DHAULAGIRI CIRCUIT(2)
(ダウラギリ一周)

〜2004年9月28日〜10月27日〜



カロパニからダウラギリT峰東面を望む

  マルファからジョムソン街道をタトパニへ

10月14日
天気:晴のちくもり、夕方から雨
マルファ8:10〜9:50ツクチェ(昼食)12:30〜15:30カロパニ(歩行時間4:40)

 私の泊まった部屋は2階で、部屋の前がルーフテラスとなっている。 快晴にルーフテラスで朝食をとる。 ニルギリの眺めがよいが、早くも雲がかかりはじめた。
 狭い石畳の道を通り旧村を抜けると広いトラクター道になる。 現在ジョムソンからカロパニまでトラクターの通行が可能だが、 マルファのように昔からの通商や観光に依存している村は車の通行に反対の立場である。 荷物の輸送は許すが人の運搬はNOと聞いていた。 しかし村はずれに来ると、荷物運搬のトラクターを乗合バスのように利用していた。 そしてさすがにトレッカーも多い。 ツクチェに泊まって北へ向かうトレッカーに次々と出会う。 また北から南へ向かう山羊や羊の群も多い。 もうすぐ始まるダサインのために値段の安いローマンタン、あるいは遠くチベットから、 高く売れるポカラ方面への移動の途中である。 1頭1000ルピーが2500ルピーほどになるらしい。

 ツクチェはチベットとの公益で栄えたタカリー族の中心的村である。 マルファのような落ち着いた村を想像していたが、 ケバケバしい欧米に迎合した建物が目立ち、道路も広い。 昼食をこのよう雰囲気のホテルでとったが、感じが悪く一刻もはやく立ち去りたかった。

 ラルジュンを過ぎカリ・ガンダキの広い河原を歩くころ、 カリ・ガンダキ名物の強い風(南風)が吹いてきた。 砂塵の中をつい急ぎ足らなってしまう。 荷物を運ぶロバの群。ヒンズー教の聖地ムクチナートへの巡礼者の列。 この街道にはいろいろな顔があり面白い。 カロパニの直前で雨になってしまった。 駆け込むようにして入った所はマガル族の夫婦の経営する商人宿。 ホテルとかレストランとかの英語の看板はない。 ムクチナート巡礼の夫婦と商人風の数人が同宿した。 食事は台所で食べた。


10月15日
天気:快晴
カロパニ8:05〜11:10ガサ(昼食)12:50〜16:00ダナ(歩行時間6:05)

 雨は夜にはあがり、満天の星空が見えた。 早朝、北にはダウラギリからツクチェの山並みが、 東にはアンナプルナT峰(北面)がすばらしい。 久々にカメラのシャッターを押した。 7時を過ぎると早くも巡礼者で道はにぎやかだ。

 朝食は昨夜と同じように台所でとった。 巡礼の夫婦が食後、宿の女主人に金を払ったが、 彼女は何か言いながら客に背を向けて受け取っていた。 私はこの様子を見て、ひやかしぎみにサーダーに、 「ネパールではありがとうという言葉はめったに使わないのか。」と聞いた。 すると彼は「金が足りないので文句を言っているのです。」と答えた。 宿代は食事込みで50ルピー(約80円)だそうだが、 巡礼者の夫は自分の金がなく、夫人から金を借りて要求どうりの金を払って出て行った。

 この少し後に突然ヘリコプターが宿のすぐ裏手に着陸した。 たちまちこれについての情報が宿にもたされる。 このヘリはレスキュー・ヘリでアンナプルナT峰の日本隊が雪崩にあい、シェルパひとりが死亡。 とのニュースが入ってきた。 いながらにして最新のニュースが聞けるネパールの通信事情に感心した。 しかしこれは誤報で、ヘリがアンナプルナT峰ベースから戻った後で、 日本人4人パーティーのうち雪崩で2人死亡との情報に訂正された。 このヘリに乗ってきたシェルパから直接会話しての情報というので信用できる情報だろう。 アンナプルナT峰の北面に入るには、ひとつ北側の谷から4500mほどの岩稜を越える必要がある。 ポーター泣かせの難路らしく、今は見たところ雪もある。 荷物もヘリで下ろすらしい。 (注:カトマンズに帰ってから、 この遭難は多くの8000m峰を登頂している名塚氏のパーティーと知る。 私がカトマンズ滞在中に、遺体はカトマンズに下ろされた様子が ネパールのテレビでも放送された。)

 カロパニの村はずれに軍のチェック・ポストがあった。 チェック・ポストはこのあとガサの下流の吊橋のたもとにあった。 あとはポカラに着くまでなかった。 ゴレパニの前後は現在政府関係者はマオイストの襲撃を恐れ逃げてしまっている。 シーカの近くであったあるトレッカーは、 せっかく2000ルピーも払って許可証をとったが誰もチェックしてくれないと嘆いていた。 ただしマオイストのチェックがある場合もある。

 夕方、BABAの滝という水量の多いすばらしい滝の下を通った。 カリ・ガンダキの渓谷は次第に緑濃くなっていく。 上流の荒涼とした雰囲気はすっかり消えた。 そしていつしかヒンズー風になっていく。 タトパニまでの計画だったが、歩き始めて無理と思っていた。 この日は1時間半ほど手前のダナという村で行動を止めた。 サーダーは2時間ほど遅れて着いた。 酒臭かったので、何をしていたと問いつめると、 チェックポストで時間がかかったとの言い訳だった。 私はこの夜は意識的に彼に厳しい態度をとった。


10月16日
天気:快晴
ダナ7:45〜8:55タトパニ(昼食)11:10〜12:40ベニとの分岐〜15:15シーカ(歩行時間5:15)

 サーダーは昨日のことがあってか、今朝はいつもより何かと特別な気遣いを感じた。 今まで10人もの大スタッフを同行していたが、 キッチンスタッフとポーターはベニ経由で一足先にカトマンズに帰ってもらうため、 ここで別れることになった。 人数が多いので小額ながらチップを彼らに渡した。 ここからは私とサーダーとポーターのカジの3人となる。

 ダナを出ると、時間帯によるのか巡礼者が多い。 たいていは年配の女性で足は遅い。 その巡礼者をかき分けるようにして歩く。 ほどなくタトパニに着くが、多くの巡礼者たちの休憩で バザールは人であふれている。

 タトパニとは熱い水という意味だが、河原に温泉があることで知られている。 さっそく入浴して行く。 カリ・ガンダキの河原に下りると、管理小屋とふたつの露天の浴槽がある。 外国人からは15ルピー(約25円)を管理費として徴収していた。 浴槽は2箇所あるが混浴である。 浴槽に入るにはまず風呂のオーバーフローからの湯で体を洗うことになっている。 地元の女性たちが髪を洗っているので、終るのを待っていた。 すると管理人が来て、女性たちをどかし私に洗うように指示した。 ここでの15ルピーの力をつくづく感じた出来事だった。

 浴槽につかると外から「日本の温泉と比べてどうですか。」 と日本語で聞くネパール人がいた。 お互い湯に使って話すと、 両親をムクチナートのお参りに誘っての帰りらしい。 彼はなれぬトレッキングで足を痛め、荷物は両親に背負ってもらっているそうだ。 「ネパール人は歩くのが得意ではないのですか。」と言うと、 笑って「必ずしもそうではないよ。」と答えた。

 タトパニを出ると吊橋で左岸に渡る。 ちょうど谷の方向にニルギリがある。 ニルギリはすぐ南のアンナプルナより1000mも低いのだが、大きく立派な山だ。 すぐにベニ方面への道と別れ、急登をゴレパニ方面に向かう。 1時間ほど登ると顕著な尾根の乗越に出た。 斜面に作られたテラスがあったので休憩する。 背後に白い山が見える。 ダンプス・ピークである。 この山はツクチェ・ピークが隣にあり、 両方が見える場所では見劣りがしてしまい、さえない山に見えてしまう。 しかしこの山だけを見ると、けっこう立派な山だ。 反対側のゴレパニ方面はおおらかな山の中腹に集落が点在している様が美しい。

 このルートは急登が多いが道は広くしっかりしている。 緑濃く木陰となるチョータラも多い。 ただ「緑濃く」を美点としたのは私が高地の旅の帰り道だからかもしれない。 ベニまで車道が延びる10年ほど前までは、こちらがジョムソン街道の主街道だった。 今は隊商もほとんど通らない静かなルートとなっている。

 ガラという村の小さな茶店で休んだ。 この茶店の庭ではハッシシッシを栽培していて、ハッシシッシそのものも売っていた。 このあたりまで登るとツクチェ・ピークが見えてくる。 そしておおきなシーカ村に入る。 私は村の上部に泊まった。 ダウラギリ・ビュー・ホテルという名前のとおりダウラギリ主峰がよく見えるホテルだった。 客は私たちだけだった。

 シーカはトレッカー向きの宿も多いが、農村らしき雰囲気を多く残す村だ。 畑ではちょうど蕎麦のピンクの花が咲いている。 伝統的な家や畑の向こうにダウラギリ、ツクチェ、ダンプスと三つ並んで見える。 それぞれ高さは1000mづつ違うが、なんとか三山と呼ばれてもよい景色である。 東にはアンナプルナ主峰と南峰が尾根の向こうに頂上付近だけが姿を出している。

 シーカは機会があればぜひ訪れてみたい村だった。 その昔、友人がボランティアでこの村に水道と索道の工事で滞在したことがあるからだ。 索道はネパールには根付かなかったが、今では水道はどんな奥地に行ってもある。 かってネパールの村では水瓶を運ぶ女や子供の姿が見られたが、 今ではこんな風景はまれにしか見ない。 ホテルの主人に村で一番古い水道を見たいが知っているかと聞いてみた。 知っているとの答えに、さっそくそこを案内してもらう。 ホテルの裏の畑の先の斜面に、2本の古いパイプが切れて露出していた。 「これが最初に日本人が作ったパイプ、こちらがその後イギリス人が作ったパイプ、 そしてこれがその後村人が作った受け口です。」と説明された。 帰国後、工事の報告書を読み返したが、ここが本当に友人たちの苦労の跡との断定はできなかった。


  ゴレパニからのダウラギリ展望

10月17日
天気:快晴
シーカ7:50〜10:55ゴレパニ(歩行時間3:05)

 シーカは大きな村だ。下の村に入って20分かかったホテルから最後の家まで30分かかった。 村がつきると道は石楠花の大木に覆われる。 そしてダウラギリ連山の大観が現れる。 昨夜はゴレパニに泊まったと思われる多くのトレッカーとすれ違う。 石段の道を登りつめると青いトタン屋根で統一されたゴレパニに着く。

 サーダーが始めてここに来た25年前にはたった2軒の茶店がある寂れた村だったらしい。 プーンヒルという素晴らしいヒマラヤの展望地の麓にあるために、 今やホテルが林立する村となっている。 老舗といわれる峠付近のホテルに入る。 この日は20名近い宿泊客で混雑していた。

 夕方、着いてすぐに探しておいた山の展望地に撮影に行く。 ダウラギリは白っぽいままだったが、アンナプルナ主峰と南峰が夕日に赤く染まりきれいだった。 カメラを構えていると、一人の男が話しかけてきた。 バスク人でマカルーに登頂経験のあるクライマーで、 今年はK2、チョオユーと廻ってここに来たと言う。 K2では北海道隊と親交を深めたらしい。 彼と太陽が沈むまで山の話をした。 私が「ここからはダンプスは低く見える。」というと、 「しかしダンプスは美しい山ですよ。」と反論されてしまった。 「明日またプーンヒルで」と言い合って別れた。 (注:スペイン・カタロニア隊はK2南南西稜から登頂後、南東稜下降時に、どさんこ同人隊の テントを借用している。)


 夕食後、サーダーがマオリストがしばらくすると宿に来るとの情報をもたらした。 しばらくしてバンダナで鼻から下を隠した若い2人の男が入ってきた。 ダウラギリ南面で会ったマオリストと違って迫力を感じない。 領収書(手書き)を見せると、すぐに私のもとを去った。 下山後ポカラで会ったスイス人の夫婦はアンナプルナ一周のあとここで1500ルピーをとられたと話した。 彼から領収書を見せてもらったが、手書きではなく印刷物となっていた。 ここはトレッカーが多いのでシスティマティクになっているようだ。 ただ全員から徴収するのは無理と感じた。 ホテルも年に2〜3万ルピーほどの金を徴収されているようだ。 ただ政府役人が逃げてしまっているので政府には税金は納めていないだろう。 (注:ネパールでは普通の村人からは税金は徴収していないらしい。)


10月18日
天気:晴
ホテル5:10〜5:45プーンヒル〜7:00ホテル
ゴレパニ7:40〜10:55チケドゥンガ(昼食)12:00〜14:00ビレタンティ〜 14:455バス停15:00=16:25ポカラ(歩行時間6:00)

 朝のプーンヒルからの展望を見るために暗いうちにホテルを出る。 日の出は6時15分。やっと明るくなった頂上でその時を待つ。 広い頂上も満員で、撮影場所を確保するのがたいへんだ。 茶店ではコーヒーやお茶がホテルの倍の値段で売っている。 サーダーがしきりに値段の高さを非難していた。 太陽はマチャプチャリのだいぶ右手から昇った。 ダウラギリT峰を中心にU峰やツクチェの頂上が赤く染まる。 絵葉書どうりだが、素晴らしい眺めである。 1時間弱で登れるので、昨日の夕日もここで見ればよかったと思った。 昨日のバスク人は混雑の中で見当たらなかった。 帰路、昨夜のマオイストがなにやら下山者をチェックしていた。 こんなに人が多ければ2人では全員のチェックはとうてい無理である。

 ゴレパニからは石楠花の老木の林をひたすら下る。 ウリという集落まで下るとアンナプルナ南峰の南にあるヒウンチュリが谷間に見えるようになる。 ここから谷底まで500mを急な石段を一気に下る。 そして付近に滝をいくつかかける谷を左岸に渡ると、チケドゥンガだ。 昼食をとったレストランの前の壁にペンキでなにやら書かれている。 「(つい最近あった襲撃)事件を覚えているか。」というようなマオイストの書き込みである。

 チケドゥンガからは清流に沿った単調な道となる。 今まではマガール族が多く住む地域を歩いて来たが、 このあたりからグルン族主体となる。 グルン族はバングラと言う白い布製の背負い袋を身に付けているのが特徴だ。 (マガール等も使うようだが。) 途中の村でバングラを縫う女性がいて、写真に収めた。

 ゴールのビレタンティが近づいたころ、山羊の市が開かれ多くの村人が集まっていた。 1頭2頭と新しい持ち主に角にロープを結ばれ引かれていく。 山羊はダサインの祭りのご馳走となる運命を知ってか、 四肢をつっぱり懸命に抵抗しているが、 持ち主は有無を言わさず引きずるようにして連れて行く。 このような風景はカトマンズに着くまでにあちこちで見かけられた。

 そしてとうとうビレタンティに入った。 トレッカー向きの宿のある集落を抜け、川を渡ると大きなバザールがある。 バラックのような建物が並ぶが、品物も豊富で活気がある。 熱さの中、今日中にポカラにでるために先を急ぐ。 少し疲れを感じるころ、バスの通う車道に出た。 そこでたまたま止まっていたライトバンを(500ルピーで)チャーターしてポカラに向かった。


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