【  第4-2章 【宝の扉】  】


 【宝の扉】に続く小部屋に走り込んで、大鬼はスイッチを叩くように押した。甘い香りは不思議なことに、小部屋の中ではまったく気にならないぐらいであった。
 「ガス……吸いこんじゃった。どうしよう……」
 けれども小部屋の中では不定になっている霧島が小部屋でうずくまって怯えていた。マルクスはそれを見て、彼女の視線に合わせて精神治療を行う。
 「霧島さん、落ち着くのです。我々がちゃんとついていますから」
 ギャル声であっても、その歳に合った話し方が落ち着きを醸し出していた。
 マルクスの呼びかけによって、とりあえずの落ち着きを霧島は取り戻した。
 その声を聞いて霧島はハッとした。少し落ち着いてから自分の行為に恥ずかしさを覚える。
 「す、すみません。取り乱してしまいました」
 「あのようなことがあったのです。取り乱しても不思議ではない。何も謝ることはありませんよ」
 部屋にベルの音が鳴り響く。扉が開くとその向こうは薄暗く、何カ所か設置された小さなランプが足元を照らしている。
 「着いたか……」
 「暗いな……」
 部屋に入る前に大鬼も霧島に声をかける。
 「霧島さん、仕方ありませんよ。俺だってまだ取り乱していないことが不思議なくらいです」
 「で、でもまだ不安です。早く出れることを祈るしかないですね……」
 「うむ。大鬼さんの言うとおりだ。我々もいつおかしくなってもしかたない。早くここを出るために散策を始めるとしよう」
 
「そうですね。とりあえずはこの部屋を調べましょうか」
 三人が薄暗い部屋に足を踏み入れると扉はそそくさと閉じてしまい、下の階のものと同じ【水時計】がそこにあった。【力の間】で嫌な記憶が植えつけられた霧島はその【水時計】を見て小さな悲鳴をあげた。
 
「っひ……また、この時計ですか……」
 マルクスと大鬼は驚きはしないものの、少し呆れたような声でつぶやく。
 「また水時計か。こうも毎度毎度同じ部屋だな」
 「またタイムリミットですか。さっさと調べてしまいましょう」
 三人が部屋全体を見回してみると、中央には大きなテーブルと三人分の椅子が用意されている。
 「急ぎましょう……」
 先ほどの階でソファーに嫌な思い出ができてしまったためか、霧島は椅子をよくみた。椅子は特に変わった様子はないが、最悪「鈍器」になるのではないかと思った。
 「この椅子……丈夫そうですね」
 テーブルを調べようとした大鬼だが、マルクスが入り口の扉を必死に見ようとしているのを見つけた。
 
「うーむ。何かある様には見えないな」
 「マルクスさん、私も一緒に探しま……っ!!」
 部屋全体が薄暗かったせいだった。大鬼は扉を調べようとしたとき、足を滑らせて転んでしまう。
 
「うおっと!?」
 しかし、それだけでない。その際に『マルクス』の腕にあるパペットを掴んでしまい、外したばかりか『壊してしまった』。
 
「ぬわっ!!」
 「えっ!? 大丈夫ですかっ!?」
 その声を聞くよりも先に、マルクスは走馬灯を見る。
 突然、マルクスの目の前に、自分のパペットにかかれていた名前の人物、エージェン・スミスがそこにいる。
 「スミス君!」
 マルクスがその人と認識すると、自然と足が進む。しかし、――。
 『 ど う し て 殺 し た ? 』
 その口から、目から、耳から、「ごぼりっ」と赤黒い液体を溢れさせて、マルクスの肩を強く強く掴んだ。
 
「ス、スミス君! 何を言っているんだ!! 君は死んでなど……ウッ!」
 『どうして どうして 苦しい 痛い 』
 スミスの力はどんどん強くなっていく。マルクスは痛みを感じながら、恨みの声をあげるスミスの声がその耳にこべりついていく。
 『イタイ イタイ イタイイタイイタイイタイイタイイタイ……』
 もはや、垂れ流される液体は腐ったオイルのような異臭とどす黒さを主張している。
 マルクスは何もできず、叫びを聞かされ更にガクガクと揺さぶらていると不意に相手の片腕が弾き飛び、マルクスは地面へ転がった。弾け飛んだのは片腕だけではない。みるみるうちにもう片方の腕が、足が捻じり切られたように失われていく。                         
「ウヮアアアアアアアアア!!!! やめろ!!!! 誰かわからないがやめてくれ!!! お願いだ!!!!」
 けれどもマルクスのその叫びはその肉塊には届かない。
 苦しみの絶叫を聞かせる黒い液体まみれの肉塊は、東部の上半分が削り取られた瞬間にはっきりと言った。
 『
 オ マ エ ノ セ イ ダ 』
 そして、マルクスは現実に戻される。けれども自分の親しい人を目の前で、無残に死ぬそれを見て、叫ぶまではいかなかったが、恐怖を感じずにはいられなかった。
 「ハァ……ハァ……」
 
「マルクスさん! 大丈夫ですか!?」
 何が起こったのか遠くから見ていた霧島はすぐに駆け寄って、マルクスの容態を確認する。その光景を見て、大鬼はマルクスが『何を』見たのかをすぐに理解した。
 「マ、マルクスさん……すみません。俺のせいで……パペットが……」
 自分が体験したあの苦しみを、自分が体験させてしまった。
 大鬼の生真面目な性格が、体験させなくても良かった人に危害を与えてしまったという自責に苛まれる。自分で自分が嫌になるような、そんな自己嫌悪に陥る。
 
「私は……だ、大丈夫だ。大鬼さんも気にする必要は無い……」
 「俺のせいだ……俺のせいでマルクスさんの友達が!」
 「大鬼さんも落ち着いて!」
 霧島の華奢な体から出た凛とした声が大鬼とマルクスの間で響く。
 その声で一瞬、二人は落ち着きを取り戻した。
 「……すみません。俺も、俺も同じものをみたので……」
 マルクスは先ほどの走馬灯で出てきたスミスが流暢に日本語を話しているのを思い出し、先ほどのことを否定するように叫んだ。
 「私は絶対に信じないぞ! スミス君はカタコトなんだ! 絶対に帰ってスミス君の無事の確認するのだ!」
 
「そうよ! これはきっと夢なのよ……だから私の手だって……」
 先ほどの階で「みんなで夢落ちにしよう」と話したことを思い出して、霧島も元気づく。
 「急ぎましょう。また何か起こる前に」
 「うむ。大鬼さん、今は落ち込んでる場合ではないぞ。我々自身の命がかかっているのだから」
 「……そうですね。もたもたしてはいられない」
 大鬼も二人のその声に元気づけられ、言葉を続ける。
 「この分は必ず他で取り返します」
 
「……で、お二人が見ようとしていたのはここのことですか?」
 目を凝らして入り口の扉を見てみると、霧島は何か書いてあることに気付くことができた。
 
「あれ? なになに……。『 運が良ければ 運が悪い 』? 『 幸運を祈る 』? ……ええっと、どういうことだろう?」
 「霧島さん、何か見つけたのか?」
 
「ええ、ドアの下の方に文字が書いてあったの」
 霧島は自分が見つけた文字のことを二人にもそのまま伝える。しかし、なぞなぞのようなその言葉の真意を思いつくことができなかった。
 「ふむ……」
 「意味が分かりませんね」
 「運がいい事が逆に悪いってどういうことなんでしょうか……。運よく何かを見つけてしまったら、触ったら、調べたらよくないことが起きるということなんでしょうか?」
 「何かしらのヒントであることを祈ろう」
 
「とりあえずは他のものを調べましょうか。これが別の何かのヒントになるかもしれない」
 「分かりました、行きましょうか」
 三人は不安を覚えながらも、一緒になってテーブルに向かって行った。
 テーブルには、皿にフォークやナイフの食器類、テーブルナプキンが置かれている。今にも食事会が開かれそうな状態である。
 また、大鬼は皿の上には紙切れがあることに気付いて、手に持って読んだ。
 「『 ヒトクチ ダケデモ オメシアガリ ヲ 』?」
 「何か料理でも出されるのだろうか?」
 
「でも、何もないじゃない……」
 三人でそう話していると、奥からガラガラと音を出しながら誰かが現れる。
 「!? 誰だ!」
 テーブルそばにその人物は近づく。部屋の暗闇から現れたのは、服装からして給仕―女だと三人は思った。その給仕女はワゴンを押してぬっと出てきたのだ。
 給仕女は大鬼に声をかけられても何も答えない。帽子から首元にかけて布を覆っており、顔を見ることは叶わない。しかし、給仕女は一切喋ることも敵意を向けることもなく、ワゴンからテキパキと料理を並べている。
 料理を三人分並べ終えると、給仕女は大鬼たち三人が席について食べるのを待っているようだった。
 「……ご丁寧にありがとうございます? え? どうすればいいの?」
 霧島のその質問にも給仕女は答える気配はなかった。
 「一口だけでも食べればいいのか?」
 大鬼もそう訊いてみるが、それでも答えなかった。ただただ、じっと立っている。
 「まるで与えられた命令だけをこなすプログラムのようだな」
 「ロボットみたいなものなんですかね?」
 「運が良ければ、運が悪い。意味は分からないが、このままじっとしていてはまた水時計が落ちてしまうだろう」
 マルクスがそう言って水時計を確認すると、すでに「3分の1」が落ちていた。
 その横に立つ霧島は横目でテーブルの上に並べられている料理を見た。そこに置かれているのは、上等な白い皿に盛りつけされている『真っ青な色のスープ』であった。
 ふと、大鬼が先ほど読み上げた『 ヒトクチ 』が脳裏に浮かんだ。顔をひきつらせながら言葉を出した。
 
「そうね……。これを一口でもいいから食べればいいのね……」
 しかし、青は食欲を抑制する色でもある上に、日本人の感覚として青色の食べ物が食卓に並ぶことはまずない。どうしても食べようという気持ちにはならなかった。
 医者として何か分かることが無いか大鬼もマルクスも見てみるが、そのスープに何が入っているのかは分かりかねた。
 大鬼は一度深呼吸をする。何かを決心したかのように、スープが置かれているその横にあるスプーンを手に持った。
 「……なら、俺が一口飲んでみます」
 マルクスも霧島も、すぐに大鬼を止めようとした。しかし、水時計は三人に考えさせる時間を与えない。
 後ろめたい気持ちを抱えながら、霧島は左手で自分の右肘をギュウ、と握る。
 
「時間もないことですし……。でも……ひとりはだめ……無理しちゃダメ」
 大鬼はそう言ってもらえたことを嬉しく感じた。だからこそしっかりと全員に伝えなければと思い、言葉を出す。
 「いや、もし毒か何かだったら全員が飲むのは危険です」
 「……ふむ。一理あるな」
 マルクスも視線を大鬼に合わせられないままそう言う。
 
「でも……本当に無理してはいけませんよ?」
 「大丈夫だと信じましょう」
 大鬼は手に持ったスプーンをスープに入れようとした。そのとき、給仕女がスッと出て、大鬼の近くにある椅子を後ろに引く。まるで「食べるならば椅子に座りなさい」と言っているようであった。
 「はは、ごめんなさい。お行儀良くいただきます」
 大鬼がその椅子に座り、ちょうど良い位置に動かし終わると給仕女はまた後ろへ下がった。
 マルクスと霧島は何も言えず、ただ大鬼を見守った。
 大鬼はスプーンに青色の液体をすくい取り、口に入れる。
 スープは、アルミホイルを噛んだような味がして、思わずしかめっ面でそのスープをすぐに呑みこんだ。
 「なんだ? この味は」
 「ど……どうだ……?」
 「……どうですか? 大丈夫ですか?」
 給仕女は大鬼がスープを食べたのを見て次の料理を持ってくる。先ほどまで置いてあったスープは引かれ、次の料理の蓋が開けられた。
 2品目は『黒々としたソースを和えた紫色のステーキ』であった。
 その料理をみて誰もが気分を害す。
 「……見るからに毒々しいな」
 「これ……私たちも食べた方がいいのでしょうか?」
 霧島はちらりとマルクスに訊いてみる。しかし、あのスープは三人分すべてが片付けられており、今は紫色の肉に黒いソースがかかっている料理しかない。
 自分の後ろでそのような会話をしていたのが聞こえた大鬼がマルクスの代わりに答える。
 「片付けられたなら食べないで良いと思います」
 大鬼はステーキを食べるためにナイフとフォークを手に取る。小さく切り取り、恐る恐る口に入れる。
 そのステーキは、見た目に反してとてもおいしいと感じた。
 「! 見た目はこんなのでも、おいしいもんだな」
 「本当か? どう見てもグロテスクだが……」
 給仕は2品目の料理を片付け、次の料理を持ってきた。
 3品目は『濁った緑色と蛍光色が毒々しくも鮮やかな色のゼリー状のデザート』であった。
 
「これも……うぅ……危険な色をしています」
 「ええ。味付けはなにか分かりませんが……これも俺が食べます」
 大鬼は3品目を食べるためのデザートスプーンに手を伸ばす。少なからず、どんな味がするのか分からない恐怖から、そのスプーンの先は震えていた。
 「危険だと感じたらすぐに吐き出すのですよ……」
 「う、うむ……すまない。危険なことを……」
 「いえ……。これぐらい、大丈夫です――」
 ―先ほどのことを思えば。

 大鬼は言葉を続けず、ゼリーをすくい取って口に入れる。
 「…………」
 全員が固唾を飲んで見守る。
 大鬼は、このゼリーも見た目に反しておいしいと感じた。
 
「これも……うまい……」
 さすがにあのような見た目の料理を2つも続けて「おいしい」と言う大鬼に疑問を持った二人は思ったことを口にする。
 
「……本当ですか? 私にはそうは見えません……」
 「私の故郷でもこんな毒々しいゼリーはなかなか無いが……」
 「まあ、どこかの民族料理だということにしておきましょう。そう思わないと胃に悪いですから」
 給仕女は料理を片付ける。しかし次の料理は出て来ない。
 料理を片付けた給仕女の手には、どこから出したのか、【黄金色の箱】があった。
 しかし、大鬼はそのことについて何か言うよりも先に、体の中から感じる痛みに苛まれる。1品目のスープがかなり効いていると感じた。
 
「うう……スープだけでも変な味がしたが……そのせいか」
 それに気づいた霧島がすぐに肩に手を置き、慌てて声をかける。
 「大鬼さん大丈夫ですか!? やっぱり危険なものが混じってたんだわきっと……」
 大鬼が苦しんでいるのにもかかわらず、給仕女はその手に【黄金色の箱】を持っているだけで、何かしようとも、誰かに渡そうともしない。
 「む……」
 それを見た大鬼は席を立ちあがり、胃のあたりを押さえながら歩き出す。
 
「俺が受け取りましょう。料理を食べたのは俺ですから」
 マルクスと霧島が心配する中、大鬼は箱を取った。
 その時、給仕女の顔を覆い隠していた布が捲れた。その直後だった。給仕女の顔と思われるところから長い鞭のような舌が伸びた。
 
「!?」
 大鬼が気付くのが早く、それが命中することはなかった。が、給仕女の顔が露わになる。給仕女の顔には眼や鼻や口といったパーツはなく、びっしりと小さな虫の卵のような粒が顔面いっぱいに覆っている。小さな粒はくすんだ乳白色で、時折うぞうぞと動いて存在を主張しているようだ。
 そのような顔を見て、一同は全身に鳥肌が立つような感覚がしたが、今はその敵意をむき出しにした相手を前にして怯んでいる場合ではないと思い立った。

 全員はその襲いかかる給仕女と対峙する。

 大鬼の後ろにいる二人は慌てて戦う準備を始める。
 「こいつは……拳銃を出します!」
 霧島がいつものクセか、右手で拳銃を取り出そうとするが、焦りのせいもあってホルスターから出すのに時間がかかる。
 「くっ……」
 「私が時間をかせぐ!」
 マルクスは己の拳を深くためをつくる。
 
「このバケモノめ!」
 大鬼の前に割り込んで、給仕女に向かって拳を胴体に入れる。元・男からか、その腕力はなかなかのものだ。給仕女は殴り飛ばされ、床に倒れる。
 その間に霧島は拳銃を取り出して構えることができた。
 床に倒れた給仕女の体にある変化が起きる。給仕女の動きがピタリと止まり、みるみる体がミイラのように萎みだし、全身が朽木のようになった。その体はぐしゃりと音を立ててひしゃげ、動くことはない。
 
「やったか!」
 しかし、……――

 『 パリッ ピリッ 』

 ――「顔面を覆う小さな粒」は別だった。 
 その粒、卵の表面は次から次へと割れていき、中から淡黄色の蜘蛛のような虫がわらわらと這い出してきた。どれだけの虫が孵化したのだろう。数えるのも嫌になってしまうぐらいに多くの虫が出てきた。
 虫はやがて一個体の塊のような群体となって、目の前にいる次の獲物―つまり、三人に狙いを定めた。
 
「ヒッ……」
 「なんてことだ…」
 身の危険と気持ち悪さを感じたものの、霧島も大鬼も心を強く持ち堪える。が、マルクスは理解をしてしまった。この数の虫の存在を、敵意あるこの存在を。
 
「あぁ……お腹空いてきた……」
 あの数だけの虫を見ていたせいなのだろうか。マルクスは先ほどまで湧かなかった食欲が、異様なものである虫であっても良いという思考へと辿りついていく。
 「マルクスさん、何を言って……」
 そとのとき確認した水時計の水の量は「半分まで」減っていた。
 「くそ、時間がない!」
 虫は自分たちを羽化させた目の前にいるマルクスではなく、大鬼に近づいていく。虫の群体を避けようとするが、突然のことで避けることができなかった。
 
「うあ……く、来るな……」
 大鬼がそう言ったところで勢いが無くなることはなく、逃げる隙を与えずに襲い掛かる。
 
「くそ!? 何をする!」
 本当は悲鳴をあげていたのかもしれない。しかし、敵は小さな虫。声をもらしていたとしてもその大量の虫の胴体、足音でかき消されるのであろう。ほとんど霧島とマルクスには聞こえなかった。
 体から何かが吸い取られたような気がしたと、こと切れる直前の大鬼には感じた。
 これまでのたまったものがあった。肉体が限界を迎えていた。そして……そのまま地に倒れる。
 
「ぐっ……」
 大鬼は意識が途切れる前に自分の体が硬くなっていくのを感じた。これが「死」なのかと、あの日、自分が事故に遭った瞬間を思い出した。思い出すことはそれ以外にもたくさんある。自分の両親、友人、患者である動物たち、その飼い主たち、職場とその同僚――柴桜。
 その桜を、自分がパペットを壊したことで無残な死に方をさせてしまった。
 ―大丈夫だ。自分もそっちへ逝こう。
 「桜……俺も……今、そっちに……」
 霧島とマルクスが何か施そうとする前に、大鬼の体は全身が石膏のようになってしまい、最後には持ち物だけを残して急激に脆くなって崩れてしまった。
 
「え……え……?」
 「オナカ……スイタ……」
 二人は突然のこと過ぎて理解が追い付かなかった。
 霧島は一つずつ理解していく。そして、声を出すたびにヒステリックになったかのように声が裏返っていく。
 
「大鬼……さん? 大鬼さん! 大鬼さん!! 嫌だ! どうして!?」
 「ウェへ……ウェヘ……」
 砕け散った大鬼の周りを蜘蛛の大群が歩き回る。わさわさと歩き回る。
 あの虫が大鬼を殺した。虫が、虫たちが、今度は自分を殺しに来る。
 
「嫌だ……。嫌だ嫌だ嫌だ……怖い怖い怖い」
 銃を右手と肘を使いながら打てる準備を行う。彼女の眼には涙がたまっていた。
 
「こっちにこないでぇぇぇ!」
 そんな霧島の隣にいるマルクスは、先ほどから引き起こしている「異様なものを食べたがる」思考が変わらず、淡黄色の蜘蛛たちを見て「うまそうだ」と感じていた。だから霧島のその恐怖が理解できなかった。
 「どうしてそんなに怖がっているのだ? これはご飯だ」
 霧島は『恐怖の対象』である蜘蛛を消すため、マルクスは『自分のご飯』である蜘蛛を食べるため、それぞれが立ち向かう。
 先に動けたのは、銃を用意していた霧島。
 
「嫌! こないで……くるな――!」
 ひたすら打つ霧島。左手で反動がしっかり押さえられないこと、発狂していることが原因で命中精度は低いが、5匹はいなくなった。
 「うわぁぁぁぁ」
 「ちゃんと殺してから食べないと……」
 霧島が打っている虫たちの左側に入り込み、拳で掴もうとするが、虫たちの素早い動きについて行けない。
 
「アアアアアアアアア! ゴハンゴハンゴハンゴハン! どうして逃げる!」
 「早く……早く死んでよぉぉ!」
 マルクスの叫びを無視して、霧島は続けて拳銃で6発打ち込む。パッと見た感じ、半分ぐらい減ったような気がした。
 霧島は早く消し去りたいがために、一心不乱に打ち続ける。その弾丸はほとんど精確に虫たちの胸部に打ち込まれた。5匹がわさわさと動いている。
 「いや……いやぁぁぁ!」
 虫たちは、大鬼が持っていた箱を気にしているために、仲間たちが死んでいるのにもかかわらず何か行動を取ろうとはしなかった。
 「あら……チャンス?」
 マルクスはそれを逃さず、1匹を鷲掴みにする。
 「ゲーット!」
 そして、『それ』をそのまま、笑顔のまま口にする。
 
「ムシャ……ムシャ……」
 続けて両手で1匹ずつを掴み、押し込むようにして食べていく。口元からその虫の体液だと思われる透明な液が垂れ流れている。マルクスはその液も口で拭って、吸い取った。その顔は恍惚としている。
 
「んああああああああああ! おいしいいいいいいいいい」
 その様子を見て、霧島は気色悪さを感じる。
 「マルクスさん……う……」
 早くその光景を消すためにも、残りの2匹を拳銃で撃ち飛ばそうとリロードする。が、やはり片手だけで打って装填することには限界があった。
 拳銃がガチョンといって弾を詰まらせる。この拳銃を使いこんでいる霧島は専門の修理を行わなければ使うことができないことを咄嗟に理解した。それでもあとの群体を倒したいがために、カチカチと何度も引き金を引いていた。
 
「え? どうして? あと少しなんだよ? ねえ!? 動いてよ!」
 そう叫んでも無慈悲な音が響くだけで弾は出ない。
 残り2匹になったところで虫たちも自分たちの身の危険に気付いた。
 2匹はすぐそばにいるマルクスに向かって襲い掛かった。
 
「ハッハッハ! 随分と暴れ馬なメシだな!」
 マルクスは避けるものの、素早い動きの虫に対応し切れず、『半分』は受けてしまう。攻撃を受けた肉体的な損傷だけでなく、精神的な損傷も受ける。
 ふと、彼は思ってしまう。
 ―このまま自分は女の体のままでいることになるのか?
 
「ぬ……」
 女の体にいるのであれば、自分の体の隅々まで女になっているのであれば、もう自分の心ごと女になってしまえばいいじゃない。なぜそんな簡単なことに気付けなかったのだろう?
 「んあぁん、もう。いたいじゃないぃ~」
 マルクスは自分の傍らでカチャカチャと動いている虫を見て、やはり食べるために手を伸ばす。
 
「大人しくしなさい! ペチン!」
 そして、掴んだ虫を口に入れて、あたかもおいしそうに食べていく。その光景は霧島にとって、悪夢でしかなかった。
 
「ムシャ……ムシャ……」
 「う、あ……きゃあぁぁぁぁあ! やめてぇぇぇぇ!」
 「ウンマァアアアアアアア」
 二人の雄叫び、絶叫がこだまする【宝の扉】の水時計の液体が「3分の2」まで落ちる。そして新しい扉が開かれる。
 マルクスは自分の満足いくまで食べ終えて周りを見る余裕ができた。ふと、自分を恐怖の対象として見ている霧島の顔を見て声をかける。
 「あら? 霧島ちゃん? どうしたの? そんなに怯えて?」
 「むむむ……虫を食べるなんて、どどどどうかしてるわ……」
 「なんで? おいしいのに……」
 
「い、嫌よ! 絶対に嫌!」
 自分の嗜好を理解してもらえなさそうだと感じて、マルクスはその話を続けるのをやめた。ふと、大鬼のことを思い出した。
 ――と言っても、マルクスにとって、大鬼が死んだということはしっかり理解できていないのだが。
 
「そんなことより、大鬼ちゃんはどこに行ったのかしら?」
 「……あ」
 
「扉が開いているなら先に行っちゃったのかしら? もう……仕方のない子ね!」
 マルクスが扉に向かって歩いて行くその後ろで、霧島は大鬼がいた場所で転がっている大鬼の「持ち物」と【黄金色の箱】。
 「これ、大鬼さんの……」
 彼が頑張って手に入れてくれた【黄金色の箱】は腰のカバンに詰め込み、彼の荷物を両腕で抱え込む。
 今までのことを思い出したくもない。早く、心の安定が図れる、自分の家に帰りたい。ただそれだけが心を占めた。
 
「もう嫌……。早く家に帰りたいよ……」
 「大鬼さーん、どこー?」
 埃っぽい大鬼の荷物を抱えて、霧島はマルクスの方へ向かう。
 
「待って、置いて行かないで」
 「はやくぅ……。上の階でみんな待ってるわよ」
 マルクスは霧島が入ったのを確認して小部屋にあるスイッチを押す。扉は閉まり、上へと上がっていくのを感じた。
 その途中、二人は突如めまいに襲われる。立っていられないほどではないが、体力を奪われる感覚があった。
 「うーん。ふらふらしてきたわぁ」
 
「っう! ……え?」
 二人はこの感覚が何であるのか、今はまだ分かる由もなかった。

  <NEXT>     【鍵の扉】 <藤原・リネット・クレア>
             【 第5章 再会 】

 

 

 

  <BACK>