ゴトゴトゴト。
荷馬車が自由人の街道をゆっくりと進む。初夏の日差しは結構厳しいが、たまに吹き抜ける風が心地よい。
そんな荷馬車の中で、護衛として雇われたアルファーンズは……。
「がー……ぐー」
眠りこけていた。盛大にいびきをかいて。幸せそうによだれをたらして。
本来なら、護衛としてあってはならないような光景だが、依頼主は古くからのアルファーンズの知人らしい。若くして商才を発揮し、大富豪とまではいかなくともそれなりの富を築き上げた行商人の娘。その依頼主である彼女が、まだ主街道で街から遠く離れていないこともあり、護衛戦士のこの醜態に目をつぶっているわけである。
「まったくもう、のんきなもんだね」
馬車の外をのんびりと歩きながら、ミトゥはぼやいた。アルファーンズの連れとして、護衛として雇われたもう一人が彼女である。
「ま、いーんじゃないの。昨日は夜遅くまで騒いでたんでしょ?」
依頼主、くすんだ金髪を頭に巻いたターバンの中に押し込めた女性――カサレアが、煙管を吹かして紫煙をくゆらせながら言った。ちなみに御者は彼女ではなく、小間使いの娘がそうだ。その格好を見るに、小間使いというよりはどこぞの屋敷のメイドのような格好だったが、それはカサレアの趣味だろう。
「ええ、まぁ」
苦笑を浮かべて、ミトゥは昨夜のことを思い出した。
「へ? 泊まってけ、ですか」
ロマール出立を決めたその日。アルファーンズの母、アリスローザが不意に提案した。最後くらいは我が家に泊まりに来いと。
ミトゥはロマール滞在中、断固としてロゥ家にお邪魔にならなかった。以前、自分の村にアルファーンズが来たときに彼がそうしたように、ずっと近くの宿に泊まっていたのだ。もっとも、その時とは違い、アリスローザに執拗に泊まればいいのにと勧められていたのだが。
「ええ。私もミトゥちゃんと夕飯とかご一緒したいのよ」
元から童顔のうえに、さらに子供のような笑みを浮かべて誘ってくる。にっこりと笑顔で迫られては、さすがに断りにくい。かくして。
「わ、わかりました。じゃあお邪魔することにします」
ミトゥはアルファーンズの実家に泊まることになったのだ。
「よかったわー。今日の夕飯は腕によりをかけて作っちゃうから。あ、ミトゥちゃん、悪いんだけどアルを迎えにいってくれない?」
アルファーンズは賢者の学院に用事があると朝から出かけていたのだ。本人が言うには、休学するにあたって、籍を維持し続けるためだとか言われて彼の師匠であるクラレンスに出されていた課題を見せに行ったとか。ちらっと見えたが、羊皮紙をごっそりまとめたレポートのようだった。思い出せば、以前オランにいたときに似たような羊皮紙の束にペンを走らせていたような気がする。
それを提出しにいったわりには、ずいぶんと帰りが遅い。それにちょうど退屈していたし、いいかもしれない。
「わかりました。んじゃあ、迎えにいってきます」
二つ返事で了承して、ミトゥは賢者の学院に出向いていった。
ロマールに滞在する間に、このごちゃごちゃした町並みにもずいぶんと慣れた。そうでなくても、賢者の学院のような高い建物は他にあまりないので、迷う心配はないだろう。
しばらく歩くと、すぐに目的地に着いた。だが、自分にはあまり関わりのないところである。無駄に緊張して、入り口で二の足を踏んでしまう。
「あら? 何か用かしら?」
うろうろとためらっていると、不振に思ったのか一人の女性が声をかけてきた。ぱっと見の年齢とローブに身を包んでいることからすると、ここの学院生だろう。
「え、えーと。ここに用事で来てる奴……じゃなくて人を迎えにきたんですが」
「どなたかしら?」
「えと、アルファ……アルファーンズ=ロゥ」
愛称で呼んでから、本名に訂正。さらに普段誰も呼ばないファミリーネームもくっ付ける。
「ああ。アル君ね。そういえば今日、珍しく講義受けに来たのよね。帰ってきたのは知ってたけど、講義に出たのは今日がはじめてよ」
意外なことに、この女性はアルファーンズのこを知っているようだった。
「あの、アルファの知り合い?」
「ええ。彼と同期なのよ、私」
思えば、出身地のこの学院という小さな空間の中では、知り合いだということは意外でもなんでもないのかもしれない。ミトゥ自身、自分の村で知らない顔は、自分が村を出たあとに生まれた子供などのほかはいない。
「そうなんですか」
「そうなの。アル君ね、確か図書館に行くっていってたわね。こっちよ」
同期だというその女性は、先行して塔の門をくぐった。守衛のおじいさんに何事かを話して、ミトゥを手招きする。小走りで駆け寄って、おじいさんに頭を下げてから、女性のあとを追って塔の中に入る。
その女性――ジュリエッタというらしい――は中庭を抜け、図書館のある建物まで行く途中にいろいろと話してくれた。
「アル君はねー、変わり者だったわね。あんなアクティブ……ていうかもうあれはアグレッシブね。あんな学院生は少なくとも彼だけだったわ」
確かに、平時では賢者のくせに頭を動かすより手を出すほうが早い。まさに、行動的というか野生的だ。
「実験で使う蟲、中には毒蟲もいたわね。それが逃げたときも、みんな蟲の習性を利用して捕まえようっていうのに、アル君だけは素手でガシガシ捕まえていったし。塔の敷地内に野犬が入ってきたときも、犬相手に実力行使だったし」
そのときのことを思い出してか、クスクスと笑う。ミトゥにはアルファーンズらしい、と無駄に納得できる話だ。
「しまいには、傭兵に弟子入りするしね」
これには、さすがのジュリエッタもやれやれと肩をすくめた。その傭兵が誰かはミトゥも知っていた。アルファーンズが武術の師匠だと仰ぐマリィベレスだ。
「さすがにもう学院生は続かないだろうと思ったんだけどね。不思議なことに、アル君が学業にも精を出し始めたのがその頃なのよ」
そう。アルファーンズが学業を疎かにして槍を振るいだした頃。つまりは剣の師匠と出会った同時期に、知識の師匠でもあるクラレンスとも出会ったいたのだ。そのあたりの事情は、アルファーンズはさっぱり話してくれなかったからミトゥにはわからなかった。
「クラレンス導師がなにか吹き込んだらしいんだけどね。とにかく、別人みたかったわね」
話しぶりからして、ジュリエッタや他のクラスメイトもクラレンスが絡んでいること以外、その事情は知らないらしい。
「もっとも、相変わらずアグレッシブな性格だったけど」
クラレンスの講義ならば何が何でも出席していた。かと思えば、自分の興味のない講義になると、手のひらを返してサボって傭兵ギルドに入り浸っていたり。
「あとはそうね、優しいいい人って気づいたのもその頃ね」
当時、ジュリエッタが街へ出たときに同い年くらいの少年たちに絡まれたらしい。まぁ少年たちにすれば、軽い気持ちのナンパだったのだろうが、そんな経験のないジュリエッタはひどく戸惑い、困っていた。拒否してもしつこいく付きまとってきた。
「そこで助けてくれたのがアル君だったのよ。意外だったわね」
ただの同期で、変わり者のクラスメイトだったアルファーンズ。相手も、自分の顔すらもろくに知らないんだろうと思っていた。そのアルファーンズが、唐突に飛び蹴りをぶちかましてきたのだ。その少年たちに。
もんどり打って倒れる少年たちをさらに蹴た繰り、スタンピングやらなにやらで完璧に伸してしまった。その一方的な戦況を見て初めて、傭兵に弟子入りしたのは本当だったらしいと思った。技術とセンス、戦闘訓練をつんだ人と一般人の差がこれほどのものとも、初めて目の当たりにした。
子供でこれくらいなのだから、大人の戦いになるとどうなるのだろう、と考えがそこまで及んでいたということは、ずいぶん心にも余裕が出きてきた証なのだろうか。
「おい、大丈夫か?」
そんなことを考えていたら、アルファーンズが不意に声をかけてきた。
「え、ええ……」
「ふん、弱いくせに女に喧嘩を売るとは、なっちゃねーぜまったく」
どうやら、細部で勘違いをしているようだった。しかし、常にゴーイングマイウェイだったアルファーンズが、いじめられていると勘違いしたとはいえ自分を助けてくれるとは夢にも思っていたなかった。
「あの……私、ただあの人たちに声をかけられただけなんだけど。お茶しようとか」
そこまで答えると、
「……あちゃー。ナンパだったのか。そりゃ悪いことをした」
ぱんと、額に手を当てて、ばつの悪そうな顔になる。
「ううん、いいの。断ってもついてきたんだから、助かったのは事実だし」
にこりと笑うと、アルファーンズは慌てて後ろを向いた。
「い、いや! あいつらのナンパの邪魔して悪かった、って思っただけだ。ま、まぁ結果としてはお前も助かったのかもしれねーけどなっ」
赤くなって、必死になって矢継ぎ早に喋り捲る。ミトゥには、それが照れ隠しなのだろうとすぐにわかった。優しいところがあるくせに、それを自分では認めたがらない。今でもたまにある、カッコつけな性格だ。
「で、そのまま行っちゃったわけ。なんだかんだで、いい人なのよね、アル君。……はい、ここが図書館」
そこで、図書館の大きな扉の前についた。
「ちょっと一方的に喋り過ぎちゃったかしら。ごめんね」
「いえ、いろいろ聞けて楽しかったです」
「そう? それじゃあ、わたしはこれで。アル君によろしくね」
苦笑して、軽く手を振りながらジュリエッタは別の棟に歩いていった。
一人になって、軽く息を吸う。アルファーンズは滅多に昔の話をしないから、人の口からでもそういう話は新鮮だった。
口ではなんと言おうとも、基本的には誰にでも優しいアルファーンズ。
「ボクの知らないアルファを知ってる人、いっぱいいるなぁ」
ふと、そう思う。自分はアルファーンズのことをよく知っていると思うことは今までに何回もあった。しかし、実際はそうでもないのではないか。ロマールにきて、よくそう思うようになった。故郷なのだから仕方ないといえば仕方ないのだが、故郷だからこそ意識しなくても意識してしまう自分がいた。
ギィ、と重々しく扉を開く。窓がなく、ランプもない。本を傷めない配慮だと前に聞いたことがあるような気がする。魔法の光が生み出す灯りに照らし出された通路を少し歩くと、奥まったところの閲覧スペースにアルファーンズともう一人、初老の男の姿を発見した。
こちらに気付くと、アルファーンズはその男との会話を打ち切り――もしかしたら、すでに話は終わっていたのかもしれない――向かってきた。
「よ。迎えにきたのか?」
「うん。退屈だったからね。それと、今日は君ん家に泊まることになっちゃったから。アリスさんにせがまれて」
「……あー。前から呼んで来い呼んで来いってうるさかったからな。ついに自分から言ったか」
「そゆこと。お邪魔するよ」
「はいはい。んじゃ、さっさと帰るぞ」
ばさっと、提出しにいったはずのレポートを脇に抱えて、アルファーンズが歩き出す。
「ねー。それ提出したんじゃないの?」
あとを追いながら、ミトゥは疑問をぶつけてみた。
「ああ。これ、まだ未完成だから。続き書いて、次に戻ってきたときにも出すから」
適当に説明して、ずんずん階段を下りていく。以前それを書いているときにも聞いたが、散々見せるか見せまいかと思案された末、結局中身は教えてくれなかった。今再び聞いてもよかったのだが、よく考えれば課題として出されているものなど読んでも、頭が痛くなるか眠くなるかのどっちかだろう。
それに。
「……ボク、おなか減っちゃったよ」
「…………ガキか」
容赦ない鉄拳がアルファーンズの脇腹に決まった。
『いただきまーす』
下町の一角。見た目は古いが、広さや内装は申し分ない家。それがロゥ一家の暮らす家だ。その食卓に、明るい四人分の声が唱和した。
「うふふ。うちは男ばっかりだったから、娘が欲しかったのよね」
と、満面の笑みを浮かべたアリスローザ。
「はっはっは。やはり、若い娘がいる食卓は一味違っていいな。おっと、他意はないからな」
と、愉快そうに笑うアルファーンズの父クレイル。
「へーへー。どーせ俺は親不孝の冒険者だよ」
悪態をつきながらも、猛然と食いまくるアルファーンズ。
「はは。なんか、こういうの久しぶりかも」
アルファーンズの両親のテンションに押されながら、苦笑するミトゥ。
その夜。アリスローザが、話していたように腕によりをかけて作った大量の料理で、ミトゥを加えての食事会。一家庭で食べるにはかなり大目の量なのだが、アルファーンズ一人がいるだけで普通に思えてしまう。家族ならまだしも、そんな状況に慣れてしまっている自分が怖いと思ってしまうミトゥだった。
しかし、すごくにぎやかで明るい食卓。明日になるとまたアルファーンズがいなくなるというのに、悲しいとか寂しいとかそういった雰囲気とは無縁だ。
「ほんとにボク、お邪魔してよかったのかな」
水を差しているんじゃないかと思ってしまう。
「いいのよ。わたしは、ミトゥちゃんがいて楽しいもの」
「無論、私もだよ」
アリスローザとクレイルが、ミトゥを退屈させてしまったと思い、アルファーンズを放置してミトゥの両サイドを固めた。そして娘を溺愛するかのように構いだした。
そうされることに慣れていないのか、最初は戸惑っていたミトゥだが、会話を重ねるごとにだんだん笑顔が増えていった。他愛もない話に笑い、今夜という短い時間の中でずいぶんと打ち解けたように感じられる。
「うふふ。いつでもお義母さんって呼んでいいからね」
しまいに、酒も入り調子にのったアリスローザがとんでもないことをほざきはじめる始末だ。
「え」
ミトゥには母親がいない。生まれてすぐに亡くなったのだ。少しの躊躇いがあったものの、そうして慕ってくれる人がいることを嬉しくも思う。だから、
「うん、お母さん」
呼んでみて、恥ずかしくなって笑ってごまかした。
「……ニュアンスの違いに気付けよ」
アルファーンズがエールを飲みながらぼそりとつぶやいた。
おそらく、その微妙なニュアンスにミトゥが気付くことはないだろう。
そうして夜はだんだん深けていき、アルファーンズは自室へと退散することにした。両親とは今まで思う存分話したし、自分も両親も別れの夜に感傷的になるような性格でもない。どうせなら、今の状況を楽しませてやろう、そう思ってミトゥをその場に残して自室に帰った。
しばらくの間世話になったこの部屋ともまたしばらくお別れだ。
その部屋は、小さなベッドがひとつ。使い込まれた木製の机がひとつ。分厚いカーテンの引かれた窓辺には、観葉植物。そして他のスペースはすべて本棚といったいかにもな部屋だ。
扉を開けたまま、灯りに火をつける。部屋がランプに照らし出されたのを確認して扉を閉める。
ちなみに部屋の灯りは二つあって、ひとつはなんと魔法の品だった。父親は、冒険者から依頼されたさまざまな品を鑑定、時には買い取る仕事をしている。そのときに買い取った品のひとつだった。冒険者相手に売れるものならば、買い取ったときの値段に少し上乗せして売っているのだが、こうした日用品を買い取る冒険者は少ない。
それなら家で使ってやろうというのが、この家族だった。それに無理に売らなくても、常連冒険者からの依頼料と、魔晶石などの実用品を売った金があれば、贅沢をしなければ夫婦二人くらいは暮らしていけるからだ。
閑話休題。本がたくさんある部屋だから魔法の灯りの方がよかったのだが、これはいったん灯りが切れると次に使えるまで時間がかかる。さらに、光の強さを調節できるのだが、持続時間が二時間しかないうえに、魔晶石のかけらを使用するというのもネックだった。
それに、汚れたり傷ついて困るような高価な本は、自分の部屋には置かせてもらえない。
「ふー。やれやれ、にぎやかな両親だぜまったく」
蛙の子は蛙。自分もにぎやかなのを棚に上げて肩をたたきながらつぶやくアルファーンズ。それから本棚から適当な本を選んで、椅子に腰掛ける。
ランプを机の上におき、窓を少し開けて暑い室内に涼しい夜風を通す。昔もこうして本を読んでいた。
「お。そういえば……まだあるかな」
何か思い出して、机の引き出しを漁る。しばらく漁ると、桐の小箱に入ったそれを見つけた。箱を開けると、中には小さな縁のない眼鏡が入っていた。
これも冒険者が遺跡から持ち帰ったものだが、すっかり魔力は失われていて、さらに視力を矯正する力も持ち合わせていない、いわゆる伊達眼鏡だった。いくらにもならないとぼやいた冒険者から破格で買い取り、アルファーンズがそれをもらったのだ。小さいころはこれをかけて、よくインテリぶっていた気がする。
「わははは、今思えば馬鹿みたいな真似してたんだな」
ひとしきり笑ってから、それをかけてみる。小さいころ大きく感じたそれは、今ではぴったりになっていた。幼さを残し、知性よりも先に活発さを感じさせる顔のアルファーンズだが、そうして見るとやはり知的に見えてしまう。
自分でもちょっと気に入って、そのまま読書を続ける。古くからよく読まれていたのだろう、手垢のついた擦り切れたページをめくりながら、インクのかすれた文字に視線を走らせる。
「アルファー、いる?」
がちゃりと扉が開く。ノックと同時に扉を開ける癖、ミトゥだ。
「おう。どーした?」
本から視線を上げずに答える。再び扉が閉まり、ミトゥが入ってきた。ミトゥはしばらく、ほー、とかへー、としきりに関心しながら部屋を眺めていた。そして、眼鏡をかけ椅子に深く腰掛けながら本を読みふけるアルファーンズに視線を移し、しばらくその姿をぼーっと見つめた。
「あ? 何だよ。何か用があってきたんだろ?」
視線に気付き、本を閉じて机の上におく。
「あ。いや。別に用ってゆーかね。てゆーか、やっぱ君も一応知識人だったんだね」
その姿を言っているのか、部屋のことを言っているのか、ミトゥは笑いながら言った。
「一応ってなんだよ」
「だから、一応。流星亭ではそんなカッコしないし、部屋だって無駄に散らかってるだけだし」
う、と呻くアルファーンズ。確かに、オランの定宿である流星亭では、本を読むことはあっても着崩した部屋着でだらだらと読んでいるし、部屋もここに比べれば紙くずやインクの空瓶やらでかなり散らかっている。
「うるせーな。実家だからいろいろ整ってるんだよ」
適当な言い訳をして、机の上の本を本棚に戻して、眼鏡も桐箱にしまう。
「実家だからねぇ。そういえば、君の家って実はお金持ちだったんだね」
「いや、そーでもないけど」
ミトゥの言葉を軽く否定するが、やはり家の中を見る限りそうとも思えない。
「だって、本だっていっぱいあるし」
「これは先祖代々がコツコツとためていったもんだしなぁ。流星亭みたいに、売れない学者が書いた本だっていっぱい混じってるし」
「魔法の品物もあるじゃん」
「実用性が少しあっても、売れないようなものばっかだ」
「冒険者からも魔法の品買ってるんでしょ?」
「俺ん家……つーか親父が買い取ってるのは、安物ばっかだ。他は鑑定料だけ取って学院に口利きしたりするだけ」
「うーん……」
説明されても、やはりそうそう納得いくものではない。市井の学者というのが、結構ジリ貧だという話はよく聞く。だが、やはりそこは冒険者としてのつながりという奴なのだろうか。
アリスローザもクレイルも元は冒険者。なじみの冒険者も多いのだという。それに、現役冒険者にも知り合いは多い。冒険者仲間の後輩だったり、息子たちの仲間だったり。そういえば、以前行動を共にしたハーフエルフのリッシュも、鑑定や安物の買取はここに任せているのだそうだ。
「まぁいいか」
金を持っているように見えても、実際贅沢をしている雰囲気は微塵もない。それによく考えればアリスローザは神殿づとめだ。収入はなにもクレイルの学者業だけではない。
「まぁいいのはいいが、用件はそれだけか?」
「あ。そうそう、本題。今日、ここに泊めてね」
さらっと言ってのけるから、アルファーンズは自分の耳がおかしくなったのかと、そう思った。
「……今なんつった?」
「だから、この部屋に泊めてって」
この部屋。言うまでもなく、アルファーンズの自室。まぁ今更男女が同じ部屋で夜を過ごすどうこういうつもりはない。そういった関係でなくても、昔は大きな相部屋だったし、ミトゥの村へいったときも結局話しに押しかけてきたミトゥが、宿の自分の部屋で寝入ってしまったし、慣れてきっている。が、
「この部屋にこれ以上寝るスペースがあると思ってか? 兄貴の部屋使え、兄貴の」
アルファーンズの部屋の寝具は、小さなベッドひとつ。ソファーのような洒落たものもない。昔は、たまにハンモックなどをつるして眠ったこともあったが、それは子供の頃の話。いくら小さなミトゥでも、支えきれるはずもない。
「アリスさんはぜクスさんの部屋に泊めるつもりだったんだけど、掃除するの忘れてたらしくて」
「…………あのクソババァ、料理ばっかに夢中になりやがったな」
思わず悪態をつく。帰ってきた日のうちに兄の部屋を覗いてみたが、元から本の山で埋まっていた部屋が、クレイルが仕事で使った資料や雑品が押し込めてあった。すっかり物置になっていたのだ。
どっちにしろ、掃除しようとすれば丸一日はかかっただろう。
「………もしかして謀ったか?」
おっとりしていて、ぽけていてもそういうことならやりそうな母親だった。まぁ同室に押し込めた程度では何も起きない、起きるわけがないだろうが。
「ねー。ぶつくさ言ってないで泊めてよ。そこの床でいいから」
気付かなかったが、ミトゥはシーツと毛布と枕を持ってきていた。アリスローザに渡されたのだろう。ミトゥが指した床は、埃にまみれてはいないだろうが、かなり狭い。
「あーもー、わかった。ここで寝ていいけどお前はベッド使え。俺が床で寝る」
「えー。それはダメ。アルファが部屋の主なんだから、ベッド使いなよ」
観念してベッドを譲ったアルファーンズだが、さらにそれを拒否するミトゥ。
「いいの! 俺のポリシーが許さん。お前はベッド」
ばしばしとベッドをたたくアルファーンズ。
「ボクのことは気にしなくていいから。押しかけたのこっちだし」
不毛な押し合い問答は続く。
「いいっつーの! 女を床で寝かして悠々とベッドで寝れるかってーの」
「じゃあこうしよう。一緒にベッドで寝よう」
ぶはっと大げさに吹き出して、ベッドに頭からダイブするアルファーンズ。
「なー、なー、なっ!?」
ガタガタと震える指を突きつけ、何言ってやがると言わんばかりの表情だが、声が出てこない。
「……冗談だよ。本気になるなよ」
思わぬ反応をされたのか、ミトゥも心なしか頬が赤くなっていた。
「もうわかったわかった、ボクがベッドでいいんだろ、ほらほら!」
身から出た錆、というかなんというか、自分で振った冗談なのに自分で必死になって話を逸らそうとして、アルファーンズの要求を飲み、ベッドに突っ伏したままの彼をベッドから転がり落とす。
「あだっ! 手加減しろ!」
「いいじゃん、君の条件を飲んだんだから」
「もっとそれなりの言い方があるだろーに。『悪いね、ベッド取っちゃて』とか」
「自分からベッド使えって言ったのに」
「つっこむなよ。そうすれば俺も『いいんだよ、お客様だからな』とかいえたのに」
「……なんの話だよ」
今から寝ようというのに、なぜか話に花が咲いてしまった。灯りも消して、それぞれ毛布に包まったというのに話が終わらない。
「いい加減もう寝るぞ……」
「えー。なんか眠れないよ」
「……正真正銘ガキか」
ゴスッ。
「あぐが……」
妙な音と、妙なうめき声。ミトゥがベッドから足を振り下ろし、アルファーンズの腹を直撃したのだ。
「ガキゆーな! 眠れないもんは眠れないんだよ。ちょっとでいいから前みたいに話しよ」
ミトゥの村にいったときも、こうして夜いろいろと話をした。
「しゃーねーな。じゃあ期限付きだ。この灯りが消えたら大人しく寝ること」
アルファーンズは、手元に置いておいたもうひとつの灯り、魔法のランタンを手に取った。魔晶石の屑がはめられているのを確認して、下位古代語でコマンドワードを唱える。
「光よ」
ぽぅ、とランタンが淡く輝きだす。さらにコマンドワードで明るさを調節する。ベッドの周りが淡く照らし出され、暗闇の中に二人の顔が浮かび上がる。
「おー。やっぱり便利じゃん」
「これをやるたびに屑とはいえ魔晶石を使いつぶしてたんじゃ非経済的だ。おそらく末期か、ひょっとしたら古代王国崩壊直後に作られたんだろうな。媒体なしでは光を生み出せないんだし」
さっそく、アルファーンズの薀蓄が始まった。これを作った魔術師は定かではないとか、ひょっとしたら光を調節する機能をなくせば魔晶石を必要としなかったかもしれないとか、とにかくしゃべりだしたらきりがない。
「ちょっと、そんなんはどーでもいいから、もっと面白い話聞かせてよ。たとえば、あれとか」
あれ、といってミトゥが指差したのは、一振りの剣だった。この部屋にひとつだけ飾られた、異なる存在。アルファーンズの部屋らしいといえばらしかったが、あれだけが妙に不釣合いだった。
「ああ、あれか。あれはな、俺が初めていった遺跡で手に入れたものだ」
「へー。初めてであれかぁ。遺跡ってことは魔剣だよね?」
「そう。大した魔力はないんだけどな。俺にとっちゃ、思い出の剣さ。……あと、兄貴にとってもな」
兄や他の仲間と共にその遺跡へ挑んだのだそうだ。それから、初めて自分で受けた依頼や、オランまでの道のり。全部とはいかないが、アルファーンズは珍しく自分の過去を話していった。
ミトゥの耳にはそれらは新鮮だった。ジュリエッタから聞かされたものよりも、ずっと。自分の知らなかったアルファーンズを知ることができたのが、嬉しく感じる。
嬉々として相槌を打っていたが、だんだんと瞼のほうが重くなってくる。
「やれやれ………結局先に寝ちまうなんて、ガキじゃねーかよ」
魔法の灯りが弱まってきた頃。すでにミトゥは寝息を立てていた。
幸せそうな寝顔をちらりと見ると、つられて笑ってしまいそうになる。慌てて、変な気を起こしそうになる前に毛布をかけなおしてやり、自分も床に寝転がり毛布を頭からかぶる。その瞬間に、魔法の灯りは消えてしまう。値段にして約100ガメル程の魔晶石が砂のように散った。
「明日は早いのに……もういい時間じゃねーかよ」
ぶくつさ文句を言いながらも、心なしか満ち足りた表情で、アルファーンズは残りわずかな睡眠を貪ることにした。
「で、いつの間にかボクは寝ちゃってたんだよね」
「なるほど。それで、アルは朝っぱらからご機嫌斜めだったのね」
ミトゥが軽く昨夜のことを話すと、カサレアは納得したようだった。アルファーンズの朝の機嫌が悪いことはカサレアも知っていたが、今日はかなりひどかった。
睡眠時間が極端に短かったことがわかると、なおさら荷台で寝ているアルファーンズを起こそうという気などおきなかった。
「ミトゥちゃんもあまり寝てないなら、荷台で寝ててもいいよ?」
「え、でも護衛が二人も寝るわけにはいきませんよ」
そういいながらも、実はミトゥもさっきからずっと欠伸をかみ殺していた。
「大ジョブだって。それに今回は間道にも入らないしね。ほとんど護衛の出番なんてないわよ」
その雇われ護衛の前で出番なしなどとぶっちゃけて、大声で笑うカサレア。
「あ、心配しなくても、依頼料は払うから安心して。護衛っていうより、荷物降ろし兼道中の話相手って感じなんだから」
そういわれると、話相手にならなくていいのか、とも思ったが、正直言うと瞼は重たい。荷台に乗っていいというのなら万々歳だ。
「じゃあ、ごめんなさい、ちょっとだけ休みますね」
「いいよいいよ。あ、でも食事のときは起こすからね。ミトゥちゃんの料理楽しみにしてんだ」
「そこは任せてください、ちゃんとおいしいもの作りますから」
ガッツポーズでにっこり笑い、荷台へと乗り込む。
そこでは先客が未だ心地よいいびきをかいている。荷台にはまだ余裕があるし、自分も寝てしまおうか。そう考えてアルファーンズの対面に腰を下ろしたとき。不意に、アルファーンズの脇に転がっていた羊皮紙の束に目がいった。別にそれほど見たいとは思っていなかった。いなかったのだが。
「こう無防備だと読みたくなっちゃうんだよね」
アルファーンズが見せたがらないものが、無防備に転がっている。これが、絶対に見せないと頑なに拒否しているものなら覗いたりはしないだろうが、以前見せるか見せまいかと悩んでいたということは、別に見てもかまわないのだろう。
そう解釈することにして、ミトゥはすすすっとアルファーンズに擦り寄った。こそりと手を伸ばし、羊皮紙の束を掴み取る。紙がこすれる音がしたが、その程度で起きるアルファーンズではない。熟睡しているのを確認して、ミトゥは表紙の文字に目を落とした。
幸い、共通語で書いてあった。これが西方語や下位古代語だったら、ミトゥには読もうと思っても読めなかった。
「なになに。『俺様珍道中観察記』? センス悪ぅ……」
らしいといえばらしいタイトルだった。ページをめくると、中も共通語で見慣れたアルファーンズの文字が書き連ねてある。タイトルからして、おそらくは紀行文なんだろうと思いながら読み進めると、普通の紀行文とは違うようだった。
アルファーンズが旅の間に戦った魔物についての体験談が書いてあったのだ。その後には、簡単な生態や特徴などを記してある。
「へー。これは。意外と知識人なこと書いてるなぁ」
さすがは魔物と魔法の品が専攻だと自称しているだけある。しかも、これがなかなか読みやすい。そういえば、以前このようなことを言っていた気がする。
「俺が思うに、頭が弱い奴が書物を読みたがらないのは小難しい書き方をしているからだと思うわけだ。つまり、読みやすくすりゃあ誰でも読むだろーと云々」
確かに、そういわれればそうだとミトゥは思っていた。物語であれば自分も読む。だが、それが文献や歴史書などになると、まったく読まない。理由はアルファーンズが言っていたとおり、無駄に小難しく書いてあるからだ。
「自分の知識をひけらかすみたいに書きたがるからなぁ、頭いい奴らは」
自分も賢者であるくせに何気にとんでもない言い方をしているが、全否定はできないだろう。まぁ元から難しいものである知識を、文字にしようとすればより難しくなりそうではあるが。
「つまり、自分では解りやすく書こうってつもりなのかな?」
そのレポートは、ぱらぱらと流し読みするだけでも大体の内容はわかった。アルファーンズの部屋に転がっていた魔物の文献よりも、細部はわからない代わりに大まかな情報がスムーズに頭に入ってくる気がする。
「ほうほう……トロール。分類は巨人。ああ、これはクレアさんやアリスさんがオランに来たときにアルが借り出されて行ってきたときか」
用事で出かけたアルファーンズが、左腕を壊して帰ってきたときのことを思い出した。トロール退治の囮をやってきたと聞いたときは、かなり驚いたことを覚えている。どんな状況だったのだろうか、ページをめくる手を止めて真剣に読み始めた。
○トロール 種族:巨人。
巨人の中でも知能が低い粗暴な種類。洞窟にすんでいるといわれているが、別に洞窟内に限ったことではないようで、俺が遭遇したのは洞窟の入り口だった。
『そこには洞窟があると聞いていた。しかし、そこにあったのは大きな岩の塊。
「師匠。洞窟はどこなんだよ?」
俺は横につったっている師匠に声をかけて、きょろきょろと洞窟らしき穴を探す。だが、一向に見つからない。不振に思ってリッシュを見れば、立ち止まって口に人差指を当てている。静かにしろ、ってことか?
「アル君。君は何退治に連れてこられたのかな?」
師匠が岩から一定の距離を保ったまま、訊ねてくる。そんなの決まってる。
「トロールだろ? だから………あ」
思ったときには、リッシュがダガーを一本、岩に向かって投擲していた。ガツン、とそれは弾かれたが、その岩が大きな音を立てて動き出した。
そうか。一度文献で読んだ「トロールは日の光が苦手」というのを鵜呑みにしていて、トロールは光の当たらないような洞窟内にだけいるとばかり思っていた。だが実際はそうでもないようだ。鬱蒼とした森の中ではあるが、ここはしっかり日の光があたっている。
「そういうことよ。魔物に関する知識は、正確なことを身に付けなさい」
言うが早いが、師匠は魔法の詠唱を始めた。《楯》の魔法が、俺やリッシュ、母さんとマリィの全員に付与される。
「さ、時間稼ぎは任したわよ」
そうだった。俺の役目は、時間稼ぎの囮。師匠の魔法が他の三人に行き渡るまで、トロールの注意をひきつけること。その間に、三人は攻撃するのにベストのポディションまで移動しておく。そして魔法がすべてかかると同時に、即攻でケリを付ける。それが作戦だ。
「っしゃあ! ウスラ馬鹿、こっちだ!」
槍と楯を振り上げ、前に躍り出る。完全に岩から巨人の姿となったトロールが、腕を振り下ろしてくる。岩石と見まがうような拳が、俺がさっきまでいた場所に叩きつけられた。やはり、一撃で人を殺してしまうほどといわれることはある。地面がべっこりと抉れている。しかも、その巨体に似合わず思ったよりも攻撃は鋭い。
「ガァァァァッ!」
師匠の二度目の補助魔法が三人にかかる。それに少し遅れてトロールの第二撃。次も寸前でかわしたが、トロールの拳によって壊された岩の破片が降ってきて頭に当たった。ちょっとふらつく。
隙あれば槍で突いてやろうと思っていたが、これは防御に専念しておかないとマジで死ぬかもしれない。
「アル君、がんばって。これが最後よ!」
師匠の声に続いて、魔法の詠唱。俺を除いた前衛三人の武器が燃え上がった。《炎付与》の魔法か。これで、全員が全力攻撃で畳み掛けて終わる。俺の出番も、見せ場はないにしろ終わるはずだった。
「ウガアアアッ!」
しかし。一瞬の判断の遅れで、致命的な一撃を被ってしまった。振り下ろされたトロールの拳を、避けきることができなかったのだ。
「くっ! だぁぁぁっ!?」
咄嗟に楯を翳して受けるものの、その一撃は今まで受けてきたどんな攻撃よりも重く、鋭く、激しかった。支えきれずに、吹っ飛ばされてゴロゴロと地面を転がり、岩壁にぶつかってようやく止まる。
痛い。というか、痛みすらすでに感じていない。おそらく、楯で受けた左腕は骨折しているだろう。動く右手で体中触診してみる。全身打撲はしているだろうが、左腕のほかは骨折していないようだ。
「うぐ……」
起き上がると、戦況はこちらの有利で進んでいた。一方的な戦いが続き、ついにはリッシュの小剣が目を潰し、マリィの片手半剣が足の腱を断ち切り。そして母さんの大剣が止めとばかりに胴を叩き斬っていた。さすがに両断とまでは行かないようだったが、血を噴出してトロールは倒れた。
「アル君、大丈夫?」
すべてが終わって、師匠が駆け寄ってきた。母さんも寄ってきて、すばやく癒しの奇跡を施してくれる。さらに骨が折れているということで、リッシュが応急手当をしてくれた。
「お主にはまだキツイ仕事だったかもしれんな」
「これくらい大丈夫だ」
マリィがそういってきたので、つい強がってしまった。だが、手当てをされたせいか中途半端に癒されたせいか、めっぽう左腕が痛かった』
「えーと、トロールには文献で稀に見る異常な再生能力というのはなかった。か」
そこでトロールの項目は終わっていた。
「こいつ、あの時は適当に話してたけどこんなことしてたんだな……」
隣の間抜けな寝顔のアルファーンズからは想像もつかないことだった。そんな想像のつかないことがこのレポートには結構書いてあった。なるほど、ミトゥがアルファーンズに手合わせでなかなか勝てないのが頷けるような気がした。
戦士としてのセンスはミトゥのほうがいいのだが、意外なことに手合わせをすると大抵アルファーンズが勝っている。やはりセンスより経験なのだろうか、とレポートを読みながらミトゥは思った。
「お。ローレライのことも書いてあるじゃん」
それは、ミトゥの村の海岸に住んでいる魔物。魔物というにふさわしくない、優しい心を持った、ミトゥの友人。美しい髪と翼を持った、ディーラの娘のことだ。昨年の夏、アルファーンズもとある依頼でディーラの娘であるローレライと知り合ったのだ。
「ふむふむ。ハーピィのなかでも、ディーラは比較的温厚な種族で、時には人間と友情をも築くことがある。俄かに信じられないことだが、事実俺の相棒がそのディーラと友人関係を持っているのだ、か。うんうん、良いこと書いてあるな、感心感心」
ミトゥとローレライは、どんな冒険者も侵すことのできない友人だ。彼女からもらった彼女自身の羽根は、今でも大切に保管してある。
ローレライのことを思い出しながら、さらにページをめくっていく。
ガーゴイル。ゾンビ。スケルトン。クリーピングツリー。ブアウ・ゾンビ。キマイラ。スキュラ。シン。
いろいろな魔物とのことが記してあった。そして、その半分近くに、自分の名前が出てきた。思えば、相棒を続けてずいぶん経つ。何度も喧嘩して、コンビ解消だ何だと騒いできたが、今でもこうして相棒を続けている。
「えへへ………ってなににやけてんだよボク!」
ぽかぽかと自分の頭を叩くミトゥ。でも、なんとなく嬉しくも思ったのだ。その気持ちのままでページをめくって、不意にその表情が曇った。
「………ゴブリン、か」
○ゴブリン 種族:妖魔。
このアレクラストで最も一般的とも言われる有名な魔物。だが……
『 響く剣戟の音。焦げる肉のにおい。断末魔の絶叫。
ゴブリンの巣窟へと殴りこんだ俺たちを待っていたのは、想像を絶するゴブリンの群れだった。ゴブリンの群れを退治してほしい。かなりの群れだと聞いていたが、こちらも人数を用意すればすべて討伐できると思っていた。
それが、これほどだったとは。すでに仲間との連携は取るに取れない。乱戦になってすぐにバラバラになってしまった。目に見える範囲にいるのだが、ピンチになっても助けに行けないのが辛かった。今は自分たちのことで精一杯なのが現状だった。
「メリル、無事かっ!?」
人間から盗んだのであろう小剣で突きかかってきたゴブリンに槍の一撃を食らわせて、相棒の名前を呼ぶ。
「大丈夫! あたいはまだやれるから心配しないで!」
相棒の声。大丈夫だ、俺たちはまだやれる。荒い息をついて、槍を振るう。隣では、メリルが広刃剣を振るう。
そしてようやく三匹目のゴブリンを屠ったときだった。
「ぐ……ホブゴブリンか」
やはり人間から奪ったものだろうか、巨大なモールを振り上げた一回りでかいゴブリンが突っ込んできた。はじめてみたが、これがホブゴブリンだろうということはすぐにわかった。
「うおおおっ!」
『ニンゲン、コロスッ!』
こういうとき、ゴブリン語がわかるというのは何とも嫌な気分だ。聞きたくもないゴブリンどもの罵声や、断末魔が言葉として耳に届く。今も、ホブゴブリンの殺意に満ちた声が耳を劈く。
『やれるもんならやってみろ!』
気合を入れるため、ゴブリン語で言い返して、槍を突き出す。それは避けられたが、相手の攻撃もそれで勢いがそがれた。巨大なモールをぶちかましてきたが、楯で受け流すことができた。
今までのゴブリンよりも、数段強い。何度も剣を交え、お互いに傷つきあっていく。疲労が足をふらつかせる。それを好機と見たか、にやりと醜く笑ったホブゴブリンがモールを振り上げ突進してきた。
「やばっ!」
楯が間に合わない。
「だああぁぁ!」
「ゴフッ!?」
メリルの声と共に、ホブゴブリンが目を押さえてモールを取り落とす。どうやら、メリルが砂を掴んでそれをぶちかましてくれたようだ。
「どりゃあああ!」
逆転。全体重を乗せた突きをがら空きになったどてっぱらにぶちかましてやった。血を吐いて倒れるホブゴブリン。やった、倒した。そう思って、メリルに笑顔を向けようとした瞬間。
「危ないアルファ!」
メリルが飛び込んできた。何だ……。
赤い花が散ったように見えた。ぬるりとした感触。それは血。メリルの血だった。
「お、おいメリル!?」
「よかった………アルファ、無事みたいだね……」
口の端からも血を流して、メリルが言った。見ると、メリルの背中に深々と小剣が刺さっていた。さっき倒したはずのゴブリンが、息も絶え絶えにそれを握っている。まだ生きてやがったのか!
メリルの手からこぼれた剣を拾い、それを突き立てる。それはゴブリンに止めを刺し、勢いあまって中ほどから折れてしまった。だがそんなことよりメリルが先だ。
「メリル、しっかりしろ! おい!」
だが、顔色は悪くなっていき、声もかすれていく。
「あたいはいいから……残りの敵を……」
にこりと笑い、震える手で槍を拾い、俺に渡してくる。
「くそ!」
それからどう戦ったかは覚えていない。気がついたときには、返り血にまみれ、他の仲間とともにかつてゴブリンたちの巣窟であった地に立っていた。派手な羽根飾りをつけたゴブリンや、奴らの群れの長だと思われる巨大なゴブリンの亡骸も転がっていた。仲間も皆、満身創痍だったが立っていた。いや、ただ二人を除いて。
一人はドワーフの娘。そして一人は俺の相棒、そして初めて愛した娘、メリルアネス。
「あは……あたいはもうダメっぽいね」
癒しの奇跡を施したが、傷は回復することはなかった。定められた死は、ただの奇跡では癒すことはできないようだ。
もう駄目だと悟ったとき、俺とメリルは他の仲間を遠ざけた。二人っきりになりたいと。仲間たちは逡巡したのち、俺たちの言葉にうなずき、その場を離れドワーフ娘のほうを看取ってくれた。
「ねぇアルファ。アルファはいつまでもあたいのこと引きずっちゃ駄目だよ。過去には縛られないで」
二人っきりになったところで、メリルがぽつぽつと喋りだした。喋ると苦しいはずなのに、俺が止めても首を横に振って話し続ける。
「アルファは捻くれ者だから。あたいがいなくなって、好きな人が出来たら自分の気持ちに正直になって。じゃないとあたい、ゴーストになって泣きにきちゃうよ…?」
にこりと笑って、俺の手を握る。冷たい、手。死が間近に迫って、これほど悲しくなったことはあっただろうか。涙が止まらない。
「アルファ……大好きだったよ」
す、とメリルの腕が首に回され、短い口付け。それは、涙と血の味がした。
そしてそれきり、メリルが口をきくことは二度となかった。
ゴブリン。それは最もありふれた存在で、最も名の知れた存在。そして、最も卑しく、強大で、恐ろしい相手。
それを忘れないように。俺はそれを最後に記しておく。
「…………」
それがレポートの最後のページだった。いつの時期になって書いたものかわからないが、その羊皮紙にはいくつか涙の後のようなものがついていた。
アルファーンズが最も嫌う魔物、ゴブリン。相棒であり愛する人を失ったことがその理由。それはミトゥも知っていたが、それを読んで改めて認識した。
忘れないように、悲しみを押し込めて文章にした、それ。その短く簡潔な文章の中にも、アルファーンズがどれだけメリルを愛していたかがこめられているような気がする。
「ボク、君の一番の相棒になれるのかな……」
ぽすっと、横で眠るアルファーンズの方に頭を預ける。
なれるのだろうか。メリルアネスを超えた、一番の相棒に。
「でも、なれないなら、努力してなればいいんだよね……」
陰鬱な気持ちになってきたが、そこは持ち前のポジティブシンキング。前向きに考えてこそ、自分らしい。すぐにプラス思考になれるのは、ご自慢の特技だ。
ロマールには自分の知らないアルファーンズを知る誰かがいた。だが、知らなければこれから知っていけばいい。
アルファーンズの心の中には、思い出の人がいる。だが、その人をも超えた一番になってやればいい。
「そうだよね。ボクはきっと君の一番になってみせるからね」
そうつぶやいて、ミトゥはすぅすぅと寝息を立て始めた。アルファーンズの肩に頭を置いたまま、そうしていることが幸せのように穏やかな寝顔だった。
ゴトゴトと荷馬車は進んでいく。
オランへの道のりは遠く、ミトゥの思いもまだ遠い。しかし、その思いに揺らぎはなく、何よりも強いものだと今なら思えた。
「…………起きるに起きれなくなったじゃねーかバカ」
いつの頃から起きていたアルファーンズが赤い顔でつぶやく。
「よー。ご両人」
相変わらず煙管を吹かしカサレアがからかうように笑っている。
「うるせーよ」
アルファーンズのその赤い顔は、決して初夏の日差しによるものではだろう。
ゴトゴトと進む荷馬車の中で、彼は仕方なく――そのままの姿勢で再び目を閉じた。