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雑記帳
声
3月19日
私は今、自分の家のパソコンでこれを書いている。
大学は春休みだし、今日はバイトもない。
のどかな春の一日…って表現がピッタリだ。
でも、こんなにのんびり遊んでいられる人ばかりじゃなくて
世界のあっち側では、アメリカ軍がイラクと戦争をしているんだって。
正直、実感が無い。
テレビや新聞では、声高に議論がなされている。
「戦争反対」
「武力行使に代わる打開策を示せ」
「フセインは悪だ」
「ブッシュの帝国主義」
「政府は説明責任を全うせよ」
………
どれも正しいような気がして
考えれば考えるほど分からなくなる。
アメリカの核の傘の下に生きる日本人
この表現はどこへいっても使われるありふれたもの
北朝鮮問題との関連が、あるのか、ないのか
石油=経済活動への影響はどう出るのか
私には分からない。
イラクの人々がどれほど虐げられているか
大量破壊兵器はどれだけあるのか
テロ組織との関連は未だ不鮮明
自衛のための先制攻撃という矛盾
話し合いというものの無力さ
考えても、考えても答えは出ない。
9.11テロ以来世界は変わった
新しい脅威に対抗する手段を持たねばならない
じゃぁ何故「戦争」という
太古からある手段に至るのか
もう、考えることすら放棄したくなる。
結局私は
戦争を支持もしないし
かといって反戦運動もしない
違う。
しないんじゃなくて
できないんだ。
自分の意見が持てないから
どっちにも転べないでフラフラしてる
何もできない自分の無力さが
とってももどかしい。
12年前の湾岸戦争
私はその戦争をテレビで見ていた。
不鮮明な映像だったけれど
バグダットの空にミサイルと、その迎撃砲が飛び交っていた。
その事実は映像以上に鮮明に脳裏に残っている。
でも、記憶はそれだけだ。
破壊も
人の死も
私の中には残っていない。
その頃、私は小学生だった。
戦争の余波で、クラスに一人のイラン人アラン君が転入してきた。
言葉は通じなかったけど
いっしょにサッカーをやって遊んだ。
彼は半年もせずに本国へと帰っていったが
今頃どうしているのだろうと思う。
兵士として戦争に直面しているのかもしれない。
一市民として無力感に苛まされているのかもしれない。
彼のことを思うと
やっぱり、私は戦争という手段には抵抗を感じる。
アラブイスラムと原理主義とブッシュの神キリスト教と靖国を参拝する小泉
宗教というものは、当然人の幸せのためにあるもんだって
幸せって何なのだろう。
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3月26日
私は今、20歳。
世間的には、青年とか若者とか言われるあたりだ。
「若」者なんだよね…
20という数字のせいか
最近よく昔のことを考えることがある。
中学を卒業した5年前のこと
当地に住みついた10年前のこと
はっきりした記憶のある幼い15年前のこと
記憶には無いけれど、自分が生まれたのが20年前
日本が「戦後」と呼ばれて
そろそろ60年になろうとしている。
第2次世界大戦なんて
私の感覚からするとだいぶ遠い昔の話な気がしていた。
けれど
ちょっと考えてみればそれは
私が生きた20年の
たった3倍でしかないんだって。
「若い」と言われる私達の半生の
たった3倍しかない短い期間の中で
人々は「戦争」というものを
忘れてきてしまったんだろうか。
核や生物化学兵器、精密誘導弾なんかができたって
人が人を殺すためには
それなりの理由が必要だということは
変わっていないはず。
なぜ
どうして
何のために?
私は完全なる反戦主義にも非戦主義にもなれてないけど
理の通らないことは気に入らない。
少し考えれば
「戦後」なんてのは日本にしか通用しない概念で
第2次大戦の後にも
朝鮮戦争とかベトナム戦争とか
「〜紛争」とか「〜動乱」とか
数多くあったんだ。
勝手に戦争を風化させてる(風化した事にしてる)のは
日本人だけ
戦争を知らない世代だけ
もしかしたら私だけなのかもしれない。
湾岸戦争は12年前。
私の生きた20年の中にある。
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3月31日
今日、電車に乗りながらふと思ったこと
「今この場で無差別テロが起こったらどうなるか」
平和に慣れた、というより平和以外を知らない私には
極限でのサバイバルは到底無理なんだろうなと
おぼろげに思う。
少し前、韓国で地下鉄火災があった。
あまり詳しくは覚えていないが
乗客の一人による放火だったとか。
それがテロなのか
ただの狂気なのかとかは知らない。
けれど一つ言われているのは、それが
「ありえないこと」「予測できない事件」
だったということ。
私にいわせれば
8年前の地下鉄サリン事件が
教訓になっててもいいもののはずだ。
でも
想定していなかったこと
予想外の災害なんだって
専門家は言う。
一方では
どういった意図かはわからないけど
そういうコトをして
そういう結果を引き起こす
そんな考えをその犯人は持っていたことになる。
人間の「考え」とか「想像力」というものを
考えてしまわずにいられない
今、イラクでの戦争は
だんだん泥沼の様相を呈してきているらしい。
それは
フセインの脅威か
市民の抵抗の意思表示か
アメリカの見識の甘さか
気候や地形のせいか
私には分からないけど
ただ「分からない」で済ませちゃいけないんだなって
自分自身に言い聞かせる。
分からない。ならばどうすればいい?
考えることを放棄しちゃいけない。
政治家なんかの一つの判断で
多くの人の命が左右されることに関しては
地下鉄の事件も戦争も変わらない。
もしそこに
私には分からないような
高度な「政治判断」が存在するのだとしても
せめて
「予想してなかった」とか
「見識が甘かった」というような
想像力の欠如での被害の拡大は
決して起こしてはならない。
破壊はたやすく
創造はむずかしく
防衛はもっとむずかしい
それは、そんな人間の「想像力」に起因するんじゃないかとか思う。
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