2002.03.05 UP
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『日本橋川』 は千代田区三崎町で 『神田川』 から分流し、中央区日本橋箱崎町で 『隅田川』 に合流する延長約 4kmの都心の河川です。河口付近の中央区新川で二又に分かれるため、その一方の支流を 『亀島川』 と呼んでいます。 『日本橋川』 は 『神田川』 の支流ですが、江戸の初期にはこの川の流れが本来の 『神田川』 の川筋でした。現在の 『神田川』 は江戸の洪水を防ぐために開削された人工の河川で、この 『神田川』 の付替え工事の後に三崎町から先の本来の川筋を 『日本橋川』 と呼ぶようになったそうです。なお、『神田川』 開削後、現在の 「三崎橋」 から 「堀留橋」 付近までの 『日本橋川』 は埋め立てられ、その名の通り 「堀留」 になっていましたが、明治になって現在の川筋ように再度開削されました。 江戸時代の河川は水運・物流の要であり、この 『日本橋川』 も 『隅田川』 や 『神田川』 と共に江戸の物流を担う重要な川でした。そして、川に架かる橋もまた、往来の賑わいと共にその数を増やしていくことになります。川の近辺には人が集まり、物流や金融の中心地として栄えていくことになるのです。江戸が日本最大の町へと発展を遂げた背景には、これら河川の役割が大きく影響していたといえるでしょう。 近代になっても 『日本橋川』 の流れに変わりはなく、常に東京の中心を流れています。しかし、河川中心の物流は鉄道やトラックなどの陸運に取って代わり、川に向って建っていた建物は時代の流れと共に川に背を向けて建てられるようになります。それまで表舞台であった川は、都市の裏側へと追いやられていくことになるのです。そして 『日本橋川』 もビルの谷間を流れる汚い河川のイメージが定着し、さらに昭和39年(1964) には川の上に首都高速道路が出来て、『日本橋川』 やそこに架かる橋の風景は、またしても大きく変わることになったのでした。 現在 『日本橋川』 に架かる橋は、『亀島川』 も含めて29橋。都心の橋の景観は決していいとは言えませんが、その中にも歴史の深さや情感を少しでも感じ取って頂ければ幸いです。 |
『日本橋川』に架かる橋は、降順(上流→下流)に記載しています。
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