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雑記帳
この足に踏みしめて
なぜかフィリピン
飛行機を降りると、マニラの熱い風が…と思ったのだけれど、日本も猛暑の真最中、そこまで気温や湿度に差があるわけじゃない。ただアジア独特の喧騒とちょっと生臭い空気、それにすこし錆びた英語の表示がここを日本ではないと教えてくれる。
マニラでの待ち合わせ相手には、待ち合わせの場所指定と私の服装を伝えてあるだけで、私のほうは相手の情報が全くと言っていいほど無い。荷物を抱え、片言の英語で辿りついた待ち合わせ場所にてしばらく待つ間にも、タクシー乗るか?とか声をかけてくるフィリピン人多し。もちろん、その殆どはごく普通の商売であり、また好意でもあるのだろうが、悪い人に引っかかるわけにもいかないと気を引き締めて待つ。
しばらくして現れた待ち合わせ相手に連れられて、マニラ市内のペンションへ。ここから、ワークキャンプが始まる。
学生生活の夏休みの一時、普通に過ごすのでは勿体無い。そう思って探し出したのがこのLOOBの主催するワークキャンプ。どうせバイトでためた金はあるし、学生らしいことをやるにはもって来い。ここで今回の参加者を紹介すると
ASAKO:ワークキャンプ4回目のツワモノ。カメラ好きで、フイルムを100枚単位で持ってきていたらしい。
TAMA:ワークキャンプ3回目にして、フィリピノに「おまえは日本人じゃない、地元人だ」と言わしめる。どうやら私の学科の友人と高校で一緒だったらしい。
MA:長身。後に、私と同じステイ先でBrotherとなる。ワークキャンプは2回目。ASAKO、TAMA、MAの3人は、このワークキャンプ参加前に一緒にフィリピン旅行を楽しんでいたとか。
AYA:小柄でかわいらしい顔つきの割りに、メンバー中で(男性含め)最も下ネタ好きという…私にはついていけません(笑)彼女もリピーター。
CHIYO:気さくな、というかボケっぷりが素敵な最年長。同じくリピーター。
KEI:海外旅行自体が初だという20歳。その割に、ワークキャンプ後もマニラに一人残って自由気ままに遊んで帰るとか。
MINO:唯一の大学院生。私にとってはメンバー中で一番話が合う相手だった。
SAYAKA:訳あって2日目夜から遅れて参加のリピーター。柔らかい関西弁を話すおねぇさん。(同い年だけど)
というわけで、今回はリピーター6人、ファーストタイマーが私を含め3人という、なかなか濃い面々。この日は軽くオリエンテーションをして、マニラ泊。この夜から、怒涛の飲み会が続くことになるとはつゆ知らず、初めて知り合った仲間たちと飲み語りする私…
私はハリーポッター
翌朝、マニラから国内線に乗りイロイロ空港へ。ここでフィリピン人キャンパーや、キャンプを運営するスタッフらと顔合わせ。イロイロ市内のレストランにて食事を取りながら、自己紹介をしたりゲームをしたり。フィリピン人キャンパーは
Ron:後にステイ先でBrotherとなる。スキンヘッドの巨漢&下唇と眉のピアスのためにいかつい印象だが、とても優しい人で、絵や彫刻もうまい。
Maik:キャンパー内でリーダーシップをとる。そのわりに以前バイト先のたこ焼屋(LOOB運営)を「計算ができない」という理由でクビになったらしい。オカマ疑惑!?
MJ:ワークキャンプ参加4回目の女性。Maikと同じくキャンパーを引っ張っていくことのできる人。
Jane:ワークキャンプの開催地、タラバハンのすぐ近くの集落出身。今はイロイロで学生をしている。私によく話しかけてくれたし、私もRonの次によくしゃべった相手。
Carol:大人しめの「女の子」といった雰囲気のファーストタイマー。因みに彼氏はいないとか。
交流企画のゲームとして、パントマイムモノマネクイズをやったのだが…私のパントマイムは「ハリーポッター」。さてどうしたものやら。
とりあえずおもむろにメガネを取り出し、掛けてからみなの前へ登場。箒(本当は杖だったっけ?)に乗るまねをしてみたら、案外簡単にわかってもらえました。因みに、ジャパニーズ・フィリピノのキャンパーやスタッフ、それにタラバハンの人々を全部合わせても、メガネを掛けているのはどうやら私一人。メガネを掛けているというただそれだけの理由で、この先ずっと私は「ハリーポッターに似ている」と言われ続けることになります。
そこから船に乗り、車に乗り、はるばる辿り着いたるはワークキャンプの開催地、タラバハン。車の苦手な私にとっては1時間半の荒れ道は苦行以外の何物でもなかったのですが、何とかベースキャンプ着。
タラバハン着
タラバハンで村の住人達とご対面。リピーターの皆には久方ぶりの旧知との対面時間。そして村を一巡して、私達のホームステイ受け入れ先となる家庭なんかを見て回ります。
ベースキャンプの裏手には、この集落唯一の現金収入源であり、6月の台風での破損箇所を私達のワークで修理する予定となっている豚小屋。ここでは夜な夜な集落の男たちでの飲み会が開催されることに…ベースから左手に入るといくつかの家。といっても各々の家の間は徒歩2〜3分くらいの距離があって、マンゴーとココヤシの木々の間の獣道のようなところを抜けていきます。
この間、LOOBのスタッフの一人Kiethと仲良く喋りながら廻っていました。彼はこのキャンプの救護担当。この後私は彼に結構な面倒をかけることに…25歳というがイマイチそんな若(以下自主規制)私に今彼女がいないと言うと、フィリピノキャンパーの一人Carolはどうだと熱心に勧められてしまいましたが(笑)
参考までに。この地での共通語はイロンゴ語という言葉です。フィリピンと言えばタガログ語と英語、と思うかもしれませんが、地方によっては少し違うんですね。イロンゴ語とタガログ語は、まぁ日本における方言程度の違いしかないらしいですが、いずれにしても私はタガログもイロンゴも喋れません(最終的にはいくつか簡単な言葉は覚えて帰ってきましたが)。英語については、都市部でならまず普通に通じます(よって、都市部出身であるフィリピノキャンパーやスタッフとの会話は英語)が、タラバハンの人々はハイスクールの学生を除きあんまり喋れません。学生であっても私の片言の英語と同程度ですから、最初はかなり意思疎通が苦労しました。しかしフィリピノキャンパーの通訳を交えたり、身振り手振りを交えたり、伝えようとする意思が一番大事なんだということを身をもって体験できたのが収穫でしょうか。
集落の一番高いところにはベーカリーが。ここではおいしい焼きたてパンを食べさせてもらいました。集落の人々は毎朝ここからパンを買っていって、朝食べているようです。
ここは、パンのほかにお酒とタバコも売っているようです。お酒と言ってもラム酒とジンだけですが(タバコは銘柄知りません)。そして、夜には豚小屋と並ぶ飲み会スポットでもあるんだとか。夜遅くまでベーカリーでパンを焼く主をほったらかしての飲み会も、どうなんだかなぁ。
貴方の足傷む
再びベースに戻ってちょっと自由時間。おずおずとながらも頑張って周りの人々と話してみよう、と勇気を振り絞り。
キャンパーは皆名札を下げ自己紹介を書いた冊子を持っていたため、まずは主に地元の人々からの質問攻め。私の名はどうやら、イロンゴ語にすると名前が「貴方の足」という意味になるとか…綴りはもちろん違うけど発音が似てるって事ね。そして、苗字の方は「傷む」。うーむ、とてもうれしくない名前だ。どーでもいいことですが、この5日後には実際に足に怪我をして名前どおり傷むことになるのです(爆)
その意味を教えてくれたのは、Appleさんという私と同年輩の女性。この地の人にしては都会っぽい雰囲気だなぁと思ったら、実際都会っ子でここにはJaneとCarolに付いて遊びに来ただけだったとか。都会っ子は翌日、生活必需品(とBibeのギター)を届けにきたらしいバイクに乗って街に帰っていきました。
ベースキャンプで夕食をとり、この日は全員ベースキャンプで宿泊。翌日からは各々ホームステイ先にわかれて宿泊することになるのですが、朝食はステイ先で、そして昼食と夕食はベースでとるという形を続けることになります。
夕方になると、学校から帰ってきたガキンチョどもがベース周辺に大量発生。子供は好きなので、どんどん中に紛れ込んで一緒になって大はしゃぎ。こういうことなら、言葉がわからなくてもどうにかなるもんです。因みに、現地では日本のアニメ、ドラゴンボールZやらんま1/2がよく知られているようでした。
そして、夜になるとラム酒の洗礼が…まぁそこまで酒に弱くは無いのでどうにかなると言えばなるのですが、さすがに疲れていたのでラム酒5杯でぐっすりおやすみなさい。
Mass
この日の朝は、集落から5キロほど離れたところにある教会へ日曜日のミサへ参加しに。フィリピン人は、南部のミンダナオ島はイスラム教がいくらか多いらしいですが、その他の地域ではカトリックが主流。とはいっても教会が遠いせいもあり、日曜日くらいしか礼拝には行かない人が殆どなんだとか。
この日はたまたま、だれかの結婚式の日と重なっていたらしいのですが、どこまでがMassでどこから結婚式が始まっていたのかイマイチ判りませんでした。
神父さんのお言葉は、イロンゴ語と英語。私はイロンゴ語は判らないので、同じ話を二つの言語で喋っていたのか、それとも別の内容を話ごとにどちらか一方の言語で喋っていたのか。ふと気がついたら英語で、またいつの間にかイロンゴ語に切り替わっていて、発音の訛りの影響もあり仰っていた言葉の1割も理解できず。
神父さんは私達の「あきらかに地元人ではない集団」に気づいていたらしく、結婚式のお言葉の中で私たちについて触れていました。‘今日はコリアンの人々もお祝いに来ています’…待って、私らジャパニーズですぅ。そう小声で主張する面々。
実際、私達がここに来る前に通過したイロイロ市には、中華街ならぬコリアン街があり、多くのコリアンたちが住んでいるらしいです。神父さんは、私たちのことをそのコリアンだと思ったんでしょう。
裏話的には、ここの人々とコリアンはあまり仲が良くないんだとか。神父さんとしては、「あなたたち(フィリピン人)が仲違いしているコリアンも結婚式で二人の幸せを祈る気持ちは同じなんですよ」とか言いたかったんでしょうかね。
私は、日本人によくいる「仏教系無宗教」人間なのですが…Massからの帰り、Ronに日本の宗教について質問され(彼は日本人が皆ちゃんとした仏教徒だと思っていたようです)うまく答えることが出来ませんでした。ある種、日本の文化の代表としてこの地に来ている私なのに、日本の思想文化を説明できなかったのは痛恨の失策。
しかし、葬式仏教とか、お盆の風習とか、手を合わせて祈る「いただきます」の仕草とか、説明するのは難しい!この後ホームステイ先でも同じような質問を受け、その時はMAと一緒に、Ronも含めてフィリピノ達に何とか雰囲気だけでも伝えることができたんじゃないかと思います。
ついでに言うと、ベースキャンプでとる食事の前は、全員でキリスト教式の祈りをささげてから食べ始めていました。でもこの日の朝食は、その祈りをしなかったので何故かと聞いたら、Massで祈った直後だから必要ないんだって。そんなもんなのか。
豚小屋作り
そもそも私が参加したのは「ワークキャンプ」でありまして、当然「ワーク」があるわけです。その1つが豚小屋(の屋根)作り。どうやら私が参加するより前の回のワークキャンプで豚小屋の下半分を作って、仮の屋根を作っておいたようなのですが、それが6月の台風で崩壊したんだとか。よくぞ無事だった、豚。
そういうわけで、結婚式から帰った午前中は豚小屋の屋根作り。まずは大工のTyoIpenさんの指示に従って、屋根を乗せる柱を立てるため、穴掘り。満足な掘削機器があるわけでもなく、柄の折れたシャベルとココナツの殻で掘っていくので余りはかどらず。正直なところこの作業は効率も悪いし面白くも無い。まぁ「ワーク」だからそんなもんかなぁとも思うわけです。
それが済むと、コンクリート製の柱を立ててセメントで土台を固め、その上に木と竹で屋根の大枠を組み上げて行きます。この日の午前中の作業はここまで。翌日からは「ニパ」という葉っぱと竹を編んで作った屋根材を骨組みに縫い付けていく作業に入ります。
この作業方法を体得して、縫い上げていくのはなかなか面白い。屋根作りなので高所作業になるのですが(特に私は背が低いため地面に立って作業できる範囲が狭い)足場を組んでの作業、と言ってもやっぱりその足場は竹や木を何本か骨組みの間に渡すだけなので、至極不安定でもあるわけです。最初は膝が震えていたもののそのうち慣れてくるものですね。
足場の下は、豚。不用意に足を突っ込むと、周りの騒々しさに興奮した豚に噛まれるから気をつけてね。とさらりと言われましたが…うーん確かに興奮気味の豚が囲いから逃げ出しそうな気配が。
この豚小屋、風通しのため壁はせいぜい親豚の背中の高さくらいまでしかないんです。それでも「たいていの場合は逃げることはない高さになっている」らしいのですが、その根拠もどこから来てるのかは知りません。実際、一匹はすでに逃走の前科があるとか…
SeaWall
午後からは、場所を移動してSeaWallの建設作業。SeaWallとは直訳すると防波堤、かな?タラバハンは遠浅の海に近い地区なので、他の地区へと続く道路も潮の干満で海水面にぎりぎり浸ることがあるのです。そうすると波の浸食で道路の土が流失してしまい、道路が使い物にならなくなってしまうわけです。
よって、SeaWallを設置して土の流失を防ごうというわけです。あまり巨大なものではないので、大潮の時などは冠水してしまうわけですが、それでも土の流失さえ防げればその後水が引いた後問題なく使える、という魂胆なのです。
そんな土地ですから、午前中は満潮で作業ができず、潮の様子を見て午後から作業開始です。
こちらのリーダーはPablingさん。というよりもう、気のいい陽気なオッちゃん。私を結構気に入ってくれたようで、‘MINO、MINO’とたくさん声をかけてもらいました。私の名前はMINOじゃないけどね(爆)
こちらも、前回のワークキャンプで半分程度作られており、今回で残りの部分のSeaWallを完成させる予定。山から切り出してきた岩(一抱えもあるもの〜ピンポン玉大くらいまで様々)を積み上げ、その上にセメントをかぶせて固定します。
まずは石運び。さすがにバスケットボールより大きなものは一人では運べませんね。そういうものは二人で協力したりしながら、小さなものは一人で抱えて、もっと小さなものはセメントの袋に詰めて…
運んでいるうちにどうやらほんのちょっと指を切ったようでちょっと流血。ケガ自体はまったく痛くもなんとも無いのですが、破傷風などの予防接種は受けていないため、念のため急いで殺菌消毒。ここでまずKiethにお世話される第一号になる私でした。
こうして運んだ石を積み上げるわけですが、これがなかなかパズルのようで難しい。私達ジャパニーズキャンパーが試行錯誤してはめていったつもりでも、熟練の人々の目から見ると甘いようでして、何度ももっとぴったりはめ込むように直されてしまいました。うん、確かに中途半端なものではいずれ壊れてしまうから、妥協はできないんだろうな。
そして一定の高さまで積み上げたら、あとは上をうまく平らに調整してその上にセメントを塗り、滑らかに整形してセメントが固まれば完了。セメントを捏ねる作業なんて日本ではやったこと無いもんですわ。セメントを平らに広げるのも、思ったより難しい。左官の仕事とは職人芸なり。
アゴがきれい!?
4時過ぎにワークは終了。ここから夕食まではしばらく自由時間です。地元の人々はこんな時間に何をしているかと言えば、バスケットボール。ここには、他のインフラなどに比べると不釣合いなほどに立派なバスケットボールコートがあるのです。後で聞いたことによると、フィリピンの田舎は娯楽が少ないため、国策としてバスケットボールコートを整備して若者がスポーツに打ち込めるように援助しているんだとか。
私はバスケットボールは大の苦手ですから、指のケガもあったのでそれをたてに見てるだけ。その間、KEIからこんな話を。
「フィリピン人の子がね、あなたのこと『アゴがきれいだ』って言ってたよ」
「へ?アゴ?なんだそりゃ。。。」
「うーん、多分そう言ってたと思う」
「そうなんだぁ…アゴね…。誰が言ってたの?」
「えーっと…名前訊こうと思ったんだけど…」
言語の壁は厚く。
後で判った話。言ったのはDevelinという女の子、そしてその意味はアゴというより歯がきれいだということを言いたかったらしいのです。実際私は歯並びがきれいなことと、虫歯も無く歯が健康であることには自信がありますから。一方地元の人々は栄養の問題か歯が健康な人は少ないようです。
因みにこう言ってくれた女の子Develinちゃんですがこれがなかなかの美少女。歯もこの地の人にしては大分きれい。もういくつか年上だったら申し分ないのですが(何)その割には彼女は自分の顔が嫌いだとかで、写真は撮らせてくれませんでしたが。
蛍
夕食後、この晩からキャンパーはそれぞれのホームステイ先に移って生活を共にすることになります。私はジャパニーズのMAと、フィリピノのRonとともにあるお宅にステイすることになります。
フィリピンは熱帯の国ですから、日本のように風呂に入る習慣はありません。近くの井戸まで行って(この井戸は隣近所と共有らしい)水浴びをすることになります。当然、屋外。ですが男はパンツ一丁、女であってもTシャツにショートパンツ程度で男と一緒に水浴びしてるんですね。最初はさすがに戸惑いましたが、数日のうちに慣れてしまえばこんなもんかな、と。
今は雨季なので水の心配もすることなく盛大に水をかぶります。ただ少し気になったのは、使った石鹸をそのまま井戸水で流していること。近くには田んぼもあるんだけど…これは別に、私達キャンパーが垂れ流しているということではなく、地元の人々も入浴や洗濯に石鹸を使っているわけで、環境を学ぶものとしては心配でならないわけですよ。
因みにこの集落、一昨年から電線が引かれ、電気が使えるようになったらしいです。水道は無いですが、海が近いにもかかわらず井戸水が飲めるので問題なし。火は竹を切ってきて薪のように使っています。そんなところでも、携帯電話は使えるんですね。外国資本の進出って、恐ろしい。
水浴びをしている間、ふっと辺りを見回すと、そこには何匹かの蛍が。日本の蛍に比べて、さらに一回り小さいようです。そして体の色は茶色がかったグレーのような感じ。お世辞にも美しくないが、まぁ蛍なんて暗い中で光ってるところがよいのであって本体の色がどうであろうと構わないといえば構わないか。光の色は日本のものとそう変わらないみたいです。
日本でもつい先月初めて生で蛍を見た私。生涯2度目の蛍は異国の地での乱舞だったわけです。水場に近いホームステイ先の家では、毎晩のごとく蛍を見ることができました。
しかし、蛍って英語だとFirefly。火のハエですか…なんとなく日本語の「ほたる」のほうが情緒あるように思うのは私が日本人だからですかね。
Maricon&Eva
ホームステイ先は、タラバハンのごく一般的な家庭。Tatay(イロンゴ語で「お父さん」)とNanay(「お母さん」)、それに子供が5人…らしいんだけれど…?どうやら、もう結婚して独立した子供とその子(TatayとNanayにとっては孫)がよく遊びに来ているらしいことは判ったのですが、皆それぞれ歳が離れているためどれが子供でどれが孫かもイマイチ不明。さらにいろんな家の子供が入れ替わり立ち代り遊びに来たりすることもあり結局どれが本当のこの家の子なのか5人を判定できなかったのは内緒の話。
その中で、年長のMariconとEvaの姉妹は、Ronの通訳なしでも英語が通じるということもあり、結構話せました。
Mariconは16歳、ハイスクールの3年生。将来的には旦那さんの主導権握りそうだなぁと思わせるような、元気というか世話好きというかそんな女の子。以前のワークキャンプでこの家にステイしたMITSUという人に恋してるんだとか。私はMITSUとは面識ないんですけどね、彼のことを熱心に語ってくれました。ホームステイの終盤では、ひょんなことからMariconosという新たなニックネームを付けられてましたが(おばあさんっぽい名前らしいことを憤慨してました・笑)
Evaはハイスクールを卒業した18歳。今度の12月にはもう結婚が決まってるんだって。おめでとう!今は家事手伝いみたいなもんか?いつも家にいました。Mariconほどの世話好きではないが、似たもの姉妹だなぁという印象。
この家も、豚小屋と同じく竹で骨組みを作りニパで屋根を葺いた家。床も割った竹でできているのではだしで歩くのが心地いい♪この地の男性は大変なヘビースモーカーなので、タバコの灰を落とすのにも竹の床の隙間は役に立っていたようです。そのかわりスプーンや紙片なんかも誤って落としてしまって、何度か床下に取りに行く羽目に陥りましたが。
ウォタール?
TatayとNanayは、英語は殆どできません。ただいくつかの単語程度はわかるようなので、水飲みたいか?とか聞こうとするときは、「Water?」と言いながら水を飲む仕草をするわけです。まぁそれでも一旦理解してしまえばどうにかなると言えばなる。
ただ、Tatayの発音は限りなくイロンゴ語訛り。Waterがウォタールになるわけです。それが、最初はホントにわかりづらかった。
そもそも、イロンゴ語やらタガログ語やらは、スペイン語の影響を非常に強く受けている言語です。それは16世紀から19世紀にかけてのスペインによるフィリピン統治の影響が関係しているものだと思われます。
そんなわけで、片言の英語を喋る当地の人々は、Waterがウォタールになるだけでなく、語頭のRは巻き舌にする、〜tionや〜cionの発音はシオンでオにアクセントを置く、などなどいろいろな癖があるわけです。曲がりなりにも大学でスペイン語を選択していたので(成績は散々でしたが)、英語とスペイン語の知識を駆使して何とか理解。もちろん、きれいな発音をする人もいますけどね。そういう場合は大抵、都市部での教育を受けて帰ってきた人なんです。
あと、気になったのが文法。英語で話す時、「あなた」が主語であるはずのところを‘I’で言うこと多し。疑問形は使わずに、文末を上げるイントネーションで疑問を表す。過去形やらそういったものも使わない。例えば「もう歯を磨いたか?」が‘I brush my teeth?’だし、「コーヒー飲みたいか?」が‘I drink coffee?’となる。結構混乱します。
Evaはわりかしそこのところ丁寧に使い分けていましたが。逆にMariconは、文法はお構いなしですが単語をよく知っているようで、Evaは「●●って英語で何ていうの?」といった質問をMariconにぶつけていたみたいです(イロンゴ語でのやり取りだから私には正確なところは判りませんが)。もちろん、私とMAの間でも、「○○って英語で何ていうんだ?」という会話は沢山交わされましたけどね。持って行った電子辞書、大活躍。
吐き気と高熱
で、2日目の晩もお隣に住む大工のTyoIpenさんの家で飲み会。TyoIpenさんの家にはTAMAとMINO、それにMaikがホームステイしています。
本当はそんなに毎晩飲むつもりじゃなかったんだけど…TyoIpenさんの家は私達と共有の井戸のすぐ傍にあるので、水浴びに行ったときに飲み会に引き込まれてしまう訳で、そうすると根本的に酒好きなため断ることも出来ず…
でも、どう考えても飲み過ぎというほどには飲んでないはずです。昨日よりさらに少ないラム酒2杯だけ。
けれど、何かおかしい。。。異変を感じて飲むのを止め、家に帰って寝たのですが、皆が寝静まった午前1時半、強烈な吐き気に目を覚ます。
さすがに家の中で吐くわけに行かんので、家の外へ出ようとごそごそやっていると、隣で寝ていたRonが気づいて声をかけてくれました。ただ、その時の私に状況を説明するだけの余裕はありませんでしたが。
まぁRonの方も、見た様子で私の異変には気づいたらしく、いろいろ気遣ってくれました。30分ほど外で風に当たっていると、何とか気分も落ち着いたので、部屋に戻ってまた寝ることに。
付きっきりで心配してくれていたRonに「ごめんね、ありがとう」と言いたかったのですが、うまく伝わったのか伝わらなかったのか。
翌朝、吐き気は全くなく体調は良くなったかなと思いきや。目覚めた時はましだったものの、その後急激に体温上昇。測ったわけではないですが、多分37度台後半か38度くらいは出ていたでしょう。というわけでまたも看護士Keithのお世話になりつつベースキャンプで寝込むことに…
その時Keithには‘朝に会ったとき(Keithが朝の散歩中、私達の家に寄って挨拶していった)はFineだといっていたのにどうしたんだ’と言われ、私は思わず日本語で「だってその時は大して深刻じゃないと思ってたんだもん〜」と口を尖らせてしまったのだけれど。周りのジャパニーズに「Keithに日本語で言ってもしょうがないでしょ」と突っ込まれました。…だって、Keithってどうも日本語が通じそうな雰囲気を持ってるんだもの。まぁ、英語で言われたことに日本語で即答していること事態、ちゃんと考えれば変なことですが。
まぁ、熱のせいでおかしかったんだと思ってやってください。
飲めや歌えや
というわけで午前中はベースキャンプで寝込んだ私。多分、なれない環境で動き回った疲れだったんだと思います。昼にはだいたい回復し、午後からのワークには、皆に付いていく事を許されました。(独りで寝てるのに飽きたので、行かせてくれと頼んだのです)SeaWallの作業場までは来たものの、結局‘お前はまだ働くな、日陰で見てるだけにしろ’と口々に言われ、しばらくは皆がSeaWallを作っているところを見ているだけだったのですが。
結局この日の最後のあたりには、石積みを一緒になってやってしまっていました。体調が回復してることがわかるだけに、何もしないでいるのが嫌だったってことです。せっかくここまで来たんだから、皆と一緒にワークをやり遂げたい。そんな気持ちでした。
で、そんな一日だったにもかかわらず、この日も夜は豚小屋飲み会が。昼間活動していなかった分夜になって復活し元気が有り余っていた私はまたも飲み会参加。しっかりダメ人間ですな。まぁ、さすがにいくらか自重してこの日もラム酒一杯のみ。あとは周りが騒ぐのに合わせて雰囲気に酔うことで我慢しよう。
この日はスタッフの一人、Bibeの29歳の誕生日。HappyBirthday歌いながらどんどんラム酒を飲ませる様は、ほとんど日本の学生の飲み会と変わりませんな。
このBibeという人、ギターと歌の名手でもあります。どこからか入手した(自分で持ってきたわけではない)ギターを掻き鳴らし、歌っていると村の人たちがこぞって聴きに来る人気者なのです。
Bibeが歌ってくれた曲の中に、長淵剛の「乾杯」の曲がありました。といっても、イロンゴ語(タガログ語かも)の歌詞がついており、少し説明してもらったところによると日本語の歌詞とは全く違うラブソングになっていたみたいですが。
この「イロンゴ語版・乾杯」は、他のスタッフやキャンパー、またタラバハンの人々も多くが知っている曲らしく、Bibeが弾きだすとみんなで大合唱してました。そこで私達も、日本語の歌詞をフィリピノたちに教えて、一緒に歌ったりもしました。逆に、イロンゴ語の歌詞も教えてもらうつもりだったんですが…ちょっとチャンスを逃して歌詞を書き写させてもらうことができませんでした。残念。
SalvacionHighSchool
翌日はワークはなく、地元のハイスクール訪問へ。一応言っておくと、フィリピンの学校制度は6・4制。即ち6年の小学校の次が4年間のハイスクールになります。MariconはこのSalvacionHighSchoolの3年生なわけです。
このハイスクールはギマラス島の高台にあり、タラバハンからは5キロくらい離れたところにあります。生徒は、どうやって通ってるんだろう?歩きかな?それにしては、土の道なのにみんな靴が綺麗だったけど。
ハイスクールでは、1年生の生徒と一緒にフィリピンの歴史の授業を受けたあと、交流企画。クラスを5グループに分けて、日本語の伝言ゲームをさせてみました。文面は
一組目:「今好きな人おるん?」
二組目:「うん、おるよ。何でそんなこと訊くん?」
三組目:「だって、うち、あんたのことが好きやねん」
四組目:「ごめんな、うちオカマやねん」
五組目:「なんでやねん!」
…なんで関西弁なんだろう。そしてこの文章は一体。。。まぁ気にしない。伝言ゲームでどんな風に伝わったのかを各グループの最後の人に発表してもらってから、その意味を英語で解説。
大ウケでした。よかったよかった。さすがは14歳です。恋愛ネタもオカマネタ(フィリピンはゲイ多いですから)も、思いっきり乗ってきてくれますね♪最後の「なんでやねん!」は、主にジャパニーズウケしてましたけど。
その後は、これも日本文化紹介としてグラウンドで長縄。まず私達が模範を見せてから、生徒達にやって見ないかと誘うものの。この歳だと、男の子より女の子の方が明らかに積極的ですね。それは日本もフィリピンも同じなんだなぁ、とそんなところで納得。
さらにその後は、生徒達とジャパニーズのフリートークタイム。彼らにとって日本とは憧れの地であるらしく、私達は有名人芸能人でもあるかのごとくサインをせがまれ。うーん、軽く50人分は書いた気がします。途中から、サインをせがむ子には「今好きな人おるん?」と質問をして答えてもらってから書いてあげたりもしました。素直に答えてくれる子もいれば、はにかむ子もいて、かわいらしいのなんのって。
その時と、あと夜家に帰ってからMariconにも言われたんですが、私はどうやら女の子に大モテだったとか。どうも、私の顔がフィリピノの考える「美男」のタイプに近かったらしいです。うん、オイシイ。こりゃ、日本でモテなくともフィリピンでなら彼女が作れるかも知れない(何)
UNO!
ハイスクールから帰ってきてから、しばらくフリータイム。ベースキャンプにてまったりしていたり、ハンモックで昼寝したりと皆思い思いにくつろいでいたんですね。まぁ、私だけでなく他のキャンパーも暑さのため結構バテ気味だったこともあり、体力回復のための昼寝時間でもあったわけです。
誰が持ってきたのか、UNO大会が開始され。UNO好きとしては昼寝を諦めてでも参加しないわけには行かない。次のゲームからぜひ混ぜてくれ、と言ってそのテーブルについたのだけれど、彼らなかなか勝負がつかないし。
ようやく一ゲームが終わり、私も加わって新たなゲームを開始。…というか私、即刻上がり。カードの周りも良かったのは確かだけど、皆弱い〜。次のゲームも、その次もまた私がトップで上がる。今まで、UNOは好きだけどそんなに強いとは思ってなかったので逆に意外かも。そもそも、UNOに強いとか弱いとかってそんなに実力差があるもんなのか?
Maikは何度も「UNO」を言い忘れるし、Ronは間違えてカードを出して自分の手の内をばらしてしまうし。上がった後でBong.GやKEIのカードをみていても、「このカードは今出すべきじゃないだろ」とか、逆に「これ出せるのに何で出さないんだろ」とか思うこと多々。そこまで深く考えてないのかな。
でも、彼らが勝負事に無頓着というわけではないみたいです。むしろ、以前のワークキャンプで腕相撲大会を開いたら、白熱しすぎて収拾つかなくなったとかいう逸話も聞いてますし。単なるUNO大会でも盛り上がりはすごい。
私一人先に上がってしまって、またゲームの観客の一人になってしまってからも、その盛り上がり様を楽しむことは十二分に出来ましたね。
その後、翌日に予定されているFriendshipNightのための準備の話し合い。FriendshipNightとは、要は日本とフィリピンの文化交流企画。日本食を作り、ゲームや出し物を通じてお互いの文化を知ろうという企画です。日本食については、ジャパニーズキャンパーが各自日本から食材を持ってきていたり、あとはフィリピンで調達できるものを駆使して作ることになっているのです。その調達の予定など、話し合うことはいろいろあり、結構遅くまで話し込みました。
カラオケWorld
日が暮れてからベースキャンプから各自のステイ先へと帰るわけですが、道が真っ暗なので慣れないと大変。街灯など当然ないですし、人家の明かりも数分歩いてやっと一軒家がある程度では期待できず。上を見ても、木が茂っていたり雲が出ていたりで月明かり星明りもなく。
それでもさすがに地元の人は慣れたもんですね。苦もなく歩いていってしまう。夜目が利くのかな。私達キャンパー(フィリピノキャンパーも含め)は、懐中電灯の明かりを頼りにおずおずと歩くのみ。
家に帰ると今夜は、我が家でカラオケ大会が。DVDとマイクのカラオケセットがこの家にはあるんですね。私の知ってる曲は殆どなく、最初はただ聴いているだけだったのですが。いつのまにか酒も登場し、酔っ払いたちに勧められて‘お前も何か歌え〜’と。待って、私の知ってる曲がないんだってば!
どうにか探し出した、部分的に知ってる曲。‘LastChristmas’…激しく季節外れ。まぁ他に知ってる曲がないので仕方ない。歌う。そして酔っ払いたち、拍手喝采。
そういえば、ここらの家はオーディオ機器が妙に豪華。そして毎朝毎晩、爆音で音楽をかけている。まぁ少々うるさかろうがどうせ隣の家は遠いですし、そもそも隣の家も同じくらい爆音で音楽かけているのでお互い様。
そんなわけで、このカラオケも多分近所に響き渡ってたんだろうなぁ。。。季節外れな私の歌も。
♪Last Chirstmas I gave you my heart, But the very next day...
石が足りない
タラバハンでの5日目。今日からは潮の満ち引きの関係で午前中にSeaWallでの作業です。今までの作業で、予定しているSeaWallのかなりの部分が出来上がり、この分なら予定通りワークキャンプの日程中に完成を見ることが出来るぞ〜と思っていたわけですが。
そのSeaWallのための岩は、ワーク開催の事前に山から切り出してきて、作業場所の近くに集積してあったんですが、よく見ると、いや、よく見なくても、残りのSeaWallを完成させるのに足りない。見積もり誤ったか。
というわけで、作業が中断。その間はキャンパー同士で喋ったり、作業場の近くの家の人々と話してみたり。もちろん、地元の人と喋るのはフィリピノキャンパーを交えたり身振り手振りを使ったり、片言の英語(というか単語だけ)を駆使したり。お互いに意思疎通しようという意思があったからこそ話せたんだとは思いますが、後で考えると、よく話通じたなぁ。
リピーターの6人は、前回来たときも彼らと少しは話をしたことがあった分、共通話題があったのでしょう。ファーストタイマーでも私とKEIは大学でスペイン語を習っている(いた)こともあり、ほんの少しはアドバンテージがあったのかも知れません。そう考えると、ファーストタイマーで言葉も覚束ないMINOはもっと大変だったのでしょうかね。
で、足りなくなった分の岩はどうしたかというと、また山から切り出してくるしかないわけです。ただ、その作業はさすがに熟練者じゃないと危険だということで、私達は待機。結局この日はその後の作業をすることなく、お昼休憩へ。
そして午後はまた豚小屋へ移り、ニパを縫い付ける作業へ。この頃になると私達も皆作業にも熟達してきているし、高い足場の上でも余裕で動き回れるようになってきてもいるわけです。そうすると、作業の手が多いだけに仕事が早い早い。最初とは比べ物にならないスピードで屋根が広がっていくのは、ただ見ているだけでも面白いもんです。
焼豚
ベースキャンプでは、今晩の夕食になる豚料理の準備が。考えてみれば当然のことなんですが、豚肉を食べるためには豚を一匹殺してしまわなければいけないわけで。
午前中のワークから帰ってきたときに、つい今しがた絞めたばかりの豚を目の前にし、ちょっと呆然とした私。本当に目の前で死んでいくところを見たわけではないけれど、日本では殆どスーパーでパックに入った豚肉しか見たことのなかったような私には充分な衝撃。
リピーターのキャンパー達は、正に目の前で豚やヤギが絞められて死んでいくのを以前のワークで見ていて、その衝撃はこんなもんじゃないよ、と言っていました。
肉を食べているということは、動物を殺しているわけで。何かの命の上に私達が生かされているという現実から目をそらしちゃいけないんだなと思いながらも、やっぱり、突然そのまま受け止めるのは重たい。
午後の豚小屋でのワークの最中、すぐ隣ではその豚に竹をそのまま1本突き刺して、それを軸にゆっくり回しながら炭火焼きをしていました。私も焼く作業を手伝わせてもらったんですが、時間をかけていくうちに美味しそうな香りと肉汁が溢れ出し、1つの命は1つの肉料理へと変化して行きました。アーメン。
そして午後のワークの間中をかけてじっくり焼いた豚は、この晩集落の皆で美味しく頂くことになります。
ひさびさ、日本食
この日の晩は、ジャパニーズとフィリピノがお互いに自分達の文化を紹介する催し、ということでまずは夕飯に日本食を提供することに。
事前に日本から食材を持ってきたり、スタッフにイロイロ市まで買出しに行ってもらったりして作った料理は…
蕎麦。私はアレルギーのため食べられないのですが、やはりうどんやそうめんのように小麦粉の麺よりは蕎麦の方が独特でしょう、ということで提供。その場で竹を半分に割り、中を洗って器として使う演出も。最初は敬遠され気味だったのですが、結局は用意した分全部食べてもらえたみたいです。蕎麦つゆをつけて食べる食べ方に慣れないようなので、途中で竹に盛った状態のままつゆを全部かけてしまったのだけど…最後には伸びちゃったかも。
おにぎり。フィリピンの米は日本の米(ジャポニカ米)と違いパラパラしたインディカ米(10年前話題になったタイ米と同じ系統です)。これでおにぎりを作るのは至難の業なので、予定としてはもち米を混ぜて炊いてみるはずだったんですが…もち米を購入できなかったのかな?パラパラのインディカ米だけで握ることに。とりあえず海苔を巻いて崩れないように…ふりかけやら梅干やらおかかやら、いろいろな味を作ってみましたがどれも好評。というかここの人々は米をよく食べるので、ふりかけがあろうと無かろうとそう変わらないって事なのかもしれません。
スキヤキとキムチ鍋。ってかキムチ鍋は日本食か?との突っ込みはさておき。これは野菜の類が現地調達だったわけですが、同じようで微妙に違う野菜ばかりであまり日本風っぽくないものができてしまいました。量が少なめだったせいか、いつのまにか完食。私は味見すら出来なかった…
たくあん。これはフィリピン人には不評。結局日本の味に飢えていたジャパニーズで全て消費。
岩ノリ。私が持って行った食材だったので、皆の間を回って味見いかが〜?とやってみたところ、結構好評。というか、好きな人と苦手な人にはっきり分かれまして、やや主流派の好きな人で一瓶完食。
フルーツ餡蜜もどき(笑)。なぜかフルーツとあんことシロップが別々に器に盛られてましたけど?だれだ作った奴。それぞれ別のものとして食べられた様子。あんこは子供達に大人気でした。甘いものだから当然かな。
私達ジャパニーズキャンパーにとっては、慣れない地元食が続いていたのでいい気分転換というか何と言うか。久しぶりに目一杯食べてしまいました。
FriendshipNight
夕食後は、出し物。日本とフィリピンの国家を歌い、二人羽織をやったり、「バブルガム」というフィリピンの人気番組を模した無声劇をやったり。女の子達によるダンスもあった。ここの子供達は皆ダンスができる。その中でも、ある少女が特に上手いなーと思って観ていたわけです。聞いた話によると、その子はダンスが上手いだけでなく勉強も出来る子らしく、小学校で1学年飛び級してるんだって。うーん才色兼備。
他には、キャンパーと子供達の二人一組での椅子取りゲームなんかも。子供達に‘一緒にやりたい子いるかなー?’と呼びかけたところ、私のところに真っ先に駆け込んできてくれる男の子が。うむ、ういやつじゃ。彼とは、ベースキャンプにいる間中よく遊んでいたので私に親近感を抱いてくれていたみたい。こっちとしても嬉しいもんです。でも、椅子取りゲーム勝てなくてごめんね。
本当はこれらを、ベースキャンプ近くのバスケットボールコートでやるつもりだったんだけれど、この晩も雨(殆ど毎日どこかの時間帯が雨でした)のためベースキャンプ内でこじんまりと。そのため予定していたバンブーダンスは中止に。
それでも、途中にMAとKeith、RonとBong.Gによるオカマショーを挟んだりしながら大盛り上がりのうちに最後の種目、日本文化○×ゲーム!
日本の国花はウメである?など真面目なものから、TAMAはコーラ一瓶を10秒で飲みきれる?といった実践問題まで、厳選(?)10題を用意していたのですが、気がつくとたった4問で残りの子供が二人に…難しすぎたのかなぁ。
ということで6問飛ばして、最後はワサビおにぎり食べたの誰だ〜ゲーム。ジャパニーズとフィリピノキャンパー計6人が一斉におにぎりを食べ、そのうちワサビ入りのおにぎりに当たったのがだれかを当てるゲームです。食べる方も誰に当たるか判らないので戦々恐々(笑)あとは、当たらなくてもワサビが当たったフリをして正解を判らなくする演技もアリ。
そもそもフィリピノはワサビを食べたことがない人が殆どなため、ワサビおにぎりに当たるとどんな反応をするかもわからないわけです。なので、ジャパニーズからするとおかしな反応(たとえば、唐辛子の辛さの演技とか)をして惑わすのもアリなわけです。これは、ジャパニーズで内輪ウケにもなる。
で、幸い私にはワサビ入りおにぎりは当たらなかったんですけど、そのかわりなぜか梅干の種が3つも入ったやつに当たってしまいまして、まさか一口サイズのおにぎりに梅干が入ってると思わないで思いっきり噛み砕いてしまったため、ワサビとは違う意味で苦悶することになりました。で、その苦悶の様子をみて私にワサビが当たったんだと思った子が一名。演技じゃなく騙してしまったようです。
もう一人の子も、正解を選ぶことが出来ず残念ながら優勝者なし!ということでこの夜はお開きになりました。
セメントも足りない
翌日も、午前中はSeaWallにて作業。昨日のうちに足りなかった分の岩を切り出してきてあり、ひたすらに積む。積むといっても賽の河原じゃないから低く、長く。
この日がワークの最終日なので、昨日できなくて遅れている分を頑張って取り返さないと。だからといって根を詰めて作業を続けるには暑い。暑すぎる。昨日まで、適度に休憩を入れながら、見ようによってはダラダラと作業をしていたんですが、実はそれがバテずに一日中作業を続けるための秘訣だったんですね。
11時半近くになって、とりあえず石積み終了。いままでだったらこの時間に仕事の区切りがついたら即上がりでお昼休憩となったんですが、さすがに最後の日だけにもうちょっと頑張ろうということに。
しかし。今度は、どうやら積んだ石の上に塗りこめるはずのセメントが足りない。これは問題。セメントは、山から切り出すものではなく買ってこなければない物なので、一日二日じゃこのタラバハンまで持ってくることが出来ない。
どうしたものかー、と思うものの、私が悩んでも仕方のないことなのでとりあえず今あるセメントで、今出来ることをしよう。そう思い直してセメント捏ね作業をする。で、ひたすらに捏ねたセメントを積んだ岩の上に塗っていく。
このセメントというもの、酸性が強いため皮膚に長い間つけたままにしておくと非常に良くない。そう言われていたのでもちろん気にしながらの作業ではあったものの、ここ数日の作業で結構手が荒れてしまっていました。特に私の場合、一日目の作業で指を怪我しているだけに本当はセメントを触ることすらいけなかったらしいのだが。まぁ、帰ってきた後その荒れも治まり、たいした影響も見られないようなので気にしないものとする。
結局、全てのセメントを塗り終え、あとわずか3mほどの幅を残してSeaWallでの作業が終了となってしまいました。残念。
Flying‘T’
お昼ごはんの後、豚小屋へ。こちらもこの午後でワーク終了の予定。こちらは部品(ニパと、縫い付けるためのナイロン繊維)も充分なので、あとは仕事を進めるのみ。
けれどこちらは、作業が進むごとに屋根の中央部へ向かうために、作業の足場が高くかつ狭くなっていくんですね。そうするとだんだん平行作業できる人数が減ってくるわけでして。
そうすると、私や女の子達など小柄で作業に手間取るような人間から順にリストラされるわけです。そして最終的には作業の早い地元の男たちだけで最高部のニパ縫い付けをやることになるのです。
やる仕事がなくなってしまったので私は、そこらにある竹の切れ端をつかって竹細工でもやってみようと思い立ちました。元々私は日本でも竹細工を作るのが趣味だった人間ですので(最近は身近に竹がないので…)、竹を見るとどうしても何か作りたくなってしまうんですね。
とはいえここには満足な道具があるわけではないのでそんなに細かい作業は出来ないなぁとも思うわけです。結局、ノミを使って竹とんぼを作ることに。小刀でなくノミで削るので至極作業に手間取るわけですが、そこは腕の見せ所。結局夕飯の後までかかって竹から羽の部分と中央の棒を削り出しました。
しかしまたここで問題。どうやって羽の中心に穴を開けよう?どうにかして釘か何かを探してきて開けようと思ったのですが、釘もそうそう見つかるもんじゃない。
とりあえず、豚小屋を作る時に何本か骨組みを止めるための釘を使っていたことを思い出し、そのあたりに落ちてないかと探しに行ったのですが…
思い返してください。豚小屋付近はこの集落きっての飲み会スポット。というわけで私は、釘を探しに来たのに飲み会に巻き込まれるわけです。で、その間に‘俺が穴空けてやるから貸してみろ’と言われて羽を渡したら、見事に失敗して割れてしまいましたとさ。
その後、一緒に飲んでいた別の一人が鉈をうまく使ってフィリピン風竹とんぼを作ってくれました。それを私にくれると言うので喜んでもらい受け、ベースへ。
もともと私は竹とんぼを作って子供たちにあげようと思っていたので、その竹とんぼはすぐに少年達に与えられたのですが。
ウミボウズ
次の日は、集落総出で海へ。…というか、金曜日のはずなのに子供たちは学校へは行かないのか?と思うくらいに老若男女こぞって海へ。
集落の裏手からエンジンボートに乗り、遠浅の海をすこし行った先にある小さな島の浜辺で海水浴をしようというわけです。小さな入り江に止められたボートに私達20人あまりが乗って、さぁ出発!
と思ったのですが。このとき、潮は干潮。定員一杯まで乗ったエンジンボートは、海底の泥に引っかかってなかなか進まないわけです。仕方ないので男数人がボートから飛び降り、掛け声かけながら押していくことに…
私の隣ではRonが舟を押していたのですが、その形相がすごい(笑)もともと厳つい見た目の彼が気合入れて船に取りすがっている様を見て、悪いと思いながらも私は「舟を押していると言うより、船に襲い掛かろうとしている怪物みたいだね」と。KEIがすかさず「海坊主みたいだね」と。そういえば、文字通りここは海で彼は坊主頭。
日本語でのやり取りに大ウケしていた私達に、Ronが不思議そうな顔をしていたので解説してあげました。‘ウミボウズ is a kind of Japanese monster. ウミ means the sea, and ボウズ means skinhead.’…いいんだろうかこんなんで。モンスター=化け物といわれて即座にノッてきてくれるRonちゃんがナイスです。
なんとかエンジンがかかるところに出て、目的の小島まで到着。海水浴をする浜辺はこの小島の反対側〜ということでボートを降り、歩き出す。ところがこの島のこちらがわはマングローブの森。泥っぽいに足をとられ、その地面からニョキニョキ生えるマングローブの硬い木の芽にひっかけて、足の裏をざっくり切ってしまいました(涙)。マングローブって硬いのねー。。。そして三度Kiethのお世話になる私。ほんとうにご迷惑おかけしまして。
嵐とフィリピノとジャパニーズ
足の裏はズキズキ痛むけれど、こんな綺麗な海に来て遊ばないわけには行かない。水は澄んでいるし、何より綺麗なのが浜辺。砂浜だとおもったら、それらは全て貝殻と珊瑚の砕けたもの。見事なまでに真っ白な浜に、ときおりヤシの実が転がっていて。
もう、その浜に着いたとたんに服を脱ぎ、速攻で海に飛び込む私達。一緒に来た子供たちとともに、ともかく最初はがむしゃらに水の掛け合い。最初は全員にライフジャケットが渡されていたのだけれど、波もないし海もずっと遠浅なので、浜辺に放置して泳ぎ回ったり。
ちょっと一息つこうかな、と思った頃には上手い具合にNanay達によるお昼ごはんができていて、砂浜に座って食事。こういうのって、やっぱりいつも以上に美味しく感じちゃうんですよね。
その後は、海に入る人もいれば、砂遊びをしたり木陰で一休みする人もいたり。Ronちゃんは砂の彫刻作り。うまい。「真実の口」だったかな?口に手を入れて、嘘をつくと食いちぎられてしまうという顔の像、あれを作っていました。他には、定番の砂に埋められる人もいたし、ヤドカリを捕まえて遊んでる人や、綺麗な貝殻を集めている人も。
そうしているうちに、この日もまた突然天候が崩れて大雨に。その雨の間見ていて面白いなーと思った事がひとつ。
ジャパニーズは雨になると海から上がって、木陰などで雨が上がるのを待ち、晴れるとまた海に駆け込んでゆく。一方フィリピノの多くは、雨が降り出すとむしろ海に入り、晴れると浜に上がってくる。それまでずっと浜に座っていて、泳がないかと誘っても断っていた人々まで雨とともに海へ入っていく。どうやら、同じ濡れるなら海に入ってしまえ、という発想のようです。
降ったりやんだりを繰り返すうち、雨がだんだん強くなってきたので、結局私もフィリピノと同じ発想で海へ突撃。もう半分以上ヤケになってはしゃぎまくっていました。
そういえば、泳いでる間に子供たちに私のゴーグルを貸したのだけれど、そのまま次々又貸しされたまま返してもらうの忘れてしまったなぁ。まぁ、プレゼントということにしとくか。。。
海ではしゃぎすぎて、帰りのボートはけっこうぐったり。まぁ帰りは満潮近かったのでボートを押したりすることもなかったんですが、そのかわりエンジンが調子悪かったようで、何度もかけなおしていました。エンジンの問題じゃぁ、私には力を貸すことも出来ない。。。
文化の違い
この日の夕方は、OpenForumということで、ジャパニーズとフィリピノがそれぞれ、このワークキャンプを通じで互いの文化について気づいたことを発表しあいました。
例えば、フィリピノに指摘されたこととして‘日本人はお菓子を食べる時に人に勧める事がない’というのがありました。実際そんな機会がいつあったのだか、私は知りませんけど。彼らにとって見れば私達が日本文化を代表しているわけですから、そういう細かいところも「それが日本人」と一括りに考えられてしまうものなんですね、とちょっとわが身を振り返る。
あとは、ここの気候からなのでしょうけれど‘ジャパニーズは朝風呂に入らない(水浴びしない)’ということが発見だったとか。フィリピノの特に女の子は大抵、朝に水浴びしているみたいです。ジャパニーズでも朝にシャワー浴びたりする人はいるでしょうけど、旅先だからという意識のせいもあるのかなぁ。
それと対になって‘髪が濡れたままでも寝てしまう’という指摘もありました。フィリピンには、髪が濡れたまま寝ると良くないことが起こるという迷信があるんだとか。まぁ、健康面から良くないことは確かかもしれませんね。だから彼らは、朝に水浴びをする習慣なのだそうです。
ジャパニーズから出た意見としては、たとえば「全ての年齢層の皆が子供のあやし方を知っている」ってこと。これは、多分昔の日本だったら皆できたことなんでしょうね。普段の生活では私の世代の人間には周りに子供いませんから。
ほかには、最初の方にも書きましたが水道がなくても携帯が通じるようなアンバランスさについてとか、日本に対する興味の強さ(ダンサーや歌手として日本に行きたいという女の子が沢山いました)、外国の統治に対する考え方なんかも挙げられました。
結局のところ文化って、小さなことの積み重ねで出来ているもんですね。
最後の夜は
この日の晩が、ホームステイ最終日。そしてタラバハンで最後の夜。最後の夜だということで、Mariconからは‘酒飲んでですぐ寝ちゃったらつまらないから、今夜は飲みに行くな’と言われてしまいました。そんな殺生な〜…と哀願した結果、妥協案として、豚小屋など外に飲みには行かないで、家で話しながら飲むならいいよ、ということに。…ホントにMariconは、将来亭主を尻に敷きそうな女の子だよなぁと思う。まぁ、私があまりに「尻にしかれそうな男」なのかもしれないけれど。
そんなわけで、私とMAとRon、Maricon、Eva、TatayとNanay、それにDevelinがうちに来てドンチャン騒ぎが…時折、Develinの兄のBong.GやTAMAが来て、MAを連れてどこかに出かけて行ったりもしたみたいだけれど。もはや誰が来たのか誰が出て行ったのか判らないくらい飲めや騒げや。どうせ、騒いでも隣の家は遠いですからね(笑)さらに言うなら、隣の家でもキャンパー達の最後の夜ということで同じ様な宴会が開かれてたんだと思います。
この日飲んだのは、ボラカイという、ジンにコーヒーなんかを混ぜた、ちょっとカルーアに似たお酒。なかなか飲みやすい。Mariconも飲んでたけど、フィリピンってお酒何歳からのめるんだろう?タバコは、18歳からって後日イロイロで買い物した時に見たような気がする。
結局私は、1時半くらいまでMariconやEvaやDevelinと飲み語りしながら過ごし、その後も結局部屋に引き下がらずにその場で皆で雑魚寝。MAもその頃には家に帰ってきていました。
NanayとTatayとココナツキャンディー
そんな風に夜遅くまで飲んだ翌日だと言うのに、NanayとTatayはいつもどおり朝が早い。私が目を覚ましたのは7時前なんですが、その頃にはもう普通に朝の食事の準備をしていたみたい。
実はこの朝、Tatayはココヤシの木に登ってココナツを取ってきて、Nanayがそれを砂糖で甘く煮てキャンディーを作ってくれていたのです。それは、日本に帰る私とMAへのお土産に、ということでした。ありがとう。
ふと見ると、Nanayが水桶を担いで井戸に降りていくところ。追いかけていって井戸のところでNanayに追いつくと、そこで洗濯していた近所のおばちゃんが‘Nanayのお手伝いにきたのかい?’と訊くので‘もちろん!’と答える私。おばちゃんはNanayにイロンゴ語でなにやら言い、それを聞いたNanayはめちゃくちゃ照れてた様子。ふたりで1つの水桶をかついで家に帰りました。たまには親孝行もいいもんでしょ?
この家で、タラバハンで食べる最後の食事はご飯とラーメンに似た麺。数日前にもこの麺の違う種類の味が出されて、私はかなり気に入って、覚えた数少ないイロンゴ語で‘おいしい!’と連発していたのを覚えていてくれたのかな。
ただ、NanayとEvaが口々に‘お肉ないけどごめんなさいね’と。彼女ら曰く、お金がなくてお肉が買えなかかった、とのこと。
そうか。もともと裕福な生活をしているわけでもないのに、一週間私とMA、それにRonのためにずいぶん無理をしてお肉を調達してきてくれていたんだと今更気づき、その恩に涙。ホント、その気持ちだけで一杯です。本当にお世話になりました。
涙でお別れ
そして、タラバハンで最後のイベント、ClosingProgram。完成した豚小屋に皆が集まって、記念のテープカット。なんと私がその大役を引き受けることになりました。
柱の間に架けられたリボンにハサミを入れ、入り口の傍に記念植樹(何の木だったんだろう?)をした後は、各キャンパーが順番に、ホストファミリーにお礼の言葉。夜の間にファミリーへの手紙を用意していた人もいたりして、涙のお別れタイムと化したり。
私自身は、昨日の晩Develinに‘泣いたらあんたをオカマさんだと思うからね’と言われてたせいもあり(?)感謝の言葉は持ち前のユーモアで面白おかしく乗り切ったのですが、一緒にステイしたMAの言葉を聞いている間にやっぱりこみ上げてくるものが。目にぎりぎりまで涙を溜めていたの、Develinには見られちゃったかなぁ?
そして集落の入り口に移動し、タラバハンの皆とはここでお別れ。MariconとEvaから別れのキスをもらって車に乗り込む。さよなら、タラバハン。きっといつかまた来たくなるような気がする。
車で一時間半、また来る時に使った港へ。と、あれれ?もう一台の車にEvaが乗ってるじゃないか。タラバハンでお別れだと思ってたのに、どうやら彼女はイロイロに用事があるのか私達の一行について一緒に出てきたみたいです。
船にのって、対岸のイロイロ市へ。今度こそ、Evaともお別れです。
イロイロでお買い物
市内のレストランで昼食。レストランの天井が、私達が作業した豚小屋と同じニパ作りの屋根だったことに盛り上がる一行。うん、これなら屋根葺き職人としてフィリピンで食っていけるぞ(ホントかよ)
それから、イロイロで最も大きなSM(ShoppingMart)でお買い物。このSMには、MJがバイトしている(Maikがクビになった)LOOB運営のたこ焼屋「TAKOMARU」があります。
日本へお土産を買おうとRonちゃんに連れられて色々な店を回ったけれど、結局最後は地下の食料品売り場で珍しい食品を買うことに。他のキャンパーも何だかんだいって最後には食品売り場に来ていた様子。
とりあえず私は、研究室とサークル、それに練習を2回休んでしまったバンドのメンバーへそれぞれお菓子みたいなものを購入。
ここで思ったのが、日本のレジって非常に仕事が早いって事。お土産を選んでいる間Ronちゃんに結構せかされたんですが、レジ待ちの列に並んでみてその理由に納得。6、7人しか並んでいないはずなのに、私が会計を済ませたのは列の最後尾についてから20分以上経ってから…ここのレジ係さんが特段遅いというわけでもなく、20近くあったレジがどれもそのくらいのスピードだったんですね。(逆に言うと、そんなスピードだから、お客さんをさばくためにはレジが20台も必要なのでしょう)うん、きっとフィリピンがのんびりしてるんじゃなくて、日本が切羽詰る国柄なんだろうなぁ。
集合時刻にTAKOMARU前に集まると、Keithからプレゼントが。青いスカーフ、かな?封筒に入って、その封筒にはそれぞれのメンバーに宛てたメッセージつき。ホント、フィリピノにしてはマメな人です。だから日本人のような気がしてしまうんですよ。
そして、イロイロ空港へ。フィリピノキャンパーたちともここでお別れ。別れに泣き崩れるCHIYOに寄り添うRonの姿があったり(RonはCHIYOに惚れていたようです)
そうとはいっても、飛行機は出てしまうわけで、定刻に少し遅れたフィリピン航空の便で、私達はマニラへ向かいました。
タダでは帰れない 〜マニラ逃亡記〜
フィリピンに来た一日目と同じペンションで、マニラに一泊。そして翌日の飛行機で日本へ帰る予定となっています。ただこれは、ワークキャンプがこの日で解散であるというだけで、残ろうと思えばフィリピンに残ることも出来ます。実際、海外初体験のKEIはこの後もしばらくフィリピンを放浪してから帰国する予定だとか。
いずれにせよ私にとっては最後の朝、すこしはマニラ観光も予定しておけばよかったかなぁと残念に思ったわけです。で、朝早く目覚めてしまったのでペンションの近辺を散歩。
しばらく歩いていると、後ろから日本語で声を掛けてくる人が。「アナタ、フィリピン人に顔似てるね」…よく言われます。。。そのおじさんは、以前埼玉で働いていたことがあるんだとか。だから日本語上手なのね。
で、そのおじさんと歩いていたらいつの間にか、射撃場に連れて行かれることに。で、私も結構ノリで付いて行ってしまった訳です。さすがに建物内に入るのはマズイな、とは思ったのですが、そこは持ち前の無鉄砲さを発揮して結局突入。しかも実銃実弾で射撃体験まで。
で、案の定予想通りのボッタクリなわけです。そんなに払ってたまるか、と。射撃場のおっさんに逆ギレして叫んでから、ドアへと突進。なまっちょろい旅行者風情の私がそんな剣幕で怒鳴ると思ってなかったんですかね、ちょっとひるんだ隙をみて、ドアの閂をはずして外へと脱出成功。勢い余って店の前ですっ転んだりもしましたが、走って走って逃走。無事逃げ切ったわけです。
後になってみると、よくぞそんな無謀な事をやれたもんだとは思いますが、まぁそんな旅の締めもアリなんじゃないでしょうか?
空港に入るまで、その追っ手に見つかったらどうしようとビクビクしていたのは内緒の話。
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