WAVE 〜 日々のコラム

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March 2004

March 03, 2004

Le pont Mirabeau : ミラボー橋
日本人とシャンソン

 

March 05, 2004

日本人とシャンソン その2
〜 なかにし礼とホテル高輪 〜

 

March 16, 2004

一瞬の隙〜高橋尚子
スポーツは情報戦である

 

 

 

 

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March 16, 2004

一瞬の隙〜高橋尚子
スポーツは情報戦である


誰でもが書きそうなネタなので実はあまり書きたくない今回の高橋尚子のアテネオリンピック出場落選の件。

私が書きたいのはただひとつ、高橋尚子・小出監督連合は情報戦に敗れたということである。

基本的にこのペアが発するものは、シドニーオリンピック制覇後なにか別の方向にいってるようで理解しがたいものがある。またそういう部分はあまり好きではないので実は書きたくないのだが、それ以上にスポーツにおける情報戦の大切さに触れたいという気持ちのほうが大きいので述べてみたい。

彼らはどんな情報戦に負けたか?

土佐礼子が中国・昆明での合宿で故障し、練習も良くできなかった。したがって、名古屋国際マラソンに出たとしてもとても満足のいく記録は出せない。安心して名古屋はパスしてもアテネへの切符は十分手に入れることができる。
高橋サイドはこう踏んだのである。

しかし、これは大きな間違いであった〜と私は推理する。
もちろんこの核心については、土佐サイドや三井住友海上側の首脳陣は決して首を縦には振ることはしないだろう。またこのことは彼らは墓場まで持っていくであろう。

すなわち、土佐が調子が悪いという情報を土佐サイド首脳陣が意図的に流したと思われるのである。または土佐は調子が悪いということにしておこうとしたのかもしれない。
中国での情報はほとんど入らない状態であったし、高橋サイドの情報収集力には疑問があることは否めないのである。
小出監督と高橋尚子を見ているとまるで小学生と先生のような、失礼だが、大人からみると“気持ちが悪い”ものを感じさせたりする。大人としての冷静な情報収集という部分がどうしても欠落していたのではないかと思わざるを得ないのである。

それを裏付ける人がTBSスポーツアナウンサー・中村秀昭氏である。
最近のアナウンサーにはプロ顔負けや、実際プロに等しいような人がたくさんいるが彼もその一人である。

中村アナは自らもマラソンランナーである。素人でありながらフルマラソンで2時間4951秒という記録を持つ。
また
100kmマラソンを9時間59分で走破したという猛烈な人である。もうこうなったら玄人か?

こういう人がいうことには重みがある。彼の言によるとこうである。

1.スタートに立った土佐の足を見るととても故障したという足ではない。
2.走っている足を見ると足が地面に付く度に筋肉が盛り上がる。あれは故障後の選手ではありえない。
3.もし、故障を持つランナーであれば、スタート時からあのようなスパートでリードを取ることは不可能である。
4.最後の追い上げなどはもっと難しいことである。

これは中村アナが名古屋国際マラソン前後に陸上の専門家に何人も取材をし、自らのランナーとしての経験も踏まえて導き出した結論だそうである。
とにかく、陸上のプロはみな以上のようなことを確信を持って話してくれたそうである。

ということは?

あきらかに高橋サイドの情報収集不足または判断が甘かったのである。実際出場していたとしても結果はわからない。しかしいえることは、高橋は名古屋国際マラソンに出場すればアテネへの目があったということになる。

頂点を極めた選手と監督の一瞬の隙だったのではないだろうか?


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March 05, 2004


日本人とシャンソン その2
〜 なかにし礼とホテル高輪 〜


偶然が続く。

March 03 の「Le pont Mirabeau : ミラボー橋 〜 日本人とシャンソン」を載せた日と相前後して、やはりリンクしているtacaさんが作家なかにし礼の最近の作品でNHK連続ドラマ「てるてる家族」をとりあげている。

NHKの連続テレビ小説とか大河ドラマにはまったく関心がないので、私はこの番組を見たことがない。
しかし、原作者がなかにし礼であることや、なにかの番組紹介で見たことから私には連想することが多々ある。

なかにし礼が世に出たのは、かなり昔のヒット曲「知りたくないの」の訳詞であったと思う。
以前にも記載した「さとうきび畑」のように、この「知りたくないの」はヒット曲とこれに関わった人物や人生をドキュメント風に仕上げた「そして歌は生まれた」(のようなタイトルだった)がNHK BS2で初期に放送した曲である。

この中で知ったことだが、「知りたくないの」の原題は「I really don't want to know」というカントリーバラードであり、最初は「たそがれのワルツ」として日本で紹介された曲だそうである。

歌詞は次のようなものである。


How many arms have held you
And hated to let you go
How many, how many, I wonder
But I really don't want know

How many lips have kissed you
And set your soul aglow
How many, how many,I wonder
But I really don't want to know

So always make me wonder
Always make me guess
And even if I ask you
Darling don't confess

Just let it remain your secret
But, darling, I love you so
No wonder, no wonder I wonder
Though I really don't want to know

日本語の歌詞はあまり詳しくは記憶していない。

♪あなたの過去など
知りたくないの♪
♪たとえこのわたしが
聞いても言わないで♪

といったように始まる。

カントリバラードではあるがたいへんしっとりとした歌詞とメロディーであり、歌唱力のあるJポップ系の歌手が今でも歌い継いでいる名曲である。


国立音楽大学大学院卒業後、タンゴバンド専属歌手となったが、なかなか芽が出なかった菅原洋一は当然ごとくアルバイトをする。
白金の閑静な住宅街にも近い泉岳寺にあるしっとりとした格調ある「ホテル高輪」である。彼はこのホテルのバーで歌ったのである。

ホテル高輪は夜遅くであれば赤坂から10分、銀座からでも15〜20分ほどの距離である。
当時のクラブで仕事をしていた女性の帰り際に食事などをしながら心を休めるところだったという。
彼女たちが自分の人生に重ね合わせたのであろうか、「知りたくないの」は静かに口コミでヒットしていった。

なかにし礼もまたこの訳詞で世に出たのである。
しかし、これは英語の訳詞であった。

立教大学で仏文を専攻していた彼は、実は学生のときからすでにアルバイトで数々のシャンソンを訳詞していたのである。
「知りたくないの」がヒットする前から、銀巴里などで歌っていたシャンソンの大御所のような人たちは「礼ちゃん」とか「礼」といって彼を可愛がっていたそうである。
三島由紀夫と交流のあった美輪(丸山)明宏、大物政治家一族の石井好子などにはじまり、当時は中堅や若手だったかもしれない戸川昌子、瀬間千恵、金子由香利、仲代圭吾(仲代達矢の弟)、しますえよしお、工藤勉、堀内美紀、村上進、北原ミレイなどである。
(この辺の時代感覚については、なかにし礼も含めて、世代が違いすぎて詳しくはわかりません。)

私は幻のSt.Paul Boyである。
現実としては校風や学風などというものはあまり存在しないし、個性などというものも基本的には個人の資質によるのである。
そういう意味では立教OBの人たちには大変失礼であるが、もし立教にいったら、私のような性格の人間はもっと勉強しないようになるのでは?などと考えて違うところに進んだ。
もちろん、決してそれだけの理由ではない。専攻が実学系であることも影響している。
説明が面倒なときはこういうようにしている。
「立教は好きだが、池袋は嫌いだ。」 実際、これも本当である。
また、アメフト好きな私がポール・ラッシュ博士が日本に持ち込んだルーツ校である立教Rushersにやや肩入れしているのもこういうところに由来する。立教を選択していれば当然Rushersを応援していただろう。

そのようなこともあり、なかにし礼には何か興味というか親近感のようなものをずっと持っていた。
後に「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞したなかにし礼であるが、不思議なことにこの作品以外はかなり自分のプライバシーを露出する作家となっている。
したがって、この辺の彼にはやや好きになれない部分もある。

自らカミングアウトといっている「兄弟」は数年前にTV朝日がビートたけし、豊川悦司でドラマ化(五社英雄がプロデュースではなかったか?)、最新の「赤い月」は彼の母をモデルにしたもので常磐貴子主演で映画化された。

冒頭の「てるてる家族」は、何かのガイドから想像するに、多分、いしだあゆみ、ゆり姉妹をモデルにしているのだろう。いしだあゆみは芸能界入りするまえにはフィギュアスケートで全国的にも上位にランクインした選手となにかで聞いたことがある。いしだゆりはなかにし礼と結婚した。

個人的な想像ではあるが、「兄弟」などによる現実があったとしても、なかにし礼は“作家”という肩書きになってからも、内面的には彼自身のロマンチックなものをかぎりなく追求していたのではないだろうか。
そしてその原点はやはりシャンソンにあったのではないかと思うのである。


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March 03, 2004

Le pont Mirabeau : ミラボー橋
日本人とシャンソン


リンクしているじゅんやさんのBBSでシャンソンの話になった。
じゅんやさんはフランス語が専門なので、アポリネールの「ミラボー橋」についてはとうぜんのごとくすらすらと理解できる。
しかし、わたしはフランス語はある程度しか理解できず、しかもこの「ミラボー橋」に関しては金子由香利の日本語の歌詞によるシャンソンを聴いて知ったのが最初である。
一番有名な訳として堀口大学の「ミラボー橋」を下にとりあげた。

LE PONT MIRABEAU

ミラボー橋

Sous le pont Mirabeau coule la Seine
Et nos amours faut-il qu'il m'en souvienne
La joie venait toujours après la peine
* Vienne la nuit, sonne l'heure
Les jours s'en vont,je demeure

Les mains dans les mains restons face à face
Tandis que sous le pont de nos brás passe
Des éternelles regards,l'onde si lasse
( * refrain )

L'amour s'en va comme cette eau courante
L'amour s'en va comme la vie est lente
Et comme l'espésperance est violente
( * refrain )

Passent les jours et passent les semaines
Ni temps passé,ni les amours reviennent
Sous le pont Mirabeau coule la Seine
( * refrain )

ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ われらの恋が流れる

 わたしは思い出す 悩みのあとには楽しみが来ると

 日も暮れよ 鐘も鳴れ

 月日は流れ わたしは残る

 (堀口大学訳「ミラボー橋」)

金子由香利はこれを歌うというよりは客に語り掛けるといったほうが正確である。
詩の美しさと彼女の雰囲気で涙を流す人も少なくない。

銀巴里がその幕を閉じてからかなりの時を経たが、今でも懐かしむ人は多い。
私も最期ということを聞いて2度ばかり行った。
日本のシャンソンの歴史そのものである。数々のシャンソン歌手を生んだ銀巴里は、多分、本物のシャンソンとはまた違ったひとつの文化として銀座に根付いた。
私は学生時代からこういうシャンソンなどが好きで、銀巴里の近くの石井好子さんがオーナーだったシャンソン・レストランなどに生意気にもボトルをキープしたりして通ったりした。学生なのにそういうところに使うお金は惜しくなかったし、なぜか持っていたのである。
これと同じように、行き付けのフラメンコパブなどもあった。

いったいどんな学生生活だったのか自分でもいまだによくわからない。しかし、いえることはそういう遊びが好きだったのである。母の誕生日が7月14日でなにかとパリ祭と吹き込まれたこともかなり影響している。

じゅんやさんはさすがにプロらしく、日本語の歌詞にする難しさをこのように説明してくれました。
以下はじゅんやさんのBBSからの転載です。


訳詩について少しお話しします。

フランス語は、歌ですと脱落性の e e caduc)のすべてに1音節をあたえるなど、ふつうにくらべればゆっくりはしているのですが、それでも日本語にくらべると、フランス語のほうが、おなじ内容をいうのに音節の数がすくなくなります。
たとえば引用してくださったさいごの2行は、フランス語では

Vien / ne / la / nuit (4
音節) son / ne / l'heu / re (4音節)
Les / jours / s'en / vont (4
音節) je / de / meu / re (4音節)

という韻律ですが、日本語では、

よ る が き て (5音節) か ね が な り (5音節)
ひ び は さ り (5音節) わ れ は ひ と り (6音節)

と、どうしても多くなります(夜を「よ」とよんだり、我を「わ」とよんだりするとみじかくなりますが)。
この結果、シャンソンを日本語の訳詩で聞いていると、つまった歌詞をやや早口で語るような調子になりがちです。

このことを意識して、≪ミラボー橋≫には、音節の数をフランス語に(ほぼ)そろえたべつの訳詩もあり、

ゆ う べ の (4音節) か ね が な り (5音節)
す ぎ ゆ く (4音節) あ の ひ び (4音節)

というぐあいです(「かねがなり」の部分は1音節多いですが、ここは heure -eu‐ が長母音なのにあわせてレオ・フェレの曲もゆったりしているところなので、あまり無理はありません)。
ただ、情報量はかなり減ります。

訳詩は、あちらを立てればこちらは立たずですね。


まったく明解である。
そして私は、このもう一つの歌詞でもたしかに聴いた覚えがある。このときはTVかなにかでかなり若手の歌手だったように思う。

じゅんやさんは、パリ留学中の研究や勉学の通り道がミラボー橋だったそうである。

私はといえば、「ミラボー橋」が好きな人がよくやるように、橋の袂に佇んでこの歌詞を噛み締めるという典型的な日本人を一度だけやったのである。

++ じゅんやさん(=渡邊淳也さん) : 筑波大学大学院人文社会科学研究科助教授 :フランス語 ++


LINK

Léo Ferré Official Site

じゅんやさんのブログ

 


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