エーテルの降る夜に

第十四回 「 接触 」
ソウカとミタライが出演したテレビ番組が放映された翌々日、霞が関の総務庁のビルの一角に設けられた危機管理委員会Y2K対策分室に事務次官のオオハタが姿をあらわした。手には前日のタブロイド紙が折りたたまれて握られていた。
分室に居合わせたのは総務庁のタツミ調査役と文部省のクラタ調査役であった。オオハタは部屋に入ってくるなり、折り畳みの長テーブルの上に手に持っていたゴシップ専門のタブロイド紙を投げ出した。

「見たか、おとといのテレビ。とたんにこの新聞だ。マスコミは危機管理を何だと思っているんだ」
オオハタは乱暴にパイプ椅子を引き出し、がたんと大きな音を立てて腰掛けた。
クラタはタツミに目配せをする。タツミはわずかに、眉を八の字に、口をへの字にゆがめて見せると立ちあがって、部屋の隅にある給茶機で来客用の茶碗に茶を淹れてオオハタの前に出した。
オオハタは「お、すまんな」と言い、さらにまくし立てた。
「われわれの苦労を全く理解しとらん。興味本位に社会不安を煽るような番組ばかりつくりおって。監督省庁は何をしとるんだ、おい、クラタ、お前のところだろう」
ふいにそう言われて、クラタは慌てて手を振った。「違いますよ。テレビは郵政ですよ、うちじゃあありません」
オオハタは「そうか、郵政省か。うちには郵政から誰か来てたか」とタツミのほうを振りかえり、「それと、科技のムライは来とらんのか、事実関係をはっきりしとかにゃいかん。今日の連絡会で総理から突っ込まれるぞ」と続けた。

タツミはオオハタが投げ出したタブロイド紙を手に取り広げながら、「ムライさんは科技庁のほうに行ってます。この件について調べに行くって言ってました」と言って、一面の記事を手の甲で叩いた。
「そっちはムライさんに任せておいてよいと思います。それより、次官」
「なんだ、他にも面倒ごとか」
オオハタはしかめっ面でタツミの顔を覗きこんだ。
タツミは窓際に2台だけ置いてある事務机に歩みより、机の上からメモ紙を取り上げてオオハタに手渡した。
「公安のシバサキ委員長からお電話がありまして、相談があるので担当官をこちらによこすとのことでした。次官は10時にはこちらにみえるだろうと申し上げたところ、10時半にうかがわせると」
「公安が?」
オオハタはそういうと腕時計に目をやった。
針はまもなく10時半をさそうとしていた。

静岡県警公安課3係のトクダとウチノの二人は、東京都八王子市にあるN大学のキャンパス近くのコンビニエンスストアで雑誌の立ち読みを装っていた。
雑誌が陳列されている棚の前からガラス窓越しに、道路の反対側の歩道がよく見とおせた。
瀟洒なマンションの駐車場の前に二人の男が立っていた。
どちらも30代後半の地味な感じの男で、一人は紺色のスーツ姿、もう一人はカジュアルな服装をしていた。
男たちは明かに誰かを待っているようだった。

トクダはスーツの男がもう一人に合図を送ったのを見た。
「おい」と、すっかりサッカー雑誌の立ち読みに夢中になっているウチノの膝を蹴って、ゆっくりと書架の前をはなれ、「その雑誌買ってから出て来い」とやや厳しい口調で言った。
ウチノは申し訳なさそうに、「はっ」と返事をするとカウンターのほうへ向かった。

ソウカ ツヨシは研究室で観測写真の整理を終わらせた後、アパートに帰ろうと広々としたキャンパスを出た。
門を出て少し歩くと、二人の男が近づいてきた。一人は紺色のスーツ姿、もう一人はグレーのポロシャツにカーキ色のパンツといったカジュアルな服装で、ともに30代後半であろうか、ゆっくりとした足取りではあるがまっすぐに彼のほうに歩いてきた。

「こんにちは、N大学のソウカさんですね」
スーツ姿の男が話し掛けてきた。
ツヨシは少し前から男たちに気がついていて、近づけばきっと声をかけてくるに違いないと感じていた。
例の謎のガス雲発見以来、先日のテレビ出演以外にも雑誌や週刊誌が頻繁に取材の申し込みをしてきていた。
ツヨシには、彼にとっては極めて非日常的な日常が煩わしくてしかたがなかった。最近のそんな日常がたちまちその男たちの気配を覚らせたのかもしれない。
― ああ、やっぱり来たか。― ツヨシはそう思いながら、「はい、そうですが」と答えた。

「お忙しいところ畏れ入りますが、私こういうものです」
男はそう言っていきなり名刺を差し出した。
ツヨシは、「はあ」とあいまいな返事をすると男が差し出した名刺を受け取った。
名刺には、『相模心療研究所 所長代理』という肩書きが書いてあった。
男は、ツヨシが名刺に目を通したのを確認した後、「コウノセと申します」と名乗った。
ツヨシにはコウノセという人物にも、相模心療研究所と言う団体にもまったくなじみがなかったので、再び「はあ」とあいまいな返事を返すしかなかった。
「突然で大変申し訳ありませんが、先生の例の発見についてお話させていただきたいと思いまして、ここでお待ちしておりました。すこしお時間をいただけないでしょうか」
男はそう言って、いま一歩詰め寄るようにツヨシに歩み寄った。
男の様子は慇懃ではあったが、ツヨシは覗き見たその男の目に、異様な執念深さのようなものを感じてたじろいだ。

どうやらマスコミではないらしい。男の名刺に書かれた団体名の胡散臭さと、まとっている雰囲気の異様さがツヨシに強い警戒心を抱かせた。
「すいません、今日はちょっと急いでいますので」
そう言ってツヨシは男を振りきるように歩き出そうとした。すると目の前を遮るように、それまで黙っていたもう一人の男が唐突に名刺を差し出した。
「申し送れましたが、私はユヅキと申します」
その男はよく見るとコウノセと名乗った男よりもいくらか若いようだった。
ツヨシは出鼻をくじかれ、立ち止まらずをえなくなってしまった。

二人の男はツヨシを両側から挟みこむように立つと、再びスーツの男が話し始めた。
「そうですか、申し訳ありません。お急ぎでしたら歩きながらでも結構ですので、少しだけお話を聞かせてください」
男はそう言うと、かえってツヨシを先導するように自分から歩き始めた。