佐野繁次郎の装幀

[資料編/年譜]




●佐野繁次郎展 図録 2005 東京ステーションギャラリー(2005年4月2日〜5月15日) 常葉美術館(2005年6月5日〜7月3日)
鹿海信也「佐野繁次郎展によせて」 橋秀文「器用でぶきっちょな画家 佐野繁次郎の人と芸術」 佐野繁次郎「体質に結びついたシカチーフによるマチエール」 小池智子「佐野繁次郎と横光利一の交友」 稲田威郎「もう一つの仕事」 図版 略年譜 主要参考文献 出品リスト 



●Shiguejiro SANO PEINTRE JAPONAIS  図録 1971 galerie tamenaga France S. A
 ANDRE SALMON  PIERRE DESCARGUES  SHIGETARO FUKUSHIMA  EXTRAITS DE CRITIQUES



●佐野繁次郎遺作展図録 1993 神奈川県立近代美術館(1993年9月12日〜12月5日)
※河口湖町立河口湖美術館(1995年1月4日〜2月26日)でも開催
酒井忠康「独り自在な造形」 橋秀文「永遠を夢見る少年」 鹿海信也「叔父 佐野繁次郎」 作品リスト 年譜 文献抄



●神奈川県立近代美術館年報1994 1996年3月31日 神奈川県立近代美術館
橋秀文「佐野繁次郎の寄贈作品及び寄贈図書・原稿について」 寄贈リスト 佐野繁次郎・資料(鹿海武氏寄贈資料)



●sano 100 佐野繁次郎とその装釘 2003年9月16日 ユトレヒト・ホンデルト
佐野繁次郎の装釘いろいろ1 銀座百点:まるで月刊佐野ギャラリー 佐野繁次郎を叔父に持つ鹿海信也氏にインタビュー 佐野繁次郎の装釘、ほぼリスト 色褪せない佐野繁次郎 佐野繁次郎年表 今でも見られる佐野の足あと 私の好きな佐野装釘本(林哲夫 市川慎子 岡部史絵 岩井和子) 佐野繁次郎の装釘いろいろ2 参考資料・編集夜話



●随筆集 文体 第一巻(昭和八年度合本) 昭和九年二月十日 文体社
p19〜21「船場」佐野繁次郎 ※巻末に《(未完)》とある


●横光利一全集 第一巻 月報 昭和十一年一月二十日 非凡閣
p2〜3「小説家」佐野繁次郎 写真=1点(横光利一近影)


●婦人春秋 第一巻第五号 昭和二十一年七月一日 政経春秋社
p34〜35「色彩」佐野繁次郎 挿絵1点(裸婦)


●毎日新聞 昭和二十三年一月五日 
「かけがえない友」佐野繁次郎 ※横光利一追悼文


●小説新潮 昭和二十三年十一月一日 新潮社
口絵写真=佐野繁次郎氏(アトリエにて) 舟橋聖一「雪夫人絵図」挿絵2点(p24、27)


●改造文芸 創刊号 昭和二十三年三月十五日 改造社
横光利一追悼  挿絵1点p93


●芸術新潮 第一巻第九号 昭和二十五年九月一日 新潮社
p98〜99「芸術家の部屋 マチス」佐野繁次郎 図版=2点(マチスのアトリエ)


●美術手帖 第号 昭和二十九年二月一日 美術出版社
p17〜21「訪問・二人の作家1 佐野繁次郎」今泉篤男 図版=9点(パピリオ本社内のアトリエ) 写真=土門拳


●臨時増刊 文芸 第十二巻第八号 昭和三十年五月二十五日 河出書房
佐野繁次郎 目次カット1点 本文カット62点


●洋酒天国 第一号 昭和三十一年四月十日 洋酒天国社
p15〜16「フランスの酒」佐野繁次郎 挿絵1点


●美術手帖 第百六十九号 昭和三十五年二月一日 美術出版社
p29〜55「ミロの芸術 対談 造形の詩人」今泉篤男、佐野繁次郎


●美術手帖 第百七十四号 昭和三十五年六月一日 美術出版社
p53〜61「現代日本の作家像・1 佐野繁次郎」文=江原順 図版=作品10点 佐野肖像3点 撮影=大辻清司



●横光利一アルバム 昭和三十七年 角川書店
p15 佐野肖像写真(昭和10年、横光と) 装幀本書影 ※『角川版昭和文学全集7 横光利一』の栞


●日本の文学37 横光利一 昭和四十一年四月五日 中央公論社
カラー口絵1点 カット15点=p83 107 163 179 201 211 221 299 331 341 345 371 381 421 447 佐野肖像写真(昭和10年、横光と)=p517 装幀本書影


●季刊芸術 第二巻第三号(通巻第六号)一九六八年夏 季刊芸術出版
p220〜244「シンポジウム 芸術と思想・II 大正期の詩と音楽を中心にして」出席者=大熊信行、佐野繁次郎、野村光一、戸部銀作、秋山竜英、江藤淳、遠山一行、高階秀爾[全員の顔写真]


●日本文学全集38 横光利一集 昭和四十八年六月八日 集英社
p18〜119 カット5点



パリの並木路をゆく 高橋豊子 昭和二八年二月二五日 学風書院
p92〜94「佐野繁次郎さん」《関西弁と東京弁を取りまぜて話されます》《瞬刻もじつとしていない、全くつかみどころのない怪物といつた感じでした》


あの日あの頃 高井貞二 昭和54年12月20日 青蛙房
p43「サンサンと日の輝く街」、銀座二丁目実業之日本社ビル三階にあった新造形工房は文化人の溜まり場になっていた、《佐野繁次郎、阿部金剛、宇野千代、三宅艶子などは常連で、日曜日は世田谷の東郷宅に呼ばれて遊びに行った》
p47「消えていった雑誌たち」《絵の方では、丁度このころ、佐野繁次郎が提案してグループを結成しようということになり、彼のアトリエのある虎ノ門、晩翠軒ビルに毎日のように集まって相談したのも懐かしい思い出だ。メンバーは佐野さんに佐伯米子、伊藤久三郎、鷹山宇一、島崎鶏二、井上覚造、それに私と、洋画家七人、荻島安二という当時ハヤリッコの彫刻家と、安岡さんというパリ帰りの家具デザイナーの九人で、「新油絵」と会の名をつけた》

書肆「新生」私史 福島保夫 一九九四年一二月二〇日 武蔵野書房
p90《私が花森安治氏と知り合ったのは、総合誌「新生」の編集部に在籍していたときであった。誰の紹介であったか失念したが、氏は時々私のところへカットなどを売り込みにきていた。(中略)佐野繁次郎先生は、そちらにおられませんか、と誰かの声が響いてきた。途端に「佐野さんが来ているんですか」と云いながら、氏は大柄な体を冗談かと思わすほどに縮めて、机の陰に隠れる。小声で「もう大丈夫かな」と、階段口の方を窺い、「苦手なんですよ」などと云いながら、体を起こしはじめる。そんなことが何度かあった。》
横光利一と川端康成展 平成十一年四月二十四日 世田谷文学館
p86〜92「佐野繁次郎と横光利一についての覚書」小池智子 ※p76 に佐野を含む集合写真 p116 に横光利一追悼文


黄金の砂の舞い―嵯峨さんに聞く― 栗原澪子 一九九九年五月十日 七月堂
p225《ある日、佐野繁次郎(画家)と銀座を歩いていてね、僕が、倉田の店にいい生地があるんだけど、ちょっと派手すぎるんで、買おうかどうしようか迷っているって喋ったの。そしたら「ぼくも見に行く」って彼が言ってね、「君が買わないなら僕が買っちゃうよ」って佐野繁次郎がいうの。ね、》



佐野繁次郎年譜(橋秀文編年譜を基礎資料とする)

1900 明治33 1月22日、大阪市東区南久宝寺町4丁目14番地に生まれる。生家は船場の墨問屋「古梅園」。

 
左端の建物が旧古梅園(現山本幸)、心斎橋筋と南久宝寺通の交差点北西角

1987 昭和62 12月2日、死去。