地球劇場第6幕
タイグルメツアーわがまま編
灼熱の国タイランドパックツアー
私は,プーである。プーとは,何を隠そう何も隠すモノはないが,特定の職業を持っていない人のことを指す。
以前から,風のようにいきるプーのような生活をしてみたいと思っては
いたが,実際は結構大変である。結局サラリーマンが一番楽なんだろうかなあ。
私には,家族がいる。これはあたりまえの事なんだが,非常に大切なことだと思う。幸せ
なことだと思う。おまけに兄弟までいる。しかも二人も。恵まれていると思う。どこかで,
この感謝の気持を伝えたいとやっぱり強く思う。
折しも今年平成9年は,両親の銀婚式というメモリアルイヤー。それじゃあ,頑張って海外
旅行でもプレゼントをしようかと提案したところ,せっかくだから,家族みんなで行こうと
いう事になり,当時は「いやいや,私は仕事があるからなあ」なんて寝言を言ってた私も,結局
プーという立場になってまでも(1997年二月に退社),家族旅行への参加を敢行した。
こんな親孝行な息子は後にも先にも聞いたことがない!
初めての海外旅行になるのは,母,敦子,有希子の三人で,父は一応昔韓国に行ったことが
あるらしい。パスポートを獲る段階から,ウキ〜私の写真映りが悪い!だの,ムキ〜私は5
年間有効しか獲れへんかった!だの,動物園並にはしゃいでいる彼女達を見て,随分不安
になったが,とにかく出発の3月7日は慌ただしくきちんとやってきた。なお,じいちゃんは今回不参加になり,誠に残念だ。
パックツアーはおばさんパワー
家族旅行なんてモノは初めてである。近鉄に乗る段階から,
我々は皆,結構テンションが高かった。一番はしゃいでいたのは父上で,まるで遠足に行く
子供というより,雌犬を捕まえた盛りのついた雄犬のごとく,嬉しそうだった。近鉄特急は
ずんずん快適に関空目指して進んでいた。南海電鉄に乗り換え,海を越えるとそこは,関西
国際空港だった。
さて,集合はここに5時である。もう少し時間がある我々は,昼飯をガツンと食ったにもか
かわらず,いきなり腹いっぱい間食をした。女性トリオは,デザートまで食い,「もう機内食
は食べれないよお」って腹をさすりながらのたまわれていた。
5時になって我々は,『JAPAN AMENITY TRAVEL』社のツアー集合場所に足を向けた。そこ
には卒業旅行と思われる大学生の面々が集まり,女子大生ふうの女の子がへそを出しながら,
「私今からタイにでも行ってええおとこゲットするもんねえ」って感じで,頭悪そうに立っ
ていた。おお!!さすがこの時期,こんなやつばっかりじゃん!!心をときめかせ,下半身は半
分暴走気味で,すでにタイの楽しい夜を想像していた。一方となりのグループときたら,明
らかに日本人丸出し。もう,一人旅の時にあれほど見るのが嫌だった,「私買物に命駆けて
るもんねえ」って感じの中年おばちゃんや,「なんまんだぶなんまんだぶ,どうか無事着き
ますように」ぶつぶつ唱えているじいちゃんら総勢20人はいるかと思われる大団体だった。
この人たちときたら,一体だれがこんなことを教えるんだろうって思うくらい一緒の格好で,
必ず帽子をかぶっている,ふちのまあるい。
「なあ,敦子,こんな横のグループと一緒なら,絶対面白くないだろうねえ。」
こんなことを言いつつも,隣の女子大生腰振り小娘のへそを眺めては,ふふふふっと含み笑
いをしていた。さて,隣のグループの点呼が始まった。ちょっとふとめの添乗員さんらしき
人が,大声をあげていた。
「5人で参加の佐野様!!」
その声は関空に響き渡り,一瞬にして私を地の底まで蹴り落としてくれた。ああ,ここから
定員一杯の30人,おまけに平均年齢50歳の天国行きツアーが始まるとは思いもよらなかった
が,とにかくうるさいおばちゃんらの後ろについて出国検査を済まし,ちょっとかなりブ
ルーのまま,「わからないことがあったら,何でも私に聞いて下さい」なんて女のコに話し
かける事もなく,タイ航空に乗り込み,一路バンコクを目指した。
飛行機の中には,ひときわうるさいおばちゃんが三人いた。典型的おばちゃんって感じの
歩くおばちゃん標本だ。
平均年齢50歳のツアーは,5時30分のモーニングコールで始まる
到着は夜中だった。バンコク空港の税関を,《漫遊の旅》というバッヂを胸につけ,いか
にも“私,日本からのパックツアーですの”といった感じで堂々と突破した。元来なぜか税
関ではひどい目に会っているせいで,何のやましい点もないにかかわらず,最も緊張する瞬
間である。そんな私の心配を他所に,平均年齢50歳の《タイ王朝とグルメ漫遊の旅》パック
ツアーは,素早く添乗員とガイドの手によって一台の豪華絢爛《タイ王朝とグルメ漫遊の
旅》号に詰め込まれ,バンコクの中心部に向かって出発した。深夜だったせいもあって,バ
ンコク名物の渋滞は見られず,比較的スムーズにホテルにつき,そのままルームキーを渡さ
れて,その日はすぐに眠りに落ちた。こんなまったりとした熱い空気の中で眠れるわけない
じゃない!と言ってた,超冷房どっぷり女敦子は真っ先に眠りに落ち,日本と変わらぬいびき
をかき始めた。ちなみに,私,敦子,ユッコの三人同室というシチュエーションは10年ぶり以
上である。
すでに気温は30度を越えていたが,まだ夜は明けておらず,三人はすっかり夢の中だった。
突然,ホテルの電話がけたたましく鳴り響き,一言,「good
morning」と眠りを引き裂いた。
そういえば,前夜,そんなことを言ってたっけ・・まあでもみんなまだぐっっすり寝ている
だろうからいいや。そう考えた我々平均年齢22歳の三人は,ゆっくり支度をし,朝のお勤め
まで済まして,ホテル一階のレストランに向かった。こんな時間から営業しているのか,随
分不安だったが,なんと!私達が一番遅かった。大半の人達はすでに食べおわっていた。そ
うだ,年寄りは早起きなのだ!このツアーの平均年齢は50歳なのだ!私達三人は顔を見合わせ,
この先3日間どうなるんだ,と随分不安になったが,久しぶりのバイキング形式の食事とあっ
て,ベルトがはち切んばかりの食べっぷりを披露した。
平均年齢50歳の《タイ王朝とグルメ漫遊の旅》パックツアーは,こんな参加者によって一
つのグループを形成していた。まず,もっともうるさいのは,静岡から来たおばさん3人組。
この3人は随分パックツアー慣れしていて,自分が楽しむ事に関しては,ピカイチの才能を存
分に発揮していた。ここぞとばかりに,花柄のスパッツで,垂れたけつを振り振り歩き回り,
免税店とか金工場とか「なに〜,これ安いわよほら!!」とか叫びつつ,テに持ちきれないほ
どの買物をしていた。定年退職した夫婦といったやや上品な方々も何人かいらしたが,そう
ゆう人達は,なぜかほとんど現地人と会話をせず,値段交渉もせず,すっかりおとなしい,眼
鏡をかけてほほえんでいるはっきりしない日本人を演じていた。「私達,卒業旅行なんです
う」っていう女の子も二人いた。何でもずけずけ大声でしゃべるデブのおじさんもバスの
中と観光地のグループ行動時は,目立っていた。そして我々五人。さて,タイランドは,こん
なパックツアーの面々にもほほ笑みを与えてくれたでしょうか?
パックツアーのうそ!?ほんと!?
重ね重ね,私はパックツアーという奴が大嫌いだ。旗を持った添乗員の後ろをぞろぞろ歩
き回り,非常識な額で買いあさり,並んでいる順番は団体ということで先にいくし,大声で笑
い倒し,「ジャパニーズ円,オーケー?」とか言ってるし,現地人をすっかり見下しているし,
はては,「ネエチャン,ハウマッチ?」とか言ってる馬鹿もいるし。自分のことは棚にあげる
が,こいつらこそ,まさに【恥の輸出】である。声を大にしていいたい。私は,パックツアー
なんて大嫌いだ。
しかし,何ごとも経験である。もしかしたら,パンフレットのように,すばらしいシロモノ
なのかもしれない。ホテルは高級,料理は超一流のフルコース,観光はゴールデンルート,シ
ョッピングは安価で良品がどれだけでも買える。添乗員付なんで,治安の悪い国でもノープ
ロブレム。それでいて,この《タイ王朝とグルメ漫遊の旅》四泊五日はなんと!\99,800!!
個人では,到底不可能である。そして,これは当然だが,不可解でもある。なんでこうなるの
だ?よし,それじゃ,実際タイにいってみるか。
5時30分に起こされた我々は,いつのまにやら,ボートに乗せられ,メナム川を遡っていた。
行き先は水上マーケットだという。我々が爆音を立てて突っ走るボートの横を,果物や衣料
品,電化製品を満載した何艘もの手漕ぎ・手製のボートが擦れ違う。中にはみやげ物を満載
した船もあって,そういう船は我々の姿を見るや,必死の形相で追いかけてきて,ハアハアい
いながら,一言だけ言う,「コレセンエン!」彼らにとって,我々パックツアーのジャパニー
は,正に金持ちなのだ,たとえ私でも。我々の爆音ボートは,そんなおみやげ船を寄せつけず,
活気あふれる市場についた。そこには,タイ人の生活がぎっしり詰まっていて,生活臭がぷ
んぷんし,すっかりハートに火がついたという表現を使いたくなるほどだった。しかし,添
乗員は超強力な消火器をもっていた。
「皆さん,あちらに見える汚い市場は,不潔ですし,すりが多いので非常に危険です。これ
からいく市場は,清潔で,安心して買物ができます。なぜなら,きちんとプライスが表示され
ているからです。値切る必要は,ありません。」
え〜!まっいいか。一人でこそっと抜け出せば・・
「尚,このマーケットからは,一歩も外には出れませんので,1時間,ゆっくり買物を楽し
んで下さい。」
そのマーケットは,しっかり隣と区切られていて,抜け出す事はできなかった。そして,そ
こにはおびただしい数の日本語があふれ,おみやげ物のみがずらりと並んでいた,円表示で。
「ココニホンノハンガクネ。」うるさい!もういい!因にそこにあるもののなかで,現地人が
買うと思われるものは,たばこのみだった。
これを皮切りに,金工場,銀工場,シルク工場,革製品工場,民族品工場etc,すべて○○工場
見学という名目のショッピングが,一日3回から5回もあり,中には軟禁状態にして無理やり
見学(販売とも言う)させるところもあり,私はすこぶる気分が悪かった。
かなりの数の寺院をはじめとする観光地を見て回った。しかし,今,ほとんど記憶に残っ
ていない。写真を見ても,まだピンと来ない。脳裏に焼き付いたあの強烈なインパクトを持
つ建物も仏像も,ただその時しか輝かない。時とともに風化し,パックツアーから帰ったわ
ずか1週間後にさえ,ただ写真として残っているだけで,思い出せない。寺院によっては,写
真をとったのみ。渋滞などで,時間が押せば,見学時間5分。それでも一応訪問したという証
拠写真は残り,一応数だけはこなされていく。バンコク,そしてアユタヤとタイランドの
ゴールデンコースだが,自分の中で今でもタイランドを旅したという実感がわかないのは,
これらのせいだと思う。
もちろんいい点もいくつかある。例えば治安とか。絶対安心な旅行をしたい人とか,人に
決定権を委ねても楽しむ事ができる人や,外国人に対して何等特別な感情のある人は,日本
人同志群になって,そこそこ楽しい旅行ができるんじゃないかしら。
自分なりの結論。やっぱり,旅をするなら,個人に限る。もう,一生パックツアーには参加
したくない。
バンコクの屋台は,しっかりスパイシー。
何だか随分夜が待ち遠しかった。今日は恋人と会えるという遠距離恋愛真っ最中の19歳
の男のような,そんな気持だった。完全な自由時間は夜しかない。しかも,このツアーは,曲
がりなりにも,《タイ王朝とグルメ漫遊の旅》というタイトルなため,全夕食付だったから,
正確には夕食後しかない。私は,タイ国民の普段の食事を味わいたかったため,夕食は控え
めに,その後の屋台での飯に全力を尽くす気でいた。二人の妹も,どうやらその気である。
一日目,バンコクの夜は,ホテルから歩いて20分の所にある,日本でいう所のビアガーデン
に出向いた。すでに一日目の夜から私と添乗員さんはぎくしゃくしていて,外に飲みに行く
事は全然いい顔をしなかった。
『ここのホテルにもバーはあります。おとなしくここで飲んでいて下さい。』
女性の添乗員さんは,買物はしない,見物時間は長い,現地人とへらへら会話をしている私の
ことを,いや,そもそも皆スーツケースにそれなりの格好で関西空港に現れ,「うちら海外行
くもんねえ」ってかんじなのに,一人,正確には妹二人を含めた三人,Tシャツに短パン,ジ
ョリッパにディパックということ自体,余り良く思っていなかったようだ。私自身,別にガ
イドさんの悪く思っていなかったが,さすがに打ち解けるのはちょっと難しいかなっと,感
じざるを得なかった。
それはさておき,我々三人はテーブルにつき,タイ語のメニューを一応見てみた。もちろ
ん分かるはずもなく,いつものように,周りの人間が食べているうまそうなものを指で差し
て注文する,ザットプリーズ作戦を展開する。見るからに辛そうな,赤々とした炒め物,煮物
などなどがシンハービールとともにやってきた。手をたたいて喜ぶ我々であった。これぞ,
タイ料理!!にせ物とは,随分,見るからに違うのだ!!乾杯もそこそこに,一口我先にと箸を付
ける。うほ〜,か・ら・い。そうとう,きてるな,こりゃ!!ばくばく食う我ら。辛さを紛
らわせるため,ビールもぐびぐび飲む。最高のひとときだ。
しかし翌朝,敦子の一声は,随分面白かった。
「赤かった。全部がそうじゃなくて,特に下の方の層が赤みを帯びていた。」
それは面白い。早速私も用を足そうとトイレに入り,力を込めた。プチッ!という音がし
たかどうかはわからないが,切れそうなくらい痛かった。飛び上がりそうだった。ユッコも
そうらしい。う〜ん,最低のひとときだ。
翌日も翌々日も,夜になると,さっそうと町に出向く我ら。タイのラーメンは最高にうま
かった。あんなスパイシーなのにもかかわらずだ。どれくらいうまいかというと,そのラー
メンを食べた翌朝,ホテルのバイキングがあるにもかかわらず,わざわざ屋台までラーメン
を食うためだけに出かけたほどだ。
屋台には,生活臭がある。その地域が育んだ文化が,それもとっておきの,庶民生活に直結
した私が最も見たいと切望するそれがぎっしりつまっている。日本人が少しずつなくして
いった,アジアンエナジー-生きる事に対する情熱-を感じさせるものがある。もちろん,私
達が,すっかり物に囲まれ裕福な生活をしているから,そんなことを言えるのだということ
を,しっかり肝に命じておかねばならない。
なにはともあれ,《タイ屋台とグルメ漫遊の貧乏旅行》は,本当に面白い。
パックツアーのうそ!?ほんと!?−グルメ編−---
くどいようだが,このツアーは,《タイ王朝とグルメ漫遊の旅》というタイトルである。
私は実はかなり期待していた。一流と呼ばれるホテルやレストランでの豪勢な食事に。普
段海外を歩いている時は,決して入る事さえ許されなかったそこには,金持ちジャパニーが,
何とこの国の贅を尽くした飯を,うっはうっはうまいうまいと食い狂っていることを思い,
指をくわえて外の屋台の香辛料まみれの激辛メニューを,地元民に紛れて食っていたことか。
丸いツアーバッヂは,禁門の扉を押し開けてくれ,半そで短パンジョリッパの私は,大きく胸
を反らせ,ふんぞりかえって入って行ったものだ。
朝・昼食は,全てホテルでバイキング形式によるものであった。まあこれは,ツアーの参
加者が平均年齢50歳ということを考えれば,いい判断だろう。好きなものを好きなだけ食べ
る事ができる。体調不良でたべれない人ももちろんいたし,事実,敦子も3日目にはダウンし
て,一切昼食は食べなかった。バイキングというものは,そもそもそんな美味しいものでは
ないし,ご丁寧に,日本人専用にお寿司やうどんといったものまで準備してあるようでは,本
場の料理などとは随分かけ離れていよう。実際,香辛料はほとんど使ってなく,日本人好み
の味付けだった。
勝負は夕食である。ガイドによると,
一日目:タイ風スチームボート
二日目:タイ王宮料理
三日目:カントークディナー
四日目:中華料理
読んでいるだけでも,よだれが出てきそうである。スチームボートとは,海鮮風しゃぶし
ゃぶのことだ。熱い国でこれはまたいかに,と思うが,熱い時に熱いものを熱くなるくらい
スパイスを効かせて食べるのが,アジアだ。まして,タイは海産物と香辛料の宝庫。嫌が上
にもボルテージは上がり,まだかまだかとぬるいシンハービールを飲みながら待つ。来た来
た来た。まずは前菜に小さいえびが来た!続いてちくわ,野菜が来た。順次鍋に入れていく
我々。さあ,メインの蟹,ロブスター珍魚はまだか!よし,いかが来た。さあ,まだか。まだ
か!ま〜だ〜か〜!!・・・・・・・・・永遠に姿を見せなかった彼ら。学生時代,下宿でや
った鍋よりもはるかにチープなこのスチームボート。たっぷり具の残った我々の鍋に,タイ
人のおばちゃんが素早くごはんを入れてくれた。とき卵も素早く入れられた。おじやであ
る。そして,このタイ風スチームボートの夕食に最後に登場したのは,なんと,キッコーマン
のしょうゆだった。私は,なぜここまで来てこんな鍋そしておじやを食べているのか,実に
疑問だったが,とりあえずはおとなしく食べた。
二日目のタイ王宮料理は,随分見た目に凝った,素晴らしい目の保養となる料理だった。
目の保養だけだったけど。三日目のカントークディナーは,ちまきというかおにぎりという
か,そんな感じの料理で,ただひとつ,豚の耳のフライが随分おいしかったことだけが,記憶
に残っている。四日目の中華料理に関しては,何もいうことはない。恐らくだれ一人ほとん
ど箸を付けてないんじゃないかしら。なにしろ,夕方3時に昼食を取り,その2時間後,つまり
5時に夕食というハード?スケジュールだったからである。
結論。なめんじゃねえ!!もっといいもんくわせろ!!!
日本人in Thailand
静岡から来たという三人のおばちゃん達は,一昔前に流行した,あの『おばたりあん』と
いう人種だった。買物時も観光時も,ホテルにいる時も食事の時も,象に乗っている時も,と
にもかくにも自分達は,楽しそうだった。私としては,垂れたけつにもかかわらず,ぴちぴち
スパッツで,振り振り歩いている所までは,まあ愛嬌と旅先での大胆さとして目をつぶると
しよう,いや,見ないようにしよう。デパートでの買物の遅刻も,おかげさまで私の遅刻に対
しての冷たい視線を逸らして下さったという点において,ありがとうと言いたい。しかし,
しかし,しかし,頼むから,そんなに買物をしないでくれ。あなた達三人の荷物で,すっかり
バスは一杯になってしまった。どこへ行っても地元民に,「このグループは金持ちだ」と思
われてしょうがない。まったくもう!!
どこか場所を移る度にビールばっかり飲んでいる,割腹のいいおっさんは,見ていてこっ
ちが恥ずかしくなるくらい,よくいる日本の酔っ払いのおっさんであった。
「うぃっ,ひく,お〜い,こんな寺ばっかもうええからよお,うぃっ,きれいなネエチャンのい
るとこ行こうゼ。」
終始,こんなことばかり言っていた。
「私達,定年退職したものですから,いい機会と思って・・」
という,きちんと正しい日本のお父さんお母さんもやはりきちんと正しいと信じられている
海外旅行の格好で,こりゃまたきちんと正しく日本人どうし,楽しそうに旅行をしていた。
集団を形成する際,それがどんな集団であろうと,必ず存在する人間がいる。ある性格を
持つ人間が,この地上に存在する確立は,同じであると私は考えている。どんな企業にいっ
ても,集団を形成する個々の役割は,不思議なもので,えてして同じである。目立ちたがり屋
さんがいれば,静かな人がいる。優しい人がいれば,恐い人もいる。切れ者がいると思えば,
馬鹿もいる。気の合う人がいる反面,ウマの合わないいけすかない奴もいる。人を引き付け
る魅力のある,リーダー的な人がいる。ムードメーカーがいる。
ガイドさんは,プロフェッショナルだった。幾つものツアーを経て,「旅に於ける集団統
治の仕方」みたいなものを心得ているような気がした。彼女が指定したムードメーカーは,
静岡から来たうるさいおばさん三人組で,ガイドさんがおばさん三人組を持ち上げる度に,
バスの中は,笑い声が満ち満ちた。こんな感じだ。
「まあ奥さん,素晴らしいシルクのスカーフじゃないですか。よくお似合いですよねえ皆さ
ん!」
「あらあ,もうガイドさんたら,そんなことありませんわよお!!がはははははっは」
「ワタクシの買ったこのシルクのスーツも見て下さる。この襟の部分なんかとても素敵で
しょう!がははははっは」
「ちょっとちょっと,私のシルクのブラウスも見てちょうだい。店員さんたらねえ,日本語
でね,「とてもきれいです。」っていうのよ。まいっちゃうわよねえ!!がはっはははっは」
冷静に考えると,笑っているのはその三人だけだが,とにもかくにも笑いが充満していた。
万事,そんな調子だった。
静かといえば,卒業旅行できていた女の子二人組は,とてもおとなしかった。一度,映画
『ランボー』のロケに使われたというチェンマイのワット・スアンドークを一緒に観光し
た時,それを見ていた敦子は思い切りこう表現してくれた。
「日本人を案内する現地のガイドみたいやった。」
・・後日写真を見て,実感した。
タイの床屋さんは100バーツ(約480円)
チェンマイで,床屋に行った。随分昔の日本の床屋って感じで悪くない。45歳くらいの女
性が一人で切り盛りしているようで,5時頃立ち寄ったが,その時はお客さんは誰もいなかっ
た。英語はほとんど通じないが,身振り手振りと,うそくさいタイ語を駆使して,カットして
もらった。
「タイで流行の髪型にしてくれ」
と私は頼んだが,10分後,ただ前髪がすっかりそろって,小学生みたいな顔をした見慣れない
男が鏡に映っていた。私は,ちょっと落胆の顔をしたが,すぐさま,100万ドルの笑顔であり
がとうと言った。彼女は,嬉しそうに応えてくれた。
「ユウ,ハンサム!!」
お世辞だろうね,きっと。
その翌日,バスではとてもじゃないが訪れることのできない,山奥の少数民族の部落へ観
光に出かけた。アクセス手段は,トラックにほろを付けて,その中にベンチを二つ置いた,自
称タクシーである。その自称タクシーは荷台に私達を6人づつに分けて部落まで運んでくれ
た。私は例のうるさい3人組の,特に極めてうるさいおばたりあんとたまたま同じだった。
その少数民族,ミオ族の村は随分埃っぽく,コンタクトレンズの私には厳しい条件だったの
で,素早く眼鏡に変え,ちょっと気合いを入れて値切り合戦をしたうえで,タイの民族衣装を
買い,素早く早速身につけて御機嫌だった。さて,帰りも自称タクシーに乗って私達は帰ろ
うとした。その時である。例のうるさい3人組の,特に極めてうるさいおばたりあんが,大声
で叫んだ。
「ちょっと待って!ストップストップ!!佐野さんの息子さん(私のことね)が,またいない
わ!!」
一同大爆笑が沸き上がり,私は隣で,「サワッディ クラップ(こんにちは)」と言った。
おい!!さっきからずっと横にいるぞ!!まったく,遅れてきた上に,これである。
最後,関西空港についた時,なぜか私のディパックの中にはタイ航空の毛布が入っていた。
ブルーの,決しておしゃれではないが,温かい携帯に便利なシロモノだ。今回はパックツ
アーという免罪符を持つワタクシ。いつもは必ず入国審査で荷物のチェックを受けるが,こ
こぞとばかり,飛行機から持ってきていた。税関で並んで,私の番が来た。家族は皆,ノーチ
ェックで素通りしていくのが目に入る。私は胸を張り,バッジを見せて,「申告する物はな
い」と答えた。ニコッと笑った係員は,優しい声でしかし目はかなり疑いの目線を送りなが
ら,こう言った。
「荷物を全部見せて下さい。」
なんでじゃ〜!!しかし実は予想通りで,タイ航空の毛布はこうなる事をあらかじめ予測し
ていた私は前もって敦子にそれを渡しておいた。難なくお気に入りの毛布を手に入れた私
は非常に満足し,しかも妹達はすっかりなぜか尊敬のまなざしをしていた。自分勝手な価値
観や非常に狭い常識しかない係員なんて,なにほどでもない。井の中の蛙に気づいて,もっ
と広く大きな価値観を求めるために一歩新しい世界に向かって足を踏み出す。海外旅行と
は,そういうものである。いや,あってほしい。
私は地球人だと胸を張って,いや,当たり前のように言える時代が,近い将来実現する。国
境の通過は自由になり,価値の同じ貨幣が流通する。共通の言語が話され,文化は平等とな
る。人種という言葉は,今と全く違う解釈をされ,差別はなくなろう。世界中の人間は敵で
はなく,優劣はなく,友達である。経済が中心ではない。生産が中心でもない。消費なんて
絶対悪の次の世代に向かって,私達人類は,一歩一歩加速度的に向かっている。この事に気
付きさえもしない奴らが,「生活水準を考えたら高い!」だとか,「こんな国なのに,なぜこ
んな素晴らしいものがあるんだ」とか,「タイ人って,けっこうやさしいのね」とか,「なん
か不潔そうだから,食べるのよそう」とか,「民族衣装なんか着て外歩けないよね」とか言
っているのには,おまえらほんとにわかっているのか!とカツをいれたくなる。しかし,日本
という国は,そういう奴らしかいない悲しいほど貧弱な国なのだ。