TUKUCHE PEAK(2)
(雪童2005ツクチェ・ピーク登山隊報告)

〜2005年9月15日〜10月26日〜



リトルツクチェ・ピークからのツクチェ・ピーク主峰(6920m)



  装備及び食料について

 登山活動の前にここで今回の装備と食料計画について触れたい。 基本的に費用の点から個人装備以外の装備は現地でのリースを主体とした。 国内から持っていったものは、ツエルト(2)、コッフェル(2)、ガスヘッド(2)のみである。 食料はハイキャンプでの隊員用のみを持ち込んだ。 コッフェル及びガスヘッドは食糧計画に対応したものである。

 現地で用意すべき装備はすべて我々がカトマンズに着く前に用意済との連絡をもらった。 エイジェントからは我々の現地入りの前に先発隊を出発させたいとの希望が伝えられたが、 現地でテントだけは実際に目で確認したかったので出発を待ってもらった。 カトマンズに着いてみるとすでにパッキングが終了しており、 庭に張られた見本とリストでのチェックにして欲しいとの申し出があった。 私はリストを信用してよしとしたが、実際現地に行ってみると テントの準備がでたらめだった。 特に高所テントはC1に張ったままでC2を設営する計画だったが、 全員一度にアタックとなると足らない数だった。 サーダーはC2に向かう時にC1のテントを上げるので問題ないと言う。 しかし私はシェルパの人数からこれは無理と判断した。 実際にはアタックするメンバーが減ったのと、 ベースキャンプで使っていたテントをC1で使うことによって切り抜けた。 このような状況を知ってか知らないでか、 なお個室テントを主張するものがいたのは困ったものだ。 またシェルパに荷揚げしてもらう個人装備にも荷揚げ能力への配慮も感じられなかった。 たしかに隊長である私のミスかもしれないが、 過去を責めずに現状把握から行動して欲しいと思った。

背後の山はタシカン  フィックスロープは文献から1500mが必要と考えその旨をエイジェントに伝えた。 しかし1000mでいいのではとの回答があり、 経験者もいることなので1000mとした。 実際にはかなり傾斜の緩い場所にも張ってしまったために不足となった。 しかし他隊のものを利用することができたので事なきを得た。 これは主峰の登頂を断念して西峰に変えたためにOKとなったので、 予定どおり主峰にこだわれば足らない量であった。 なおフィックスはすべてシェルパの判断によったが、 緩い斜面にまで張ったのは我々の実力を判断してのことのような気がした。

 炊事はC1についてはキッチンの一人(ヌル)がC1に宿泊することになった。 ここではガスではなく石油ストーブを使った。 日本から持ち込んだ材料をキッチンに渡して炊事してもらった。 ギャルツェンは日本の携帯食の扱いに慣れていた。
 C2ではガスを使用した。 当初は隊員が調理するつもりでいたが、 じっさいにはシェルパが調理してくれた。


  高度順応

10月1日
天気:快晴
休養日

ヒドンバレーとシタチュチュラ  朝食後、シェルパからルートの状況を聞き今後の作戦を協議した。 ジャンクションピークへの登りがはじまる6200mのコルにC1を設置済みだがまだ稜線にはでていない、 という報告を受けた。 C1は当初考えていた場所より高いが、 まだ実際に登ってないので適切かどうかの判断を避け、 場合によっても下に作り直してもらえこともあることを伝えた。
 Kは新しい靴をチェックに北稜をひとりで2時間ほど登った。 午後にはスペイン隊がフレンチパスを越えて来て近くにテントを張った。 隊員は10名。シェルパレスで6日間という短期の計画と聞いた。


10月2日
天気:快晴
BC6:40〜7:30雪線〜10:40氷河末端〜12:00引返し(5660m)〜14:25BC

ヒドンバレーには羽毛をまとった植物が多く見られる  隊員は高度順応でルートの北稜を適当な高度まで登ることにして出発。 クライミングシェルパの3名はルート工作と荷揚げである。 サーダーのカジ、Kのガイドのニンマ、それにキッチンのヌルの3名は 隊員と同行したが、荷揚げをも兼ねて登る。 北稜はベースからは正面から見るためか短いように見える。 しかし登ってみると意外と長いことに気づく。 すぐ近くに見える場所になかなか着かない。 結局時間で切って、5660mから引き返した。 カジとヌルは6000m近くに荷物をデポした。
 シェルパによるルート工作はジャンクションまで達することができなかった。 すでにフィックスロープを800m使ってしまい、足らなくなることがはっきりした。
 夜、マルファで会ったドラゴンホテルのオーナーであるトラチャンがベースに現れた。 彼はマルファのホテルで突然我々の前に現れ、 あなたたちと一緒にツクチェに登ると言った。 私は何のことかさっぱり解らないままに、 まさかベースにまで来るとは思っていなかった。 下山してから解ったことだが、 彼はネパール山岳会のポカラ支部長をしている岳人で、 故郷ツクチェの名を冠した山であるツクチェ・ピークに以前から登りたかったらしい。 経済力のあるので自分で隊を組織することはできるりだが、 エイジェントに同行を頼んで来たらしい。 登山の実績としてはトロンピークに登頂している。


10月3日
天気:快晴
BC9:20〜11:00フレンチパス11:20〜12:30BC
ヌルの読経が続く
 ベースキャンプには先発隊が作った立派な祭壇があり、 登山の安全祈願(プジャ)の準備はできていた。 プジャはアタックに近い日の方がよいとのサーダーの意見で今日になった。 キッチンボーイのヌルはボダナート(カトマンズにある有名なチベット仏教の聖地) の寺で僧侶をしている男である。 ニンマが大事に持ってきたお経を受け取り、ヌルの読経が始まった。 シェルパたちは自分の登攀道具を祭壇に置き祈祷を受けている。 我々も思い思いの品を祭壇に置いた。 護摩の煙が快晴無風の空に流れる。 背後にはツクチェピークがそびえ、絵になる風景である。 最後に各自が米を空に撒いてプジャは終了した。 1時間ほどの儀式だった。
フレンチパスからのダウラギリ
 プジャが終ってから、隊員たちはフレンチパスを往復した。 フレンチパスは皆が行ってみたい場所であったからだ。 私も昨年は風雪で景色を見ていなかったので、 もう一度峠に立ってダウラギリを見てみたかった。 峠にはしばらくは草原を歩き、トラバースぎみに登るようになる。 このあたりからは雪の上を歩く。 ここでダウラギリを登っていたスイス隊のポーターたちに会った。 峠の手前で、後から登ってきたトラチャンが追いついた。 峠はさすがに風が冷たかった。 やはりここから見るダウラギリは大きく、 皆夢中で写真を撮っていた。

  登頂願い登攀装備にブジャ受ける
  ツクチェに届くかラマの読経


  ビスタリと強く心に思っても
  ダウラ見たさに息はずませる


 毎日快晴が続いているが、 カジがラジオのニュースでモンスーンが明けたことを聞いた。


10月4日
天気:はれ
BC7:25〜8:05アイゼンデポ〜10:40氷河末端(スペイン隊C1)〜13:25引返す(5900m)〜15:50BC

北稜にて  今日はめずらしくやや雲がある天気だ。 Kは今日C1に泊まり、明日ジャンクションピークを登る予定だ。 他の5人は高所順応である。 当初はC1を往復するつもりだったが、C1まで標高差が1200mもあるために、 標高6000mを目標においた。 氷河末端ではスペイン隊のテントがあった。 彼らはここで上を目指す人とここから下る人とに別れたようだ。 登りは単調だ。登るにつれてダウラギリU峰方面の展望がよくなる。 高度は遅々としてかせげず、無理することもないと考え5900m地点で引返すこととした。 Kとトラチャンは我々と別れて、ゆっくりと上へ向かって行った。
 BCに戻ると我々のテントに接近してオランダ隊がテントを張っていた。 隊員は夫婦と思われる2名、シェルパ2名のこじんまりとした隊だ。 スペイン隊と同じくフレンチパスを越えての入山である。 計画を聞くと、我々より1日遅い19日にベース撤収の予定である。 サーダーのモティラ・グルンはギャルツェンと昔同じエイジェント(コスモ)で働いていた仲だった。 モティラは片言の日本語を話す愛嬌のある男だ。 コックは話してみると、私が昨年ヒドンバレーで会ったイギリス隊のコックだったらしい。 彼は私を覚えていると言っていたが、私はまったく記憶になかった。


ジャンクションピークに立つK、背後はツクチェ主峰 10月5日
天気:快晴
休養日

 陽がテントにあたるころに起床した。 テントからはジャンクションピークまでのルートの様子がよく見える。 11時ごろに先頭のシェルパが稜線に抜けたのが見えた。 スペイン隊4人も後に続いた。 そしてKもトラチャンも続いた。 Kはジャンクションピークを登り、暗くなる少し前の6時ごろBCに無事帰還した。 トラチャンは遅れに遅れ、9時ごろにやっとBCに戻った。
 なおスペイン隊の4人はこの日の3時ごろ西峰(6837m)に登頂した。


10月6日
天気:快晴
BC7:15〜8:05アイゼンデポ〜10:10氷河末端〜14:50C1(6200m)

 今日、明日の行動は高度順応でC1に1泊する計画である。 当初はジャンクションピークを往復する計画であったが、 疲労が残るとの心配からC1に1泊して下山に変更した。
 今日下山するKの見送りで出発が少し遅くなった。 Kはガイドのニンマとキッチンのザンバを伴って下山である。 彼は昨日12時間行動し、今日はジョムソンまで一気に降りる強行日程である。 やはり20日間のヒマラヤは少し無理な日程になってしまう。 それにしても高度順応の日程も特別に組まずに、 短期間で6700mのピークに立てたのは幸運もあったが立派である。
昨夜のブリザードが止んだC1の朝  北稜はこれで3回目の登高である。 ペース配分も解ってきた。 スペイン隊のキャンプ地の少し上で、西峰を登り下山して来る4人にあった。 ここからルートは6200mの台地を右にからむように取られている。 単調なルートであるが、右手にはツクチェ東面の小氷河のクレバスが眼下に見え、 ダウラギリU峰の展望がなぐさめになる。 少し急な斜面を登ると斜度が落ち、アンナプルナ連山が北稜越しに見えるようになる。 そしてコルには3張のテントがあった。
 テントに入ってから激しいブリザードになった。 隊員5名と現地スタッフ3名(ギャルツェン、ラクパ、ヌル)が 一つのテントに入って食事した。 狭い上にテントの整地も不十分で不快な時間だった。 夜は小さなテントに3人が入ったが、 体を十分延ばせて眠れない。 私は就寝中急に呼吸が苦しくなり、他の人を起こしてしまった。 やはり6000mを越える地での宿泊は甘くない。


10月7日
天気:はれ
C18:30〜11:15BC

C1からジャンクションへと続く雪稜  昨夜のブリザードも止み、晴天である。 しかしカリガンダキ方面からもう雲が上がって来る。 呼吸はだいぶ楽になった。
 下山だけなのでゆっくりと仕度した。 ギャルツェンがトレースからはずれ台地状のピークに向かった。 ここでしばらく展望を楽しんだ。 しかしアンナプルナは早くも雲の中に入ってしまった。 ホンデの左に7000mはありそうな山が見えた。 ギャルツェンはチベットの山だと言うが、少し方向が違う。 下山後地図を見ると、カンジロバヒマールの可能性が強い。
 5400m付近で登ってくるオランダ隊に会った。 シェルパは荷揚げ。隊員はC1の往復のようだ。 (隊員は体調不良でC1に達せず下山した)
 ベースに戻ると、すでにスペイン隊が撤収していた。 テント地にゴミを撒き散らしたままでの撤収である。 後日あまりのひどさに、オランだ隊のサーダーとコックがゴミを片付けた。 この隊は途中でもゴミを片付けながらのキャラバンをして来たと、 コックが私に語った。 それにしてもスペイン隊は我々のフィックスを使っても礼もなく、 ゴミの問題といい、まったくけしからん隊である。 なお、ゴミ供託金を返還してもらうにはマルファのACAPに出頭し、 持ち帰ったゴミのチェックを受ける必要がある。 観光省からはこの隊のことを聞いていないので、 無許可登山の可能性もある隊である。


10月8日
天気:くもり
BCステイ

 今日明日とベースで休養してアタックに向かう計画であるために 7時と遅い起床となった。 よく眠れ、全員が空気の濃さを実感した。 今日は雲が低く毎日見えていた山が見えない。 5500mくらいから上は雲の中だ。 一時晴れ、ツクチェも姿を見せたが、すぐにまた曇ってしまった。 本当にKはよいタイミングのベース滞在であった。
ヤクの糞の焚き火で暖をとる  私の今日一番の仕事はルート工作の件でのオランだ隊との協議だ。 彼らはロープを1000m持って来ており、 現在C1に400mを荷揚げ済みで、明日200mをC1に荷揚げする予定であった。 彼らの計画を聞くと我々が先行しそうなので、 オランだ隊の荷揚げ済みのロープを我々が使ってルートを作ることになった。 またC2用のテントが不足しているので、 現在ベースで使っているテントをC1に上げ、 C1のテントをC2で使うこととした。 そのためにベースのテントのパッキング作業をした。
 現地スタッフはキッチンテントの整理と周辺のゴミ掃除である。 午後にはスペインのダンパスピーク隊がフレンチパスから来た。 彼らからロシア隊のダウラギリ登頂のニュースを聞いた。 夕方にはKのポーターとしてマルファに降りたザンバが戻ってきた。 Kは5時にマルファに着きKの下山の様子が聞けた。 彼らは疲れていたのでバイクでマルファからジョムソンに向かったらしい。 無事下山できてほっとした。


10月9日
天気:はれ、一時くもり
BCステイ

荷揚げに向かうシェルパたち  夜には星が見えなかったが、朝起きると晴れていた。 天気は崩れず回復しているようである。 まずオランダ隊の荷揚げ隊を見送り、 しばらくして我々の荷揚げ隊(カジ、カミ、ラクパ、チリン)を見送った。 かれらはC1に泊まって、上部のルート工作をすることになっている。 隊員は全員今日も休養である。
 昼ごろベースにダウラギリを登っていたスイス人5人が訪れた。 お茶を飲みながら聞くと、 シェルパレスの登山で1名が登頂に成功したそうだ。 全員若く、軽快な足取りでマルファに下って行った。 オランダ人夫婦はC1泊の予定だったが、 体調不良でC1に届かずベースに戻ってきた。


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