長い時間見続けてきた人間の世界。
関わることなど無い。
そう思っていたというのに、どうだ。
今では知りたいと望んでいる。
もっともっと近づいていきたいと……。
「バレンタインという物は一体どういう物なんだ?」
いつものように気まぐれに訪れた精霊の王は、実に時事的な疑問を口にした。
その突飛な質問に少し考えた後こう答えた。
「……神父の死んだ日」
一体どう答えればいい物か、と考えた末このような答えに至った。
事実ではある。
全てではないが。
「神父?」
「そうだ」
今世間一般のイベントとしての物を教えたら面倒なことになりそうだ、という根拠のない直感の元、バレンタインの忘れられている面を話す。
現に今までチョコをくれという輩達から逃げていたのだ。
面倒なことを増やしたくなど無い。
説明を続けた。
「昔、兵士達の勇敢さを維持するために結婚を禁じた政策があったらしい。
それに反対し、密かに兵士達の結婚の議を行っていた神父が処刑された日だ」
「そんな日になぜ恋人がチョコを贈るんだ?」
「…………」
知っていて聞いた訳か、この狸。
仮にも精霊の王へ向けるような言葉ではないことは分かっていながらも、そう思わずにはいられなかった。
この精霊はどうも人を試すところが多々ある。
本人曰く、『人間の考えを知るため』だとか。
その割には興味のない『人間』には見向きもしない。
まさに王の気まぐれであると思う。
話を戻そう。
「それは陰謀だ」
「……何だと?」
至極真面目に語られる言葉に王は眉をひそめる。
陰謀などと言う大業めいた単語はそうするだけの威力を持っていたようだ。
しかし、その程度。
陰謀と言うマイナスイメージの言葉よりもバレンタインというイベントの魅力の方が強いらしく、王は冷静な瞳の中に期待のような物を浮かべていた。
「……まさかとは思うが、私からチョコレートを貰いたいとでも言うのか?」
「ああ。頂きたいものだな」
さも当然のように断言する。手まで出している。
「踊らされるな、それは菓子業界の企てた陰謀なんだ。チョコレートを売りさばこうという」
「だが、今はそれが浸透しているんだろう?」
ならばそれに乗るのも良い、と堂々と言ってのけた。
どこまで俗世間に染まる気でいるのだろう。
ちょくちょく呼び出してもいないのに現れては自分たち『人間』たちと戯れて消えていく。
その行動自体、精霊の王として聖域を護って人前に姿を現さないという話とはかけ離れているというのに。
チョコレートを欲しいと強請るとはっ。
「そもそも恋仲、という間柄でもないだろ」
「世の中には実にいい風習があるだろう、『義理』という。世話になった者に贈るだろう」
そんな物でも欲しいというのか。
……理解しかねる。
時折、いやしょっちゅうこの精霊の王の心中が分からなくなる。
「残念だが、私は誰にもやる気はない。持ってもいないっ」
「そうか」
「手を引っ込めろと言うにっ!」
差し出されている手をパシンと叩き落とす。
「……残念だ」
叩かれた手をしげしげと見た後、肩をすくめて精霊の王は姿を消した。
ようやく解放されたかと思いきや、その顔が寂しそうに歪んでいるのを発見してしまった。
妙な罪悪感を感じる。
私が悪いのか!?
違うだろう。
私にチョコレートを強請る時点で間違っていることに気がついてくれ……。
罪悪感なんぞ感じなくてもよかった。感じ損だ。
「……オリジン」
宿の部屋に帰るとすでにそこには先客がいた。
先ほど姿を消したばかりの精霊の王。
「何をやってるんだ?」
「チョコレートは用意できたか?」
なんでそうなるっ。
「用意するだけの時間はあったと思うが」
あんな顔をして消えたくせに、ケロリとこう宣った王にわずかながら殴りたい衝動が走る。
「さっきも言ったが、誰にもやる気はない」
「何故?」
「なぜって、配り始めたらきりがない……じゃなく、元来女性から男性へ贈るのが主流なんだ。私が渡すのは筋違いだろう」
「友情チョコと言うのもあるではないか」
「……どこでそんなどーでもいい知識を手に入れてくるんだ」
尚も手を出すオリジンを叩き落とす。
「一体何がしたいんだ?とにかく何でも良いからチョコが欲しいというなら自分で買ってくればいい」
「そうじゃない。それでは意味がないんだ」
真剣な表情の威圧感すら感じる物言い。
それに多少圧倒されながらも、たかがその程度の圧力に屈する訳にはいかないと睨み返す。
「意味?義理でも何でも良いからチョコが欲しい、なんてたいした意味があるとは思えないがな」
「主よ……」
「そもそも間違ってるんだ、チョコを強請ること自体」
「否、間違ってなどいない」
「ほぅ、そう言うのなら説明して貰おうか。とにかくチョコが欲しい、その理由を」
「主よ、お前から貰うと言うことに意味があるんだ。お前からのチョコが欲しい」
顔色も変えずに告白とも取れる台詞を簡単に吐く。
そのあたりの羞恥心は人間とはかけ離れてるのかもしれない。
他の精霊たちも好意の言葉は恥じることなくストレートに伝えてくれる。
その言葉を受ける側や聞いている側が照れ入ってしまうほどだ。
しかし、照れている場合ではない。
「やらん」
きっぱりと断言してやる。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。いい気味だ。
「……何故そこまで意固地になる?命をくれと言っているわけではないぞ」
「誰が命なんかやるか」
「くれと言ってるのはチョコだ、間違えるな」
意固地になっているのはどっちだ。
たかが甘い菓子にそこまで拘るとは。
「……バレンタインというのは何かしらの気持ちを伝える日だ。
ただ形を真似てチョコだけを欲しがるなんて奴に、誰がやるか」
お前のことだぞ、と指を突きつける。
オリジンはその突きつけられた指、そして私を交互に見た後、
「了解した……」
とようやく諦めたのか、低い声で答えた。
その反応にため息を1つ付き、視線を下げる。
ようやく解放される。
そう息をついたのは、私の認識が甘かった。
オリジンを指さしていた手が急に掴まれる。
驚いて顔を上げると、オリジンはその口元に薄く笑みを浮かべていた。
「物はいらない。
主よ、気持ちを貰いたい」
「!」
「それならばいいのだろう?
チョコレートなどという形ではなく、お前の気持ちが欲しい」
どれだけストレートなのだ。
掴まれているのと反対の手で頭を抱えてしまう。
ちらりとオリジンの顔を伺うと、勝ち誇ったような表情をしていた。
「やられた……」
自覚できるほど熱い顔。
歯ぎしりでもしてやりたいほど悔しい気分だ。こんな恥ずかしい思いをしなくてはならないとは。
しかし、ここで引くことはできない。
重々しく口を開いた。
オリジンがそこまでして欲しいという、気持ちとやらを伝えるために。
バレンタインなんて、嫌いだ……。