「……ゲホッ」
 頭がくらくらする。
 視界が少し歪んでいる。
 完璧、これは……
「カゼ、だな」
 その言葉に脱力。
「すまない……」
 クラースは不健康な赤い顔をして掠れた声で謝った。
「しっっかり休んでくださいね」
 謝る必要がどこにあろうか。
 誰しも体調を崩すものである。
 謝る必要なんてこれっぽっちもない。
 ……普通ならば。
「何回繰り返す気なんだか」
 チェスターがすっかり呆れた様子で嫌味をはいた。
 そう。クラースはここ最近、熱を出しては倒れ、再び出発するや数日後には倒れる生活を送っていたのだ。
 原因は彼自身にある。
 治しきらないままに仲間達を急かしては先へ進もうとしていたのだ。
 これでは治る物も治るわけがない。
 治るどころか悪化する一方だ。
 最初は、倒れると言いっても歩けないわけではなかった。
 足取りもしっかりしていたし、ただ熱があるだけだったのだ。
 それが今ではどうだ。
 顔は真っ赤。目はうつろ。今は歩くどころか立ち上がることすらできない状態になってしまっている。もしかしたらこの今喋っている時点で意識もないのかもしれない。そうであればかなり凶悪だ。
 風邪も。
 彼自身も。
「今日と明日、ここにとどまることにしましたから、ゆっくり休んでくださいね」
「……うん」
 人間、弱ると甘えてくるものである。
 本来なら29の大の大人であるという意識が高熱によって飛び、まるで子どものような仕草を見せる。普段なら絶っ対にあり得ないことだ。
 潤んだ瞳。
 上気した頬。
 熱によるものだとは思ってはいても、どうにも胸がときめいてしまうのは何故だろう。
「で、では僕たちは隣にいますね。また様子見に来るんで」
 とりあえず離れておこう。そうしなければゆっくり休むこともできないだろうから。
 額に冷やしたタオルを置いてこの場を去ろうとした。
 しかし、クンッと引っ張られる感覚。
 振り返れば服を握りしめているクラース。
「…………」
 ここにいてくれ。
 この無言の攻撃に、全員敗北したのだった。
  

  

 最初に付きそったのはミントだった。
 大勢いてもしょうがないということで交代制になったのだ。
 クラースは、意識は朦朧としてはいるが眠れていないようだ。
 タオルを取り替えるミントの様子をジッと見続けている。
「眠れないのですか?」
 ミントの言葉に少し笑って頷いた。声をかけてもらえたのが嬉しいというように。
 まるで子どものようだ。
 いつも頼っている相手が頼って(とは多少違うが)くれている。不謹慎だとは思うけれど嬉しくなってしまう。顔が思わずほころんでしまった。
 ミントが何も言わないからか、クラースは不安げに彼女を見上げている。
 その表情を取り除くために、頭をそっとなでる。
「お話でもしましょうか、眠れるように」
 ああ、思い出す。私も子どもの頃熱を出した時こうして母に側にいてもらっていた。どれだけ安心しただろう。
 クラースは嬉しそうに笑ってくれる。
 なんて愛らしいんでしょう。子どもがいたらこんな感じなんでしょうか……。
 今まで読んだことのある話の中から童話を選んで話しているミント18歳、29のクラースに母性愛を擽られるひととき。なかなか幸せな時間。幸せ、といったら熱を出しているクラースに悪いかもしれないけれども、前々から2人だけになることが少なかったので嬉しさがあるのは正直なところ。
 しかし、いつものように静かな時間とは続かないもので……。
「体温計借りてきたよ!
 測ってみて測ってみて!!」
「アーチェさん、あまり騒がれない方が……」
 アーチェとすず、乱入。
 歩くムードメーカーが来たとなれば静かな時間は破られたも同然であった……。

  

  

 クレスが部屋に入った時には、クラースは眠っていた。
 先程まで「39.6!?高熱じゃん!こ、氷氷!アイストーネード!」「きゃぁ!!」「アーチェさん!」とかとか。騒がしかった。
 ……災難だ。
 すずのおかげでアーチェの魔法の直撃こそ免れたものの、ベットは氷の刃の餌食になってしまい、とても使える物ではない。のでベットを変えることになってしまったという。
 全くもって災難だ。
 アーチェ本人に悪気がないだけに、また災難である。
 しかし、39度といえば高熱。慌てるのは頷ける。
 タオルをとり、額で熱を確かめようとしたが起こしてしまったら悪いと思い手を引っ込めた。
 寝息は穏やかなものである。しかしいつも見る寝顔よりもやはり苦しそうだ。
 熱が移ったタオルはもう効果がないだろう。水にくぐらせて絞る。
 のんびりとした時間が訪れた。
 だが、
「………………」
 なにもすることがない。
 どんなに引き留められたとしても、引き留めた本人がここまで寝ているならば何もできることはない。
 ならば自分ものんびりしていようか、とも思いながらも産まれ持っての性分からかどうにも落ち着かなかった。そわそわと、椅子に座ったり立ち上がって歩き回ったり。なんだかデートの待ち合わせに早く来すぎた人のようだ。
 クレスは自分の行動を冷静に分析し、とりあえず落ち着くことにする。椅子に座り、しばらくクラースの寝顔を眺めてみた。
 ―起きてて黙ってれば、凛々しい顔立ちだけど、なんか寝てる時って幼い感じがするなぁ。
 ―ああ、まつげ長いなぁ。
 ―格好良い、て言うより美人、だよなぁ。可愛い、とかもあてはまるかな。あれ、でもそれって男の人に対する形容詞としてはどうだろう……。
 そのようなクレスのクラース観察は、本人が思っているよりも長く続けられていたらしい。時計を見れば長針がかなり動いている。慌ててクラースの額のタオルを手に取れば、彼の熱を吸収してぬるくなっていた。
 なら桶に汲んでおいた水で冷やそうと思えども、熱で寝込んでいる病人のために暖められた部屋の空気に触れて水までもぬるくなっている。
 クラースをちらりと横目で見て、眠っているなら少しくらい離れても平気だろう、とクレスはぬるい水の入った桶を手に部屋を出た。

  

  

 そっと部屋に忍び込む。
 先ほどクレスが桶を持って出て行ったので少しの間ぐらい大丈夫だろう、と。
 何故忍び込むかと言えば、看病する順番が未だクレスであることと、実は順番を決めるのに参加できなかった、という2つのことが原因となっているのだ。
 なぜ看病の順番に入っていなかったのか、というとただたんにその場ののり。売り言葉に買い言葉で「旦那のことなんて心配じゃねーやい」という流れになってしまったのだ。いつもながらそんな口げんかをした相手はアーチェで、チェスターの妙な頑固さが発揮されてしまったために順番の中に入れなかったのだ。
 チェスターは誰もしばらく来ないだろうことを確認してベットに横になっているクラースへと視線を移した。
 眉間にしわが寄せられている。熱を取るためのタオルがないからだろうか。
 じんわりと汗もかいているようだ。
 思わず、手を伸ばしてしまった。
 額に手を乗せる。チェスター自身平熱が低いわけではないが、絶対熱を出しているクラースよりは冷たいはずだ。
 クラースはやはり触るとすぐわかるほどに熱い。
「無理ばっかりしやがって……」
 ぼそりと呟いた言葉は本音だ。
 クラースと言う人物はぶっきらぼうで自分本位な態度をしながらも、周りを気遣っている。気遣いすぎて、本来大切にすべき自分を二の次にしてしまうことが多々あるのだ。そして今の状態も、それが目に見える形になって悪い方向に出てしまったというわけだ。
 言葉にすれば簡単だが、実際目の前に自体として現れると、
「殴ってやろうか」
 という気になってしまう。実際チェスターはクラースがこのような理由で体調を崩すたびに殴っていた。しかし今回はさすがにそれもできない。
「馬鹿野郎」
 額に乗せていた手でペチンと一叩きする。
 するとクラースが目を覚ました。
「馬鹿と、いうな……」
 チェスターの言葉も聞こえていたらしい。掠れた声で、しかしいつもの口調で反論が帰ってきた。
「馬鹿は馬鹿だ。治せってずっと言い続けたのにこんなになるまで放っておいてよ……」
「耳が、痛いな……」
「そう思うなら早く治せ。心配するだろう」
「ああ……」
 クラースは小さく返事をして目を閉じた。
 しばらくの沈黙に、寝てしまったのかとチェスターが様子をうかがうと、
「手が……」
「ん?」
「冷たくて、気持ちいいな……」
「そうか」
 やはり反省はしているらしい。随分控えめな要求を、チェスターは飲むことにした。それは自分の望みでもあったから。
 ここにいること。
 それが望まれたことなら願ったり叶ったりだ。
 再びの沈黙に、クラースが寝てしまった事を確認してからチェスターは彼にキスを一つ落として部屋を去っていった。
 クレスと鉢合わせして、チェスターは看護をしないと言い張ったわりにクラースの部屋から出てきたこと、クレスは水を張った桶を持ったまま一部始終を目撃してしまった気まずさから、お互いに苦笑いを作ったりもしたのだが、外へと出かけて行ったのだった。

  

  

   ー翌日

 熱があったらしいが、記憶がまっったくない。
 ここまで覚えがないとなるといっそ清々しいくらいだ。
 しかし、どうにもみんなの態度がおかしい気がする……。
 ベットに縛り付けられた私を何かと構ってくれている。
 今朝なんかミントに頭をなでられたぞ。すぐに謝られたが。
 クレスは不自然だし、アーチェはやけについて回ってくるし、すずも何かしら果物を持ち込んでくれている。チェスターは、
「自分で食える」
「そう言うなって、ほらあーん」
 徹底的に看病する気らしい。クレスの持ってきたリンゴを切って突き出してくる。
 毎回盛大に殴られて、今回も今朝殴られて言われた言葉に対して、この足止めに対して、本当に悪いと思ってしまっているため、全ての行動を突っぱねきれない。
 ここはおとなしく目の前のリンゴをチェスターの手から食べるべき何だろうか??
 チェスターの妙な機嫌の良さがなんだか気味が悪い。
 しばらく考えていると、他のメンバーも部屋になだれ込んできた。
「チェスター!1人で看病しようだなんてずるいわよ!」
 アーチェのこの言葉を筆頭に似たような主張がそれぞれ飛び出していた。
 こう五月蝿いのはみんなに病人を寝かせる気がないからだろうか。
 五月蝿い中、ベットに横になる。
 まぁ、1人でいるよりはましだ。
 徐々に加熱する言い合い(主にチェスターとアーチェ。珍しくミントも大いに参加していた)に、1人の方が良かったか、と考え直すのはそう遠くない未来のことである。