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立川らく朝さんのこと(2001年3月3日)

〜内科医にしてプロの落語家〜


朝日新聞3月1日付朝刊をなにげなく見ていると、どこかで見た顔を発見。でもメガネをかけてないからなぁ、似た人だなぁと思ってよく見ると、あっ、福沢さんだと確信。

以前所属していたテニスクラブでのある年のクラブ内トーナメント・ダブルス決勝の対戦相手ペアの一人です。福沢さんは慶応病院の内科医で、無類の落語好き。杏林大学の落語研究会(落研)の創始者であり、上野・本牧亭での杏林大学落研主催の独演会の案内状を同じクラブ仲間としてもらったことがあります。氏はたいへん穏やかな人柄で、こういうお医者さんばかりだったら世の中もよくなるのになぁとわたしはよく思ったものです。

その彼が落語への魅力絶ちがたく、医師としての仕事のかたわら、3年前に立川誌らく師匠(立川談志師匠の弟子で売れっ子落語家)の‘特別なお客さん扱いの弟子’(立川流でいう*Bタイプの弟子のことを指すのだと思います。Aタイプは本当に弟子入りして本来の落語家となるために入門する人のことをいいます)として入門、今回ついに立川一門の芸名をいただいたという記事です。

*立川談志師匠のBタイプの弟子で有名な方に、たとえば、北野たけし氏、放送作家・高田文夫氏(芸名:立川籐志楼=しろうとをもじっています)、故・景山民夫氏(芸名:立川八王子=私はこの芸名には結構笑いました)、映画の山本監督、作家・マンガ家・内田春菊氏、など多士済々の方達がいます。

福沢氏は談志師匠の孫弟子ということになります。

*注:3月6日、らく朝さんのホームページを偶然にも発見、このなかで彼はなんと1年前にAコースに再入門したということを載せています。う〜ん、すごい!! ここに訂正いたします。立川らく朝ホームページへ


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さてダブルス決勝戦、わたしのそのときのペアは聖マリアンナ大学6年生のO氏でしたが、試合開始がたしか午後1時だったと思いますが、12時半ぐらいになっても彼がコートに現れず、棄権にしようかと主催者と話し合っていました。内輪のクラブの大会で、わたしも遊びでやるテニスは好きですが、あんまりガチガチ本気でやるような、とんがった感じの試合は好きではないのでちょうどいいやと思っていました。

ところがペアのO氏は10分前に到着したので試合は行われることになりました。彼はなんと朝の4時までに家に遊びに来た友達たちと飲んでいたというのです。もともと人が足りないという主催者側の事情での急造ペアだったので、決勝まできたことだけでも記念だからいいよねとお互い言っていたので、とにかく体の具合が悪くならならい程度にやろうよということで試合はスタートしました。

ふだんは相手ペアの福沢氏とも時間が一緒になれば時々プレーしていた仲なので、お互いニコニコしながら楽しく遊びながら決勝戦はくりひろげられた?のでした。逆に見学していた観客のほうが妙に盛り上がっていたような気がします。

(記事・写真=朝日新聞2001年3月1日付朝刊2面〜ひと欄)


しかし、世の中いったいどうなっているのでしょうか。このいいかげんなペアがなんとセットカウント2対1で勝ってしまい優勝。お互い疲れきっていた私たちは優勝のカップをもらいそそくさと帰ってしまいました。

このトーナメントはルール上、決勝進出ペアは翌年の大会には同じペアでは出られないということになっていたので、私は次の年に福沢氏こと立川らく朝師匠とペアを組もうということに決まっていたのですが、残念ながらわたしのスケジュールの都合で出場できなくなりこの世紀?のペアの実現はなりませんでした。

さらに新境地を広げている福沢さんの記事をみてうれしく感じることはもちろん、そのすばらしい努力と研鑚を尊敬し、今後も‘落語家’としての彼を応援していきたいと思います。

.TA

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