甘い甘い香りの漂う、甘い甘い日。
きっと何もかも、甘い味がする。
幸せの日。
そう、幸せの日……。
キッチンでは噎せ返るような甘い匂いがしていた。
調理人として立っているのは一人の少年。
少年……ジーニアスは、チョコレート作りに励んでいる。
ボール、泡立て器、チョコにクリーム、アーモンド……。
並んでいる器具や材料を見ると、随分な量を作っていることが分かる。
小さな料理人は大量のチョコとの格闘の末、ようやくトレイの上に数々のチョコを並べた。
「後は冷やすだけ、っと」
冷蔵庫にトレイごと調理した物を入れて、ふぅと小さく息をつく。
ようやく完成までこぎ着けた、という達成感。
自分でもなかなかの物だと思えるできばえに、ジーニアスは満足していた。
明日はバレンタイン。
冷蔵庫の中には女性陣の作ったチョコ達も鎮座していた。
本当なら、男であるジーニアスが作るのもおかしな物だろう。
そもそもジーニアス自身にも作る気はなかったのだ。
今までもバレンタインという行事に関わってきたが、作る側としてではなく、(クラスメイトにチョコ菓子の作り方を請われて)講師として、(姉のとんでもないチョコとコレットの可愛らしいチョコを)受け取る側として、の2パターンだった。
なぜ今回作ることになったかと言えば、深い理由があった。
ある人物がチョコをくれと前もって言ってきたのだ。
ただそれだけなのだが、ジーニアスにとってはかなり重要なことだった。
おそらく言った本人にもあまり深い考えはなかったであろう。
美味しいものを食べたい、程度。
それでも気合いを入れて作ってしまったジーニアスは、自分の行動を顧みて小さくため息をついてしまった。
どれだけ彼の言葉に弱いんだろう、自分は。
と。
何はともあれ、チョコは準備できた。
明日はバレンタイン。
愛の告白と共にチョコを渡す日がやってくるのだ。
そして翌日。
ジーニアスは綺麗にラッピングした包みを抱えてチョコを配っているしいなをまず見つけた。
「ほらよ。いつもごくろーさん」
「ちょっとちょっと、勤労感謝じゃないんだからもっと違う渡し方があるでしょーよ!」
明らかに義理という様子で渡している。
そんなしいなとゼロスの様子に思わず笑ってしまった。
「ああ、ジーニアスにもあるよ」
笑い声を聞いてジーニアスに気づいたしいなが蒼い包み紙を渡す。
ゼロスには赤み包み紙だったから、色で分けているのだろう。
「ありがとう」
手の平サイズの可愛い包みを貰ってジーニアスは自分の物も取り出した。
「僕からも。はい、しいな、ゼロス」
同じ包み紙の少し大きさの違う包み。
大きい物をしいなに、小さい物をゼロスへと渡す。
「おっ、嬉しいねぇ」
「サンキュー、がきんちょ。
でもどんな心境の変化だ?ずーっと作らないって言ってたのに」
前々からゼロスは冗談交じりにジーニアスにチョコを作れと要求していたのだ。
しかしその度に反発して「作らない」と言い続けていた。
ジーニアスは指摘されたことに内心焦りながらも、いつものように軽く返す。
「いらないなら良いよ、返して」
「いりますともー!」
ジーニアスの言葉にゼロスは笑顔でチョコを抱える。そうでもしないと奪い返されてしまう、とでも言うような反応にジーニアスは満足そうに笑って頷いた。
「よろしい」
「ありがとうよ、ジーニアス。楽しみに頂くよ」
二人のやりとりを笑顔で見守っていたしいなが改めて礼を言うとジーニアスは満面の笑みを浮かべる。
「うん、自信作だから!
ところで、他のみんなどこにいるか知らない?」
「さぁ、まだ会ってないからねぇ。でもそう遠くには行ってないと思うよ」
「ありがと!」
しいなの言葉を受け慌ただしく走っていくジーニアスを見ながら、ゼロスは包みを開ける。
「……達筆だねぇ」
「どれどれ。あ、本当だ」
ハートをかたどったチョコレートにはデカデカと『義理』と言う文字が描かれていた。
ジーニアスが用意したチョコは4種類。
トリュフと、ブランデー入りの物と、ハート形で義理と書いたチョコ、そしてハート形の何も書いていないチョコ。
しいなにはトリュフ、ゼロスには義理チョコを渡した。
その後会ったコレットとプレセアにはトリュフ、リフィル・リーガルにはブランデー入りを渡してきた。たまたまいたクラトスにも義理を渡した所だ。
「包み紙、別にすれば良かったなぁ」
ちょっとの大きさの差で渡しているため正しく配れているか不安になってくる。
コレットにブランデー入りがいったりしていたら申し訳ない。
「大丈夫、だよね。きっと」
今更不安になっても仕方がない。
今手元にあるのは残りの1つ。
チョコを作るきっかけを作ったロイドへのチョコ。
1つしか作らなかったハート形のチョコレート。
ジーニアスはロイドを探しながら町中を歩いていた。
周りを見ればそわそわとしている人が多い。
ジーニアスのように包みを持っている人や、ウロウロと同じ所を行ったり来たりしている人。
町中がバレンタインという日に浮き足立っていた。
それに漏れず自分も浮かれているのか、とジーニアスは笑みを浮かべた。
そわそわとした心持ちの中しばらく歩いていくと、見覚えのある後ろ姿を発見。
「ロイド!」
声を掛けると目的の人物が振り返る。
ジーニアスの姿を確認するとロイドも笑顔になった。
その顔を見て早くチョコを渡したいと急いで走り出した時、運悪く石に躓いてしまった。
「うわっ」
「!」
盛大に転ぶかと思いきや、転んで投げ出された体を目の前まで走ってきたロイドが間一髪で受け止めた。
抱きかかえられる形になっていることに気づいて、ジーニアスは顔に血が上るのを感じた。
「あ、ありがと……」
「けがないか?」
「うん、平気……って、あっっ!」
ロイドに気を取られていて気づかなかった。手に持っていたはずのチョコレートがいつの間にか消えていることに。
ジーニアスは慌ててロイドから飛び退いて辺りを見回す。
すぐにチョコレートの包みは見つかった。
が……。
「割れちゃってそう……」
包みごと変形していた。端からは茶色い物が見えている。
恐る恐る持ち上げてみると、割れたチョコレートの欠片が地面に落ちた。
「………ぁ」
「ジーニアス?どうした?」
何かを持って固まってしまったジーニアスを心配してロイドが声を掛ける。
その声を聞いた途端、ジーニアスの視界が歪んだ。
「おっおい!?大丈夫か、どっか痛いのか?」
無意識に流れてしまう涙に、ジーニアス自身も驚いた。
堰を切ったように流れる涙はなかなか止まらない。
「ご、ごめんっ、何でもないからっっ」
この場を離れたい一心でジーニアスはそれだけ言い残して立ち去る。
事態をうまく飲み込めなかったロイドは、ジーニアスの後ろ姿を呆然と見送ることになってしまった。
「……?」
ジーニアスを引き留められず行き場を無くしたロイドの手は、落としていった包みを拾い上げた。
「ジーニアス、いるか?」
宿の部屋にロイドが戻ると暗い中ジーニアスが外を眺めていた。
「おかえり〜」
夕暮れの薄暗い中手をひらひらと振るジーニアスは、まだ泣いているように見えた。
ゆっくりと近づくと柔らかな笑顔で外を示した。
「ほら、見てあそこ。チョコレート渡してる」
コレットとプレセアがリーガルとゼロスに渡している姿が見えた。
「いいね」
「俺も貰ったぞ。ジーニアスも貰っただろ」
「うん、まぁね」
旅仲間の四人の女性から個々にチョコレートを貰ってベッド横のテーブルに置く。
本当ならそこにもう一つ加わるはずだった。前もって催促してた、目の前の少年からのチョコレート。
「ジーニアス」
「何?」
「ありがとうな、チョコ。うまかった」
ポンと頭に手を置くと、勢いよくジーニアスは振り返った。
「!あれ食べたの?」
落として割れたチョコレート。
渡すこともできなかったチョコレート。
「ああ。地面に落ちた訳じゃないし。美味しかった、ありがとう」
「別に、あんなの食べなくても良かったのに……」
「そんなこと言うなよ!」
叫んだロイドの声の大きさにビクッと肩を震わせる。
その反応に
「わ、悪い……。でも、せっかく作ってくれたジーニアスのチョコを無駄になんかできるかよ」
だから、あんなのなんて言うな。
顔を真っ赤に染めながらゴモゴモと言い繕うロイドに、ジーニアスは目を丸くしながら嬉しさに顔をほころばせた。
「うん。食べてくれてありがと」
花が咲いたようなジーニアスの笑顔に、ロイドは衝動的に動いた。
小さな少年を腕の中に納める。
「あのな、俺がチョコくれって言ったのは冗談とかじゃなくて、お前のことが好きなんだ」
チョコをあげた方が告白されるなんて逆じゃないだろうか、と思いながらも直球の告白にジーニアスは顔を染める。
甘い甘いこの日は幸せの日
「僕も、好きだよ」
甘い甘いバレンタイン
ギュッと抱きしめ返す。
思いを伝える ちょっと特別な日
二人は幸せに笑顔を浮かべた。
「で、これがチョコね」
ようやく離れたところでジーニアスが取り出したのは包まれていない丸いチョコレートだった。
「え、じゃぁさっきのは?」
「あれじゃぁ渡せないから急いで余った材料で作ったんだ。
だから食べなくても良いって言ったの。落ちたの食べて、おなか壊すんじゃない?」
「バカ言え、ジーニアスから貰ったもんだったら毒だって消化してみせるぜ、愛の力で」
「……野生児だね」
「なんだとぅ!」
「ま、改めてチョコをどうぞ」
「おぅ、ありがとうな!」
「毒が入ってなくて残念だね」
「あのなぁ……」