる笑みと似ていた。
絶対的な主人が、奴隷に対して笑いかけるとしたら、こんな笑顔をするかもしれなかった。
その表情を、使い魔に対して浮かべた主人はいただろうが――その逆は、どうだろうか。
『わたしはせんせいの使い魔です・・・・・・要するに、せんせいの物です』
「・・・・・・」
『それって、せんせいはいつだってわたしのことを捨てられるってことですよね。
だから、わたしはせんせいの思い通りの存在になるしかないんです。
せんせいに嫌われないように、自分の気持ちを押し殺してせんせいに従って生きてゆくしかないんですよ』
「何が言いたい・・・・・・」
突然饒舌になった僵屍に対して、道士はやっとの思いで言葉を絞りだした。
『いえ、ちょっと・・・・・・不公平だな、と思いまして』
「不公平だと・・・・・・お前は、俺の使い魔じゃないのか・・・・・・?」
言って、すぐに後悔した。
こんなことを言ってしまうようでは、とても彼女を抱き締める資格などありはしないと思った。
結局、自分は僵屍のことを使い魔――自分に従属する存在として見ていたのだ。
道士の内に、猛烈な自己嫌悪がこみ上げてきた。
『ええ、そうですよ。仰る通りです。でも・・・・・・せんせいは、それでいいんですか?』
僵屍の言葉は、道士に対して追い討ちをかけるものであった。
『せんせいにとって、わたしはただの使い魔なんですか? そうじゃないでしょう?
もしそうだとしたら、せんせいはわたしに呪符を貼り付けたはずです。法術で洗脳したはずです。
そうして、押し倒しちゃえばいいんです。でも、せんせいは、それをしなかったじゃないですか』
「俺は・・・・・・」
道士は、縋るように僵屍に問うた。
「俺は、どうしたらいい・・・・・・?」
彼女の答えは、シンプルだった。
『せんせいも、わたしの物になってください』
そう言って、彼女は口を開けた。
死してなお白い、可愛らしい歯が並んでいた。
だが、その内の四本――上下の犬歯だけは、猫科動物のそれのように鋭く、尖っていた。
『・・・・・・せんせいに噛み付いて、血を吸えば・・・・・・せんせいは、わたしの物になります。それで、せんせいとわたしは、対等になれるんです。対等な――恋人同士に、なれるんですよ』
アヤカシに噛まれた者は、アヤカシとなる。
僵屍の牙が、道士に迫ってきた。
道士は、違う、と思った。
彼女の求めることには、決定的な矛盾が含まれていた。
だが、動けなかった。
避ける理由が、見だせなかった。
例え、どれほど理不尽かつ矛盾に満ちた要求であったとしても、これは使い魔たる彼女が初めて己の意志で主人に対して願ったことなのだ。
それを断ることは、道士にはできなかった。
僵屍には、そうする権利があるとも思った。
また、彼女が人間のように意志を持つことは、もとより道士が望んでいたことでもあった。
だから、そのままの姿勢でいた。
開かれた彼女の口は、既に目前にあった。
『・・・・・・』
僵屍は、その牙を道士に触れさせる直前で、口を閉じた。
そして、代わりに自らの唇を、道士のそれに重ねた。
『・・・・・・へへへ。奪っちゃいました』
無邪気に笑んで、僵屍は唇を離した。
触れ合わせるだけの、子供じみた口づけであった。
「お前・・・・・・」
『分かってますよ。ちょっと意地悪してみたかっただけです・・・・・・せんせいったら、あんまり可愛いんですもの』
「この、野郎――」
僵屍の頭を、軽く小突いた。
道士の口の端が、自然とつりあがっていた。
まったく、なんて娘だろうか。
この娘は、アヤカシが主人を噛むということの持つ意味を、完全に理解した上で今の芝居をやってのけたのだ。
アヤカシに噛まれた者は、否応無しにアヤカシとなってしまう。
アヤカシが人を噛んで、アヤカシとなす。
その行為と、道士がアヤカシに法術を施し、従者となす行為の間に、どれほどの差があるだろうか。
両方とも、力ずくで相手を従属させていることに変わりは無い。
相手に対して抱く感情が、所有欲だけならそれでも構わない。
だが、道士は僵屍のことを、従者ではなく一人の女性として考えていた。
欲しかったのは、忠誠心などではなく、恋心だ。
道士は、最初、僵屍を法術をもって使役した。
そのことに対して、彼にはどうしても負い目が生まれる。
だからこそ、僵屍のことを一人の女性として思う今、彼女が牙を用いて道士をアヤカシとなそうとしたことを受け入れようと思ったのだ。
彼女には、その権利があると。
だが、僵屍は道士のその思いさえ汲み取り、応えた。
三文芝居に口づけひとつで、全てのしがらみから解放してくれた。
道士は、そんな彼女が――
『痛いじゃないですか、せんせい――』
「馬鹿。この程度じゃ許さんぞ」
二人は何時の間にか、笑い出していた。
笑って、道士は僵屍を思い切り抱き締めた。
痣ができるほどに強く、抱き締めた。
僵屍は、それを笑って受け入れた。
『ちょ、ちょっと、ホントに痛いです――』
そう言いながらも、僵屍は道士を抱き返した。
道士の胸に顔を押し付けた。
「くく、くすぐったいぞ・・・・・・」
『えへへ・・・・・・わたしだって、痛いです・・・・・・』
・・・・・・でも、嬉しいです。
僵屍は、小さく呟いた。
両手を頭の後ろに回して、サティはベッドに寝転んでいた。
両脚も組んでいた。
だらしの無い格好であった。
そのままの姿勢で、彼女は誰に言うともなしに口を開いた。
「なぁんで、そうなるかなぁ・・・・・・」
「『何で』? 何のことだ」
グレンが返事をした。
部屋にはグレンとサティの二人しかいない。
その状況で何か言葉を発せば、それがどういった性質のものであれ、もう一人から反応が返されるのは必然であった。
既に夜は更け、時刻は深夜二時を回っていた。
あと二、三時間もすれば、東の空が白み始めるだろう。
「ん・・・・・・あぁ、あの道士のこと」
サティは息を吐いて、べッドから身体を起こした。
ベッドの上に胡坐をかいて、床の上に座っているグレンを見下ろした。
「あいつ嫌い」
さらりと言い切った。
身も蓋もない言い方だった。
サティはなおも続けた。
「あいつさ、使い魔の僵屍のこと、好きなんでしょ? もう何十年も夫婦やってんでしょ?
だったら自分で探しに行きゃいいじゃない。大体、僵屍はあの森に行くの反対してたっていうし。
それを無理矢理連れてったんだから、自分が連れ戻すのが筋ってもんでしょ」
グレンは頭を掻いた。
髪を洗っていないのだろうか、フケがぼろぼろと落ちた。
「まぁ、そりゃそうだけどよ・・・・・・」
グレンの一言に、サティは敏感に反応した。
「だけど何よ」
「そう怒るなって。人には事情ってモンがあるんだよ。あの道士にもな」
グレンは立ち上がった。
大きく伸びをした。
欠伸混じりに、言った。
「じゃあさ、サティは、もし俺とあの森ではぐれたら、どうする?」
「勿論、見つかるまで探すわよ。そういうアンタはどうなの?」
グレンの投げやりな態度に腹を立てたのだろう、その声には怒気が含まれていた。
「俺だって同じさ。お前を見捨てたりなんかできない」
「じゃあ、何であの道士を庇うようなこと言うのよ」
「俺は経験したことないから」
グレンは即答したが、サティはその回答の意味が分からなかった。
グレンは続けた。
「だからさ。俺は、サティと自分の命が天秤にかけられるような状況に出会ったことが無い
から、あの道士を批判できないって言ったんだよ。
今は綺麗事言ってるが、俺だっていざとなりゃ分かんないぜ?」
「・・・・・・ふざけてんの? グレン、まだ酔っ払ってるのかしら。それとも、もう眠い?」
「もう酔いは醒めたよ。眠いのは確かだが、意識ははっきりしてる」
グレンはいい加減な態度を変えない。
サティの頬が、赤く染まった。
「だったら、ンな馬鹿なこと言ってんじゃないわよ!」
怒鳴った。
真夜中の宿屋全体に、その声は響き渡った。
「・・・・・・迷惑だろ。もうちょっと静かに喋れよ」
「・・・・・・・・・・・・」
サティはベッドから手を伸ばし、すぐ側に立っていたグレンの胸倉を掴んだ。
強く引っ張って、自分の方へと倒した。
グレンは、サティの上に圧し掛かる形となった。
「今夜は、一緒に寝なさい」
真剣な瞳で、サティは言った。
グレンは、頷きもしなければ、首を振ることもしなかった。
東の空は、徐々に明るさを増しつつあった。
極東の大森林から覗く太陽は、極東の町を照らしていった。
清々しい、朝であった。
小さな宿屋が、町の中心部からやや外れた場所にあった。
付近の建造物に遮られ、そこにはまだ日光が届いていない。
局地的な夜が、そこにあった。
その宿屋の一室に、二人の旅行者が泊まっていた。
グレンと、サティであった。
部屋にはベッドが二つあったが、使用されているのは一つだけだった。
同じベッドに、二人の人間が入っていた。
サティは眠っていた。
グレンは目を覚ましていたが、ベッドから出ようとはしなかった。
すぐ隣で眠る、サティの寝顔を眺めていた。
――何故だろうか。
昨晩のことを考えていた。
何故、俺は自分でもする気のなかった意地悪を、こいつにしてしまったんだろうか。
サティが腹を立てるであろう言葉を、選んで遣った昨夜の自分が分からなかった。
極東の大森林において、サティとはぐれてしまったなら、自分は彼女が見つかるまで、何年だって探し続けるだろうと思う。
その結果、自分がアヤカシに殺されてしまおうとも構わない。
もし、サティがいなくなったら、グレンは恐らく旅を続けていられないだろう。
そもそも、生きていけるかどうかも怪しい。
精神的にも肉体的にも、グレンはサティに依存していた。
十年来の仲である。
もはや、家族も同然であった。
そのサティに、自分はどうしてあんな態度をとってしまったのだろうか。
どうして、彼女を怒らせてしまったのか。
「ごめんな、サティ・・・・・・」
自然と、声に出していた。
だが、サティは気づかず、眠り続けた。
あともう少し明るくなったら、起こしてやろうと、グレンは思った。
銃砲店、食料品店、大衆食堂、万(よろず)屋、旅行者協会支部。
今日一日で、グレンとサティはその全てを回った。
極東の大森林探索に当たって、必要と思われるもの全てを購入した。
大衆食堂で昼食を摂り、旅行者協会支部に探索の期間を伝えた。
目的地までの往復時間を含めて、丁度十日。
この日数を過ぎてもグレンらが帰還報告をしない場合は、旅行者協会のスタッフが彼らを捜索する。
旅行者協会のこのシステムは、世界中で高い評価を得ていた。
このシステムが存在することで、旅行者は安心して未開地を探索することが可能になり、
協会はシステムの存在によって勇気付けられ、探索に挑む旅行者から未開地の情報を得ることができる。
お互いに、メリットの大きいシステムであった。
グレンとサティも、このシステムがあったからこそ極東の大森林探索を決意できたのである。
二人は、今、明日から始まる探索の準備を終えようとするところであった。
昨日より滞在している、宿屋の一室。
「・・・・・・よし、こっちは終わり。サティはもう準備できたか?」
「んー、あとちょっと」
サティは愛用のマスケット銃を掃除していた。
彼女はこのスナイドル銃全盛時代に、いまだマスケット銃を使い続けている。
マスケット銃は火縄銃と異なり雨から受ける影響は少ないが、連射力に難がある。
銃弾先込め方式を採用するマスケット銃は、装弾する際、銃身の先に手を回して弾を送り込まねばならない。
それに対し、スナイドル銃は手元で装弾できる。
また、弾丸もスナイドル銃の方が格段に優れたものを使っている。
マスケット銃の弾は、ただの鉛球である。
それでも、サティは今使っている銃を手放そうとしない。
手に染み付いた感覚を変えたくないからだ。
ちなみにサティには、一分間に五発の弾を撃つだけの技量がある。
「ほい、終わったわよん」
サティはザックの隣に、手入れを終えた銃を置いた。
「おし、それじゃ飯食いに行くか。昨日の酒場でいいよな?」
立ち上がりかけたグレンを、サティは押し留めた。
「今日は違う店にしない?」
「そうだな、それなら景気付けにもうちょっと高級な店に行くか」
あの道士に会いたくないのだろう。
グレンは、サティの心情を敏感に察知した。
そして、それを彼女に悟らせないよう、気をつけながら返答した。
本来のグレンは、この程度のことは別段意識せずとも行える。
昨夜の振る舞いは、普段のグレンからすれば考えられないものであった。
「うんうん、そーしましょ。それじゃ早速――」
サティの言葉の途中で、ノックの音。
彼女は腰の短剣を確かめ、内開きのドアの横に移動してから、
「どなたですか?」
低い声で尋ねた。
返ってきたのは、しわがれてはいるものの、良く通る老人の声だった。
聞き覚えのある声だった。
「私だ。・・・・・・あんたは、私のことが気に入らなかったみたいだな」
昨晩、グレンらに妻の捜索を懇願した、道士だった。
続く