腹巻の書斎にご訪問いただきましてありがとうございます。
このページに限りましては私個人の趣味に走らせてもらいまして、檸檬会と満月会の宴からは独立しております。
会とはあんまり関係ございませんので、ご了承ください。
いろいろと企画は考えております。まだまだ内容を濃くしていくので、末永く見守ってやってください。
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「ヒッチハイク編」
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1996年 9月6日〜9月10日 旅前半 松本→佐渡→松本 1996年 9月11日〜9月19日 旅後半 松本→高山→長良川 |
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「中津川での凍える夜」
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「旅立ち」
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1997年 5月19日 |
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「スゴロク」
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2001年 10月17日 |
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「RE:スゴコク」
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(友人からの返信) |
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「週末の夜」
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2001年 11月03日 |
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「航海」
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2002年 3月3日 |
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What's New
2000.2/5
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2000.2/25 信州大学壁紙追加
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2000.7/15 おまけ的に高校時代考えた漫才ネタ
2001.10/17 リニューアル
2001.11/03 更新
2002.03/03 「航海」追加
2002.10/01 ペーパーのかたわれ。追加です。
腹巻日記
1996.9.6 PM.9:00
第一日目
9月6日朝6時半に起きる。昨日の夜は興奮してなかなか寝付けなかった。結局眠りについたのは3時半くらいだったと思う。7時にこまくさ寮を出発。とりあえず、国道19号線に出るためにくそ重くなってしまったザックを担いでこまくさ道路を下る。
この肩に食い込んでくるザックの感触は実に2年ぶりだ。高2の夏、佐多岬目指して九州を南下した時以来の感触だ。あの時は2人(4人といってもよいが)だったが今回は一人、一人旅をするのは初めてだ。
ヒッチハイクをしたことがあるといっても、実は一人ではしたことがないのだ。はっきりいって不安だった。とりあえずサムアップしようと思い、スケッチブックに長野市方面と書こうとしたが、肝心のスケッチブックを買うのを忘れていた。いきなりのミス。とりあえずコンビニでダンボールをもらいそれを代用することにした。今日は金曜日、しかも9月で世間一般で言う夏休みは終わっている。これはなかなか拾ってもらえそうにないぞという予感はあたり、9時になっても道路を流れる車からの反応はほとんどない。これはヤバイと思い場所を変えるが反応なし。会社へ行くサラリーマン風のおっさんばっかりで俺のことは完全に無視しやがる。まあここは落ち着いていこうと思いなおして、車が止まり易いスペースがある所を探してサムアップした。10分後トラックをGet!! すごく気のいいおっさんだった。
犀川沿いに北上する。目指すは日本海だ。とりあえず目標は日本海が見えるところにしよう。
おっさんに昼飯をおごってもらった。俺は「ラーメンでいいです」と言ったけど、豚汁定食をおごってくれた。おっさんはというと蕎麦をとったが一口食うなり「まずい!」と言ってそれ以上食おうとしない。かなり蕎麦にこだわりを持つオヤジだ。そのオヤジに川中島までつれてきてもらった。
しかし今日のポイントはこの川中島にあった。
とりあえず国道に戻ろうとしたが、わけわからんようになってしまった。歩いても歩いても、もも畑ばっかりでどうしようもない。道を聞いても聞く人によって言うてることがちがうぞ! 歩きまくってヘトヘトになってやっと19号にたどり着いた。そこからヒッチしたのが、某大手コンビニの車に乗ったニイチャン。なんかヒッチハイクのコツを教えてくれたのはいいが、「昼は遊んで、夜トラックで移動する」というものだった。それも確かにいいのだが、俺に言わせるとわかってないなあという感じだ。トラックの止まっているところに行って頼むのは確かに確実だが、邪道だ。本来のヒッチハイク(えらそうやけど)
は少なくともヒッチハイクをいうのは車をえらんではいけないのが原則だと俺は思う。乗せてくれた人に運命をまかせる。これくらいの気持ちを持っていたい。
次につかまえたのは天然ボケの入った若奥様だった。俺は乗っけてもらう立場なのに向こうの方がオドオドして「はい、はい」と答えているので少し戸惑ってしまった。でもなんかボケーとして良い人だった。今日のラストはツーリングワゴンのオヤジ。こいつはなんだか曲者でニイガタケンセイショウネンイクセイイインみたいなことをしているらしい。しかも小学生にバレーボールを教えているという。でもおっさんはバスケ部やったらしい。やけに親切やったけど、先生みたいでちょっとむかついたとこもあった。やけに質問ぜめにしやがってこのオヤジ。
でも結局上越まで連れてきてくれて、おまけに公園に案内してくれて、温泉にも連れて行ってくれて、そして今俺はこの公園で今日の分の日記を書いているというわけである。夕食はラーメン、ソーセージ、
コーンビーフ、ビールである。とりあえず、今日一日が無事に終わってよかった。一人でもなんとかやっていけそうだ。
一日目end!!
1996.9.7 PM.2:11
第二日目(佐渡汽船フェリー内にて)
今日9月7日はかなりヤバかった。実は昨日テントを設営した場所は日本海が一望できる丘の上だったのだ。それがなぜ問題だったかというと昨日の夕飯時からポツポツしていた雨が早朝5:00ぐらいから本格化してきたのだ。テントの中でヤバイ!思いだしたころにはもう既に遅し。ただの雨だったのがあっという間に嵐に変わり、日本海からの直輸入の風は俺様の2000円テントを容赦なく襲った。何とか耐えてくれと願っていたのだが、雨漏りがし始め、骨組みも空中分解しそうだった。
「バリバリバリバリ ドガッバリッ」 テントは45°に傾いている。もう限界だった。
テントから飛び出し、テントを何とか動かそうとしたが、なんせ俺のグッズたちすべてをテントの中にぶちまけていたためそう簡単には動かない。ずるずると引張ったらアスファルトでテントが破けてしまった。その間にも嵐は俺を襲う。近くのトイレになんとかテントを持ち込んだが、なんせトイレなもんで臭い。もう泣きそうだった。かなり油断していた。日本海をなめたらあかん。痛感した。
シュラフ、着替え、テント、ザック、その他もろもろすべて濡れてしまった。
とりあえず、トイレの中でパッキングして近くのホテルに避難させてもらった。そのホテルがなかったらヤバかっただろう。そこでなんとか体制を立て直し、雨も止んできたのでもう一度上越市に戻って、直江津港へ。そこからフェリーで佐渡へ向かっている。この日記を書いているのはその途中である。
とにかくフェリーの中にはオバハン、オッサンが多い。集団でガバガバ笑いながら移動して、みんなでソフトクリームを食べながら歩いている。あいつらは何を考えて生きているのだろうか。ちょっと考えてしまった。新潟はやたら広い。でもあまり地元の人は親交好きではないようだ。根はいい人だと思うのだが、見知らぬ俺には少し閉鎖的になるようである。ヒッチは割とスムーズにいっているが、つかまるのはオッサンが多い。オネエチャンをつかまえたいのだが…まあ贅沢は言わないでおこう。佐渡に着いたら4時ぐらいだけど、テントはどこに張ろうか?少しヒッチしてからの方がいいかもしれない。
続きは夕飯後に…
二日目前半end!!
P.M 8:04
第一の目標としていた佐渡に到着した。フェリーは小木町というところに着き、フェリーの発着所の前を国道350号が通っている。でも肝心の車の量は少なく、あまりつかまる様子はない。でもいったん通り過ぎたネーチャンが戻ってきて乗せてくれた。グラサンをかけていたのでイカツイ人かなあと思ったが、スゲー良い人でずっと楽しく話をしながらドライブをした。天気も完全に回復し、佐渡の海が遠くまで見渡せた。オネーチャンも海岸沿いをわざわざ走ってくれた。とてもよかった。
オネーチャンは佐渡で生まれ佐渡で育った根っからの佐渡人らしい。島が抱えている過疎化という問題についても話をしてくれてためになった。「佐渡が好きだから、佐渡にいる」という言葉が印象的だった。
観光のために海岸線が破壊されているのを見て、なにもいじらない自然であってほしいと俺みたいなことを言っていた。温泉と公園があるところまで連れて行ってくれ、俺はその公園にテントを張ってこれを書いている。温泉はとてもいいところで綺麗だった。二日続けて温泉に入れるなんてけっこうラッキーかもしれない。今は真野というところにいる。まわりはとても静かでコオロギの声が聞こえている。時々温泉から帰る車の音も聞こえる。人の姿は見当たらない。寂しいところだ。
俺はどっちかというと一人でいてもけっこう楽しめるほうだけど、ここはなんか根本的に寂しい場所だ。土地が土地だけになんかここに一人でいることが不思議になってくる。果たして無事に帰れるのだろうか。ちょっと不安である。佐渡はスゲー綺麗なところだ。一人旅の意味はなんなのだろうか?得るものは本当にあるのだろうか?その答えは旅の終わりに出すことにしよう。
二日目end!!
1996.9.8 P.M 1:17
三日目(佐渡汽船フェリー内にて)
昨日は少し寂しかったが今朝目がさめると空は快晴で晴れ渡っており、気持ちのいい朝となった。夜露か雨かは分からないが地面とテントはちょっと濡れていた。今朝は昨日と違ってゆっくりできたので、まず、テントやシュラフを干し朝飯にした。朝飯はラーメンとコーヒーだ。飯を食い終わり、のんびりとパッキングしていたら、ネコが2匹やってきた。昨夜は1匹だけ見たのだが今日は2匹になっていた。さては昨日さばの味噌煮をやったから味をしめてやって来たのか?
しかたないので残りの飯をやり、またパッキングし始めたがネコたちは帰っていく様子もなく俺の方をじっと観察している。しばらくすると兄貴風のやつがウンコをし始めた。ウンコが終わるとどこかへ行ってしまった。もう1匹の方は俺の傍で寝始めた。
一人の時はネコでもなんでも傍にいるとうれしいものだ。俺がテントを張ったところは仁徳天皇(だったかな?)に関係がある場所でいろいろと店があった。その中に石を売っている店があり、綺麗な石があったのでおばちゃんと話をして、いい石を売ってもらった。俺が一番の客だからと言ってまけてくれた。
この石はいつも世話になっているからお母さんにあげることにしよう。(エライ!!)
国道350号に出てサムアップするが、通るのはお年寄りばっかりでヒッチハイクすらも分かっていない様子。しばらく粘ってみたがつかまる気配はない。空にはトンビ?がピーヒョロローといって回っている。
のんびりしている。俺ものんびりした。
少し歩いているとセラが来たのでヒッチするとつかまった。この車はかなりヤバイ。
ドアが西部警察の大門の車みたいに上に開くのだ。でも狭くてかなり乗りにくかった。この車は失敗だろう。(ニーチャンには悪いが)そのニーチャンに両津市までつれて来てもらい、そこからまたフェリーに乗って新潟市へと向かっている。これを書いているのはそのフェリー内である。
行きのフェリーと違ってこちらのフェリーは人が多くかなりうっとうしい。特にオバハン、オッサンが多くてとにかくウルサイ、ウルサイ。観光の旗の下に結集してぞろぞろ移動してほんまにヤバイぞこいつら。俺もこんなオヤジになるのだろうか。死んでも避けたいものである。
あいかわらず海は綺麗だ。日本海は太平洋より潮の香りが少ないように感じるのは気のせいだろうか。
続きは夕飯後に…
三日目前半end!!
P.M 7:17
新潟港にフェリーが着いたのが3時頃。そこから市内まで歩き国道に出ようとしたが、その国道がまたややこしく、辿り着くことができない。やっと見つけたと思えばその道はバイパスでヒッチできるような場所ではなかった。初日にツーリングワゴンに乗せてくれたオヤジが「新潟市内は車つかまえ難いぞ」と言っていたのを思い出した。とにかくそこでつかまえるしかなかったので、ヒッチを続けたがいっこうにつかまる様子はない。太陽も沈み初めかなり焦ってきた。あきらめてどっかに野宿しようかと考えていたら反対側からロードスターがUターンしてきて俺の前で止まった。
かなりうれしかった。念願のロードスターに乗れるとは。その人は20歳でかなり車好きらしい。いろいろと改造をしていてかなり速かった。車のことに関しては俺とけっこう好みが一致していてかなり盛り上がった。ロードスターのおもしろさを教わった。「GTRとかスープラとか速い車はいっぱいあるけど、ほんとに面白い車はロードスターだ」とそのニイチャンは言っていた。俺もそう思った。
長岡市の方まで行きたかったのだが、そのニイチャンは家が全然違う方向みたいで、俺のためだけにわざわざ走ってくれているのであまり無理を言うわけにはいかなかった。とりあえず白根というところに降ろしてもらいジャスコで夕飯を買って、その近くの神社にテントを張っている。1日目、2日目のように温泉がなくて残念だ。でもこれが普通だろう。金がなくなってきたのでちょっと節約する必要がでてきた。腰や肩もかなり疲れがたまってきたみたいだ。
10日には松本に帰りバイトに行きたいが、この調子では難しい。明日からはもっと距離を稼がなくては。長岡とかこの辺は治安が悪いと聞いたのでちょっと心配だ。そういう時に限って消防車が通っていった。とりあえずもう寝るとしよう。
三日目end!!
1996.9.9 A.M 9:13
第四日目
起床6時半。今日は早めに出発したいと思いパッキングを始める。すると近くの家からお婆ちゃんがやってきて、お茶でも入れてあげるから家に上がれと言う。ちょうどラーメンのお湯を沸かそうと思っていたので、そのお湯ももらうことにした。家はかなりの豪邸で老夫婦2人で住んでいるらしい。75歳ということだった。そこで味噌汁と梨をもらい、ゆで卵をお土産にもらって出発した。ところが曇り空だったのが、次第に雨に変わり、けっこう激しく降り始めた。雨が降っている時のヒッチほど辛いものはない。
車のつかまる確率は格段に落ちる。今は歩道橋の下にいて雨はあまりかからないが、動くに動けず1時間ばかりヒッチしたが反応もなく、しかたがないのでこうして日記をつけているというわけである。今日中に進まないとヤバイのにこのまま雨が降っていると、よっぽど運が良くない限り10日に松本に帰るのは難しいだろう。ヒッチもやる気はなく、なんかどうでもよくなってきた。とりあえず雨の止むのを待つが、今日明日はこんな天気なのではないだろうか。雨は冷たくけっこう寒い。これで風邪をひかなければよいが。月曜の朝でしかも雨である。ヒッチできるとは到底思えない。どうしたらええんや。
このままヒッチを続けるか。別の雨の当たらない場所を探して休むか。雨の中を移動するのは困難だ。
くそー寒いぞー!
P.M 0:12
大雨になってきた。なんとかトラックをつかまえて長岡市までやって来たが、この大雨では動きようがない。とりあえず俺は今自転車置き場にいる。さっきから朝お婆ちゃんにもらったゆで卵ばかり食べている。それしか食べるものがないからだ。近くに店らしきものは見当たらない。前を国道が走っているがビュンビュン走っていてヒッチできる状態ではないのだ。とにかくこの雨が止むのを待つしかない。ここは雨が当たらないしゆっくりするとしよう。あーまいった。まいった。
1996.9.10 A.M 1:30
今はどこにいるかというとなんとこまくさ寮である。昼までまだ新潟をうろついていたのに、なぜかあっという間に松本まで帰ってきた。
自転車置き場を出て少し歩くと、レストランみたいな所があった。そこでチャーハンを食べた。ゲーセンで少し遊びまた歩いた。その間も雨はかなり降っている。雨の中サムアップしているとかなり古いが感じのいい車に乗っている3人組にひろってもらった。その人たちは地元の人で町の商店街の屋根のあるところまで連れて行ってくれた。そこで屋根に入ってヒッチをしていると赤のセリカが止まってくれた。
そいつはまだ18歳だと言う。かなり老けていたが俺より一つ下だ。俺より年が下のやつに乗せてもらったのは初めてだった。気楽な感じで楽しく走った。そいつに十日町までつれて来てもらい、また商店街でヒッチをした。30分ほどしてレガシィが止まった。若いネーチャンと偉そうなニーチャンが乗っていて最初は嫌なパターンやなと思った。いつもこうゆうパターンでは偉そうに利口ぶるニーチャンとべたべたするネーチャンと決まっている。 俺も最初はそう思ったのだが、この二人実はカップルではなくて従兄弟同士らしい。ニーチャンは転職中で休み、ネーチャンは大学三年生ということだ。
奥志賀スーパー林道へ行ってそこから帰るとのことだったので俺も行ってもいいなと思い、同乗することにした。とにかくこのニーチャンはやたら車をとばす。カッコつけてるだけかと思ったが、けっこう運転は上手かった。スーパー林道というのは予想していたよりも激しかった。今まで通った道の中でもっとも険しかったのではないだろうか。地面は8割が未舗装の砂利道で、高度も2000メートル近くまであり、ちょうど雨も降っていてガスが発生し前が見えない。ニーチャンはがんがん走っていく。3時間くらい山の中をセガラリーのように走った。
その時間の中で俺らはやけに一体感を感じるようになっていまい(なんか一緒に困難を乗り越えると親しみが湧くものだ)その人たちの目的地は全然違う方向だったのだが、結局松本まで送ってくれることになったのだ。高速に乗ってガンガンとばしてもらい、なんと新潟から一気に松本まで帰ってきたのである。ちょっと偉そうだったけど、無茶苦茶いい人たちだった。パンとか食え食えと言って買ってくれたりしてなんかよかった。別れるときには固い握手をして別れた。
1日早く旅は前半を終えたわけだが、最後はやっぱり前半のフィナーレを飾るにふさわしい素敵な別れだった。ヒッチハイクの楽しさ、人との出会いと別れ、なんと言ったらいいのかわからないが名前ももわからないまま、そのまま別れてしまう人もいる。ちょっと仲良くなって別れる人もいる。
すごく仲良くなって別れる人もいる。でもすごく仲良くなった人でももう一度どこかで会った時には他人に戻っているに違いない。でもその一瞬だけはすごく仲良くなれる。なぜかはわからない。
ヒッチハイクした人なんて顔も思い出せない。どんなに楽しく話をした人でも顔を思いだせないのである。でも車の中でした話は思い出せるのだ。
とりあえず今日は前半は厳しかったけど、いい1日だった。旅はまだ続く…
四日目end!!
第五日目 こまくさ寮で休憩。夕方から居酒屋でバイト。
1996.9.11 P.M12:36
第六日目
今は上高地。大正池のほとりにいてこれを書いている。天気は快晴で俺の前をカモ?がのそのそと歩いている。目の前の山々には霞が少しかかって絶景である。今日は水曜日なのでこの前来た時のように人がいっぱいいるわけでなく、静かでのどかな感じだ。ボートに乗れるみたいで数組のカップルがボートに乗って楽しんでいる。むっちゃ綺麗だ。風は冷たく何とも言えない。カメラがないのがすごく残念だ。使い捨てカメラだと、あまり綺麗に写らないので心に留めておくだけにしておこう。
松本を出発したのは9時。そこからずっと歩きインターチェンジを越えて2時間くらい歩いた。ちょっと疲れてきたのでそろそろヒッチしようと思いサムアップ。20分ぐらいで会社に行く途中風のオッサンが止まってくれた。製薬会社関係の人で病院に行く途中らしい。5キロぐらいだったけど、つかまえ易そうなポイントに降ろしてくれたので助かった。近くのローソンでちょっと休もうかと思って歩いている途中、前からランドクルーザーが来たのでサムアップすると一発でつかまった。一発でO.K!だったのは久しぶりなのでちょっとうれしかった。しかもそのランクルおやじは上高地への許可証を持っているオヤジだったのでこれでバスなんかに乗らずにいっきに大正池まで来れたというわけである。
今日は本当にいい天気でサイコーだ。まだ時間もあるしゆっくりすることにしよう。なんか俺のまわりにカモがいっぱい集まってきたぞ。
六日目前半end!!
P.M 8:37
今は飛騨高山にいる。高山市は前からずっと行きたかったところだが、やっと来ることができた。高山城の公園にビバークしているが、なかなか快適なところだ。飯の前に銭湯に行って来たが、町並みも古くなんかいい感じだ。篠山の河原町みたいなんじゃなくて、この高山という土地自体が持つ山に囲まれて他の地域との交流が制限されてきたような素朴な空気が町全体をわざとらしくないように変えている。普通観光地だとどうしてもわざとらしく感じるものだが、ここはそのわざとらしさを笑いに変えてしまうような気がする。笑いと言うか微笑ましいと言ったほうがいいかもしれない。
上高地の大正池から歩いて河童橋まで行き、またもや山菜うどんを食った。その後キャンプ地の方へ行って誰もいない梓川の河原で昼寝をした。誰もいないというのはかなりよかった。聞こえるのは川の流れの音だけで、気温も絶妙だった。かなり爆睡してしまったので高山まで行けないなあと思っていた。バスで途中まで帰らなけらばいけないので、1350円も払い(これはミスった。中湯というところまでは600円でよかったのに沢渡まで買ってしまったからだ。) 中湯でバスを降りて(俺以外、中湯みたいなすごい山の中でバスを降りるやつはいなかったが)山の中でヒッチ。5分くらいで2人組のオバアちゃんのバンが止まってくれた。山道はスゲー険しくて道も狭い。時々バスも来るしかなりヒヤヒヤした。
オバアちゃんたちはけっこういろんなところを旅している冒険家らしい。これから山に登りに行くと言っていた。その人たちに平湯という温泉町までつれて来てもらった。町の中の溝という溝から湯気が立ち上っていて、すごく温泉に入りたかったが10分くらいだけヒッチしてみようと思い、ヒッチしているとすぐにハイラックスが止まった。結局ポンポンと高山まで行けるようになってしまって拍子抜けした感じだ。そのオッサンたちはちょっとヤーさんだった。でもいい人たちで別になんとも思わなかったが、途中の店で漬物を6000円分も買ったのにはちょっとびびった。しかも携帯で「明日裁判がある。500万だまし取られたからなー。」と言っていたのを聞いてしまった。その人たちは愛知の方に帰る途中で郡上八幡まで連れて行ってやろうと言ってくれたが高山で一泊するつもりだったので丁寧に断っておいた。なかなか楽しい1日だった。特に上高地にもう一度行けたのがうれしかった。誰もいない上高地で天気もバツグンで、河原で昼寝できるなんてかなり運が良かったに違いない。もう眠たくなってきたので寝るとしよう。
六日目end!!
1996.9.12 P.M4:52
第七日目
起きたのは6時半。そこからゆっくりとパッキングをして朝飯にした。メニューは味噌汁とコーヒーとパン。ちょっと寂しくなってきた。高山の朝はかなり寒い。ちょっと風邪をひいたみたいだ。朝飯を済ませてから9時ごろ出発。郡上八幡の方へ向かう国道を探して町中をさまよい、やっと見つけた時には11時頃になってしまっていた。その国道沿いでサムアップ。けっこう待ったが若いニーチャンが止まってくれた。20代後半くらいで岐阜市に向かう途中だと言う。建設現場の監督をしている人らしくかなりいい人だった。話が楽しくずっとしゃべっていた。いろいろと建設現場での苦労話を聞かせてくれてけっこうすぐ郡上八幡まで来れた気がした。念願の郡上に来れたわけだが、野田氏の書いていたことはやはり本当であった。なんせ川がめちゃくちゃ綺麗で、町の中を橋がいくつも架かっている。夏になるとその橋から子どもたちが飛び降りるらしい。時々テレビでやっている。道行く人も時々川の中を覗きこんで川を眺めている。川と住んでいる町だった。しかし、いつものように観光地化という魔の手が忍び寄っているようだ。
川を売っていこうとするお役所の作戦が読み取れて嫌な感じがした。こういう所はひっそりといつまでも自然を守っていてほしいものだ。町の人たちの生活のことを考えると勝手なことは言えないのだが、こんな町はもう日本にはほとんど残っていないだろうから、特にそのように感じるのだ。
郡上八幡で昼飯を食べ、今日の宿泊予定地(宿泊ではないか…)の岐阜市へと向かう。ちょっと歩いてヒッチしやすそうなところを探しサムアップ。10分ぐらいだろうか給食を運ぶようなトラックが止まってくれた。そのおっちゃんに長良川のことを解説してもらいながら川沿いをどんどんと下ってきて関市というところに降ろしてもらった。ここまでくるともうかなり開けてきて今までのような山道はなくなってしまった。降ろしてもらった所でもうめんどくさかったので適当にヒッチしているとなんと、念願のキレイなオネーサンが止まってくれたのだ。俺はかなりうれしかった。これを待っていたのだ!!
ちょっとセクシーで車の運転も苦手ならしくなかなかgood!であった。その人はコンパニオンということで今晩は屋形船に乗って鵜飼に出るらしい。俺も岸からやったら見ることができるということだ。
そのオネーチャンに長良大橋までつれて来てもらい今は近くの公園で休んでいる。まだテントは張っていない。日本海側と違ってまだ蝉が鳴いている。急に秋から夏に戻ったみたいだ。明日はついに名古屋駅に行かなければならないが、まあなんとか行けるだろう。金があと2000円くらいになってしまった。かなり節約しなければ。今まではバクバクいろんなものを食いすぎていた。長良川の集会はどこであるのだろうか。Kに電話しなければならない。さて、そろそろテントを張って飯にするか。
第七日目end!!
1996.9.13 P.M 8:33
第八日目
今は名古屋駅である。Kが事故発生して送れるそうなのだ。今日中に来れるかも分からないと言う。俺は3時頃からここにいるのでかなり暇だ。金はあと100円になってしまった。かなりキビシイ状態である。なぜかわからないが、いつもテントを張っていた時と今駅にいる時を比べるとテントの方がはるかに落ち着いていられたような気がする。旅行している間、人ごみから完璧に遠ざかっていたためかこんなに駅ってゴチャゴチャしてたっけという感じだ。それにしてもKが今日中に来たとしてもテントを張る場所はさすがにないだろう。駅の中に張るのはホームレスみたいで嫌やし。100円でどうしようか。
昨日は夕飯を食ってから鵜飼を見に行った。7時過ぎから始まったが本格的になったのは8時頃からだった。屋形船はオヤジばっかり乗っていてかなりうっとおしかった。鵜飼そのものはなかなか興味深かったのだが、あのオッサンらのせいでじっくり見ることができなかったのが残念だ。鵜匠が鵜飼が終わった後、鵜たちに鮎を食べさせている場面を見ることができたが、その時にはオッサンたちはもういなかったのでなかなかよかった。それからすぐにテントに帰り寝たが、公園の電気が夜になっても消えなかったのでけっこう明るくて寝付けなかった。
起きたのは8時半。いつもよりはるかに寝てしまった。
名古屋駅まではもうすぐなのでとりあえずゆっくりパッキングして10時頃出発した。そのころから雨がポツポツと降り始めていたので嫌だったが、しかたないので名古屋方面に向かう国道まで歩いた。けっこう遠くて8キロぐらい歩いただろうか。やっと国道22号線に出てサムアップ。10分ぐらいでオッサンが止まってくれたが「ここでは車が止まりにくいから他の場所に連れて行ってやる」と言って車がビュンビュン走っている所まで乗せてくれた。こんなところでヒッチできるか!と思ったがせっかくの好意を無駄にはできないので「すんません。助かりました!」と一応言っておいた。そこからまたもと来た道を戻り、ヒッチしやすそうなところを探していた途中で吉野屋があったので牛丼を食って昼飯にした。
その後雨が強くなってきたので、高架下でサムアップ。やっとヤンキーのバンが止まってくれた。俺が乗ったところは座席がなくって荷物と一緒だった。ヤン姉が2人とニーチャンが乗っていてなんか俺のことなんておかまいなしに3人でしゃべっていて入る幕がなくそのまま名古屋までついてしまった。でもニーチャンは以外といい人で雨だからと言ってわざわざ名古屋駅の前まで送ってくれ、俺があと1000円しかない話を車の中でしていたので、別れ際に宝くじを出して「これ少ないけど、当たっとるから使ってくれ!」と言って宝くじをくれた。なんせ金に困っている身分なものでありがたく受け取った。1600円分当たっていたが、かなり助かった。でもその金もあっという間に飛んでいってしまい、結局今の残金は100円である。なんでこんなすぐ金がなくなんねやろ。おかしいなー。まあいいか。とりあえずKが来るまであと何時間もある。寝るわけにもいかずなんもすくことがなく無茶苦茶暇である。どうしようもない。
金もない。時間はある。さて何をして待ってようか?Kは今日中に来れるんかなあ。まあいつものようななんとかなるやろう。
第八日目end!!
1996.9.14 P.M 11:13
第九日目
昨日は11時ごろやっとKが名古屋駅にやって来た。俺は2時ぐらいからいたので結局半日ぐらい名古屋駅で待っていたことになる。でもあと金が12円だったのでKが来て助かった。その後2人でサウナに行って一泊した。2600円だった。その割にはボロくてきたなかった。おっさん臭くてあまり熟睡できなかった。朝は8時頃起きて長島町へ向かう。まず国道まででてサムアップ。Kと2人でヒッチするのは久しぶりだ。やはり2人いるとかなり楽だ。いきなり軽トラがとまってくれた。かなりイカす軽トラだった。青くペイントしてあってステッカーが貼りまくってあった。その荷台に乗ってバイパスをビュンビュン飛ばし爽快だった。その人に1号線までつれて来てもらいその後、オッサンをつかまえたのだがまたその車がボロイ、ボロイ。かなりボロくて排気ガスがめっちゃ臭かった。全然スピードは出んし、長島町まで行くのにけっこう時間がかかってしまった。ビールを飲みながら走りなかなか楽しかった。
やっと最終目的地の長良川河口堰に到着。今日からここ長良川河口堰で国際ダムサミットが開かれているのだ。到着したと言ってもテントサイトまではそこからかなり歩かなければならなくてけっこう疲れた。テントサイトに着いてからとりあえずザックを降ろし、会場の公民館を探して国際ダムサミットに参加しに行った。同時通訳の機械を貸してもらって参加し、かなりいろんなことが聞けてスゲー勉強になった。いろいろと考え、思ったこともあったけどここではまだ書かないことにする。その後、夕飯を近くのスーパーに買いに行き河原沿いにテントを張って夕食にした。メニューはビール、つまみ、カレー、ウインナーとかなりリッチだ。しかも天気もよく、長島スパーランド?らしき場所からは花火がバンバン上がり米も上手く炊けたし完璧な夜であった。その後隣のテントのお兄ちゃんと語り合った。28歳で会社を辞め、四万十川沿いを自転車で下ってからここにまで来たらしい。なんかとても深みのある人だった。
今日はとても充実した1日で楽しかった。明日もまたいろんなことを吸収したい。とても楽しみだ。
第九日目end!!
1996.9.19 P.M 5:24
9月14日に日記を書いて以来、書くのが面倒になってしばらくつけることができなかった。国際ダムサミットが終了してから書けば一番よかったのだが、Kといろいろ話をしていて忘れてしまっていた。やはり日記をつけるには一人でいるのが一番だ。一人だと夕飯を食ったあとヒマすぎて日記をつけるしかないのだ。
とりあえず今は家に帰ってきている。さっきセブンを見てなかなか面白かった。でもみんないないのでかなりヒマをもてあましている。ヒマになると日記を書きたくなる。9月15日から順を追って書いていくと、まず国際ダムサミット2日目に行く前、9:30ごろテントを出発して河口堰の横に建っているアクアプラザ長良という建物に行き建設省側の言い分を調べに行った。すげー金のかかりようで自分たちが正しいのだ!ということを前面に押し出していた。なにより見学費が無料でテレビモニターとかかなりの機械を駆使して訴えていた。いつも思うのだが何か裏があると金がただになる。今の日本でただで何かが見れるというのは絶対裏があると考えていいだろう。例えば北方領土が見える北海道の岬の双眼鏡はタダだと言う。実際に北方領土を見て自分らの土地だと国民に意識させたい政府側の意図が感じられる。ここもそれと同じだ。建設省は正しいのだということが思いっきり伝わってくる場所だった。何も知らない人が行くと、ほとんどそのように思い込んでいってしまうことだろう。事実、俺もそのように思ったからだ。塩害を止めるためには河口堰は必要なのだ。という建設省の言い分を俺なりにまとめてみた。
★洪水をなくすために今までの川底を掘り下げて今までより流量を多くする必要がある。
↓
★川底を掘り下げると今まで海からの塩を止めていたマウントというものがなくなってしまう。
↓
★だから河口堰を作って海からの塩を防ぎ塩害から農地を守る必要がある。
確かに一見納得する理由だと考え、ダムサミット2日目に参加した。すると1日目に聞いていたよりもはるかに建設省の言い分矛盾があることが分かった。サミットは長良川のことだけでなく日本のダム全体を日本の政治の仕組み全体を批判し、意見を述べるのものであり、長良川だけでなく日本各地に同じような例が腐るほどあるということがよく分かった。北陸地方の河にはほとんど水が流れていないという事も聞いた。なぜ水が流れていないのか?一本の川に次から次にダムが作られているからだ。政府はダムが必要な理由をこう説明する。「水資源と電力の確保および洪水の防止」
実際のところ日本の水はダムだけに頼っているわけでない。よく夏になるとテレビでダムの水が底をついたとかやっているが、水をダムに100%頼っているのは全国的に見てもほんのわずかなのだ。俺も今までは水はダムや湖に頼るものだと思っていたがそうではない。日本において健康な河川はしばらく雨が降らない日が続いてもそう簡単に水がなくなることはない。山や森が雨が降った日本に水を蓄え徐々に流す自然のダムの働きを果たしているからだ。それが今はどうだ。森を切り川をコンクリートで埋め立てると、水は一気に海まで流れ込むのは明らかではないのか。そこでダムを作りまくり土建屋をもうけさせ自らも私腹を肥やす。建設省の腐敗した様子がかなりわかった。しかもダムには次第に土砂が堆積していく。そのうちにダムは土砂で埋まり使えなくなるということがわかった。
アメリカでは今までのダム建設のやり方は間違っていたことにやっと気づき、もうダムの時代は終わったと宣言したと言う。その第一人者であるダニエルビアード氏が来ていてかなり興味深い話を聞いた。
ダムは一部の人間だけをもうけさすだけでなんの利益もないということが世界的に大きな声となってきているのにそれに耳を貸さず既に全国に3000もあるダムをまだ足りないといって作り続けようとしているのだ。長良川の河口堰も最初の建設理由は四日市の工場用水の確保ということだった。工場にもう水はいらないということになると今度は理由を洪水と塩害の防止ということにすり替えたらしい。だからあんなに塩害を前面に押し出していたのだ。ようするにダムは作ることが大切で後はどう使おうがたいした問題ではないのだ。まだまだ学んだことはたくさんあるのだが、上手く書くことができないのでこの辺でやめておくことにする。とにかくこのダムサミットは今まで俺の中で不思議に思っていたことを一気に取っ払ってくれたような気がする。この大会があるっていうことを教えてくれたKに感謝したい。ダムサミットが終わってから河原でいろいろと楽しいイベントがあった。野田さんも来ていたので見に行った。
夕飯はパスタとビール。もう金がないのでかなり寂しい夕食であった。それでパスタは水が少なすぎてかなりまずかった。やばかった。
三日目は行動DAYだ。みんなでカヌー隊と歩き組みに分かれてシュプレヒコールを上げて訴えた。やはりマスコミも来ていた。俺はあんまり乗り気ではなかったけど、途中でどうでもよくなってきてなんかやけくそになってやった。なんとなく「ダムはんたーい!」とか言ってエイエイオーとかやるのは抵抗があるのだが、よく考えて見ると立場の弱い市民たちがなんとか政府に意見を聞いてもらおうとするにはみんなで集まって声をそろえて訴えるしかないのではないか。行動するしかないのである。今の日本では反対するだけで白い目で見られる風潮があるが、俺もそうだった。薬害エイズの座り込みとか見ても「なんやこいつらがんばっとんなー」とか少し馬鹿にしたような目で見ていたのが事実だと思う。もしかしたら今もそうかもしれない。でも、もし自分がそういった立場に追いやられたら、俺らにはそうするしか方法がないのではないか?とふと気づかされた。そのようなことを思った一日だった。そのデモが終わった後ヒッチをしてこの車がまたおもろいオッサンでスゲー嘘つき野郎だった。いちいち書いていてはきりがないがかなりおもろかった。自衛隊持っとる。とか北海道の警察はF−1に乗っとるとか本気でしゃべっていた。あのオッサンはたぶん精神的にちょっと異常のあるオッサンだったのだろう。その後もう一台ヒッチしてNの家に行って焼肉を食いに行き(2000円なり)Nの家に一泊して次の日の3時50分の電車で大阪まで行き、大阪でIとイングスの横の公園で待ち合わせをしてリングを取りに行き我が町篠山まで帰ってきたというわけである。松本からここまでかなり長い道のりだった。車校を途中でほっぽりだして出発した甲斐があった。特に長良川での3日間は俺の目をかなり覚ましてくれたと思う。よかった。ほんまによかった旅だった。佐渡もよかった。楽しかった。雨にたたられたり、嵐にあったこともあったけどほんまによかったと今は思える。一人旅+ダムサミット、この夏休みはたいしたことがなかったがこの12日間だけはえらいでデカイ12日間だった。俺の旅日記はとりあえずこれでend!
「*作者注 あくまで大学一年当時の知識で書いているのでまだ考えが浅いのは勘弁してね。」
「中津川での凍える夜」
1997.2.15 P.M 9:30
久しぶりの日記だ。今どこにいるかというと五竜とうみスキー場の白馬山荘のバイトに来ている。泊まっているところはログハウスでかなり綺麗だ。2月に入ってから養老のバイトを一時中断し兵庫に帰った。あまりなにもしなかったが、いつものメンバーとつるんではパズルなんかをして遊んだ。イマキタと大阪で待ち合わせて飲み歩き、ある店ではビール2杯とつまみぐらいで9000円ぼったくられたが楽しい夜を過ごしその後松本に帰ろうとしたのだがここからがすごい。まずニシワキと一緒に草津まで行くことになり(コウジは38度の熱)4時に篠山を出発。ところが京都あたりで俺は財布を忘れてきてしまったことに気づいた。切符も買っていないしとりあえずニシワキに8000円貸してもらっていけるところまで行こうとして電車に乗った。とりあえず鈍行をのりついで名古屋まで行った。(この時点で9時ごろ)
そこから中津川行きのホームライナーという電車が出ていて俺はそれに乗った。最終的には寝台列車の「ちくま」をつかまえるつもりだった。松本までの乗車券で5150円でホームライナーの乗車券が300円。お菓子を買ってあと残金は2000円だった。中津川に着いたのが11時ごろ。さて「ちくま」をつかまえようと思ってあとどれくらい待ったらええんかなーとか思っていると駅員のオッサンが「もう電車ないぞ」と一言。なんとちくまは多治見には止まるが中津川には止まらないらしいのだ。いきあたりばったりで来た俺には痛恨の一撃だった。あと2000円でAM6:00の始発までどうやってすごせというのだろうか。ビジネスホテルに泊まるにも4000円は俺には払えない。とりあえずゲーセンで時間を潰し(12:00に閉まってしまった)ラーメンを屋台で食い、駅の待合室にいたら駅員のおっさんに追い出されてしまった。かなりむかつくオヤジだった。
中津川はもっと大きい町だとおもっていたけど、実はなんにもない。コンビニすらない町で俺は一泊しなければいけないはめになってしまった。それに今は2月だ。まあやぶれかぶれで公園で寝ていたがマジで寒くなってきた。やぱかった。その時持っていた服を全部体に巻きつけて震えながら寝ようとしたがマジで寒すぎて寝られない。この時の気温は0度。駅前のデジタル温度計が示していた。地下道とかを歩きまくってなんとか寒さをしのげる所を探したのだが結局どこも同じようなものでしかたなく電話ボックスで縮こまって寝ていた。すると酔っ払った3人組がやって来て「大丈夫ですか」などと言ってきた。俺はどう考えても大丈夫ではないのだが「大丈夫です!」と言っておいた。訳を話すとこんなところではマジで死ぬからポリ所へ行けと言う。俺もそろそろやばいと感じていたのでポリ所を探して今晩一晩だけ止めてもらえないかどうか聞きに行ったのだが誰もいない。誰もいないのに勝手に上がりこむわけにもいかず、しかたなくまた町をうろうろし、寝る場所を探した。公園で一時間ばかりなんとか寝たがその時で朝の4:00だった。
ここでピークが来た。このままいったら死んでしまうと思ったので、俺はトイレに行ってスクワットをした。とりあえず温まらなければ足の感覚がなくなっていたからだ。そのままなんとか夜を明かし、始発に乗り込んだ時には天にも昇る気持ちだったのは言うまでもない。でも松本に着くまでは体の震えが止まらなかった。
松本に着いてからその夜Sと飲みに行った。食文化に行ってから駅前に行き、つぼ八に行った。(中略)そして次の日に電車でこの白馬までやってきたというわけである。今はハイネケンを飲みながらこの日記を書いている。毎日スキーはできる飯は上手いし、言うことはないのだがリフト券を買わなければならないのが問題だ。同志社のスキーサークルの人たちがいてかなり仲良くなった。仕事はあまりしんどくないのだがなんせスキーをしているし朝は早いのでだるい。それになんかお上品な仕事ばっかりで俺はあまり好きではない。同志社の人たちはスゲー真剣にスキーをやっている。ビデオを撮ったりして研究をしている。でも俺は楽しく滑ったらそれでいいんちゃうかと思っている。今日はいっぱい書いたのでこれくらいで。 end!
*これはリアルすぎて、今まで公表するのがためらわれてたけど、もう大丈夫だと判断した。(10/20/01)
昨日(正確に言えば一昨日)Iがアメリカに旅立った。5月17日、4:05分のシアトル行きのノースウエスト航空の便で行った。俺は16日(金曜日)に実習が終わった後、急いで高速バスに飛び乗って篠山まで帰った。三田にSとIが来ていてSのパジェロに乗って篠山まで帰った。帰りの車の中でIはモトカノから電話があり、それが終わった後、田園交響ホールで最後の晩餐をした。その後俺の家で少し飲んで2人は帰った。次の日、朝10:00頃の電車で梅田まで行き、梅田の噴水前で、NとKと待ち合わせをした。Kは相変わらずスーツで来ていた。途中でアギャも合流した。
関空行きの電車に乗って一時間かけて関空へ、KZを送った時と同じような天気で、空はちょっと霞がかかった晴れで、海の色も同じだった。一年前の4月に同じようにKZを送り出したその映像をはっきりと思い出した。そう、この天気でこの空でこの海だった。あの時にIは「あと一年後には俺も行く立場になんねんなー」と言っていた。俺はまだ先の話だと思ったが、それが17日という日だった。
あっという間の一年だった。あっという間に一年が過ぎるというのはいつも世間一般で使う表現でおもしろくもなんともないが、本当にそう感じた。KZはカナダへ、Iはアメリカへそれぞれ旅立っていった。
関空では一年前のようなドラマはまったくなく、ごく普通にIはチェックインを済まし、「ちょっと行ってくるわ」というような素振りで行ってしまった。俺らは誰も泣かなかったし、本当に何も無かった。昨年のような、くさいドラマはなかった。KZを探して空港中を走りまわり、放送をかけてもらい、出発する飛行機を見ながら、みんなで泣くというようなくさいことはできない人間になっていた。あの時はまだ18歳で俺は今20歳だ。この2年間で俺らはくさいことができなくなった。素直に泣くことができなくなった。俺はこの2年間でいったいどれだけ成長したのだろうか?ただくさいことができなくなっただけではないのか?確かに俺らはもう語りすぎていて、お互いの考えをもう本人に最も近い部分まで知っていて、くさく語り合う必要もなく、ただ無言のうちに「じゃあな。」と言い合えば、分かり合えたのかもしれない。そこまで俺らの友情は深まっていたのかもしれない。でもくさいことができなくなっていたのは確かだった。もう檸檬会は終わるのではないかなどという考えは俺は持ってない。どこかに不安も持っているが、誰かが俺かもしれないが、声をかけたらまたいつの日か全員が集まる日がくるだろう。しかし、5月17日で俺らの中学時代から続いた、くさく、若い青春の物語は一部の終焉を迎えたと言っていいだろう。そんなカッコいいものではないのかもしれない。でも俺は俺以外のヤツはみんなカッコイイ奴らだと本当に思っている。俺はみんなの仲間になって本当に幸せだった。
もうすぐ俺らも大人になり、オヤジになり、結婚し、子供ができ、やがて年老いていき、誰かが死に、そして誰もが消えていく日が来ても、俺はこの20歳までのこの俺の人生の中で、中学からの友達で酒を飲み、将来について語り合い、恋について語り合い、カラオケをしてオッサンくさい歌を歌い、いろんなアホなことをやった、この時間は歴史のほんの隅っこであっても、絶対に小さく光っていたと思う。絶対にどの部分よりも、小さくても、一番光っていたと思う。
Iが行って後には空しさが残った。俺はもう、兵庫の思い出から抜け出して、この長野での生活に本当の自分を注いでいかなければいけなくなった。もうオマエらとは語る時も少なくなり、俺はこっちの世界でやっていかなければいけない。こっちで親友もつくり、恋人もつくっていくつもりだ。今は寂しいが、この寂しさもやがて薄らいでいくだろう。Iよ。もうオマエは今頃アメリカに着いているだろうな。新しい土地で不安でたまらないだろう。日本が恋しくなるだろう。でも何かを身につけるまでがんばれ。いや、別に身に付けなくてもいいからいろんな経験をしてこい。それでまたその話を聞かせてくれよ。ほんまに中学からの夢がかなってよかった。オマエん家は家の事情で俺にはわからん苦労をしてきたんやと思う。経済面でも苦労してきただろう。でもほんまに夢がかなってよかった。俺は自分のことみたいにうれしく思う。KZはまだまだボンボンやわ。でもオマエはほんまに自分の力でやっていかなあかんやろ。そのうち絶対行き詰まるときが来るやろうけど、どっかで妥協する時が来るやろうけど、それはそれでしょーがないのかもしれん。でも無事に帰ってきてくれ。とにかく死なんようにしろ。それが俺らの願いでもあるんやから。
俺は今かなりむなしい。女もおらん。金もない。勉強もほんまにしたいか分からん。俺はどうしたらいいんだろうか。部屋は汚い。何を目標にしたらいいのか。伊那みたいな田舎は嫌か?大阪で東京で、もまれたいのか、だからと言って得るものはあるか。ここに居て得るものはあるか。
得ようと努力しているか。
努力はしていない。俺は努力していない。
海外に行くと答えが見つかるか?
わからない。大学を辞めたい。
辞めて何か答えが見つかるか?
NO.
辞めることは親に申し訳ない。
オカンの顔を見ていたら、働く様子を。
俺のために、毎月金を送るために、俺が遊ぶために金を送っている。
母の様子を見ていたら辞めることは許されない。ただの甘えでしかない。
目標(やりたいこと)が見つからない。
↓
大学を辞めて海外に行きたい。
↓
現実逃避。逃げ。甘えでしかない。
↓
現実の中で何かやってからにしろ。でも俺にはそれができない。毎日流される。
↓
毎日が過ぎていく。適当に遊ぶ。
↓
四年が過ぎる。それは嫌だ。
俺はどうしたらいいのか。休みを利用して海外、KZ、Iのところに行ってみるのを第一の目標にしよう。とにかく、空しい、Iよ。オマエが少し羨ましい。俺はどこへ行けばいいのか?俺の将来は?どうしたらいいのか?努力できない自分が情けない。カッコ悪い。それで終わるとただの悲観論者。俺もそれなりにやってみるつもりだ。檸檬会の第一部は1997年、5月17日で終わった。第二部はいつ始まるかわからないが、それまでにいいオヤジになれるように、お互い、バラバラの道を歩んで行こうではないか。根元は中学で繋がっているんやから。
もし俺が大人ならオマエにこう言うだろう。「早く大人になれ!」それはこういう意味だ…
さっさとそんな建設的ではない考えは忘れて、そんな考えは自分の中にしまい込め。思い出すな。そしてただ働け。機械のように何も考えるな。反抗するな。無駄なことだ。何も得るものはない。時間の浪費だ。さっさとみんなと同じことをしろ。本当はみんな自分を見るのが辛い?なんでこんなことをしているの?何で俺はここに?何のために生きて?
そんなくだらない考えはさっさと捨てて会社のことや、仕事や、女や金や、明日の接待や、ゴルフや、週末の飲み会のことを考えろ。その方が楽だから。嫌な思いをしなくて済むし、泣きそうにならなくてすむし、忙しい忙しいって言ってたら本当に自分ががんばっているかのような錯覚を抱かせてくれるし、みんなが感心してくれるし、満たされるだろ?ジュウジツしてるだろ?
そうやって毎日毎日塗り固めていくカベみたいなものを今さらコンコン叩いて「ほんとにここにカベなんているの?」って無邪気に聞いてくるやつなんかがむかついてしかたがない。なぜならそれは意味が無いから。そんなことを考えるよりただただ毎日毎日そのカベを増設することに専念する方がはるかに楽しいし、無駄じゃないし、建設的だし、みんなもそうしてるし、それが当たり前だし、そうしないといけないような気がしてるから。そんなことを聞かれるとまるでスゴロクで自分ひとりが
「ふり出しに戻れ」を出した時みたいにむかついてくるだろ。だから聞くな。
言葉って何だ?俺は大人に近づくにつれまともにしゃべれなくなってきた。しゃべる前に「こんな事言わなきゃ」とか、「もっと上手く喋らないと」とか、「みんなが感心するようなこと」とか、そんなものを探している間に、みんな俺を見ている。僕を。
「早く何とか言えよ」とか「もっとましなことが言えないのか」とかそんなことを考えている。俺はその期待に答えることができなくて、ますます袋小路に陥る。まるで迷路みたいに出口が見つからない。そういう時は笑ってごまかす。そんな自分が嫌で仕方が無い。だが、俺は更に自分をごまかす。最近はごまかすのも上手くなったもんだ。そんことは考えるなと。無駄なことだと自分に言い聞かす。
「英語がペラペラ?」そんなものになれるわけがない。だって俺は日本語すらまともに喋れないのに…
もっとゆっくり言葉を選んで話したいんだよ。本当は。でも俺はいつも何かに急かされている。何か得体の知れない不気味なものに衝き動かされて戸惑い、ますます困惑する。その場から逃げたくなる。こんな気持ちを見破られるのが怖いからいっぱい喋ったり、早口になったり、説教をしてみたり、冗談を言ったりするんだ。すべてはこのカベだ。カベが悪い。カベがあるから俺はこんな迷路に陥って抜け出せなくなっちまった。
でも俺はただただこう言うだろう。「そんなものくだらない。考えるだけ時間の無駄。」、「もっと建設的なことを考えよう。」だ。それは悪魔の誘いでもある。みんなを誘っているからね。みんなで一緒のことを考えれば怖くないよってさ。
それはちょうど「イジメ」に似ている。みんなで一人をいじめたらその間は自分が標的にされることはないから、みんなでイジメようってね。攻撃は最大の防御ってやつだ。いじめっ子はイジメられるのに一番弱いのかもしれないな。だってそれを一番恐れているから。俺が打たれ弱いのはそういうわけさ。
カベなんていらないんだよ。もとから。ただ、それを考えるのがとてつもなく恐ろしいだけだ。だから、俺は毎日、毎日自分に言い聞かす。もっともっといいカベを作ってみんなに自慢して、みんなでいいカベを作り合って楽しもうってね。それが一番楽な道だ。みんなそれに同意する。なぜなら同じことを考えているから。そしてこう言う。「助かった。同じことを考えている人がいたよ。これで俺は救われた。」
日本人は宗教が嫌いだよな。でも宗教なんてそんなもんだよ。根っこは変わらない。みんな救われたいと願っている。助かりたいと望んでいる。欲だ。欲だ。欲だ。欲望が原因だ。この欲望を消すにはどうしたらいい。死ぬしかないのか。それとも殺すか。殺して殺して殺しまくるか?
そんなことをしても満たされないのが分かっているから、人々はそんなことはしない。そんなことをする奴はバカだ。
この欲望を消す一番の方法は金さ。金さえ手に入れば、小さな欲望の数々はすぐに満たされるからね。だから人は金を求める。金に飽きると名誉か、女か。
俺は欲を消したい。どうしても。そうすればこの苦しみから解放されるから。もちろん、欲を消したいっていう願望も欲だと分かっているよ。これが究極の形なのか。「俺には欲を消したいという欲があるがどうしたらいい?」なあ?もし神が居るのならば教えてくれ。それとも本当に「神は死んだ」のか?
オマエが言うように文章を書くのは自分をすり減らす。自分に向かい合わないと、文は書けないから。
逃げるのは嫌だけど、めったにいい文は書けない。自分と向き合うのは辛い作業だ。まるで夕鶴のおつうか?自分の羽をむしり取って文に変える。だから俺はめったに本当のことを書かないし、書けない。全部カベの中で書く。カベの外で書くのはしんどいからな。でもこれは久しぶりにカベの外に出てみようという気になって書いた文。だから俺はオマエの文が憎いんだよ。大人になるというのはたぶんそういうことだ。
俺は大人になる。
「現実逃避?」豚になる現実からか?豚である現実からか?
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深く深く降り積もった落葉を蹴りながら歩いた。
落葉たちはカサカサ音をたてながら僕の足とひと時戯れて、また違う場所に降り積もる。
次の風がやってくるまで。
夜風がひんやりとしていて、
遠くの方から週末を楽しむ若者たちがグラスを触れ合わす音が透き通って聞こえた。
静かな週末の夜。
映画を最後まで見たあと、いつもの店でチャーハンとから揚げを買った。
おばちゃんの笑顔が優しかったから少し穏やかな気持ちになった。
この街は少しとげとげしいけど。
家に着くまで待ちきれなくて食べながら歩いた。とても良い匂いがしたから。
から揚げは大丈夫だったけど、チャーハンは少し難しい。
プラスチックのフォークを上手く使いながらチャーハンをすくい上げながら歩く。
パラパラのチャーハンは僕の口の中で再び湿り気を取り戻し、飲み込まれていった。
ふと空を見上げたら、
金色の木の葉たちが自分たちの重さに耐えきれず、僕に覆いかぶさってきて、
オレンジ色の街灯の明かりでうっすら浮かび上がって見えた。
灯台の光のようにやさしい静けさをもたらす、
あの光を頼りに恐る恐る行動範囲を広げ、
振り返ってはそれの方向を確かめ、
そして新たな一歩をそろそろと踏み出した。
いつまでも同じ流れに留まっていたつもりが
その流れの速さに気がついたときにはもうすでに遅く、
今まで漂っていたらしい場所は遥かかなたに見える。
足元の砂だけが自分の輪郭に沿って削られ
波に運ばれているだけだと思っていたが、
実は私自身も少しずつ
それはまるで地球の自転のように、
ゆっくりだがしかし確実に動いているという事実に気づいた。
あわてて手を伸ばしてみても、ただ空を切るだけだろう。
その気になればいつでも戻れるという確信はあったのだが。
あれからどれだけ来たのだろう。
昼間は気が付かないが、
夜になってみれば、
ああ、これ以上何を求めようと言うのか。
だがもう戻ることはできない。