ベッドに座り込み背を丸めて今日手に入れたという本を読みふけっているのは、いつもの通りクラース。
 視線は字を追い、他の一切を無い者にしていた。
 その背中にもたれかかる俺ですら、存在しないかのように黙々と読み続けている。
 いつものことだ。そういつものこと。
 だがしかし、いつも本に負けていることをずっと歯がゆく思っていた。
 腐っても学者なのだ、知識を取り入れることに至上の喜びを見いだすのだろう。
 俺といることにもそのくらい拘ってくれればいいのに。
 ため息をつくが、やはり無反応。
 あわせていた背中を離し、部屋を後にした。
 きっとそれにもクラースが気づかないだろう事を予測して。
 部屋を出て、さてどこに行こうか、と今更ながらに考え始めた。
 買い出しも終わっているし、武器の手入れに必要な道具もそろっている。
 腹は、先ほど食べたばかりで満たされている。
 娯楽もそうある物でもない。
 そうとなれば仲間の誰かを引っ張って散歩にでも出かけよう。
 クレスとだったら修行をしても良い。ミントとだったらアーチェも付いてくるだろうから店を回るのも良いかもしれない。すずとであればその子どもらしからぬ真面目さに活を入れるためにその辺のガキどもと遊ぶのも良いだろう。
 そう決めて他の部屋へと足を向けた。


 帰ってきたのは夕方、とっぷりと日が暮れてからだった。
 昼過ぎから出ていたのだから長く外にいたことになる。
 休息という形でこの町で一日フリーな時間を作ったというのに、全く休まっていないことに苦笑いが漏れた。
 きっとクラースの横には読み終わった本が積み重なっていることだろう。
 そう思いながらドアを開ける。
「ただい、ま……」
 意外な光景が広がっていた。
 本の山は部屋を出たときからほとんど移動しておらず、読まれていない本が未だ重なっていた。
 そしてその間にはクラースが。
 不機嫌そうな顔をして手に持った本をめくっていた。
 その手のスピードがいつもより明らかに遅い。
 一体どうしたというのだろう。
 この休息中に読むのだと、本を張り切って購入していたというのに。
「どうしたんだ?」
「……どうもこうもない」
 声を掛けたとはいえ、てっきりいつも通り何の反応も返ってこないと思いきや、しっかりと不機嫌さの滲み出た言葉が返ってきた。
 まったく珍しいことだ。
 その珍しさに惚けていると、ギロリと睨まれてしまった。
 顔が良いだけに、睨んだりすると迫力がある。
「何も言わずに、出て行くか?なにか一声くらい掛けるだろう、普通」
 どうやらそのことで機嫌が悪いようだ。
「だって、言っても聞こえなかっただろ?」
 完全に本を読むモードに入っていたのだから。
 そう訴えると、
「聞こえなかっただろうな」
 と自信満々でよく分からない答えが返ってきた。
 えーと……。聞こえなかったというなら、一声掛けようと掛けまいと一緒なのではないだろうか。
 しかし、クラースの静かな怒りの前にはそうも言えなかった。
「えー、俺が出て行ったのは気づいたのか?」
「当然だろう」
「なんでそれまで話しかけてたのに気づかなくって、それは分かったんだ?」
「……背中が寒くなったから」
「は?」
 湯たんぽ代わりだったのだろうか、俺は。
 そう言えばクラースが本を読んでるときは何かしらと近くにいる気がする。隣だとか、後ろだとかにくっついている。
 最初は鬱陶しがられていたけど、今ではそれが当然のようになってて……。
 と、そこまで考えて合点がいった。
 それはつまり……。
「俺が近くにいなくって落ち着かなかったって事だろ!」
 導き出された答えを突きつけると、クラースの目が点になっていた。
 ……間違っていただろうか。希望が入りすぎたか?
 しかし、間違っていたからの反応ではなかったようだ。
「そう、なのか?」
 俺の言ったことを噛み締めるように尋ね返されてしまった。
「いや、俺に聞かれても。でもそうだったら嬉しいと俺は思うんだけど」
 正直な感想を言うと、クラースはぶつぶつと呟きだした。
「確かに本を読むときにチェスターはいつもいたが、邪魔で仕方ないのだがな……。だがその鬱陶しさを平常として認識してしまっているのだろうか……」
 なかなかひどいことを言われている気がする。
 しかし、嬉しい。
 俺の存在もしっかりと認識していることが分かったのだ。
 声を無視してても、こういうことなら多少我慢するのも良いかもしれない。
 本を読んでる時間は、クラースが俺の存在を感じてる時間と等しいのだから。
「まだ本を読むんだったら、付き合おうか?」
 呟きを遮って、隣に座る。
 次は研ぎ石でも持って、俺も作業をしながらその時間を共有しよう。
 背中合わせで別のことをしながら、でも互いの存在を感じる時間は、とても大切な物だと思うから。