【 後日談  宇野クレア(旧姓ウーノ) 】

 

 「はい、もしもし? ………………なにっ! すぐ行く!」
 宇野真――クレアの夫はとった電話の要件を聞くとすぐに切り、ドカドカと歩きながら寝室へと行く。扉を開けると人形みたいな少女――リネットがでかけられる準備をして真を見ていた。
 
「一緒に行くかい?」
 「はいなのです!」
 二人はそれだけで通じ合ったらしい。真は車のキーと財布を持つと、リネットと一緒にマンションから出て行き、車に乗り込んだ。まるでずっと前から訓練してきたかのような手際の良さだった。真はエンジンを付けるといつもよりも少し早い発進をして車を駐車場から出した。
 「……」
 「……」
 車は渋滞にはまることなく順調に郊外の道路を走っている。
 「……」
 
「……」
 夜空には満月が浮かんでいた。星も特に明るい星だけが見える状態である。
 「…………」
 
「…………(どうすればいい? 俺?)」
 そして、リネットと会話ができなくて真は黙り込んでしまっていた。
 もともと引っ込み思案である真は、クレアが市内の病院に入院すると決めてからリネットと二人きりになることを不安に感じていた。
 仕事でいない間は保育園で預けてもらおうと考えていた真であったが、クレアがそれに待ったをかけた。詳しい理由は話してくれなかった。
 「……リネットちゃん、トイレは大丈夫か?」
 「ちゃんと済ませてきましたのです」
 「そうか……」
 会話と思われるものが終了した。

 真にとって、リネットは突然現れた養女であった。流石にこればかりはクレアに説明を求めたが、ほとんど真には理解ができなかった。
 ただクレアが「これだけは分かってほしい」と言ったことだけは理解した。
 
「リネットは私の命の恩人よ。この子がいなかったらあの妊娠の日はなかった」
 つまり、クレアにとってリネットは特別な存在である。それだけは分かった。それだけである。
 年齢はよく分からず、両親はおらず、出身地も分からない。言い方が悪いが、どこの馬の骨の者か分からない少女を彼女は育てていくといったのだ。自分が良しと言っても親たちが納得してくれるわけがないだろう。そう思った。
 しかし、自分の両親たちは感情的なのか、突然できた孫に驚いてしまったのか、反対するどころかそれを良しとした。
 「(思えば、あの四人。リネットの笑顔で家族入りを許したような気がしないでもない……)」
 自分もリネットの笑顔に癒されたことは否定しない。けれどもそれ以上に自分たちの両親がベッタリだったな、と思い出した。
 養子縁組に詳しい話をどこで聞いてきたのか、クレアはリネットが来た一週間後には必要な手続きの書類を持ってきて、自分と一緒に役所へ回っていた。
 クレアは誰かに騙されているのではないか。と、真は一度疑問に思ったが、その間のクレアとリネットの様子を見ていてそんなものは杞憂であるとすぐに改めた。

 信号が赤になった。真はブレーキを踏んで車を停止させた。
 真はリネットのことが嫌いではない。だが、持ち前の引っ込み思案が働いてしまい上手く話せないでいた。挨拶をするときも、食事をするときも、歯を磨くときも、どこかぎこちなく接してしまう。
 クレアが入院する前にどうすればそれがなくなるのか質問したことがある。その質問にクレアは驚いたようにキョトンとした顔をしていたが、笑顔で答えた。
 「 大丈夫。もうみんな『家族』なんだから一緒にいれば怖いものなんてなくなるよ 」
 「一緒にいれば、か……」
 「? どうされたのですか?」
 無意識のうちに真はつぶやいてしまっていた。真はリネットのその一言に驚いてしまい、全身がビックゥと震えた。
 
「あ、ああ。ごめん。ごめんね、リネットちゃん。俺、考え事をするとつぶやくクセがあって……。リネットちゃんには関係ないから大丈夫、大丈夫……」
 前方の信号が青になり、真はドキドキした状態でアクセルを踏む。
 少したってから、リネットは明るい声で、なんでも知りたがっている子どもと同じように真に話しかけた。
 「『一緒なら怖くない』もクレアおねえちゃんのクセなんですか?」
 「え? クレア、まだそれを……?」
 「はいなのです!」
 嬉しそうな声で聞いてくるリネット。真はそれを聞いて驚きつつ、どこか嬉しいという感情が出てきた。
 大学時代の自分たちの思い出、クレアの顔が思い出された。
 
「……クセにさせた、というのが正しいな」
 「させた?」
 右に曲がるために少しアクセルを緩ませ、徐々にブレーキを踏む。が、タイミングが悪かったのか、真たちの車の手前で方向指示器の矢印が消えてしまった。
 真は左右に行きかう車を見ながら、その質問に答えた。
 
「クレアも日本に来てから辛い事があった時期もあったんだ。どうしても頑張るクレアを励ましたいと思って……言ったその言葉が「一緒なら怖くない」だった」
 「そうだったのですか」
 
「ああ。誰かといれば何かできる。だから人はつながり合って、新しい何かを生み出していっているんだと俺は思う」
 言い終わってから、真は子ども相手に難しいことを言ってしまったと思った。横目で「大丈夫だっただろうか」と思いながらリネットを見ると、彼女は顎に手を当てながらどこか納得したような表情をしていた。
 真からの視線に気付いたのか、リネットは「ニパー」と、嬉しそうな顔をして口を開けた。
 「さすがなのです!」
 
「え……?」
 「さすが、クレアおねえちゃんの彼氏さんなのです!」
 結論だけでその理由がさっぱり見えてこないが、真はその満足そうにしているリネットを見て同じように嬉しくなっていた。
 信号機が青になり、真は車のブレーキを緩めてソロソロと前へ出る。彼は曲がれそうなタイミングを見計らいながら、先ほどのリネットの姿からクレアが見えたのを、背中がくすぐられるような気持ちで思い出していた。

 そんな『母と子』の姿が見られたところで真は少し考えた。

 『母と子』ならば、『呼ばれ方』ってどうあるべきなんだろうか?

 クレアが気にしないのならば今の「クレアおねえちゃん」のままでいいのかもしれない。自分も「彼氏さん」のままでいいのかもしれない。
 けれど、今自分たちの間に『新たな家族』が生まれてくる。
 自分の勝手な思い込みかもしれないが、その『呼ばれ方』って家族としては離れた関係にあるように感じる。
 本当はもっと近づきたい。けれどもそれは強制するものなんかじゃない。
 どうすれば……。

 フロントガラスの上の方に見えている方向指示器が出たのを見て、真はブレーキを離した。次の瞬間、ひときわ明るい光が自分の視界に入ってきた。
 「あぶないっ!!」
 
「っ!?」
 方向指示器を無視した車がものすごいスピードで交差点に入ってくる。今からブレーキをかけたとしても間に合わない。
 「リネット!」
 せめて、この子だけでも。
 真はリネットを小脇に強く抱えた。

 一瞬にして視界が暗くなり、不思議な浮遊感を感じた。
 「父になる悩みも分かりますが、お気をつけなさい」
 
「え……? あ……?」
 その次の瞬間。真の車は交差点を曲がった先で路肩駐車していた。右足を少し上に上げればブレーキが緩み、ソロソロと車は進む。車のギアをパーキングにし、ハンドブレーキをかけて車をしっかり停車させた。
 何が起こったのか、ほとんど思い出せないがが自分たちが生きているのはたしかなようだと分かった。
 ――自分たち……。
 真は隣で顔を下に向けているリネットに慌てて話しかけた。
 「リネット! 大丈夫か!」
 そう言われてリネットは顔を上げた。その顔は怖がっているようにも、怒っているようにも見えた。
 
「すまない! こんな怖い思いをさせ――」
 「パパっ!」
 真が謝る前にリネットの強い言葉で中断させられた。
 「パパ……」
 「そうです! パパがこんなところで事故したら、ママと赤ちゃんが悲しむのです!」
 「ママ……」
 リネットのその顔を見て、真はやっとクレアが入院する前に言った言葉を理解できた。
 「(そうか……。『家族』になり切れてなかったのは俺の方だったのか)」
 真はリネットの頭に手を乗せ、リネットの言葉に対して返した。
 
「ごめん、リネット。こんなところで悲しい事してるわけいかないもんな」
 そう言われて、リネットは一度首を縦に振った。
 運転席に再び座り直した真は気を引き締め直した。
 「よし! 新しい家族を迎えに行くぞ、リネット!」
 「はいです!」


 彼らを見送る赤い影に、おそらく誰も気付かない。

 


 写真館の一室で宇野一家は記念撮影をしていた。一家の中心に、椅子に座ったクレアが優しい微笑みを湛えながら座っている。その腕には生まれて1ヶ月ほどたった男の赤ん坊がキャッキャッとしている。
 「はーい。こちらを見てくださいねー」
 ――カシャッ!
 一家四人の幸せそうな顔を見て、シャッターを切ったその人物も幸せを分け与えられたような気持ちになった。

 「では、このように仕上がりました」
 待合室でもある受付で家族写真をみたクレアと真、リネットはまた嬉しそうな顔になった。赤ん坊もそれを知って知らずか、パァとした笑顔になる。
 「とても素敵ですね」
 閉めますね、と男に一言付けてからアルバムは閉じられ、紙袋の中に入っていった。
 その男はアルバムを父親――真に渡そうかと思ったが、真っ先に両手をいっぱいに出したリネットを見て、笑顔でリネットの両手の高さに合わせた。
 「では、お姉ちゃんに大事なお仕事を任せよう」
 「はいなのです! わたしはケンのお姉ちゃんですから!」
 その光景をクレアも真も微笑ましく見ていた。クレアに抱えられている男の赤ん坊――ケンもまたキャッキャッと喜んでいるようだった。
 「こんな可愛らしい娘さんと息子さんがいらっしゃって、うらやましいですね」
 男が笑顔でそう話すと、クレアに抱えられていたケンは大きな瞳を男に向けた。少し黙って見つめた後、笑顔になると「ダァダァ」と言いながら小さな手を一杯に動かした。
 それを見たリネットが、唯一の翻訳者のように、嬉しそうに男に伝えた。
 「ケンはおじさんと握手したがっているのです!」
 リネットの隣で可笑しそうに、声を出さないようにして笑うクレアはその言葉に付け加えるように話した。
 「すみません、よかったらこの子の手を握ってもらえますか? この子、不思議と誰とでも手をつなぎたがるんですよ」
 「そうなのですか。では、お言葉に甘えて……」
 男は手を擦り合わせてからそっと手を差し出した。ケンは男の手を握って、より一層嬉しそうな声をあげる。男は少し照れくさそうに赤ん坊の手を握り返した。
 「私、ここまで小さい子に喜ばれることなんてないので、なんだか不思議な気持ちです」
 「ああ、分かります。それこそ、この子が生まれた時もそうなんですよ」
 真はリネットに視線を移すとリネットも「そうだったね」というような顔をしながらにこりと笑った。
 「色々なことがあったけど、今はみんな一緒にいる。みんな一緒にいればもっと楽しくなれるよ」
 「ふふふ。そうね」
 幸せそうな一家を見て、男は口には出さないが、静かに微笑んでいた。
 ケンが男の手を離したのを見計らって、男もクレアもそっと離した。
 「ありがとうございました。良い家族写真ができました」
 「こちらこそ、幸せな一枚を撮ることができて良かったです」
 全員が立ち上がり、男は写真館の前まで宇野一家を見送る。
 ありがとうございました
 「バイバイ!」
 「だぁ!」
 リネットもケンも男に別れの挨拶を言って、それに応えて男も手を振り返した。
 男は一家が見えなくなるまで見送った。
 「……幸せにおなりなさいな」

 写真館の扉を閉めたその奥で、赤い影がちらりと見えたことを知る者は誰もいない。

 


 【  絡繰る塔・後日談 Fin  】