ハルオとユキは東北自動車道の那須インターチェンジを下りたところだった。ゴールデンウィークの混雑を避け、ずいぶん早くに東京を出たつもりであったが、思った以上に行楽客の出足がはやく、インターチェンジを出るとすぐに渋滞につかまってしまった。
このゴールデンウィークは天気に恵まれ、絶好の行楽日和が続くという気象予想であった。ここ、那須高原の麓も5月の清々しい空気の中、芽吹き始めた新緑が鮮やかに風に揺れていた。ゆるゆると渋滞の中を進むうちに広い交差点までくると、それまで道に迫っていた森が切れて視界が開けた。雄大な那須岳の頂きが薄く雲をひいた青い空の一角を切り取って姿をあらわした。「だいぶかかるかしら」
助手席のユキが地図を広げながら言った。
ハルオの車にはナビゲーション・システムがついていなかった。
ハルオの車は就職してすぐに買った中古車で、近頃ではだいぶ一般的になったナビゲーション・システムも当時は性能も今ひとつで、そのうえ高嶺の花であった。彼自身、車の性能やアクセサリーにあまり頓着する方ではなかったので今でも不案内な土地を走るには地図が必需品だ。
「そうだな。しばらく一本道だからな」
ハルオはフロントガラス越しに那須岳の姿を眺めながら気のない答えをかえした。
「ふうん」とユキは地図に見入った。
「抜け道とかないのかしら」
「ないと思うよ。だれも横にそれないもん」
「はやくカー・ナビ付けとてばよかったのに」
「でもさ、カー・ナビ付けたって突然抜け道が現れるわけじゃないでしょう」
「ま、そりゃそうだけどさ」
そういうと彼女はハルオの方に顔を向けると、
「ねえ、おなか空かない?」と言った。
彼女だけではなく、このごろの二人はよく腹を空かせるようになった。
ひと月前のように激しい欲求が湧きあがることはなくなったが、休日にふたりで一日過ごすと、日に5食などということも珍しくなかった。
相変わらず渋滞の続く道の両脇に、ドライブインや土産物店が軒を連ねるようになってきた。
リゾートの雰囲気を盛りたてるように、華やかで欧風のデザインの店舗が多い。
「そうだね、朝食がはやかったし。どこかに入ってみようか」
「うん。あそこは?なんかかわいいじゃない」と、ユキは3軒ばかり向こうに見えるログハウス風のドライブインを指差した。
この連休を利用した二人の旅行は単なる行楽ではなかった。
二人はインターネットの中に世界の破滅を啓示するサイトを見つけた。
はじめ二人はそれを受け容れることが出来ず、かえって自分たちの精神が病んでしまったのではないかと疑った。しかし、結局その啓示を受け容れた。それによってようやく精神の平衡を取り戻したのであった。
そしてこの旅行は破滅からの逃避行の準備のための旅行であった。
ドライブインの駐車場に車を止め店に入ると、店内は彼らと同じように渋滞を逃れて一息入れる客で混み合っていた。仕方なく彼らは一番奥まった、華やいだ表の風景が視界に入らない席についた。
ひと目見ただけで近所の高校生のアルバイトとわかるウェイトレスに注文を告げると、ユキは持ってきたバッグの中から地図と一枚のパンフレットを取り出した。
ユキは地図を広げながら、
「あとどのくらい掛かるのかしら」とつぶやいた。
ハルオはパンフレットの方を取り上げて開いてみた。
「そうだなあ、1時間は掛からないと思うよ」と答えた。
パンフレットの表紙には、『
畑のついた別荘=グリーン・ファーム・パーク
』と書かれていた。
ユキは地図をハルオの前に広げた。
「今どの辺?」と尋ねた。
ハルオも地図をのぞきこんだ。
「この辺だな」
ハルオが指差したところから、那須岳を目指して伸びる道をたどって、那須の温泉街に入る少し前から左に折れる道がある。見たところ人家もまばらそうな集落を抜けて川を渡り、しばらく行ったところに赤いサインペンのインクで丸印があり、その横にパンフレットの表紙と同じ名前と電話番号が書きこまれていた。
車は小さな橋を渡って川をさかのぼるように荒れた舗装の道を進んでいった。
彼らはあの桜の日から、その日に向けての計画を進めていた。=馬鹿げている=。そう思ったことが一度や二度ではなかったが、それでもそうしていることが彼らに安息をもたらしたのである。
この日彼らはあとニヶ月後にやってくるであろう破局の日に、あの日記の男と同じように混乱を避けて逃げ込むための場所を確かめに行くところであった。
あの日以来件のホームページは異形の文字を羅列しているばかりで、それまでのように日本語に変わらなくなってしまった。
あの後、彼はどうしたのか。そしてなにより知りたかった、彼が避難した場所については、そのヒントになるような地名さえ知りうることは出来なかった。
やがて大きいがずいぶんと汚れの目立つ看板が彼らの目に止まった。
『グリーン・ファーム・パーク』
「あれだわ」とユキがハルオの太ももを二度たたいた。
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