エーテルの降る夜に

第七回 「シュミットドーム 」
食堂をでたツヨシはすぐに研究室に戻った。
共同の研究室には6台のデスクが用意されていて、それぞれのデスクにパソコンが置かれていた。
ツヨシはパソコンの電源を入れた。立ち上がる時間がもどかしい。
コンピュータが立ちあがると、彼はさっそく天文観測研究連絡会のデータベースにアクセスした。IDとパスワードを入力する。
接続するのにまた少し時間がかかった。

このデータベースには全国の、主に民間の天文研究機関および個人からの観測データが登録されている。更には各大学のデータベースや国立天文台とも接続していた。国内の天文研究に関する報告はたいていここのデータベースから検索することができる。
「ないなあ」と、ツヨシはつぶやいた。
さらにツヨシはアメリカの民間研究機関のデータベースにアクセスした。
なれない英語による検索をいくつか試みたが結果ははかばしくなかった。

ツヨシは背もたれに大きく寄りかかった。封筒から件の写真を取り出し、今一度二枚の写真を両手に持って見比べた。
しばらくじっと写真に見入っていた彼は、その写真を置くと電話機に手を伸ばした。
電話の相手はすぐに出た。
「あ、ノリヨさんですか」
『はい』
「電話ですいません。今日頂いた写真なんですけど」
『はい』
「一昨日のと合わせてデジタルが欲しいんですが、すぐに出来ますか?」
『・・・えーと、18日と22日の分ですね。ちょっとお待ち下さい 』
電話の向こうでノートか何かを繰っているような音がした。
『 いいですよ。すぐに出来ます。えーと、フロッピーでいいですか?』
「はい。お願いします」
『じゃあ、出来たらそちらにお持ちします』
「いや、僕がもらいに行きますよ。何時ごろ行けばいいですか?」
『えーと、そうですね、4時頃お願いできますか?』
「はい、わかりました。よろしくお願いします」
ツヨシは電話を切った。時計を見るとまだ1時間ほどある。シュミットドームではミタライと同じN大の研究メンバーのアサノが今夜の観測の準備を始めている頃だ。4時まで手持ち無沙汰を託っていても仕方がない。ドームに寄ってみることにした。

4月とはいえ外はまだまだ寒気が残っている。彼はロッカーからダウンジャケットをとって羽織ってから研究室を出た。
研究棟からシュミットドームまでは尾根伝いの山道を200mほど登る。まばらなひばと赤松の林を左手に見ながらゆっくりと歩く。早春の午後の太陽はあっという間に力強さを失って行く。

ドームは簡易舗装された中にブロック積の塀をめぐらせただけの簡単な敷地にあった。それほど大きな建造物といった印象は受けない。
ツヨシはいかにも無粋な鉄扉をくぐって中に入った。
中央に口径105cmのシュミット望遠鏡がその勇姿を誇らしげにそそり立っていた。二階のデッキで人の声がした。ドームの中に反響し何を言っているかはわからなかったが、声の主がミタライであることがすぐにわかった。
ツヨシは階段を昇った。

「おはようございます」と、ツヨシはそこにいた3人の男に声をかけた。
ミタライの巨大な背中の陰から、小柄でやせぎすのアサノが顔をのぞかせて、
「おう、おはよう」と応えた。
少しして、機材の調整をしていた観測技師のサノが座っていた椅子をずらして、
「やあ」と応えて、さらに
「妙なものを見つけたらしいね。今、昨日の撮影データを検証しているところだ。なんとか撮影できそうだよ」といった。
ツヨシはすぐにミタライが何か頼んだのだと察した。
「いやっ、でも今日はアサノさんの観測があるんでしょう」と、彼はたちまちどぎまぎと落ち着かない様子になって言った。
「大丈夫だよソウカ。僕の観測はちゃんとやるんだから。ちょっと寄り道するだけだ。もっとも今日の空模様じゃ期待はずれになるかもしれないがね」
アサノは屈託なく応えた。

みなそれぞれの研究テーマに沿って、何ヶ月も前から観測プランを練っている。特にこの時期は大気中の水蒸気が急激に増えてくるので、予定通りに観測を実施しても期待通りの結果が得られない事が多い。
それだけ一回の観測は研究者にとって貴重な機会なのだ。
「そんな、もうしわけないです」
ツヨシは心底申し訳なくなってしまった。そして、アサノにわびながら、ミタライの様子を窺った。
押しの強い彼がアサノに無理強いしたのではないか。
そんな彼の考えを察したように、それまで黙っていたミタライが、
「俺が無理に頼んだわけじゃないぞ。俺はあさってでいいって言ったんだが、こいつが・・・」と、言葉を切ると、アサノの方を顎でさし、「面白そうだからって言い出したんだ」と続けた。

「アサノさん、すいません貴重な観測の時間を・・・」
ツヨシはますます小さくなって、深々と頭を下げ、
「何時頃になりますか?僕もお手伝いします」と言った。
「いやいや、さっきも言っただろ。ちょっと寄り道して写真を撮るだけだ。観測するような時間は上げられないからね。きみはあさっての観測に備えておくんだな」
「いや、でも・・・」
「おう、そうしろそうしろ。おれもここの支度が終ったら帰って寝る。宿舎まで連れて帰ってくれ」と、ミタライが口を挟んだ。

結局、アサノとミタライに説得され、撮影データの確認をしてツヨシは引き上げることにした。ノリヨのところに頼んでいたフロッピーを受け取りに行かなければならない。
「それじゃ、すいません。よろしくお願いします」
そういって、ツヨシはドームを後にした。