笑っていた。
 いつだって、彼は笑っていたのだ。
 時に怒り、時に悲しむ。豊かな感情を持ち、表に表しながら最終的には笑っていた。
 健全な精神の持ち主。
 強い精神力の持ち主。
 彼はまさしく、そうだった。





 原因が分からない、と彼は言った。
 しかし、その原因が分かった今は、また別の課題が現れた。
「不便ですねぇ、その病気」
「言うなって、俺が一番分かってるんだから」
 酒場のカウンターで深い深いため息を吐く。
 淡い色をしたアルコールが悲しく水滴を作っている。
「まぁまぁ、お飲みなさい」
 氷が溶けて薄まっているだろう酒を差し出せば小さく振ってどうにか味を均一にしようとしていた。
 この酒場には来たばかりで、このグラスもまだ一杯目だ。
 酒に強いガイが、氷が溶けるまでこのグラスを空けられなかったのには訳があった。


 地元の女性、とおぼしき二人組が声を掛けてきたのだ。妖艶ともとれる彼女らは猫なで声で近づいてきた。
 目的は明らかだった。
 夜も更けた酒場で、一緒に飲もう、なんて近づくなんて。幸いなことに、私は自分の容姿をよく知っている。そして隣に座る青年の姿が女性にどう映るかも。
 正直、それも良いかと思った。
 相手が割り切ってくれるなら、一夜限りの関係も気楽な物だ。旅のおかげで退屈することはないがこういう事にもご無沙汰になっている。
「ご一緒、良いかしら」
 疑問系ではなく、断られることがないと確信している口調は彼女たちの自信を垣間見せる。
 露出が多少ある服装は放豊満な体を艶やかに彩っている。きっと男が放っておかないだろう。
 だが、ここにいるのは残念ながら私とガイだった。
 これがルークだったなら、固まって女性に圧倒されながらも隣に座っていただろうに。
 そっと腕を絡ませ、香るフレグランスは少々きついながらも女性らしい華やかな物。
 ふむ、とさせたいようにさせていると、隣から悲鳴が上がった。そして椅子の倒れる盛大な音も。
 その声に腕を絡ませたはずの女性はビクリと驚きすがりついてきた。
「ああ…………」
 頭を抱える。
「すっすすすすす、すまないっ」
 伸ばされた手から逃げるために体を動かして、その勢いのまま倒れてしまったのだろう。慌てて起きあがっているが、女性との間に椅子を立てて距離を取っている。
 女性恐怖症は健在だった。
 顔を蒼くして、小刻みに震えている。
「わ、るいんだが…近づかないで、貰えないかな?」
 ニコッと震えながらも笑う。
 女性の方といえば、ガイの過剰すぎる反応に気を悪くしたでもなく、むしろ興味を持ったようで間に挟まれた椅子越しにガイに話しかけている。腕にすがりついてきた女性も、クスクスと小さく笑いをこぼしている。
 無礼だ、と頬を叩かれてもおかしくないというのになぜか彼は好意的に見られることが多い。それが彼にとって良い事かどうかはまた別だが。
「申し訳ありません。連れがこんな状態ですので、非常に魅力的なお誘いですが遠慮させて頂きます」
「あら……残念」
 また今度の機会にね、と二人連れだって去っていった。
「た……助かった」
 ガタガタと椅子を元の位置に戻して座り直している。あからさまにホッとしている様子にはため息が出る。
「女嫌いも大変ですね」
「俺は女性が大好きだっ」
 グッの拳に力を込めて堂々と宣言する。
「不便ですねぇ、その病気」
 そしてこの会話になったのだ。


「でも、原因もはっきりしたことですし、これから改善に向かうでしょう」
 アニスの母親が負傷した際によみがえったという過去の記憶。そこに彼が女性を畏れるに至った原因があったのだ。
 ガイはふらつく体をどうにか支えて、その記憶を受け入れていた。側にいる自分を頼ることもせず。
「ああ。そうでないと俺が困るよ」
 笑ってグラスを煽る。薄まったそれに眉をしかめながら、バーテンに別の酒を注文している。
 高いアルコールの数値も気にする様子はない。
 ザルと称される私ほどではないが、彼はかなり飲めるタイプなのだ。便乗して私も一杯注文する。
「女性が大好きだと豪語するくらいですものねぇ。早く治ると良いですねぇ」
「努力中だよ」
 透明感のある茶色の液を少しずつ飲み下しながら肩を竦める。
 そう、彼は努力している。
 まだ残る女性への恐怖と、過去の出来事への恐怖を乗り越えようと。
 こうして酒を一緒に飲むのには訳がある。
 ガイは、夜グッスリと眠りたいのだ。いや、私に眠っていて欲しい、の間違いか。
 あの記憶が蘇ったという日から夜中に飛び起きないことがない。脂汗をかいて、息を乱して、胸を苦しげに押さえて。起きた後、必ず彼がするのは同室の自分やルークに気づかれていないかどうか、横を確認することだった。寝ていることを確認すると、うずくまって息を整える。気づかれないように、と息を殺している。
 起きて、どうしたのかと尋ねたことがあった。
 すると決まったようにガイはなんでもないと笑って答える。
 繰り返し、何日かそのやりとりをした後、ガイはこうして私も酒場に誘う機会が増えた。
 酒を飲んで、私がいつもより深い眠りにつくのを望んでいるのだ。
 ガイが、悪夢にうなされ飛び起きても、それに気づかないほど深く眠るのを望んでいる。
 弱っているところを見せるのを極端に嫌うのだ。だから弱音など吐かない、頼ろうともしない。
 その強さは、癪に障る物だった。
「いっそ全て吐き出してしまえばいいものを」
「なに、酔ったのか?吐くならトイレ行くか?」
「違いますよ」
 見当違いの言葉を返すガイに呆れながら、彼の瞳の色に良く似た液体を一気に飲み下した。










弱音など塵ほども吐かない人でした。それを憎く思いこそすれ好ましくなど思うことなど出来ませんでした。








 ああ――でも。


 憎むという身を焼くほどの強い感情は、何かに似ている。









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