エーテルの降る夜に

第十二回 「 約束の地 」
先ほどのホールを通り抜けると小さな庭があり、まだ疎らではあったが躑躅が花をつけていた。
「どうぞ」
そう言ってキノシタは二人を車に案内した。車はスズキの小型の4WD車であった。
二人は体を折り曲げて小さな車の後部座席に乗り込んだ。
車の左手にはそれほど広くはないがよく手入れの行き届いた放牧場があった。
ユキは期待するようにきょろきょろと放牧場を見まわしたが、牛も馬も見つけることは出来なかった。
車は放牧場の二重の柵に添って作られた舗装道路をゆっくりと走り始めた。
キノシタはいかにも今の若者風の外見に似合わず、後ろに乗せた客に対して繊細な心配りをしているようであった。
「牛や馬はいないんですね」
キノシタの後ろに束ねた髪がゆれるのを面白そうに眺めながら、ユキが彼に問いかけた。
「ああ、今は畜舎の方にいます。行ってみますか?」と彼はこたえた。
「ねえどうする?」
ユキはハルオの袖をひいた。
「うん、お願いしようか」

少し進むと道が二手に分かれていた。キノシタはゆっくりとハンドルを右に切った。
小さな雑木林を抜けるとすぐにサイロが二人の目を引いた。
芽吹き始めた緑の匂いに混じって畜舎独特の匂いが鼻腔を突き始めた。
キノシタはサイロ脇の木造の建物の前に車を横付けた。
そこは観光牧場にしたときに建て替えられた、もとは牧童たちの休憩所だったところらしい。
一階はホールになっており、気の利いた木製のテーブルと椅子、ソファと飾り暖炉があり、小さなバーカウンターがしつらえてある。キノシタの説明によると、二階は仮眠所になっているという。当直制になっていて、必ず誰かが泊り込むことになっているのだそうだ。
この休憩所とサイロを挟んで、西側に馬房、東側に牛舎があり、5頭の馬と20頭弱の牛が飼われていた。

馬房を案内されたときに、ユキが一頭の馬の前に立ち止まり、
「かわいいのね。優しい目をしているのね」と言った。
「かわいいでしょう。乗馬用なんです。後でちょっと乗ってみませんか」
キノシタは初めて満面の笑みを見せて言った。
「そうね。乗れるかしら」
「大丈夫ですよ。ちゃんと轡とりますから」
確かに馬も役に立つだろう。しかし、ハルオが本当に期待しているのは牛のほうであった。牛乳とそこから作る乳製品は、すぐにも役に立つ栄養源である。
牛舎のほうを案内されながら、
「後で乳絞りもやらせてもらったらいいよ」
ハルオがユキにそう言うと、彼女は屈託のない笑顔で頷いた。

畜舎を案内してもらった後、再び車で別荘用地へと向かった。
放牧場の外周道路を少し行くと、右手に今度は整備された白樺の林があり、舗装された道が林の中に続いている。車はその道に入っていく。
『この先別荘地に付き 関係者以外立ち入り禁止』と書かれた看板が立ててあり、小さなゲートがあった。
道路はゲートを抜けるときれいな舗装が切れ、簡易舗装に変わる。すぐに安普請のモルタル造りの管理棟が建っている。
ハルオはキノシタに、この管理棟には普段は誰かいるのかと尋ねた。
「いや、ここは普段は誰もいないっす」
キノシタはまたぶっきらぼうな調子に戻って答え、すぐに車を止めた。

道を挟んで、木柵で区画された分譲地が広がっていた。
1ブロック6区画で、3ブロックが売り出されていた。ゲートに近い1ブロックと、少し先の十字路から向こうの2ブロックは建売となっており、1区画140坪、建物の建築面積が40坪と、15坪の前庭とカーポート、残りが個人用の菜園用地となっている。
建物はロフト付きの木造平屋建てで、白く塗った壁に緑の屋根が別荘地らしい雰囲気である。
3人は車を下りた。
キノシタは一番ゲートよりの区画に歩み寄りながら、
「建物の造りはブロックごとに同じ造りですから、まずここからどうぞ」と言った。
ハルオとユキの二人は腕を取り合い、一度顔を見合わせてからキノシタの後ろに従った。