揺られている。揺られている。電車の中で、彼は揺られている。
彼は、面白いものを手に入れてしまった。
それは、魔法のアイテム。最先端のコンピュータに見せかけた太古の品物だ、と彼は信じ込んでいる。
彼はコンピュータなどとは縁の遠い生活を送る小さい会社の事務員だった。もちろん、事務所にはパソコンが置かれ、それを計算に使ったりはしている。しかし、どちらかといえば、嬉々としていじくっている同僚にそんなものは任せてしまい、彼はもっぱら紙の上の作業に従事していた。しかし、時代の流れとでもいうものか、最近では紙よりもコンピュータさまのデータが必要とされるようになってきており、自分でもそろそろパソコンを使えるようにならないと、とあせってきているところだった。
そんなある日、意を決してパソコンを買いに東京の秋葉原まで2時間かけてやってきた。しかし、どこもかしこも同じような店ばかりでどこで買って良いのかさっぱり分からなくなってしまっていた。どこでもそれらしい店に入って、
「パソコンください。」
と言ってしまえば良いのだが、駅を出た瞬間から、街の雰囲気に呑まれてしまっていたのだった。
誰かに、
「アキバは裏通りが安いんだよ。」
と言われた覚えがあったので、とりあえず人があふれ返っている表通りから人通りの少ない裏道へと入っていった。
しかし、その裏路地には店らしいものは見あたらなかった。
彼は、店を求めてしばらく歩いていた。すると、道路からちょっと引っ込んだところに、赤いものがちらと見えた。
「激安パソコン」
赤地に白の文字でそう書かれていた。
「こんなところにパソコンショップがあるとは・・・?」
裏路地のこういうらしくない店こそ、良いものが安くあるに違いない。
それは、確信に近いものだった。ひとけがないのも単に裏通りだからと考え、こんな所で商売になるのか、などという疑問はまったく頭になかった。
入り口のドアを開くと、上へと続く階段が現れた。
手をつきたくなるような急な階段をあがっていくと、2階に雑然とした部屋の一部が見えた。どうやらここらしい。
中へ入ってみると、壊れた電気製品のようなものがところせましと並べられていた。
彼は電気のことなどほとんど興味のない人間だったので、そこにあるものが何なのかさっぱりわからなかった。ただ、入り口にパソコンの文字があったので、恐らくパソコンの部品なのだろうと見当をつけた。以前、基板というものを同僚がニコニコしながら会社のパソコンに取り付けていたのを見たことがあるが、どうもそれに似ているような気がしたのだった。
店の中を見回してみたが、どうもパソコンそのものがみあたらない。そこで、店の人を探してみたが、店内に人のいる気配はなかった。
しかたなく店内をつぶさに見て回ることにした。
「超安モデム/¥980/このモデムなら電話回線なしでも楽しめるかも?!」
「キーボード/¥720/ゲームがやりたい人向き・テンキーのみ完動です」
「コントロールグローブ/¥500/もうジョイスティックは要らない」
どれもこれも千円以下で売られている。本当に安いとは思うが、すこし心配になってきた。
いくら探しても、パソコンらしきものは見つからない。
「しかたがないか。」
あきらめて出口へ向かおうと振り返ると、そこに人が立っていた。
「何をお探しですか?」
にこにこした、人のよさそうなおじさんではあったが、何もないところから突然現れたような気がしてどことなく無気味さが感じられた。
彼は驚いて、言葉につまってしまった。
しかし、おじさんはにこにこ顔を崩すことなく待っていてくれた。そのおかげで、彼は何とか話し出すことができた。
「すいません。誰もいないのかと思ったもので・・・ちょっとびっくりしてしまいまして。あの、パソコンを探しているんですが・・・外のをみて・・・」
「ああ、あれですか。ありますよ。」
おじさんは、なおも笑顔を絶やさず、どこから通ったのかカウンターらしきところへ引っ込んでいった。
「なんだ、人がいたのか。」
なんとなく、ほっとしていた。なんだかSFに登場する異次元の店に入り込んだような錯覚に襲われていたのだ。
しばらくすると、店のおじさんが大きめの弁当箱ぐらいのサイズの箱を手に戻ってきた。
「これです。いまたいへん人気のパソコンですよ。
小型で軽量、電池で動いてケーブル要らず。
主要なソフトが内蔵だから、いつでもどこでも気軽に使えて、おまけに起動はワンタッチ。
ケースも頑丈で手が滑ったおっことしたぐらいじゃ壊れません。
普通のパソコンはポケットに入らないよ、ところがこいつはスッポリ収まりじゃまにならない、場所取らない。
これでふつうのパソコンソフトが動いてしまうのだから、アラ不思議。
フロッピーは使えないが、これからはカードの時代です。
こいつはパソコンとおんなじカードをサクッとさせる。そうすりゃデータ交換も簡単だ。
これ1台でワープロ、表計算、データベースの1台3役、いえいえ、計算機にだってなっちゃうし、ソフトを入れれば千変万化なんにでもなります。
実に便利なこのパソコン、今ならお買い得ですよ。」
いったいどこで練習しているのだろう、と不思議になるぐらい流暢に、これだけのことを言ってのけた。
彼にしてみれば大きさなどまったく関係ない。ただ、会社のパソコンを使ってデータを出せれば良いだけなのだ。そのために、パソコンというものを買って、使えるようになりたいという理由のためにここまで来ているのだから。
「これ、会社でやっている表計算、できるかな?」
とりあえず、当初の目的を果たさなくてはならないので、それだけは聞いてみた。
「もちろんですとも。これはそのためにつくられたようなものなんですから。」
あいかわらず、ニコニコ顔だけは崩さずに答える。
会社のと同じことができるならいいか、そんなことを考えていると、たたみかけるように店のおじさんが話しかけてきた。
「今なら定価十二万円のところ、半値の六万円で結構です。」
六万円。
その一言に一瞬で「欲しい」という気持ちにさせられてしまった。
もともと、会社のと同じことができればいいだけだし、それにこんなに小さいのなら邪魔にはなるまい。
その様子にもうひと押しと思ったのか、おじさんは箱をあけ始めた。
買い物をするとき、店員さんに中身を見せてもらおうとお願いすると、よく中の物をぐちゃぐちゃにされて嫌な思いをするものだが、このおじさんはちょっと違った。中身をばらばらにしないように、マニュアルの角が曲がったりしないように、丁寧にパソコンを取り出した。
「これ?これでパソコンなんですか?」
おもわずそう言ってしまうほど小さなパソコンが箱の中から出てきた。小さい、そう手のひらに乗るほどと良くいうが、文字通り手のひらの上で使えるサイズなのだ。
おじさんの口上もあながちうそではなかったわけだ。
「おじさん、本当に六万円なの?」
すでに買う気になっているので、軽く聞いたつもりだった。しかし、店のおじさんはそうは思わなかったらしい。
「いえ、その、こちらのカードが実は必要でして・・・。」
ニコニコ顔がわずかに汗をかき始めた。
「え、どういうことですか?」
様子の変化にかすかな疑惑を感じながらも、もうそれを手にする自分を思い浮かべていた。どんなことができるのだろう?少なくとも会社の表計算はできるはずだ。そういっていたではないか。
「こちらのカードをここに差し込みませんと、日本語が表示できないんですよ。お客さん、パソコンは得意ですか?」
「いいえ。」
そのためにパソコンを買おうとしているのだから得意なわけがない、そう心の中でひとりごちた。
「いえいえ、別に得意じゃなくてもこれを差すだけですから、特に専門の知識が必要なわけではありません。ただ、得意な方はいろいろといじって遊ぶようですので細かい設定はいろいろとあるようですが、初心者でしたらほんとにカードを差すだけで終わりますよ。」
このおじさんは何か魔法でも使っているのだろうか?おじさんのニコニコ顔を見ているうちに、自分でも簡単に使えそうな気がしてきた。
改めて見るとカードというものはほんとに小さい。テレホンカード程度の大きさで、厚みが5ミリ程だろうか。
「で、そのカードを含めるといくらになるの?」
この小さい物ならそんなに高くはあるまい。そうたかをくくって聞いてみた。
「はい、十二万になります。」
「え!」
さっき確か六万と言ったではないか。ということは、この小さいのも同じだけの金額ということになる。
「そんなにするんですか?」
おじさんは小さなパソコンを私の方へ差し出した。
「持ってみてごらんなさい。こんなに小さくてこんなに軽い、そのくせ中身は本物のパソコンときてる。」
持ってみるとほんとに軽い。もしかして中身が入っていないのではないかと思えるほどだ。そのくせキーボードはちゃんと付いている。キーそのものは電卓のそれのようだが、逆に電卓に慣れ親しんだこの指にはむしろ似つかわしく思えた。
思わずONと書かれたキーを押してみて、電源のことに気が付いた。
「スイッチ入りませんね。電源は何ですか?」
この大きさだと携帯電話のようなバッテリーではないか、そんな思いがふとよぎる。
「単三乾電池が二本ですよ。まあ、一ヶ月はもつと言われていますね。」
箱の中から見た事のないデザインの乾電池を取り出して見せてくれた。
「この電池もむこうのですからね。なにやら、記念に取っとく人もいるようです。まあ、私としては入っているんだから使っちゃえばいいと思うんですけどね。」
電池で動く。ほんとに電卓ではないか。手渡された電池の重さに、軽かったのはこのためと気付かされた。
「ま、これぐらいにならまけられますから・・・。」
何かぎっちりと書いてありそうなノートを見ながら、ポケットから取り出した電卓をたたきはじめた。
計算の後、こちらへ向けられた液晶のディスプレイには105060という数字が見えた。
「十万と五千六十円ですか。」
なんとなく出せそうな金額だ。パソコンの金額としては非常に安いといってもいいのではないだろうか。もっとも、パソコンの値段なんて前日に会社に置いてあるコンピュータ雑誌をちらと見ただけなので詳しいわけではないのだが。
「あ、もちろん端数の六十円は切らせて頂きます。この金額で買えるパソコンなんてありませんよ。」
もちろんそう思う。だが、見た中には十二万だとか十三万なんてものもあった。
「だいたい普通のパソコンなんてものはディスプレイがなきゃいけません。それにひきかえこいつはリッパな液晶ディスプレイがついています。ハードディスク装置なんて今時なきゃ困りますよ。でも、大丈夫。こいつのカードはハードディスクの代わりなんですから。おまけに、ハードディスクなどよりよっぽど速いときています。」
ディスプレイはわかるとして、ハードディスク?あ、あれか。
しばらく前、同僚がハードディスクの整理とかいってわけの分からないソフトを使っていたのを思い出した。
その様子を、迷っているととったのか、おじさんが最後のひと声を発した。
「えーいっ、そこまで悩むなら十万だ。十万で買っちゃいなさい!」
「買った!」
反射的にそう答えた。
おじさんのニコニコ顔が、よりいっそうの笑みに変わり、早速精算の処理にとりかかっていった。
もともと最初に見た時から買うつもりだったのだ。それをおじさんはひとりで勝手にしゃべって勝手に値段を安くしてしまった。まあ、なんにせよ安く買えたのだからまあ結果としては良かったといえる。
品物と引き換えにお金を払う。二十万円台の物を買おうとしていたので十万円以上余ってしまった計算だ。
その後、笑顔のおじさんに見送られてもと来た道をひき帰す。実に気持ちが良かった。あのおじさんはやはり魔法を使ったに違いない。それを証拠にあっという間に家へ戻り、その日のうちにパソコンが使えるようになってしまったのだ。
いや、使えるというのは正しくないかもしれない。しかし、いじっているうちに会社にある本も同僚の話も分かるようになってきたのだ。
揺られている。揺られている。電車の中で、今日も彼は揺られている。
彼の手には小さな、小さなパソコンがある。
それは、魔法のアイテム。最先端のコンピュータに見せかけた太古の品物だ、と彼は思う事にした。
これを手にしたことにより、今までわからなかった事が分かるようになったのだ。これが魔法でなくてなんだというのか。
電車の扉が開き、パソコンのふたが閉じられた。そのままパソコンは上着のポケットへと滑り込む。
今日も楽しい一日になりそうだ。