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雑記帳

ここから彼方へ



私を良く知る人ならご存知のことと思うが、私はかなり「旅」好きである。学生である暇な身分を生かして、国内海外様々なところに出かけている。もっと細かく見れば、日帰りの小旅行やらロングウォークなんかも興味の根幹が同じところからきているものと思う。

私のもうひとつの趣味として読書があるのだが、最近立て続けにアジア関連の本を読む機会があった。アジア関連といっても、旅の手記やルポタージュからアジアを舞台にした小説、アジアの作家の作品と様々。
それらの中で1つ、数ヶ月〜数年の単位で日本を離れ、インドやタイなどを放浪している人々を追った記録を読んでふと考えたことがある。
私は「旅人」なのか。

結論から言うと、私は「旅行者」ではあるが「旅人」ではないように思う。それは、単に私がツアー旅行に乗っかるだけの観光客であることを指しているのではない。海外であってもツアー旅行ばかりをしてきたわけではないし、国内に至ってはもう自由気ままに歩き回っているといった様子だからだ。

私がどこに「旅人」と「旅行者」の差異を見るかと言うに、その軸足の置き方にあると思う。
「旅人」というのはやはり旅に生きる人だと考える。言い方を換えれば帰る場所を持たず、あるいは家などがあったとしてもそこが安住のための場所ではなく一時の滞在場所のひとつでしかなく、常に社会の流れの中を漂っている人だということだ。ある街にたどり着くのも、人と出会うのも、それは流れの中の一コマでしかない。
私が「旅行者」であるというのは、帰る場所があること、それは物理的な意味での家や、経済的社会的な意味での家庭ではなく、精神的な意味での帰る場所だ。

旅に出る時私は、まず人に逢うことを目的としている。その殆どは未知の人々だが、そうであっても何かしらの人間的なつながりを求めて出かけていくといってよい。
人に逢うこと。それは実際、旅に関わらず私の生き方全ての根源的テーマだ。早い話が、人間が好き。毎日毎時が常に人恋しいと感じる時だということ。
そんな私だから、旅で出逢った人、行った街、起こった出来事のすべてを「流れの中の一コマ」だったと整理して片付けてしまうことは苦手で、それらを全てずっと持ち続け、他者と共有していきたいと思ってしまう。
整理することと持ち続けること、もちろんどちらがよいという話ではなく私自身の特性であって、変えようとも思わないし変わらない事を意図するつもりもない。

ただ、私にとってはこういった全てのことを少しでも共有することができる相手が必要であり、そういった相手がいる、もしくはあるところが、私にとっての帰る場所ということになるのだ。
家族がいて、私を知る友達がいるところ。そこへ見聞きしたものを携えて帰ってくるという行為をしたいがために、私はまた「旅行者」となるのだろう。


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