地球劇場第27幕



山陽グランドキャラバン



 建築業界全般的に、2006年末は慌ただしかった・・。ワタクシ自身、例年29日から休みにするように計画を練るのだけども、今年は12月30日になってもまだ仕事をしていた。頑張っている自分へのご褒美(?)として、サンタさんがMTBをくれたので、MTBツーリングも冬休みの計画に考えていたけども、家族全員の反対のため、今年の冬は久しぶりにグランドキャラバンに出発することになった。


 目的地は、広く言えば 『山陽』。狭く言えば、『宮島』である。なにしろ、4年前に、どえらい忘れ物をしてきたあの地である。今回は、ハイエースバンの窓部にロール式の薄いマットを断熱材代わりに貼れるように加工をし、泊まりは基本的にはハイエース車泊とし、いざ、出発!

 1月3日、ハイエースは西へ西へ快適に高速を飛ばして行く。この日は移動日とし、3日夜中、兵庫県と岡山県の県境付近のPAにて車泊。思ったよりも暖かく、一度も夜中にヒーターを入れることなく4人とも熟睡。自分が想像していたよりも快適で、他の家族も気に入ってくれたようだ。

 まずは、岡山県の牛窓に向かって走る。ここ牛窓は、潮待ちの港として発展し、今は一大リゾートとなっている。港にはヨットが並び、白壁のホテルが並ぶ・・・。そして、キャッチコピーは「日本のエーゲ海」。

 ・・・・・・・ま、ガイドブックに書いてあるほど、たいしたところではないですがね。

 ワタクシ的に、今回は日本の古い町並みを見て回りたくて、この山陽を選んだ。牛窓にも、古い町並みは少しあったけども、商業主義的な中途半端な『日本のエーゲ海』化が全てを台無しにしていた。

 最後に、びっくりするくらいの金額のオリーブオイルを買って、この街をあとにする。このオリーブオイルは、炒め物等には絶対に使わずに、ドレッシングにするか、直接飲んでくださいとオリーブ園のお姉ちゃんに言われたので、思わず買ってしまった。
そして向かったのは、広島県尾道市。
ここで驚かされるのは、急斜面に立つ建築物の数々。
あたかも、その景色はインドのバラナシーのようである。
圧倒されるその建築物の林のところどころに、
素敵なお寺が点在している。

 いい風景だ!江戸時代のお寺を散策しながら、この尾道と言う街を愛した著名文学人の足跡を辿っていく。迷路のような急斜面に立つ家々からは、何処と無く人情味が感じられ、この街を好きになってしまった。

 「この街を愛した文学人たちの気持ちがわかるなあ・・・」

 高台から瀬戸内海を眺めながらそんな風に考えているときだった。ものすごい、大変なことに気がついた。


大地がいない・・・・

 この、インドのバラナシーのような迷路の町で、彼は見事に迷子になった。携帯片手にポンタと二人、坂下と山の中腹を探し始める。彼にとって、迷子になるという経験は初めてだ。よ〜く耳を澄ますと、かなり坂の上のほうで鳴き声がするような気がする。ともあれ、七海をかついだまま、上へ上へ登ってみる。細い路地の入り口がいくつもあって、この路地に入り込んだら、探す方は大変だ。まだ、上のほうから鳴き声がする。こっちも大声で彼の名前を叫びながら、上へ登る。途中、「シャッターを切ってくれませんか?」と、ミニスカートのおねえちゃんに頼まれ、いつもなら、すごいローアングルから撮って差し上げるのを、今はお断りをする。坂を上り、土塀を曲がると、そこに大地が大泣きしていた。勝手にどこかに行ったくせに、あたかもワタクシが悪いかのごとく、理不尽にワタクシをばしばし叩き続ける彼。彼にとって、この10分間はとても不安でたまらない時間だったろう。一通り泣いて、涙が乾くと、彼は又懲りずに一人坂を駆け下りて行った。・・・でも、今度は、ときどき、こっちを見ている様な気もするけども・・・。

 翌日、広島県竹原市へ向かう。ここ竹原は、塩田経営で財を成した富豪が京の建物を模して街を形成した歴史がある。この街に残された、伝統的住宅群はよかった!街の民意が日本の風景を残そうと、努力をしている。決して観光地とはいえないこの街で、今の生活スタイルに合いにくい住居で生活することは大変だろうに、それでもここにはかなり大きな住宅群として、江戸時代の息吹が感じられる!
 これほど大きな伝統的住宅群といえば、思いつくところは高山市くらいか・・・。ただ、観光客と観光客目当ての店が目鼻につく高山と比べ、上記写真のような静かさ。右写真は、この竹原の街に残された、格子のデザインの数々。「浜旦那」といわれた塩田経営の富豪たちが、住まいのデザインを競い合ったのがよくわかる。

 尾道に匹敵する、素敵な街だった。





 ハイエースはまだまだ西へ走り、瀬戸内海沿いの国道に高く積み上げられた牡蠣の殻の山の間を縫うように一路、呉へ向かう。ここ呉は、海軍の司令部が、軍艦の工廠があった軍都である。ちなみに、ワタクシのじいちゃんも戦争時は呉にて従軍していた。呉の大空爆の日、逃げ込もうと思っていた防空壕は一杯で、小船に乗って沖へ逃げたところ、その防空壕を爆弾が直撃し、中にいた人は全滅したと聞いていた。そんな、子供の頃からじいちゃんから聞いていた軍都・呉に行くのも初めてだ。




 呉には自衛隊の資料館もあるのだけども、やはりおととしオープンした

「大和ミュージアム」

に勢い足が向く。ここには、戦争の悲惨さと昭和初期の日本の製造技術の確かさが陳列されていた。ところどころのDVD映像や、展示資料におもわず、目頭が熱くなったり、怒りがこみ上げてきたり・・・。

 自分の知りえない昭和が、日本が、ある。
 右の写真は、

「回天」

 たまたま、06年の暮れから特攻隊の本と、回天の本を読んでいた。ワタクシ達よりも若い彼らは、どんな思いでこの回天に乗ったんだろうか・・・。回天は、

『人間魚雷』

 身動き一つ出来ないコックピットの中で、最後に思ったことはなんだろうか・・・。




 この文章を書いている今日も、大使館に自爆テロを試みたというニュースがあった。自分の命と引き換えに、自分が思う理想は実現するのだろうか・・・。グランドキャラバン終了後、じいちゃんにこの博物館で感じたことを話してみた。

「誰もが、昭和20年になると、負けると思っていた。」

 呉で従軍していたじいちゃんたちにはわかっていたことなんだろうな。帰ってこない戦艦大和。燃料が無くて全く動けない戦艦赤城。呉大空襲の頃の任務は、戦艦に木や土をかぶせて、敵機から島のように偽装することだったらしい・・・・。それでも、戦い続けなければならなかったんだろうか・・・。

 少し暗い気持ちになりつつ、呉を後にした。そして、西へ。西へ向かい、到着した街は、岩国。ここには、そんな暗い気持ちを吹っ飛ばすものがあった!ちなみに、『錦帯橋』ではないです。






 『灘幼稚園』

 岩国のはずれにある、この幼稚園にあるものは!


巨大なローラー滑り台

 そして、ウエムラ先生。ちなみに、この左写真の丘の上には、

松籟城

という城もあって、日本で一番小さな城という認定を受けたらしい。
 右写真のローラー滑り台への登り階段なんて、父兄から
苦情がきそうである。が、そんなことに苦情をよせるような
父兄の子供は預からなければいいだけなのだ。

 この、上村の教育方針をわかってくれる人間のみ、
子供を預けてくれればいいのだ。こんな環境で保育されれば、
子供達は、たくましく育っていくだろうな・・。

 今日も、幼稚園にある松籟城の天守閣から子供達が

お殿様ごっこやお姫さまごっこを楽しんでいるんだろうな・・。






 さて、上村先生のお母さんの体調が著しく悪くて、おかげで上村自身、家事の疲労と幼稚園業の激務から、この日はお別れし、又後日の再会を期待しつつ、別れてハイエースの寝仕度をしようとしたとき、上村からこんな提案をうけた。

 「別棟の保育園なら、中で泊まってもいいよ。」

 ほう!それは、楽しそうだ。子供達も、そう聞くと、やたらめったら喜んでいる。お言葉に甘え、夜8時に保育園に集合ということにして、我々は温泉&晩飯にでかけた。上村は、残っている業務を終わらせたあと、病院にいって、家事を終わらせるといっていた。






 夜8時。ハイエースの中で上村を待っていたそのとき!保育園入り口の人感センサー付照明がついた。でも、そこには誰もいない。ネコでも通ったのかな・・・なんて思っていたら、上村が保育園の方から歩いてきた。

 彼は、人感センサー付照明が点く前に、レーサーで駆け抜けて行ったのだ!


 家から幼稚園まで、一気に駆け抜けてきたのだろう。息を切らせながら、彼はこう言った。


カギを忘れてきたので、もう一回とってきます

 そして、また人感センサー付照明器具が点灯する前に、走り抜けて行った・・・・。


 そして、←こんな感じでこの日はお休み・・・・。

上村が朝7時過ぎに来園すると言うことで、その時間に出発することを約束する。
 
 一人、保育園内で一杯飲み終え、この日は爆睡・・・。





朝7時。いきなりドアを開けて入ってきたのは、若い女性の保育士さんだった!

 向こうも飛び上がるほど驚いたけども、こっちも上村と思っていたから、これまた驚いた。訳を話し、その10分後に現れた上村に別れを告げ、岩国ときたらここ!っという錦帯橋へ。その下を流れる清流・錦川には、このクソ寒いのに、カヌーツーリングに来ていた4人組がいた・・・。恐れ入りました・・・。

 ちなみに、この冬一番の寒波の日で、雪がちらついていました・・。

 世界遺産の錦帯橋、素晴らしいですね。丁寧に残された、武家屋敷もよかったです。
 そして広島に向かい、杉山と久しぶりの再会。

 お好み焼きを食べながら、TVニュースを見るも、
悲しいかな、大雨の予報。車に乗って、向かうは、宮島。

今回のハイライトである。車窓に当たる雨粒がどんどん大きく、
そして強くなっていく・・・。


 ところが、宮島にいざ、渡るという時になって、快晴!快晴!快晴!となってくるではないか!!!


 快晴の元、厳島神社に詣で、世界遺産を満喫し、鹿と戯れ、焼きたてのもみじ饅頭を食べ、おまけに揚げたての揚げもみじ饅頭までいただき、数年前の宿題をすませて、この世界遺産の観光を終えた。

 日はどっぷりと暮れ、この日は杉山の新居にてご馳走になる。数年前のお詫びとお礼をいい、またまた飲み食い始める我々。今回も楽しい時間をありがとう。




 目が覚めると、また大雪だった!

 今回もか・・・・・・・・。この日、最後に原爆ドームと姫路城を見て、世界遺産めぐりの旅を終える予定だった我々は、急遽予定を変更して、ここに行ってきた。






 アンパンマンショー

 子供達には、これが一番楽しかったようである・・・。


 午後1時。高速道路の通行止めが解除になると同時に、広島を出発し、ひた走ること9時間。三重着。

 山陽のいいところをたくさん見た、楽しいグランドキャラバンでした。子供達も、どんどんたくましくなってきていて、将来が楽しみだ♪また、グランドキャラバンをしたいと言っていたので、来年はまたどこかに行きたいね。地球上のみなさん、待っててください。

 そしてそして、杉山・上村。今回も本当にありがとう。杉山ジュニアの爽クン。たくさん遊んでくれて、ありがとう!

大地は、こんなにうれしそうでした!(杉山家の庭にて)