【 最終章 チェスが終われば、王様も兵士も同じ箱に帰る 】
「リネット!!」
クレアはリネットに駆け寄り、倒れた体を抱き上げて語りかける。
「リネット……ねえ、お願い。何か言って……?」
いくら声を掛けても、返事が無い。声を出すのは人間の肉体をしているクレアたちの『五人』だけだった。
「あぁ……なんてことだ……」
「え? リネット……?」
「…………そんな……」
魔女が倒れるのと同時に、大鬼と霧島の拘束は解かれ、絡み付いている髪をほどくことができた。
けれども、悲しみの糸をほどくのは誰にもできない。
「どうしよう。リネットが、返事をしてくれない」
涙が出てくるクレアの顔は他の四人に向けられる。誰も、リネットにしてあげることは何もなかった。
「せっかく拾った命を……」
「……結局、こうなっちゃうのか」
「リネット……俺たちのために……」
「え……? 嘘、だよ……ね? ねえ? 嘘でしょ?」
拘束がほどけた霧島も、立ち上がろうとしたその足に力が再び抜けて、その場に座り込んだ。
「……どう、して」
「ごめん、ごめんね……」
クレアはずっと謝りながらリネットを抱いて泣いていた。周りもまだ後悔の気持ちで胸がいっぱいでいた。マルクスもそのやりきれない気持ちを抑えようとして自分の拳を地面に叩きつける。
「くそ……!くそ……!」
「……私は、人を守るために……役に立ちたかったから自衛隊に入隊したのに……結局……結局なにもできていないじゃない!」
「私だって!! 子どもを助けるためにドクターになったんです!! だけど……何もできないどころか、殺そうとしたんですよ?! こんなの……」
「俺だってそうだ! 子どもの願いをかなえるのが獣医の副業だとか言っておいて、結局何もできなかった! 俺が……俺が無力なせいで!」
「もう……自分が嫌なの。嫌でしょうがないの……役に立てない私なんて」
誰もが自暴自棄になっていた。誰も、立ち上がれずにいた。
しかし、藤原はそんな中、顔を伏せながらも言葉を発する。その言葉は芽吹き始めた種子のように力強さを持っていた。
「なら、せめて……前に進まないと……」
「……せっかくリネットに救われた命ですからね」
大鬼は藤原の言葉を受けて、顔を抑えながらまた一人、立ち上がろうとしていた。
リネットを抱えていたクレアはふと、指輪の力がまだ現れていないのか確認するために指輪を確認する。
リネットの指にはめられた【魔除けの指輪】は微かに光を放っている。しかし、それは「リネットの指にはまったまま」であった。クレアは指輪の状態を確認したが、わずかにルーン文字が残っており、あと「1回」効果が現れれば消えてしまうだろうと感じた。
それと同時にクレアは理解した。
そのあと1回の効果が、もうリネットに現れない。
「これが、すべての元凶だろう!」
怒りが収まらないマルクスはズカズカ黒い棺に近づいていき、怒りに震える拳を振り上げた。
「クソ!」
その拳を振り下ろそうとしたそのとき、先ほどまで髪に阻まれていた箇所に鍵穴があるのを見つけた。
「おや……? また……鍵穴だ」
―もう先に進むべきだ。
絶望する中で、全員がそのことを理解していた。
泣きじゃくるクレアは、どうしても理解することを拒否してしまい、先に進めなかった。
リネットを二度も死なせてしまった。そのことがクレアを苦しめていた。
……そんな時だった。
『 クレアおねえちゃん! 』
「……?」
顔をうずめていたリネットの体から聞こえるはずのない呼び声が聞こえた気がした。周りで誰かがそれに気づいた様子はない。自分の気のせいだろうか。
クレアはリネットとの思い出、今と同じように泣きじゃくっていた時にリネットが言っていた言葉を思い出した。
『 はやく、行くのです! 』
まるで自分に語りかけてきているようだった。いつも、自分を好いていてくれたリネット。あんなに辛くても、最後まで果敢に、健気に頑張ってきた。
リネットの穏やかなその寝顔を見て、少しずつ悲しい気持ちが違うものへと変わっていくのが感じられた。
「(そう、だね。……うん。私、このままじゃいけないよね)」
クレアは少しずつ落ち着いてきた。そうだ。いつも「悲しい顔をしてはいけない」と言っている自分がこんな顔では、みんなに申し訳つかないじゃないか。
顔中に流れていた涙を拭って、深呼吸をしてから声を出した。
「……みんな」
リネットを抱きかかえた状態で立ち上がり、みんなの方に振り返った。
「……どうしたの、クレアさん?」
リネットと彼らを交互に見ながらクレアは言葉を頑張って絞り出した。
「リネットのためにも、私たち、頑張らなくっちゃね」
「……リネットに救われた命だもんね。……そんな大切な命を粗末にするわけにはいかないね」
霧島のその言葉にクレアは大きくうなづいた。
「それに、きっと、リネットは一人じゃない。私たちが覚えていれば、ずっと、ずっと一緒だよ」
「そのとおりですよ。せめて俺たちだけは生きて帰りましょう」
「おや……? また……鍵穴だ」
マルクスの言葉に全員が顔を向ける。マルクスのそばに寄って行けば、黒い棺の蓋に鍵穴があるのが見えた。今までの流れからして、きっと道中で使ってきた鍵で開くものだと分かった。
「ここに鍵を挿せば……」
「どの鍵ですかね?」
「どれかしら……」
「鍵……」
棺、死者、墓地。クレアは棺から連想される言葉から、「イアー」を取り出した。それを見た藤原が確認も込めて尋ねた。
「イアーの鍵ですか?」
「凍えた肉体は土に身を委ねる。約束の、終焉を迎えし忌まわしき場……」
「まさに棺ですね……」
「ええ。きっと墓地、死者のことを指してる」
詩の意味からして7(イアー)の鍵をその鍵穴に挿しこみ、横に回した。
すると、ガチャリと音がした。
「開いた……」
「…………」
クレアは無言で棺の蓋を開ける。そこには深い深い穴がどこまでも続く無限の暗闇を生み出している。先ほどの下の階で見た光の入り口と比べておぞましく見えた。けれど、進める場所はここしかなさそうであった。
「こんな最後なんて、認めたくないわ……でも進まないと」
マルクスが不安そうに棺の中を覗きこんでその穴を見た。
「真っ暗だな……」
「そ、そうですね」
「皆これに入るのか? さすがにぞっとしないぞ……」
「でも他に行く場所はありません」
やはり、その暗闇に少なからず恐怖を感じるが、霧島は無くなった自分の手をギュッと握りしめ、最初にその棺の奥に向かって歩く。
「進まないと何も見えてこないもんね……。行きましょう」
「……はい」
「ええ。リネット、これからのみんなのためにも」
腕に抱えたリネットを離さないようにしっかり握りしめるとクレアも、三人の後に続いて進んでいく。最後に残されたマルクスも慌てて後を追った。
「お……置いて行かないでくれ!」
一人ずつ棺の穴へ、暗闇に呑みこまれるように消えていく。前に進んだ人物がいるのかは分からない。ただ、しばらく進んでいくと頭から落ちていく感覚を感じていた。
クレアは、腕に確かに感じるリネットの身体を握りしめていた。
「大丈夫。ずっと、一緒だよ」
暗闇に包まれながらどんどん落下していき、冷たい水中に叩きこまれてような衝撃を感じて気絶した。
【エピローグ】
「む……」
マルクスは自分の寝床で朝日を目に感じ、目を開けた。眠たい瞼を太い人差し指でこすり、ベッドの上で大きく背伸びする。
いつも場所に置いてあるサングラスを探し、まだ誰に会うわけでもないが、サングラスをいつもの自分の位置にかける。洗面台へ向かえばいつもの無愛想な顔をしている自分の顔がある。
「いつもと同じか……? どういうことだ?」
しかし、何かマルクスの胸にひっかかる。
「何か疲れたような……そんな気がするが……」
『思い出せない』。振り返って、床に視線を落とした。
「ここは……」
大鬼は少し離れた場所から聞こえる動物たちの鳴き声によって目が覚めた。あたりを見回して、自分が動物病院の待合室で横になっているのに気付いた。
「ものすごい、悪夢を見た気がする……」
自分の寝ていた場所も悪かったのだろうが、それだけでない。そんな気がするのだが、思い出せない。
何か食べなければ。そう思ってソファーから足を下ろした。
「……ん」
霧島は自分の布団の上で暖かな日差しを感じた。布団の中にあった両腕を外に出す。『両手』を擦り合わせる。眠たい顔を起こすために顔をごしごしとこする。
何かしていたような気がする。だけど、思い出せない。
「……私、何してたんだっけ?」
布団から抜け出し、少し離れた場所に置いてある携帯電話を確認しに行こうとした。
――チュンチュン
「……朝?」
「おはようございます。藤原先生」
「あ? おはようございます」
確認できなかったが、誰かが自分より先に仮眠室を出て行ったことだけは分かった。
雀の囀る声と病院の廊下を行き来する医師、看護師たちの靴の音が藤原のいる仮眠室にも聞こえる。
藤原は何か大きな苦労をしたような感覚はあるものの、『何も思い出せない』。
「なんだか仮眠で疲れちゃったなぁ……」
仮眠用のベッドから足を投げ出して、床に足をつけた。
「……ん?」
「んー……。なんか、だるいなぁ」
クレアは頭をポリポリとかきながら、感じたことのない怠惰感を体に感じながらベッドから身を起こした。
いつもと変わらない細い指。両手では包み込めないぐらいの太さの首には恋人からもらったペンダントがある。鎖骨。その下に申し訳ない程度に膨らむ自分の胸。気にしているくびれ。
ベッドの横のカゴに入れている自分の眼鏡をかける。
どこも、いつもと変わらない。
けれども何か違う。夢の内容も思い出せない。
『 今日は、それじゃいけない 』
クレアはなぜかそう感じた。しかしそう思う理由は一切思い出せない。
顔を洗えば何か思い出せるかもしれない。そう感じてベッドから足を下ろす。
「あれ?」
床の上を見ると、一通の封筒が置いてある。
「はて……こんなところに封筒など置いたかな……?」
マルクスは疑問に感じながら床の上に置いてあった封筒を手に取り、中身を確認した。
その封筒は大鬼、藤原、霧島、クレアの手元にも届いていた。誰も、彼らのこと、その封筒の事は知らないが。
「何かの書類かな?」
仕事に関することではいけないと感じ、藤原も中身を確認する。
「あれ? こんな封筒あったっけ?」
「……封筒? こんなのあったっけ?」
「……なんで封筒がこんなところに?」
封筒には、【古期英語の短い文章】が綴られた手紙と【琥珀金の指輪】が封入されていた。
「あら……綺麗。それと……」
霧島はその手紙を読んでみようとするが、自分の知る英語では読むことはできなかった。
「これ読めないね、英語は難しいなー」
「なんて書いてあるのかわからないや……。重要なメモだと困るし……辞書どこいったかな?」
指輪を手に持ち、読めそうで読めない英語で書かれた手紙に藤原は格闘していた。
それはクレアも同じだった。が、大学で誰かに代わりに読んでもらう。そんな軽い気持ちでいた。【琥珀金の指輪】をはめて、朝日に照らしながら喜んでいた。
「綺麗な指輪……。真がくれたのかなー?」
手紙を裏返して、送り主を確認しようとした。
「真、こんな難しい言葉をいつの間に覚えたんだろう」
大鬼は朝の目覚めが良かったのか、その【古期英語の短い文章】が綴られた手紙を解読することができた。
「なんで俺こんなの読めたんだ?」
100分の1の確率に当たった奇跡を特にありがたいと大鬼は感じず、その手紙の意味を考えていた。
英語圏で育ってきたマルクスもその手紙を読むことができた。
「……なんか、こんなことをどこかでやったような?」
思い出せないことはさておき、と考えた。
【古期英語の短い文章】は「指輪を嵌め、こう唱えよ。『魔力によりて、傷を癒やしたまえ』」と書かれていた。
「はて……なんのことやら……」
「まあ、騙されたと思ってやってみるか」
そう言いつつもマルクス、大鬼は自分の指に【琥珀金の指輪】をはめて唱えてみた。
「「 魔力によりて、傷を癒したまえ 」」
唱えると、指輪が光る。
「え!? なんだこの光は!」
「なんだろう……とても……落ち着くな……」
光に驚いたマルクスと大鬼だったが、その「心の傷」を癒す光に心が落ち着くのを感じた。
「心が安らぐみたいだ……」
「これ誰からだろう? すっごくきれいだし、お姉ちゃんにプレゼントしようかな?」
霧島は【琥珀金の指輪】を封筒に戻し、タンスの上に置いた。自衛官らしく、自分の身の回りを確認するための朝の日課に入る。
「さて、今日も日常点検を……と」
作業台に移動して拳銃の確認をする。スライドにかかる負荷は無い。弾丸の状態も良好。
…………。
ふと、正常な考えに至った。乙女の部屋に誰が不法侵入した?
「この手紙、不法侵入者ですか? 戸締りはきっちりしたはずなのに」
タンスの上に置いた封筒に再び手を伸ばし、手紙を徹底的に調べ始める。
「一体誰のいたずらでありますかー? とっ捕まえてやるでありますよ!」
「そういえばこの手紙、送り主は誰だ?」
大鬼はソファーに再び腰かけ、手紙を注意深く見た。
「こんな贈り物、誰がくれたのだろう?」
マルクスは再びベッドに腰掛けて手紙を隅々まで確認した。
藤原も誰が書いた手紙なのか気になって指輪、封筒、手紙を全部調べていった。
手紙の裏面を見た時、優しい光を放つ文字が書かれていた。それは誰でも読めた。
「 ありがとう 」
「ありがとう……」
「ありがとう? 一体誰のいたず……」
この文字を見た瞬間、塔で経験した記憶が蘇る。
「!!!!!」
大鬼は、塔での恐怖体験が合わせて思い出される。
それは大鬼に限ったことではなく、マルクスも、霧島も、藤原も同様に思い出す。
マルクスは飛び跳ねるようにしてベッドから携帯電話に飛びつき、スミスに電話をかけた。
「あああああ!!!! スミス君! スミス君!!!!」(英語)
「……なんだ、こんな朝早く」(英語)
電話の向こうから、いぶかしげな声を出す、いつもと変わらないスミスの声が聴こえて胸をなで下ろす。
「スミス君! よかった……本当に……」(英語)
スミスは何の事やらといった感じにマルクスの電話を受け取っていた。
「七海……私を置いて行ってないよね……」
不安を胸に、霧島は友人の安否を確認する電話をかける。
1コール、2コール、3コール……
「あれー、椿、どうしたの?」
最後に会ったときと同じ明るい声の友人の声に、泣きそうになった霧島は電話を続けた。
「ななみー! 元気だったー!」
「!!!!!桜!」
大鬼は少し姿勢を崩しかけたが、受付に置いてある電話機にたどり着くと電話帳をめくって「柴 桜」の名前を探した。「080-……」と続く電話番号を見つけて慌てて番号を押した。
桜はすぐ対応できる場所に置いていたのか、1コールの間に電話をとった。
「無事か!」
「あ、先生、おはようございます。……どうされましたか?」
いつもと同じ声で答えるその声に安心した。深呼吸をして言葉を出した。
「……ならいいんだ。ひどい悪夢を見たからちょっと気になっただけだ」
「? そうですか……」
「…………そうか。ごめんなぁ」
すべてを思い出した藤原は仮眠室のベッドに腰掛けながら、全身に感じる疲労感の原因を理解した。
「そうだ……和樹にLINEしておこう」
思い出したところで、藤原は和樹の安否を確認するメール――LINEを送る。
[ おはよう。今夜ポケモンしようぜ。お前んちに行くから待っててくれよ。END ]
「っと……。(無事だよな? 和樹……)」
しばらく画面を眺めているとすぐ『既読』が付き、返事が返ってきた。
[ わるい 今日は嫁とデート ]
「ったく……しゃーねぇな」
内容はどうでもいい。和樹が無事でいてくれている。それだけで藤原の顔は充実したような笑顔になった。
クレアが塔での記憶を取り戻したところで、手紙の文字はゆっくりと消えていく。
「心の傷」を癒す機会はこれで失われたということをクレアは知らない。
しかし、その指輪が持つ魔力以上に失ってはいけなかった大切なものを得ることができた。
「(リネット……ずっと、一緒だよ)」
クレアは全身に幸福感と充実感を感じた。
携帯電話を手に取って、「宇野 真」の連絡先を探して電話をかける。
「もしもし……? どうした、クレア」
どうやら今出勤中らしい。電話の声以外にも雑踏の音も入り込む。
「あ、真? おはよー。元気?」
「ああ、元気だ。……どうした? 朝っぱらから?」
「ちょっとね、真の声が聞きたいなーて思って。今日は、なんか、朝から幸せな気分……」
爽やかだと思っていた朝が急に反転する。クレアは突然の吐き気に襲われた。
「うっ……っ!?」
「ちょっ……」
その後、その日の出社を取りやめた真と一緒に病院に行ったクレアは妊娠していたことが判明した。
数日たったある日。
クレアはゆったりとしたワンピースを着て、部屋の掃除をしていた。
妊娠のことを話した途端イタリアの両親が突然やってきた。かと思えば、父親以上に母親が真に叱ったり、真の両親たちと自分の両親たちが意気投合したり、数日の間にクレアの身の回りで色んなことがあった。
「ま、なんでもいい方向に物事は進んでいくものだよね」
――ピンポーン。
部屋にチャイムの音が鳴り響く。
「ん? 誰だろう? はいはーい」
クレアは玄関に向かい、サンダルを履いて扉を開けた。
玄関先にはもう会えるはずがないと思っていた人物が立っていた。
そこには、あの塔で出会ったリネットそのものがいた。
違いがあるとすれば、「人間の子どもSIZ」くらいにはなっていることだった。
しばらく、クレアは声を出せなかった。
リネットはクレアを見ると、初めて会ったときと同じように挨拶をする。
「ごきげんよう!」
「ええ……! リネット!」
クレアは涙をボロボロと流しながら、視線をリネットに合わせて笑顔で彼女を抱き寄せた。
リネットは久しぶりの温かみを感じながら、抱き返していた。
「また、会えたのです!」
彼女の笑顔は、太陽よりもとてもまぶしいだろう。
【絡繰る塔・ベストEND】