Welcome! Sano Hiroyuki's BAKA VACANCE
地球劇場 第7幕
〜さすらおう!日本!〜
もう,10年も前の話である。当時,15歳。高校受験を控えた夏休み,私
は犬山のユースホステルに宿泊していた。そこで出会った大学生のおにいちゃ
んは,なんと,ヒッチハイクで旅行をしているという。そんな人にはじめて出
会い,強烈なインパクトを受けた私は,次の日,早速まね事をしてみた。恥ず
かしさとの戦いだった。恐らくたった15分ほどの挑戦だったろう。長く,孤
独な時間だった。顔をあげていることもできなかった。今考えると,ヒッチハ
イクを行うには,場所が最も肝心なのだが,その時の私は何も分からず,ただ
大学生のにいちゃんに言われたとおり,親指を立てているだけだった。
『もうやめよう』そう思った時,一台の車が止まってくれた。
「お客さん,どちらまで」
親切に止まってくれたその車は,名鉄タクシーだった。断る事のできない中
学生の私は,
「犬山ユースまで」
と答え,わざわざその日の出発地まで引き返した。料金は基本料金だけだっ
たと記憶している。『なんでやねん,なんで俺はこんなことしとんねん』そう
考えても,後の祭りである。これが私のヒッチハイクデビューだった。
15歳,夏
九州へ行った。そのお金は,高校に入ってすぐ,バイトをはじめて作った。
時給480円だった。タカラブネというケーキ屋さんでいちごショートを売り
ながら,こつこつお金を貯めた。しかし,いかんせん時給480円である。と
りあえず,行ける所まで行こうとポケットに入れたそのわずかなお金を持って
太宰府まで足を運んだ。そこでヒッチハイクをやろうとしているとき,地元の
高校生3人にいきなりからまれた。まあ,早い話がカツアゲと言うヤツにあっ
た訳だ。当時,不良と呼ばれていた彼ら。額にはソリをいれ,頭はリーゼント,
眉なし。恐かった。しかし,一銭足りとも渡したくない。とりあえず,顔をひ
きつらせて言ってみた。
「金がないから,ヒッチハイクをしているんだ。」
彼らは,妙に納得し,頑張れよといっておとなしく帰った。ひと言助言をく
れて。
「レオーネズ(仮名),っていう暴走族を見かけたら絶対乗せてくれるゾ」
全くいい迷惑である。どこの馬鹿が
暴走族相手にヒッチハイクをするのだ。
しかし,金のない旅行だった。『こ
んな俺でも,社会に出れば,もっとリ
ッチな旅をしてるさ。こんな旅ができ
るのも,今だけだから。若さの特権さ。』
そう本気で信じていた。
・・・・が,25歳の夏,また,ヒッチハイクで旅に出た。しかも,財布に
は1万円だけ入れて。貧乏である。
25歳,夏
休みは,8/13〜8/16までわずか4日間。欧米では1ヶ月が当たり前というのに,
この国は相変わらずである。この4日間で私は北海道まで行きたいと考えてい
た。それがだめなら,秋田県の鳥海山まで。まあしかし,どんなに私が考えても,
結局こうゆう旅は,風任せ人任せである。とりあえず,キャンプセットと登山の
準備だけを,60リッターのバックパックに詰めた。ピークワン,コージツコッフ
ェル及びバングラディッシュ製の鍋フライパン,調味料に水筒,ビクトリノック
スのナイフ,ダンロップのテント。全て学生時代からの愛用品である。去年ハ
イエースバンという,動く要塞を手に入れたにもかかわらず,基本的には自転車
の頃となんらかわりがない。これだけあれば,海外でも8ヶ月は暮らせる。これ
は証明済である。
8/12。私は仕事中,一人のサイクリストに声をかけた。彼は,はじめてツーリ
ングを試みる13歳の少年だった。右も左も分からず,『はじめてのサイクリン
グ』という本を握りしめていた彼。もう夕暮れも近く,私は我が家に泊まる事
を勧めた。しかし彼はきっぱりと断り,半分泣きそうになりつつも,こう声を振
り絞った。
「今日は,生まれてはじめて野宿するって決めているんです。」
13歳。中学一年生である。日本のサイクリストの将来は,明るいね。
そんな彼をとにかく無理やり車に乗せて,私は余計なお世話と知りながらも,
その日彼が泊まるつもりだという海岸まで乗せていってあげた。そこでも彼は
再び泣きそうになりつつも,きっぱりと
「がんばります」
と言い放った。すこぶる気分がよい。何か困る
とすぐ人を頼ってしまう誰かさんに,爪の垢で
も飲ませてあげたい。
仕事は,3時には終わらせた。この辺の融通は,自営業ならば,お手の物である。
知人に頼み,四日市インターまで送ってもらい,そこからヒッチをはじめた。因
に,移動要塞ハイエースバンは,カヌーと共に知人に貸したのだ。この知人は,
すっかりカヌーにはまってしまい,この夏も,平岩('92)らと共に長良川に行く
と言っていた。
昨日13歳の彼を乗せたせいか,それとも普段の行いのお陰か,いきなり一台目
がヒットした。夜の8時,スプリンターカリブに乗る,大学4年生の男ども4人は,
少々お酒も入っていて,(彼らは)いい気分で乗せてくれた。酒が入ると,なぜか
説教したくなる人間が居る。彼らのリーダー格の運転手がそうであった。それ
まで,内定を幾つもらったとか,教員採用試験は難しかったとか,どこそこの企
業は態度が悪いとか,そういう大学4年生的な話をしていた彼らは,ひととおり
その話が終わってから,私に話を振ってきた。
(彼)「今,おいくつですか?」
(私)「・・・・20歳です」
(彼)「若いっていいねえ!」
ほろ酔いの彼は,僕が年下だと分かると,堰を切ったかのようにありがたい話
を(まあ説教ともいうが)してくれた。私はただただうなずいていた。
(彼)「君らの歳が一番遊べるいい時だよ。うらやましい。じじいは駄目だよ。
卒論は早くとりかかれよ。きっと景気もよくなるよ。」
そんな話を聞いているうちに,カリブは名古屋西ICに到着した。そこで下ろ
してもらい,お礼を言うと,22歳の彼は目を潤ませ(たかどうかは分からないけ
ど),
「君には前途洋々の未来がある。これでラーメンでも食ってくれ!」
といって,私に1000円くれた。今更本当のことは口が裂けてもいえず,おとな
しくポケットにいれた。心苦しいが,きちんとお礼を言った。
「先輩,どうもありがとうございます」
バチが当たった。その後,名古屋西ICで50分。やっと捕まえた車は,名古屋IC
まで。そこでまた30分。やっと捕まえたラブラブカップルのS-MXは,名神高速
を走ること20分。北海道に行きたいと言う気持ちの私は,『京都○○km』とい
う看板を見つつ,(一体私はどこへ行こうとしておるのだ)とやきもきしていた。
前では,カップルがいちゃいちゃしていた。
小牧IC。今日,最後のヒッチにしようと思っていた22時30分。日産180という
スポーツカーが止まってくれた。どこまで行くんですかと,岐阜ナンバーの彼
が尋ねた。
(岐阜には行きたくない)北海道方面です,と言うと,彼は飛び上がるほど嬉し
いことを言った。
「僕はこれから川崎まで行くんですけど,乗りますか?」
もちろん,である。なんとなく,サッカーの中田英寿に似ている彼とともに,
夜の東名をぶっとばした。ところが,その中田もどきの様子がおかしい。聞く
と,その中田もどきは,ほんの30分前に彼女に振られてきたという。最初は,中
田もどきの愚痴を聞いていた私も,静岡県に入る頃には,隣で,「ちゃーりー(仮
名)の馬鹿やろー」とか叫んでいる中田もどきがうっとおしくなってきた。し
かも私が思うに,振られて当然なのだ。次第に車内の空気が険悪になっていき,
ほとんどけんか別れのような形で,日本平のPAで下ろしてもらった。1時30分。
このけんかのとばっちりをうけたのは,渥美毎('92)と現役の村山のふたりであ
る。呼び出された二人は,結局朝まで酒につき合わされ,大暴露大会が村山の下
宿で繰り広げられた。
翌朝(といってもほとんど寝てないのだけど),私と村山は遅いモーニングを
食べに曲金のデニーズに出かけた。朝まで毎のおごりで飲み,一応先輩の私と
しては心苦しく思っていたこともあり,学生の村山には,もちろんごちそうする
つもりでいた。一番ぜいたくなモーニングセット(1,000円)を頼み,すかさず食
い,腹いっぱいになって,支払いを済ませようとする私の横で,自他共に認める
貧乏学生の村山が言った。
「(支払いは)二人一緒で。ニコスカードで。」
口をあんぐリ開けている私の隣で,さらに彼はこう加えた。
「僕も現金なくて,ちょっと(生活が)厳しいんですよ。でも,佐野さんよりは
マシですから。」
・・・・・・そんなに貧乏っぽく見えるのかしら。私が大学4年生の時,彼は
1年生だった。随分たくましくなったなあ,そう思いつつ,再び日本平PAまで送
ってもらった。
「この借りは,必ず返すよ。約束する。」
こういって,私は村山と別れた。腹いっぱい,後輩への感謝の気持ちいっぱい
で,今日も元気良く親指を立てる。ヒッチの開始だ。・・と思いきや,脳天を焼
き尽くすかの強烈な日射しを感じた。8月13日。私は大変なことに気づいた。
出発前にアウトドアショップで購入した3,000円近くもする麦わら帽子を村山
の車の中に忘れてきたのだ。自他共に認める貧乏な村山は,もちろん携帯電話
など持っているはずもなく,下宿にはおらず,泣く泣くあきらめざるをえなかっ
た。その帽子は今も村山が愛用している(と思う)。借りは,返した(つもり)。
気をとり直して,ヒッチを続ける。が,バチが当たったのか,40分ほど捕まら
ない。暑いし,眠いし,腹いっぱいだし,気が付くと,もう11時30分だった。がっ
くり肩を落としていると,するするするとローレルが近づいてきた。品のよさ
そうな老夫婦が,これから埼玉まで行くと言う。早速乗せてもらい,自己紹介な
どをし,話が弾む。いい人過ぎるほど人のいい夫婦だ。
「もう,60歳を越えると,東京の高速道路が分かりにくくてねえ。若い人(私
のこと)なら,地図を見てもすぐ分かるでしょう。しっかりナビゲートして下さ
いねえ。」
(私)「まかせてください」
地図を渡された。乗ってすぐのことである。
「そういえば,もうお昼どきねえ。次の富士川SAでごはんにしましょう。」
言うやいなや,すぐレストランにはいった。親切過ぎるほど親切な老夫婦は,
たっぷりと私の分まで注文してくれた。
「若いんだから,遠慮なくしっかり食べてねえ」
・・・一時間半前に,しっかりとモーニングを食べたばかりである。しかし
好意に背くわけにはいかず,無理して食べた。もちろん,こういってから。
「おなかすいてたんですよ。うれしいなあ。いただきます。」
車に乗って5分後,いびきをかいて爆睡。ふと目を覚ますと,『浦和IC
3km』
と書いてあった。え?!!東京?ごめんなさい。しかも,地図を枕にしていた。老
夫婦に合わせる顔がない。
こういう出来事の後は,やはりバチが当たるのか,雨は降る,当たりは悪い。
雨の中,東北自動車道を右往左往し,高速教習の自動車学校の生徒には笑わ
れ,(もういやだ!)そう思った頃,一台のハイエースバンが止まってくれた。那
須まで行くという。荷台の広いハイエース。運転席にはご主人さんが,助手席
には奥さんが座っていた。二列目のシートは最初からたたんであり,その広い
広い荷室には,プードルが走り回っていた。犬と同列の扱いである。またこの
プードルが随分うるさく,会話どころではなかった。耐えきれず,黒磯PAで下ろ
してもらい,夕食にする。ここで,はじめて自分のお金を使った。やいやい。
東北を目前にしている。本日最後のヒッチを試みた私は,すぐにゲットした。
すぐに福島に住むエド('93)に連絡をした。留守電。ちょっとがっかり。
黒磯PAで乗せてくれた車は,山形県の米沢まで
いくという。せっかくなので,米沢まで乗せてい
ただき,この日は,米沢の割烹を営む知人の家に泊
めていただいた。海の幸・山の幸が食べ放題であ
る。酒屋も兼ねて経営しているので,酒はむろん飲
み放題のパラダイスだ。こういう知人を持たねばな
らない。けっして,肝心な時に留守電で,いざ飲もう!と言う時にタイミング良
く電話をかけてきて,ずうずうしく福島から米沢までぶっとばしてきて,がつが
つ食べて,飲むだけ飲んで,いびきを掻いて隣で爆睡しているエドのような友人
を持ってはいけない。この夏,久しぶりにエドパワーを見た。おかげさんで,あ
まりねれなかった。
翌日14日。私とその割烹兼酒屋の友人は,吾妻山へ登った。天気,いまいち。
15日16日とかけて,日本海に出て,それから信州を経由して三重県に戻った。
すでに4人乗っている日産スカイラインGT-Rに乗せてもらったり,失恋旅行の
マーチの中で愚痴を聞いたり,ブルガリア人に日本語を教えてもらったり(相手
は京都大学大学院のドクター),笑い一杯のワンボックスカーの家族,ホモっぽ
いおやじもいた。皆に少しづつ何かを頂いて,腹と心を満たして旅を続ける事
ができた。この夏のヒッチの目標であった北海道は随分遠かったけど,まだま
だ日本人も捨てたもんじゃない。2日間の移動で,三重県から山形県まで行ける
のだから。昔,ヒッチをしていた大学生のにいちゃんの言葉をふと思い出した。
「人の親切に出会うためだけの旅,そんな旅の形があってもいいよね。」
いいと思った。これから出会う多くの人に対し,私は精一杯優しくなれる,そ
んな小さな自信を胸に,帰宅した。
帰宅した私を待っていたのは,バッコーンと傷付いたハイエースバンだった。
購入後10ヶ月の我が愛車を見て,さっきまでの気持ちは北海道よりもかなたへ
吹っ飛び,一言「弁償!」と非情に言った。人間,優しくなるということは難し
い。