パルドール・ピーク(2)

2006年5月7日〜5月29日



ポーターは入山時には7人。うち4人はベースキャンプに留まった。

  タトパニ

5月20日
 パルドールへのアタックがこっけいな結果に終ってしまったが、 まだ当初の目的である主峰はあきらめていなかった。 今回は登れないまでも東氷河に入り、ルートをこの目で確認しておきたかった。 今日はまず東氷河へのルートを探ってみようと考えていた。 しかし天気は夜中には星が見えていたが、 明けてみれば曇り空で上部はガスに覆われていた。 当分こんな天気が続きそうなので、急きょ下山することにしてしまった。

 こんな時のスタッフの行動のすばやい様はいつも感心してしまう。 やはりこんな場所での長期間の滞在は早くすませたいのが本心なのだろう。 山を下りながら何回も後を振り返ったが、終始山は雲の中だった。 下山は早い。 行きに息をはずませて登った急斜面も短時間で降り、 簡単に再奥の村ソムダンに着き、行きと同じサイトにテントを張った。 夕方からは強い雨になった。


5月21日
 今日も雨である。 このルートは行きも雨の中だった。 帰りには素晴らしい展望をと望んだ峠もまた展望は楽しめなかった。 しかしシャクナゲはまだ咲いていた。 ネパールのシャクナゲといえば大木を思い浮かべるが、 このあたりは背の低い種類のシャクナゲが多い。 シャクナゲはネパールではラリグラスと言うが、 ラリグラスは大木となる種類のシャクナゲで、 背の低い種類はチマルと言うらしい。

 峠を越えたユリ・カルカで昼食となった。 雨が降っているのでカルカ・小屋に入ろうとコックはいくつかの小屋と交渉している。 小屋はどこも家族で住んでいるようだ。 「ここに決まりました」の声で、とある小屋に入った。 キッチンは小屋の中ではなく、小屋の裏にビニールシートを張ってキッチンとした。 小屋の入口では男が大きな桶を攪拌してバター作りの最中だ。 その奥には女と子供たちが囲炉裏を囲んでいる。 一人の女の脇にガイドが私の席を作ってくれた。 女たちは毛の丸い帽子を被っているが、帽子の周囲に野で積んだ花をつけている。 沈丁花に似た花で高級な線香になる花だ。 食事をしている間にバターができた。 バターの残りは絞ってチーズができる。 できたてのバターは私のスタッフたちが全部買ってしまった。 1リットルのポリタンに詰めて300円くらいだった。

 雨は昼食後も止まなかった。 それでも下るうちに小降りになった。 ユリ・カルカからコケ?を運ぶ女たちの集団を抜かした。 何に使用するのか解らなかったがシャブルベンシまで運ぶと1キロ40円ほどで売れるらしい。 この労苦を考えるとトレッキングのポーターの仕事の効率のよさがよく解る。 雨はこの日のサイト「パールバティ・クンダ」に着く直前でやっと上がった。


5月22日
 深夜にまた強い雨があった。 出発する頃には雨も上がり、朝霧が高原にたなびき、すがすがしい朝である。 パーバティ・クンダから行きの道と別れガトランの集落へと向かう。 日程が余ったので直接シャブルベンシに戻らずに、 チリメ谷にあるタトパニという温泉に寄り道することにした。 不要な装備は一人のポーターに持たせて直接シャブルベンシに向かわせ、 彼にカトマンズへの車の手配を依頼した。

 樹林を抜けるとチョルテンがあり、ここからガトランが一望できる。 大きな村で周囲を広い畑に囲まれている。 そして村を抜ける道は所々にチョルテンやマニ壇があり、 帰路にはぜひともネパールの山岳地方を感じるこの道を通りたかった。 やがて道は自然と集落に入る。 集落は伝統的な建築が並び写真を撮りながら歩いた。 しかし残念ながらこの写真は見ることができない。 ネワール建築と同じような窓を持っているが文様が異なる。 ちょうど新築祝いをしている家があり多くの人が集まっていた。 迷路のような道を何度か間違えて、そつど村人のこっちという指示を受ける。 興味深い村もすぐに抜け、ここからは延々と畑の中にチョルテンのある道が続く。 作物は麦、トウモロコシ、ジャガイモのようだ。

 チョルテン沿いの道は30分ほどで終わり、 松林の中を下って行くと河原に着く。 ここで昼食とした。 さっそくニンマは裸になって水の中に入る。 水の中に手を入れると冷たさをあまり感じなかったので、 私はここで頭を洗った。

 谷を少し下るとチリメ谷に合流する。 ここからはシャブルベンシへ下る道と別れ、 上流をタトパニへと進む。 チリメ村の手前には水田が広がり、 ここにもチョルテンやマニ壇が続く。 新しいマニ碑は見かけず、皆年月を感じるものばかりだった。 信仰心が薄れたのか、貧しさのためか、このあたりのことは見当がつかない。

 チリメ村入口にある吊橋を左岸に渡り、麦畑の中を登って行く。 谷に沿って歩くのではなく、斜面をどんどん登って行く。 途中にゴンガンと書いた茶店があった。 大岩があり見晴らしがよかったので休憩した。 スタッフたちが茶店の看板を見て笑っている。 どうやらその名に理由があり、 シェルパ語では○○○○という意味だそうだ。

 タトパニは私の地図では標高2280mとなっていた。 すぐに着くとたかをくっていたが、思っていたよりずっと遠かった。 着いてみると看板に2570mと書いてあった。 タトパニはネパール語で熱い水の意味である。 各地にタトパニという名の温泉があるが、 ここは他と違って川沿いの温泉ではなく、山の中に沸いている。 ちょうど畑地の最上部で背後は苔むした森林となっている。 温泉にはタルチョーが張り巡らされ、 ホテルとは名ばかりの宿泊施設があった。 カジが2年前に来た時はこのホテルはなく、小さなバティが1軒だけあったそうだ。 着いてからしばらく休み、夕方になって温泉につかった。


5月23日
 朝から小雨が降っている。 今日はもう少し上へ登ってパルドールを東から眺めたいと考えていたが この天気では無理である。 しかたなく今日は停滞とし、明日シャブルベンシへ下ることにした。 スタッフたちは朝から入浴である。 女性ポーターも服をきたまま体を洗っている。 ヌルはさすがに僧侶だけあって、源泉でゴマをたいてプジャをしてから風呂に入った。 入浴が終るとテント等の装備の洗濯をした。

 私は午後から入浴した。 ニンマは本当に風呂好きで午前中から風呂で時間を過ごしている。 風呂にはカナダ人がいて少し話をした。 もう一人洗濯をしている東洋人がいて、このカナダ人の仲間らしい。 入浴後ホテルの前に小さな東屋で夕食を待っていると、 風呂で会ったカナダ人と彼の連れがやって来た。 彼らが泊まっているホテルでは食事のサービスができないそうで、 こちらのホテルでは食事ができるのかと聞いてきた。 私がコックに今から3人分の食事ができるかと確かめると答えはイエスだった。 このカナダ人にこのことを伝えると喜んでいた。 どうやらずっと食事なしで空腹であったらしい。

 私にとってはもうあきてきた食事だったが、 彼らにとっては驚く内容であったらしく、スープの段階から感激している。 今日は村で鹿肉が手に入ったとかで、鹿肉の串焼きという特別メニューであった。 食事の途中でコックが様子を見に来た。 私が彼がこの食事を作っていると紹介すると、 カナダ人はコックに土下座してお礼をしている。 コックの賃金も食材も私の財布から出ていることに彼らは気づいていない。 私は連れの東洋人が何者かが解らなかったために当初は英語で会話していた。 しかし私とスタッフとの日本語でのやり取りから私が日本人と気づき、日本語を話し始めた。 謎の東洋人は日本人で、 カナダ人とは6ヶ月前にタイで知り合い、以後二人で旅行しているとのことだった。 ここに来たのは地図にあるタトパニの名に惹かれてで何の予備知識もなかったそうだ。


5月24日
 下山の日である。そして久々の晴れである。 ホテルの管理人夫妻も交えて記念写真を撮ってから出発した。 少し下ると背後にヒマラヤ襞の山が一瞬見えた。 行きに通った道ではなく、左岸の山腹道をたどるコースをとった。 ポーターたちは荷が軽くなったのと、もう下界が近いからか、飛ぶように下る。 道は終始畑の中をトラバースしている。そして高度が下がると暑い。 チリメ・コーラがボーテ・コシに合流する少し前に吊橋があり、 ここで昼食とした。 ニンマはここでも裸になって水に入っていた。 暑いので私はショートパンツにはき替えた。 そして午後の早い時間に車が通うシャブルベンシに着いた。


5月25日
 もうチャーターしたランドクルーザーに乗ればカトマンズのはずだった。 我々は私を入れて10人、そして運転手を加えた11人が狭い車1台に納まった。 荷物も多いので、運転手は慎重にゆっくりと車を走らせていた。 タタ製のおんぼろバスにも抜かされるほどだった。

 ドゥンチェを過ぎてコリカスタンというバザールのある村がある。 ここはもうタマンの村ではなくチェトリの村だ。 ここでポーター父娘と別れた。 ハクパもここの出身だが彼は我々とカトマンズに戻る。 ここを出てランクルのエンジンが止まった。 オーバーヒートのようだ。 少し休み民家から水をもらって走り出した。 どうやらラジエーターに穴があいているようだ。 そしてトリスリで我々が昼食をしている間に、 運転手は修理工場に車を持って行った。 何を修理したかは知らないが、少し走ってからまたトラブルである。 運転手はこの車をあきらめ、カトマンズな代車を頼んだ。 上手い具合に止まった少し先に電話があったらしい。 道端で寝転んで待つしか我々には手がなかった。 暗くなる少し前にカトマンズからの車が到着した。 今度はランクルではなくハイエースである。 私は「またトヨタだけど、大丈夫か」とカジに言うと、 黙って笑っていた。 壊れたラジエーターをカトマンズまで持って行くために取り外す作業に手間取って 出発は遅くなった。 そして夜の10時過ぎにやっとカトマンズに着いた。 カトマンズは少し前までは雨だったらしく道が濡れていた。 モンスーンの前だったが、雨がよく降る旅だった。




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