ヨットレース 



                            ⇒補足

アメリカズカップの予選の準備が始まった。  ('00 1/11 ) これは歴史のある列強の海洋国家がヨットで凌ぎを削る大会だ。 ヨットと言うとのんびりと優雅に見えるかも知れないが、 スポーツとしてのヨットは厳しく気の抜けない闘いだ。 ロープで手を切断したり落水する可能性だってある。 今回日本チームもニッポンチャレンジとして プロジェクトを組んで2隻で参戦する。 阿修羅と偉駄天だって! 一方は強風用(安定型)、もう一方は微風用(高速型)と言う事だそうです。 難波誠と言うスキッパー(艇長)が居た。 前回のニッポンチャレンジの指導者兼責任者である。 この人はチームの和をモットーに指導する穏和な人だったようだ。 が、ヨットレースは相手の風上へ廻って風を奪ったり、 先に転進の権利を取って進路を有利にしたりと 策略と駆け引きのスポーツで、 強豪相手に生易しい戦略は無いに等しかった。 闘いの中随所で強気で迫る欧米チームらにやられっぱなしだったのだ。 1番悔しかったのはスタート前にすでに決着が着いてしまった時だ。 (ヨットレースでは助走するのでスタート前の攻防が激しい。) この時はTVの前で立ち上がって拳を握って罵っていた。 そんな自分に気が付いたのは向かいのマンションの 「なんだろう?」と窓を開けた音だった。 彼は芳しい成績も挙げられなかった。 性格はともかく勝負の世界は結果を残さなければ評価を受けられない。 なんせ、巨額の開発資金が掛かっているのだ。 その後アサ○ビールのCMに登場した事もあったが、 ’95年に落水し、現在でも行方不明である。 海が荒れてきたので皆にライフジャケットを着させたが、 自分は着る暇を惜しんで不幸にも落水したのだ。(本来は着用義務) 今でも当時の仲間は死んだとは言わない。そう信じたいだろう。 思うに強権を発動する人ではなかったが、 人の良さが裏目に出たような気がする。 そこで今回のニッポンチャレンジのスキッパーはオーストラリア人だ。 列強のスキッパーを引き抜いて来るとはオーナーも本気だ! だが、チームの全員がベテランではない。 テクニカルクルー(技術的な事を決定する)を除くと 余りにも経験が無いメンバーが多い。それが不安。 実戦は何が起こるか解らない。 チームの誰かが戦列を離れる事もあるだろうし、 リレギュラーにより想像もしていない判断を任されるかも知れない。 (現に練習中に負傷者が出て戦線離脱している。) 人選によるこの判断は列強との歴史の違いなのだろうか? 今回は期待しているのだが・・。 ところで自分がヨットに興味を持ったのはもう十?年前の話となる。 当時自分が活動してたのは霞ヶ浦土浦のヨットハーバーでした。 (職場の筑波から近かった) 当時の職場の同僚(会社は違う)で社長!と呼ばれるY氏 (本当に社長だった。)は自分より少し年長だが 若くして2つの会社を経営する人物だった。 彼は好奇心旺盛で頭も良く性格も良かったので 人間的にも尊敬し慕っていた。 東京に写真関係の会社も持っていて写真に関して 面白い話を良く聞かせてもらった。 その彼が中古のヨットを購入し(確か40万位) 船主にして船長になったのだ。 彼は無線も詳しかったので間もなく小型船舶一級も取り、 外洋にも出れるんだぞ?と自慢していた。 それを聞いて俺は何処へ連れて行かれるんだろう?と心配した。 実際は霞ヶ浦から利根川経由で太平洋へ出るのは難しいんだけどね。 もちろん最初は何も知らないのでロープの結び型や帆の張り方、 畳み方、交換の仕方など、何度か乗せて貰ううちに教わっていった。 4〜5人乗りの船室のある小型の船だったが 帆の操作は気を許せない物だ。 帆のブームが回転して頭を割る話も良く聞く。 まして帆の交換になると狭い甲板の上は修羅場となる! 初めのうちは言われる通りに動くだけで余裕もなかったが、 段々とヨットの魅力に惹かれていった。 こんな贅沢な時間の使い方も有るんだなぁ、と。 動力を使わず自然の力を味方にし、 船を操ると言う事が楽しくなってきたのだ。 出航する時はいつも向かい風だったのでタッキング(風を遡る) の練習には好都合だった。 帰りは殆どジャイブ(風下での転進)で のらりくらりと比較的楽に帰れた。 が、これが後に問題になり苦労する事となる。 こう言う事もあった。仕事が一段落した午後のY氏との会話。 社長!良い天気ですねぇ? 菅又さん、良い天気ですね。 こんな時に仕事しているなんてもったいないですねぇ? 行っちゃいますか? え!行くんですか? 行かないんですか? 行きましょう♪ ネクタイ姿でヨットハーバーを出る。空いている! 当たり前だ、平日の昼間だから。 いつもは邪魔なウィンドサーフィンも居ない。 我が物顔で避けもしない遊覧船も居ない。 にわか船長とにわか船員の見習いはもう天下を取った気分だ。 地元の漁師も怪訝そう。 そりゃ、ネクタイしてにやにやしている2人が ヨットに乗ってるんだからね。 この時は午後から乗り始めたので帰るのが遅くなってしまったが、 なんとか駐車場の閉鎖時間に間に合った。(日没後の操船も危険) 他にも彼の会社の社員や俺の友達も何回か付き合ったが 余り乗る気じゃなかったようだ。 (一緒に4級取ろうね?と言って居たのにそのままになってしまった) 俺はY氏の「菅又さん、酔わないね?ヨットに向いているね?」 でその気になったかも知れない。 皆、経験は少なかったが、ここ霞ヶ浦は穏やかで初心者には打って付け! しかも琵琶湖の次に大きい湖だ。 この事は毎回何処まで行けるか?と言う楽しみにもなった。 でも、殆ど向かい風でジグザグに遡るため何キロも行けなかったのが現実。 こんな事もあった。いつものように離岸して調子良く沖へ出て 快適なクルージングを楽しんだ後、 Y氏のそろそろ帰りますか?の言葉で西の空に目を向ける。 もう、日没が近い。「はい。」と返事をしジャイブする。 風の弱い日ならスピンネーカー(追い風用の帆)を張るのだが、 面倒だしいつもメインセールとジブセールで追い風を受けるので充分だった。 が、それどころではない!まったく風が無くなってしまったのだ。 暫く様子を見るか?と言っていたが、 燃料も無いことを思い出すと真っ青になった。 必死に風を探す。が、湖面はどこも凪いでおり、 鏡の様に景色が写っている。土浦港からだいぶ来てしまった。 自衛隊の基地の近くまで来てしまっただろうか? 風見もだらしなく垂れている。 遥か遠くの岸辺に僅かに風が見えるだけ。(湖面の小波が見える) 暫く手の内が無く夕日を眺めているとようやく風が吹き出した。 言われるまでも無く配置に付き帆の操作に取り掛かる。 ちょっとマジになったが、皆安堵の表情。 確かに日没頃には一瞬、風が止まることが有るんだけど、 この時は日没直前だったし凪いでる時間も長く、 燃料も無かったからにね。どうなる事かと思ったよ。 そんなこんなで指示道りには動けるようになってきた頃の11月。 Y氏と交流の有る地元のローカルレースに参加する事となった。 ヨットレースがどういう物かも解らず、 いいよ?と返事した物の、ちょっと不安ではあった。 当日、自分の友達も含めて3人で待ち合わせてみると、 自分達の船がなんと小さく見える事か。 金持ちの趣味なんだろうが外洋に出れるような 甲板に舵輪が付いてて大きくかっこいい船が目をひく。 うちのはエンジンは外付けだし舵も棒が付いてるだけ。 (舵は右に倒せば船首は左に曲がるという代物) まぁ、せいぜい頑張るべ?で、タイムキーパーの管理の元次々と離岸する。 なんせ11月である。寒い!風向きも夏とは違う。しかも風が強い。 一応レースなので目一杯帆に風を受ける体制をとる。 その所為で船体が大きく傾くので縁が水面に着きそうだ。 べたっ!と倒れないのが不思議な位。 もちろん何かに捕まって居ないと落ちるので 反対側に2人で座って反り返っている俺と友達も必死である。 それでも大型のクルーザーはあっと言う間に小さくなって行く。 所詮帆の大きさが違うからね。 まだ近くに我々に同クラスの船が居たがそれが気休めだった。 その時までは。 前半は風に向かって転身するタッキングの連続だったが、 ブイを廻ってコースを折り返すと今度は強風の中、追い風となる。 ブイに近づくと遥か彼方には追い風用の巨大な帆を 誇らしげに張った船が競い合っているのが見える。 Y氏のスピンネーカー!の声で帆の交換の準備。 が、いつも追い風で楽をしているのがたたって 強風の中での作業は勝手が違い、困難だった。 追い風用帆の張り方の手順も悪かったし、タイミングも悪かった。 ワイルドジャイブだ!(風に煽られて勝手に転進してしまう。) しかも帆はとっくに風の中に投げ出されているのにロープで 制御する位置にセット出来ないのだ。 必死でロープを手繰り戻そうとしているが、 指も寒さと疲れからしびれてきた。 ウィンチにどうしてもセット出来ない。 帆で受ける風の力は強力で、 ロープを握っている2人共連れていかれそうだ。 「無理だ、回収!」Y氏の決断で帆を畳み、 ジブとメインセールでジャイブする事となった。 無念だった。Y氏もスピンネーカーを使えると思っていたのに 信頼を裏切ってしまう結果になってしまった。 そう、今までにも帆の交換はやってきた事なので 肝心の時に成果が発揮出来なかった自分に腹が立った。 視界の何処にもヨットの姿は見あたら無い。 完全に置いてきぼりを食ったのだ。 ヨットハーバーに戻るとY氏に知り合いが 明るく話しかけてきたが俺は笑えなかった。 すでに表彰式も終わり、宴会も終盤だった。 他にする事も無いのでテーブルに用意された食べ物やビールを飲む。 Y氏が仲間から戻ってきてびっくりすることを言う。 自分達の前にブイを曲がり損ねた船が居るのだ。 なんとビリでは無い!ブービー賞だそうだ。 この時は声を挙げて喜んだ。 友達も笑っていたがY氏も嬉しそうだ。 Y氏はいつも盛り上げてくれるが、 こんな散々な結果でも賞が取れたのが救いだった。 来た甲斐が有ったなぁと思える瞬間だった。 帰りは和やかな雰囲気で別れた。 まぁ、自分の至らないところは避けられない事実だったが。 毎年11月になると思い出すヨットレースの事。 その後土浦には何回か行ってるが、最近、Y氏は元気でやってるだろうか? この前に行った時はいつも係留していた場所にはヨットは無かった。 陸に揚げて格納してあるかも知れない。しかし、知人も噂を聞かないと言う。 自分も7年前に会ったきりだ。土浦を引き上げたと言う噂もある。 ヨットに連れてきた友達の中に綺麗な女の人が居た事も有ったし もう結婚しているかも知れない。 自分も東京に戻って随分経つが、こちらでも会える事もあるもあるだろう。 ネット上で俺を見つけられれば良いのだが? 当時、新木場に新しいヨットハーバーが出来るそうですね? と言っていたのを思い出し何回か見て来たことも有ったが確認出来なかった。 また昔の仲間を集めてやりたい物である。 ヨットハーバーと言う処はロマンチックで絵になるので、 よくアベックも訪れる。 自分も昔、話の種に何度か連れて行った事もある。(自分の船でも無いのに。) 中にはこれも自分の船でも無いのに係留してあるヨットに 乗ろうとしているアベックも居る。 しかし足に体重を掛けるのでヨットは離れていき、よく股裂き状態になるのだ。 そんな時はこうやって乗るんだよと、これ見よがしにヨットに乗って見せる。 「あらヨット!」





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